表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
眠れる森のイリス  作者: 稀春
第一章
12/14

12

 消えそうなほど薄く掠れた最後の文字を噛みしめ、イリスは手紙に涙の粒を落とした。


「ユレダ、おじいちゃん……」


 読み終えたイリスの胸は、言葉にできないほどの感情で満たされていた。

 罪悪感、喪失感、悲しさ、空しさ、切なさ――そのどれでもあって、そのどれでもないような。

 そんな色んな感情が混ざり合った心の熱が体を巡る。


 ――ユレダの人生に、思い残しはあっても後悔は決してなかった。


 そのことがこれらの手紙から痛いほどに伝わってくる。



「アヴィーさん、私……っ……」


 イリスは涙を袖で拭うと、目を固く閉じ、これ以上は流さないようにした。ユレダはもう泣いてはいけないと言ったから。だから、もう泣かない。泣いてはいけない。


 そんなイリスをアヴィーがそっと抱きしめた。


「ここの酒場に来る連中はみんなユレダと同じさ……みんなリュコスであるヒナタに……救いを求めている。自分が眠っちまった後のことは、ヒナタに委ねているんだ。誰かのために自分の命を終わらせる――そんな覚悟をしているヤツらばかりさ。

 ヒナタはその依頼を全て受け、アイツが気に入ってる人の命も全部……自分の手で終わらせているんだ。……まだガキと言われてもおかしくない年齢のヒナタに、どんなに辛い葛藤があるのか……こんなちっぽけなアタシには到底理解できないよ。

 ……でもね、アタシは誰もアイツを責める権利はないと思うんだ。ヒナタはもう十分すぎるほどの罰を受けている。だって、たった一人で、幾つもの命の重みを生涯抱えて行かなきゃいけないんだから。傷つき、恨まれ、それでも……それでもアイツは生きなきゃいけないと言っていた。それがリュコスだと」


 やっと。

 やっと、ヒナタという人間を少しだけ理解することができた。

 なんだ……いつかヒナタ自身が言っていた通りじゃないか。



 結局は、お節介なのだ。



 困っている人を、救いを求めている人を見過ごすことができないから。

 だから、その手伝いをしている。少しだけ。


 ――誰かのため。

 自分のことは無頓着で。

 いつも傷ついてばかりで。

 それでも投げ出さず。

 ――誰かのため。

 誰かの望みを叶えるため。

 たとえそれが自分を殺してくれという悲壮な願いであっても。

 その命を、罪を、罰を、全て負ってでも。

 ――誰かのため。


 そんなヒナタだから、イリスはきっと――。



「……私でも」



 アヴィーの胸を借り、イリスは言う。


 ヒナタは、誰かのために。――それならば。



「……私でも、ヒナタの重みを預けてもらえるかな」



 イリスは、ヒナタのために。



「……きっと。いや、必ず」


「アヴィーさん……私、行かなきゃ」


 イリスはアヴィーの胸から顔を離し、決意を込めた眼差しでアヴィーに告げた。


「ああ。行っといで」


 アヴィーに優しく、しかし頼もしく背中を押され、イリスは走り出した。


 はやる気持ちを抑えることができず、二階から一階へ階段を跳ねるように下りる。一秒でも早く、ヒナタに会いたい。今はそれだけだ。



「だから、ヒナタがヤベえんだ……!」



 ――しかし、店で誰かが必死に叫ぶ声を聞き、イリスは思わず階段の途中で足を止めた。


 物影から様子を見る。そこには血相を変えて叫ぶゼインと、それに応じるロキの姿があった。







「だから、ヒナタがヤベえんだ……!」


 突如として酒場に飛び込んできたゼインの姿は、ロキの目から見ても一目で異常だと分かるほどだった。


「ゼイン、落ち着け! ちゃんと最初から説明ねえと分かんねえだろうが!」


 ロキが力強くカウンターを叩くと、ゼインが我を取り戻した様子で頭を下げた。


「あ、ああ。……悪い、ロキさん。もう大丈夫だ。

 良いか、店にいる連中も聞いてくれ。――ヒナタがヤベえ。たった今、南の犯罪者に襲われているんだ。俺だけ逃がされたが、そのククリ刀使いはヒナタでもヤバい気配を感じるらしい」


「南の犯罪者……ククリ刀……おい、それ、もしかして≪キニゴス≫じゃねえか!?」


 店の客の一人が切羽詰った様子でそう言った。


「キニゴス?」


「ああ、南で相当な数のリュコスを殺して回ったらしい。(リュコス)を狩る者――それで付いた名が狩人(キニゴス)だ。かなりの手練れだぞ」


「リュコス殺しだと……。ゼイン、軍の連中に連絡はしたのか?」


 代表してロキが尋ねた。


「したさ!……だけどアイツら、小物の商人の言葉なんか聞きやしねえんだよっ。頼む、みんな、ヒナタを助けてくれ!」


 ゼインの呼びかけに、腕に覚えのある者が立ち上がった。


「……俺は行くぞ! アイツはこんなところでやられるヤツじゃねえ!」


「ああ、そうだな。今度は俺らがアイツを助ける番だ!」


 店の者が続々と立ち上がる。その数は総勢で二十名あまりにもなった。


「みんな、ありがとう。……ロキさん、どうかしたんですか?」


「む、そこに誰かがいた気が……いや、何でもねえ。気のせいだろう。俺も行くぞ」


「そうですか。じゃあ、みんな、行くぞぉ!」


 ゼインの掛け声に、店中から雄叫びが上がる。


 ――その大きな音に一つの小さな足音は掻き消され、誰も気づくことはなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