10
「イリスちゃん」
ノックをし、イリスの部屋に入ってきたのはアヴィーだった。彼女曰く「話すのなら、口下手な男より女のアタシのが良い」という判断だ。
イリスは相変わらず部屋の隅で毛布にくるまっていた。
「アヴィーさん……私、ごめんなさい。明日からはちゃんと――」
「気にするこたぁないよ。ウチは貧乏だけど子供の一人や二人くらい養うくらいの蓄えはあるからね」
「…………」
「イリスちゃんは、ヒナタのことを理解できないと言ったね?」
イリスは無言で頷く。
「アタシもさ。最初はリュコスのことなんて理解できなかったし、ヒナタがリュコスだと知った時、受け入れるまでに長い時間がかかった」
「アヴィーさんはヒナタを理解できたの……?」
「少しだけ、ね。……イリスちゃんもヒナタの過去を知りたいと思うかい?」
「……知りたい」
「興味本位じゃ済まないよ? 知ればどうなるかアタシにだって分からない」
「……それでも、きっと、私はヒナタを理解したいんだと思う。どうしてユレダおじいちゃんを殺さなければいけなかったのか、どうしてヒナタはリュコスになったのか。
そうしなければ……私はいつかまたヒナタを理不尽に責めてしまいそうなの」
「…………」
不器用な子だ、とアヴィーは思う。イリスはヒナタに謝りたいのだ。しかし、どう謝ればいいのか分からないから。再び、酷い言葉をぶつけてしまうことが怖いから。だから、こんなに小さく丸まっている。
「……あれは十年前――んーと、ヒナタが八歳の頃の話さ。
イリスちゃんは今何歳だっけ?」
「十三歳」
「そうかい。まだまだ発展中だねえ」
「気にしてるんだから言わないでよ」
イリスは自分の胸を見てからからと笑うアヴィーに頬を膨らませる。そのやりとりのおかげでイリスは少しだけ気を静められた。
「それで、ヒナタが八歳の頃だ。アイツは両親をシュノレテで亡くしているんだ」
「……え?」
「まあ、こんな言い方はしたかないけどね……一家がシュノレテに罹患するなんてのは、今のご時世じゃ良くある話さ。……ヒナタもそう言っていたよ」
「…………」
「ごめん、訂正。さっきはああ言ったけど、ヒナタの両親が亡くなった直接の原因は正確にはシュノレテであってシュノレテじゃない」
「……どういうこと?」
「シュノレテを発症した後、リュコスの手によって葬られたんだ。
ヒナタの両親はそのリュコスと懇意にしていたらしくてね、シュノレテを発症したら自分達をそのまま殺してくれと頼んでいた。ヒナタの家庭は貧しくはなかったが、揺りかごで生きながらえるほどの蓄えはなかった。そして、何より両親は残された我が子のために金を残したいと考えていたそうだよ。
そして、ヒナタの両親が奇しくも同じタイミングでシュノレテを発症してしまった。……友人の頼みをリュコスは叶えることにした。たった一人残された子を思う、家族の愛のために。
結果、ヒナタの両親は生を終わらされ、ヒナタは天涯孤独の身になった」
「何で……何で、そのリュコスは親友を殺すことができたんだろ」
自分と親しい者の願いとはいえ、殺すなんてことはできっこない。その願いだけは、どんな人でも躊躇うに決まっている。
「……さあね。アタシのは聞いた話だ。そこにどんな葛藤があったのかは知らない。
ただ、ヒナタはいつか言っていたよ。――人間の生に対する考えはみな違う。シュノレテを発症しても生にしがみつく者、全てを諦め流れに身を任せる者。そして、誰かのために自分の命を絶つ者……そんな人達を手助けするのがリュコスだ、ってね」
イリスは膝を固く抱えた。手助け……それがたとえ殺人という罪だとしてもなお、ヒナタはそう言い切るのか。
「でも、当時はヒナタだって八歳のガキだ。そんなことを認められるわけがない。
アイツはそのリュコスを恨み、責めた。……ところがそのリュコスは決して弁解をすることはなかった」
「……今の私達二人と一緒だ……」
何故リュコスはシュノレテの罹患者を殺すのか理解できず、イリスはヒナタを責めた。しかし、ヒナタはただイリスの言葉を正面から受け止めるだけで、何も言い訳をしなかった。
図らずも、似たような状況に陥っている。
「そうだね。そんな中、ヒナタは度々そのリュコスの世話になったらしい。最初はヒナタも拒んだが、そのリュコスは熱心にヒナタのことを気にかけて、一人でも生活できるように手助けをした。
次第にヒナタのわだかまりは解け、二人は親子同然の暮らしを送った」
「…………」
「どうしてわだかまりが解けたのかって顔してるね?」
「……うん」
「そればっかりはヒナタも話さなかったし、多分きっかけなんてのは人それぞれなんだろうさ。
ただ、その人の望むことが、たとえ他の誰かが決して望まないことであったとしても、リュコスは叶えなければいけない。そのことを知ったと、ヒナタは言っていたよ」
それはある意味、究極の選択だ、とイリスは思う。自分が望まない、でも相手が望むことを受け入るなんて。……どれだけの想いの強さがいるのか計り知れない。
「……その後、ヒナタはリュコスになった。アイツはそのリュコスに教えられたように誰かのためにあろうと思ったんだ。
アイツが何を思い、ユレダを死に導いたかは分からないよ。だけどね――」
そう言って、アヴィーは持ってきていた箱をイリスに手渡した。
「ユレダが何を思い、自分を死に導いたかは、それに全て記されている」
「……手紙?」
イリスがその箱を開けると、中には大量の手紙が収められていた。
「これはヒナタに宛てられた手紙だ。アイツは持つにはかさばるからと置いて行ったが、絶対にイリスには見せるなって言っていたよ。だけどね、ロキもゼインも……そしてアタシも、今のイリスちゃんには見せるべきだと思った」
「これは……?」
「それは全部……ユレダの、遺言だよ」