01
荒れ果てた大地。
草木は枯れ、家は崩れ落ち、かつては街であった地は廃墟と化していた。そこにあるのは人の住んでいたころの名残が風化した物だけ。言うならば、永遠の眠りについた街。
そんな場所。その日は珍しく、二人の来訪者の姿があった。
「ゼイン、撤収だ。もう夜になる」
「もうそんな時間か? ちぇ、大した儲けになんねえものしか拾ってねえぜ」
「んなの知るか」
「いいや、このままじゃ俺の気が済まねえ。あと三十分だけ粘ろう、な?」
ゼインと呼ばれた男が瓦礫の間から顔を出し、不服そうな青年に対し説得を試みる。
青年は男の図太い神経に呆れながらも、頷き同意の意を示した。
「ちっ、オーケー、分かった。三十分だけだからな……延長料金、追加しとけよ」
「へっ。良い商売してやがんな、ヒナタ」
「黙れ、強欲商人。俺はただの護衛だ」
護衛の青年――ヒナタは、意気揚々と宝探しに戻るゼインを見送ると、ここまでの移動手段であるジープの席に深く座り直した。黒髪に中肉中背。鋭い目つきで、鬼のようだと酒場の連中には評されている。
二人がこの場所を訪れた理由は一つ。言ってしまえば、宝探しのようなものだ。金になりそうな物を探すのが商人であるゼイン、そしてその護衛として付き添ったのがヒナタである。
「ヒ、ヒナタ! おいヒナタ、来てくれ!」
数分が経った時のことだった。ゼインの叫び声が辺りに響いた。
「……!」
ヒナタは弾かれたように飛び起き、脇に置いてあった剣を掴んで声の出所に向かって駆ける。かつては教会だったであろう場所にゼインの姿を認めると、ヒナタは剣を抜き放ち、警戒を強めた。
「ゼイン、どうした! 賊か!?」
「……いや、違ぇ。とんだものを見つけちまったぜ……」
問い詰めるヒナタに、放心した様子のゼインは首を振ってその先にあるものを示した。
「人間、か……?」
その祭壇の上に横たわっていたのは、人間――それもまだ十歳前後の少女だった。ヒナタがそれを一瞬疑ってしまったのは、夕日を全身に浴びた少女が、まるで絵画のように幻想的に見えたからである。
「……どう思う、ヒナタ? この街はとっくに廃墟になったんだぜ。こんな小っせえ嬢ちゃんが何でこんな所にいるんだ?」
「……生き残りか、或いは捨てられたか」
「捨てられたってことは……」
「ああ。≪シュノレテ≫だろう」
「……だよな」
シュノレテ。それは、20××年の現代に蔓延る病の名であり、発症した者は深い眠りにつき、二度と目覚めることはないというものだ。
発見された当初は過眠症の一種であると推測されたため、あまり騒ぎ立てられることもなかったが、シュノレテの治療法は一向に見つからないまま多くの罹患者が続々と生まれていき、数年後には不治の病としてその名を広く知られることになった。
シュノレテの特徴的な症状は、前述の通り一度その病にかかったものは眠ったまま二度と目を覚まさないということだ。また、人から人への感染はせず突発的に発症するものである点も、非常に性質が悪かった。
病は驚くべき速さで全世界へと広がり、人類の大半が文字通り永遠の眠りにつくこととなった。そして、急速な人口減少により生産層が不足したことが原因で多くの街が廃れ、故郷を失った人々は一か所に身を寄せ合う暮らしを始めざるを得なくなった。
この地もシュノレテが原因で滅びた街の一つだ。こんな場所で眠る人がシュノレテを発症していないとは考え難い。
「どうするよ、ヒナタ?」
ゼインが遠慮がちに尋ねた。
「このまま放っておいても、すぐに死ぬだけだ。……送ってやろう。俺は永遠の眠りを妨げる≪リュコス≫だ」
「……そうか」
ゼインの問いに、ヒナタは剣を正眼に構え答える。
ヒナタは祭壇へと近づくと、横たわる少女の顔に手を触れ、軽く叩いた。
「…………」
少女は起きない。それどころか身じろぎ一つしない。
年はやはり十を少し過ぎたほどであろうか。真っ白なワンピースに、白い肌。あまりにも綺麗な姿は、ただ安らかに眠っているだけのようにも見える。
しかし、それは願望であって事実ではない。
眠りの光。通称≪レム・ライト≫。
シュノレテの罹患者の特徴的な症状が、彼女にも見られた。それが事実だ。
祭壇の少女の体が青白く発光するその眺めは、どこか神聖な光であるように思えた。
「May her soul rest in peace.」
