13
貧民街の路地では、ヒナタとキニゴスの死闘が繰り広げられていた。一進一退。どちらの実力も拮抗していて、そのバランスは崩れないまま時間だけがいたずらに過ぎている。
「くっそ……のらりくらりとっ!」
ヒナタが一息に踏み込み、剣を横に薙ぐ。それをキニゴスはさらりと後退して避け、ヒナタが剣を振り抜いた直後に距離を詰め、ククリ刀で斬り付けた。
「っらあ!」
その一撃を、ヒナタは腕に力を籠めて振り抜いた剣を返して弾く――と同時に蹴りを繰り出して足払いをかけた。
「アタラナイ、アタラナァァァ――――――イ!」
が、キニゴスは飛び跳ねて足払いをかわす。更にその勢いのまま上段でククリ刀を振るった。ヒナタは頭上に剣を掲げてそれを防ぐと、跳躍しているため身動きが取れないキニゴスに正拳突きを放つ。
「グァ!」
かろうじて当てることには成功するが、大きなダメージを与えることは叶わず、再び両者の距離が離れた。
「……狂ってやがる」
ヒナタが憎々しげに吐き捨てた。対峙する男からは狂気が滲み出ていて、たとえこの場から逃げ出しても地の果てまで追ってきそうだ。
迷いを払い、剣を構え直す。道が狭いのと、装備が万全でないことから、剣を思ったように振ることができない。そのことが少なからずヒナタの神経を擦り減らしていた。しかし、命のやり取りにそんな甘えた事情を持ち込むことはできない。
「せあっ!」
ヒナタが剣を腰溜めにしながら駆けた。下からの振り上げを放つ。
「おらぁ!」
更に、素早く振り下ろし、もう一閃。
ヒナタの剣術はリュコスの師が護身のために教えたものであり、ヒナタ自身相当の鍛錬も積んでいる。そのため本来ならば俄かには凌げる技ではないが、キニゴスはそれを容易くやってのけていた。
剣をククリ刀で受け流し、弾く男からは、何か執念めいたものすら感じられる。
「ヒャァァァァァァァァァアアアアア! リュコス……リュコスゥゥゥ―――――――――――――!」
お返しと言わんばかりにキニゴスがククリ刀を何度も振るってヒナタを追い込む。
「くっ、こっの……!」
ひたすらにその猛攻を凌ぐヒナタ。このままでは埒が明かないことは分かっていたが、どうすることもできない。
「離れろってんだよ……!」
ヒナタは胸を狙った斬撃を剣で受け止め、一気に力を込めて押し返した。
キニゴスが体勢を崩し、再び間合いの取り合いになる。
――と、その瞬間、脇道からヒナタとキニゴスの前に突然白い影が飛び出してきた。
「……イリス……?」
白い質素なワンピース。小さく、華奢な体躯。たった一週間会ってないだけなのに随分と久しぶりに見たような気がする。
――でも、間違いなく彼女はイリスだった。
「バカ! 下がれ、イリス! 死にてえのか!」
「ヒナタ……?」
二人の視線が交わる。その空間だけ時間が止まったように、ただ見つめ合う。
イリスの目には、驚きと、そしてこんな状況にも関わらず、隠しきれないほどの喜びが浮かんでいた。
「ジャマヲ……スルナァッ!」
一瞬のような、永遠のような。そんな時を破ったのはキニゴスの金切り声だった。
「くそっ!」
ヒナタは素早くイリスの手を引くと、その反動を使って二人の位置を変えた。そして振り下ろされたキニゴスのククリ刀に自分の剣を絡め、軌道を逸らして横に受け流す。
「しっ!」
ヒナタはその隙を逃さず中断の蹴りを叩き込む。その足が吸い込まれるようにキニゴスのみぞおちに当たり、キニゴスは衝撃を逃がしながら後ろへ大きく跳んだ。
「グッ……」
急所に入ったからかそれなりにダメージがあったようで、キニゴスはその場で片膝を地面につけた。
ヒナタは剣を構えたまま、背後のイリスに叫んだ。
「イリス! てめえ、何でこんな所に来やがった!?」
「……そんなの……ヒナタに会うために決まってるじゃない!」
「……っ!」
イリスの気迫に押され、一瞬ヒナタは言葉を詰まらせた。
イリスは毅然と立っている。もう泣かないと決めたから。だから、イリスはここに辿り着くまでに転んで擦りむいた膝小僧や、血の滲む足の裏には気にも留めず、強い瞳でヒナタの背を見つめる。
「あのね、私、ヒナタの昔のこと、ユレダおじいちゃんの言葉……全部、聞いた」
