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場所は変わって、貧民街。
「おーいヒナター、どこだー? 返事しろーい」
その場には酷く不釣り合いな雰囲気のゼインが歩いていた。
「おーい、鬼のヒナター、幼女趣味のヒナター……ぐふぅ!」
とその時、背後から凄まじい勢いで足音が近づいてきたかと思うと、その勢いのままドロップキックを喰らって、ゼインの丸っこい体が吹き飛んだ。
「うっせーんだよ。ゼイン! てめえこら、俺にも外聞ってのがあるんだよバカ野郎」
「や、やっほー、ヒナタァ……」
パタリと倒れ伏したまま、力なくゼインが片手を上げる。
「何の用だよ? ここは商人が来るような場所じゃねえぞ」
「……事後承諾で悪いんだけどさ」
「まさか……じいさんの手紙、イリスに見せたのか?」
「流石に勘が鋭いねえ……」
「……はぁ」
ヒナタは盛大にため息を吐き、地面に座り込んだ。
「ヒナタ、お前はお嬢ちゃんがアレ読んで悲しむのが嫌だったのかもしれねえけどさ、俺はあの子はそんなに弱くねえと思うぜ」
「…………」
「だから意地張ってねえでよ、帰って――」
「――ゼイン。ここの道は詳しいか?」
「あ? まあそれなりに……って、うおっ!」
ゼインの言葉を遮り、ヒナタが言った。と同時に、素早く立ち上がり、ゼインを引っ張って強引に立たせる。
「おいヒナタ、何するんだよ」
「合図したら……できるだけ遠くに走れ」
「……誰かいるのか?」
ヒナタからただならぬ気配を感じ、ゼインは身を強張らせる。
「ああ。どこの誰だか知らんが、こっちにひたすら殺気を送っていやがる」
ヒナタは貧民街の狭い道の奥を見据えた。
と、その先から足を引きずるようにぼろぼろの布のような服に身を包んだ男が現れた。その手には血糊がべっとりと付いた短刀。湾曲した刀身――ククリ刀だ。
「コロスコロスコロス……コロシテヤル」
蛇のような声で、男が呟いた。ククリ刀を振り回しながら一歩ずつ近づいてくる。濁った目の奥が爛々と光り輝いていた。
「……おいおい何だこの感じは……。どこぞの殺し屋よりよっぽどヤバそうじゃねえか」
一瞬でも背中を向けたら切り刻まれるような光景が脳裏に映る。逃げられる気はしない。
「……ヒ、ヒナタ。アイツ多分、南から流れてきたっていう犯罪者だ……」
「道理で……気配が違うわけだ」
ヒナタは腰の片手剣に手を当てると舌打ちをした。装備はこれだけしかない。抜剣して正眼に構えた。
男はひたひたと地面をゆっくり踏みしめながら、まっすぐヒナタとゼインの方へと向かってくる。一歩、二歩、足を持ち上げ、下ろす。
ヒナタはそのタイミングを見計らい、ゼインを後ろに突き飛ばし、駆けた。
「行けっ、ゼイン!」
ゼインの走る音が僅かに聞こえる。最早確かめる時間はない。
「シネェェェ―――――――――――!」
目の前の死神に全ての意識を向け、ヒナタは剣を振った。
時間は少し戻り、酒場。
イリスは、ユレダの遺言だという手紙を一つ一つ読んでいた。
『十月二十日。ロキがサービスで酒を振る舞ってくれた。ゼインが飲みすぎは良くないから手伝おうと言ってそれを飲もうとしたところアヴィーに頭を殴られ、ワシは盛大に笑った。ゼインには悪いが久しぶりに良い酒が飲めた気がする。
いつシュノレテを発症し永遠に眠るかは分からないが、不思議と不安はない。ヒナタ、お前はどうだろうか?』
『十月二十七日。今週はヒナタが店にいる時間が普段より長かった気がする。また誰か親しい者を葬ったと聞いた。まだ若いのにお前はその小さな背にどれだけの苦労や悲哀を背負っているのだろうか? その少しでもワシが肩代わりできたら良いと思う。……たとえそれができたとしてもお前は許さないだろうがね。』