余計な感情を排除。祈りの言葉を捧げると、ヒナタは剣を振り上げた。
頭上で一度剣を停止させ、息を止める。
「……ふっ!」
そして息を吐きながら、振り下ろされた剣は――
「…………!」
――少女の胸の前でピタリと止まった。
少女のレム・ライトがいつの間にか収まり、そして。
「あなたは誰?」
それは、少女の発した言葉だった。
「…………お、まえ」
「おい、ヒナタ。どうしたんだ?」
背後からゼインが心配そうに駆け寄って来るが、ヒナタの目は少女の透き通った瞳を捉えて離さなかった。
――その、決して開くことはないはずだった瞼を、ゆっくりと押し上げた瞳を。
「あなたは誰?」
見つめ合うこと数秒、少女が焦れたようにもう一度言った。ヒナタは戸惑いながらも答える。
「……ヒナタだ」
「ヒナタ……私を殺すの?」
「そのつもりだったが……」
そう言いつつヒナタは剣を収める。
「そ、残念だなぁ」
少女は祭壇から降り、服を軽く払った。そして何事もなかったかのように歩き出す。
「おい、お前、どこに行くんだ?」
「ここではない、どこか」
冗談めかして少女は言う。
「……行くあてがないのか?」
「ううん、帰るあてがないの。一人ぼっちだから」
「…………」
「じゃあね」
少女はヒナタの横を通り過ぎて去って行く。
「ヒナタ、何かあのお嬢ちゃん変じゃないか?」
それまで黙って様子を見ていたゼインが、少女の後ろ姿を指差して言った。
「知るか。帰るぞ。車の準備しろ」
「ええ!? 放っとくのかよ! こんな場所で生きていけるわけがないじゃんか!」
「うるせえ。誰も放って行くなんて言ってねえだろうが」
「へ?」
ヒナタはゼインを置き去りに教会を出ると、街の通りを歩く少女を追った。
すぐにその後ろ姿を見つけ、ヒナタは声をかける。
「おい。そこのガキ」
「……私のこと?」
「そうだ、お前だよ」
「何か用?」
「えーと、なんだ……お前、ここに住んでるのか?」
「ええ、そうよ」
「そうよ、って……こんな所でまともな生活ができるわけねえだろうが。……ついて来いよ。帰るあてがないって言うなら、俺の住んでいる街まで連れて行ってやる」
「お節介? 同情ならいらないわ」
少女の傲岸な物言いにヒナタはため息を吐く。
「あのなあ。そういうことは……」
ヒナタは少女に近づくと、胸倉を掴み上げた。
「その目障りな涙の跡を拭いてから言えよ」
「……っ!」
少女はヒナタの手を振りほどき、すぐさま目元を拭った。
「な、泣いてなんかいない!」
「うっせ、チビが」
「何よチビって、あなたが大きいだけじゃない!」
「そうだな。じゃあ、小娘」
「……イリス」
「じゃ、イリス。俺はお前に帰る場所をくれてやる」
「……帰る、場所?」
「そうだ。……別に強制しやしないさ。俺だって、わざわざ面倒事を引き受けたいわけじゃねえんだ。だから、自分で選んでくれ。一人この荒れた地で生きるのか。それとも、ここから出て違う地で生きるのか」
ヒナタはイリスに手を差し出す。――選べ。
「どうして……どうして、あなたはその選択肢を私にくれるの?」
「……俺はお前をシュノレテの罹患者と誤解して殺すとこだった。これは、その罪滅ぼしみたいなもんだ。
同情じゃない。だけど、責任を途中で投げ出したりはしたくない。だから、お前の望む方を選んでほしい」
「私は……」
イリスは言葉を溜め、その言葉を噛みしめるようにゆっくりと言った。
「私は……生きることを望んでも良いの? 選べば一人じゃなくなるの?」
目にうっすらと涙を浮かべ、両手を組んで胸に当てながら、想いを零す。
それは。
それは、とても綺麗で純粋な――そして、年相応な感情だった。
「一人は嫌か?」
「うん。……お父さんもお母さんも、もういない。一人ぼっちなのは……苦しい……っ」
両親を亡くした幼い子供。一人ぼっち。
ヒナタは強く歯を噛みしめた。シュノレテで肉親を失った人を何人も見てきたが、慣れることなんてできない。
「お願い。私を一人にしないで……私を、ここではないどこか――暖かい場所に連れて行ってよ……っ」
そして、少女はゆっくりと掴む。
差し出された救いの手を、縋るように掴む。
「……ああ」
ヒナタはその小さな手を掴み、引き寄せた。
「行こう、イリス」
手を固く繋ぎ、二人は歩き出す。
――物語が始まる。