「…………」
「沢山言いたいことはあるけど。……沢山謝らなきゃいけないけど。
どうか死なないで。生きて、ヒナタ。……今はこれだけ」
ガシャリと音がして、ヒナタの背中に重量のある何かが押し付けられる。ヒナタは振り返ることなくそれを後ろ手で受け取った。
キニゴスが膝を上げる様子がヒナタの目に入る。時間はない。
「……無茶しやがって。あのなぁ、俺はシュノレテ以外じゃ絶対に死なねえんだよ。だから、とっとと邪魔にならない所に行け」
そう言っている間にも、キニゴスがじりじりと間を詰めてくる。
イリスがどんな表情を浮かべているのかヒナタは分からない。ただ、前だけを見続ける。
「礼は言っておく……ありがとな」
そう言い残しヒナタは前へ、イリスは逆の方向へと駆けた。
「シィィイイイイイイイイイ、ネェェ――――――!!」
ヒナタはキニゴスの一撃を真正面から右手の剣で受け止める。
「あいにくと、アイツの頼みとわがままは聞くと決めたんで――」
そして、イリスから受け取った左手の剣を振るった。
「――生きなきゃ、いけないんだよ!!」
「グァァァァァァァァァァアアア!!」
想像だにしなかった二撃目にキニゴスはなす術がない。もろに斬撃を受けた肩口がパックリと開き、鮮血が宙に散った。
「バ、バカナ……」
キニゴスは肩を押さえながら後ずさり、初めて戸惑いの混じった声を漏らした。
「まだまだ!」
そんなキニゴスに休む時間など与えず、ヒナタの両手の剣が閃く。
流れるような動作で右手と左手の剣を振り、ヒナタはキニゴスを追い詰めていった。
二刀流。ヒナタの本来の戦い方。イリスに託された左手の剣の重みが心強い。
この剣術をヒナタに教えた、親の仇であり師でもあるリュコスの言葉がふとヒナタの脳裏をよぎる。
『リュコスは死んではいけない。楽に死んでも良いのは、リュコスに葬られる者だけだ。リュコスは死などという逃げ道を選んではならない。
これから先、お前はリュコスを憎む者に命を狙われることがあるだろう。だが、死んではいけない。血にまみれ、どれだけ傷つこうと、生きろ。――俺が教えるのはそういう、生き残るための戦い方だ』
二刀流。
それは使い手が極端に少ない戦闘スタイルであり、それに対し初見の者は的確な防御ができない。その意表を突く、ただそれだけのために身に付けた技術。生き残るための手段。
それがキニゴスを圧倒する。
「はぁっ!」
攻撃に転ずる隙もなくがむしゃらに振るったキニゴスの剣をあっさりとかわし、ヒナタは横に跳躍した。そして、すぐ横にあった壁を強く蹴りつけ、空中でベクトルを変える。その先には、体勢を崩したキニゴス――。
「っらぁぁああああああああ!」
その時のヒナタをたとえるならば、鋭く、疾い――そんな一陣の風だった。
ヒナタとキニゴスが交錯する。
右手は、キニゴスの利き手からククリ刀を払い落とし。
左手は、キニゴスのアキレス腱を断った。
「グ、ァァァァアァァァアアアアアアアアアアア!!」
悲鳴と共にキニゴスの体が崩れ落ちる。
「眠ってろ……!」
ヒナタは振り返り、剣の柄の部分をキニゴスの頭に強く叩き付けた。
「ッガ……ァ!」
キニゴスは脳を激しく揺さぶられて意識を手放し、地面に倒れた。
「っつ、終わったぞ、この野郎」
ヒナタは二本の剣を地面に突き立て、大きく息を吐く。力を失って、地面に座り込んだ。
そのまま近くの壁に寄りかかり、無意識に空を仰ぐ。燃えるような赤色をした夕焼けの光が、貧民街の路地に差し込んでいた。眩しい。そう言えば、イリスと出会った日もこんな風に夕焼けが綺麗な日だった。
「みんな、こっち!」
遠くからイリスの声が聞こえる。それに続くように酒場の連中の懐かしい声が近づいてくる。
「…………」
ヒナタは少しだけ目を閉じることにした。騒がしい場所に帰る光景を思い浮かべながら、少しだけ眠ろう。シュノレテなんて関係なくても、人間は眠るのだ。
だから、目を開けたらまた夢を見られる自分達は、きっと幸せなんだろう。
「……なあ、そっちはどうだ? ユレダ」
瞼の裏で、しわだらけの顔のユレダが満足気に微笑んだような気がした。