『十一月三日。今週は新メニューの追加についての議論で持ちきりだった。客の連中にいくつか味見をさせて、好評だった白身魚とキノコのワイン煮が採用されたようだ。ワシも口にしたが、これがなかなかいける。これからの楽しみが一つ増えた。』
『十一月十日。今週は腰痛が酷くあまり店に顔を出すことができなかった。しかし、お前やアヴィー、酒場の連中が代わる代わる見舞いに来てくれたおかげで、全く退屈はしなかった。それどころか賑やかすぎて眠る暇さえない。
正直に言うと、もしワシがシュノレテを発症したらこういう生活もありかもしれないと思った。……とんだ妄言だ。自分の目が覚めていなければ意味なんて何もない。……変なことを書いてすまなかった。また酒場で会える日を楽しみにしている。』
『十一月十七日。最近思うが、これでは遺言と言うよりまるで日記のようだ。毎週こんな遺言とも言い難い手紙をお前に送っている。だが、お前の存在がワシら酒場に集まる連中にとっての心の拠り所となっているのは間違いない。こうしてお前に胸の内の不安を晒すことによって、ワシらがどれだけ救われていることか。……お前にこの思いが届くことを願う。』
『十一月二十四日。ヒナタが幼女を誘拐してきた、とゼインが叫んだ時の衝撃を未だに忘れられない。イリスちゃんは働き者で何より無垢な子だった。それだけにあの笑顔の裏に潜む悲しみが痛々しく感じる。彼女にも辛い出来事があったのだろうが、ヒナタ、お前がしっかりと面倒を見てやってくれ。』
『十二月一日。イリスちゃんが働くようになって、この酒場は以前に増して騒がしくなった。時折二人が一緒にいる姿を見ると、仲の良い兄妹にしか思えない。誰もが暖かい目でお前らを見守っているぞ? もう少し彼女に構ってあげなさい。何せまだ子供なのだ。一番頼りにされている者としての自覚をもう少し持つことを薦める。』
『十二月八日。ひたすらに眠い。意識がどこか深い所に落ちてしまいそうな心地だ。今、目を閉じたら二度と目覚めることはない気がする。これがシュノレテの前兆と言うものなのだろう。だが、不思議と気持ちは穏やかだ。これが最後の遺言かと思うと無性に感慨深い。
これからのことを話そう。この後お前はワシを永遠の眠りにつかせ、リュコスとしての役割を果たすだろう。だが、どうか覚えていて欲しい。ワシは筆舌にし難いほどの感謝をお前に抱いていることを。そして、この身が朽ちることで心を痛めないで欲しい。お前は優しい子だが、あまりに無理をしすぎだ。何かを預けてやる存在がいても良いのだ。……ワシ個人としてはイリスちゃんならその役目を担えると思う。
イリスちゃんにもまた辛い思いをさせてしまうかもしれない。だが、ワシはお前達二人ならば乗り越えることができると信じている。どうか、この老いぼれの死を乗り越えてくれ。
ああ、もうそろそろ迎えが来るようだ。些か短くはあるが、最後に各人へ言葉を。
ロキ、お前は誰よりも面倒見の良い男だと知っているが、少し繊細という言葉を覚えた方が良い。
アヴィー、お前は夫を殴りすぎないように。いつまでも太陽のように笑っていてくれ。
ゼイン、お前はお調子者だが、根は真面目な子だ。またいつか一杯やりたいものだ。
イリスちゃん、お前さんは泣かないでくれ。それと、ヒナタのことを責めてはいけないよ。ワシが眠る時は、死ぬ時だとずっと前から決めていたのだ。ヒナタは少しだけその手助けをしてくれるだけじゃよ。
そして、ヒナタ。お前に言うことはもう全部書いてしもうた。いやいや、孫を亡くしてからはただ惰性で生きているだけだったが、最後に良い夢を見せてもらったよ。
ああ、なんだ。この年になって知るとは思わなんだ。夢なんてもんは、起きていたって見れるじゃないか――』