EP 6
制空権の死闘と、昼行灯のリミッター解除
沖縄本島上空、高度八千メートル。
普段なら突き抜けるような青空が広がるその空域は今、絶望的な『黒い雲』に覆われていた。
「うわぁ……。見渡す限り、ゴミ、ゴミ、ゴミ。これ、俺一人で掃除すんの? ブラック企業にも程があるっしょ」
封鎖された高速道路からF-35Bで単機緊急発進した平上雪之丞は、ヘルメットマウントディスプレイ(HMD)に表示される無数の赤い光点を見て、深いため息をついた。
中国軍が放った数万機の安価な自爆ドローン群。
嘉手納や那覇の基地は滑走路を破壊され、空自のF-15Jや米空軍のF-22は、飛び立つ前に地上で火ダルマになっている。生き残って空に上がれたのは、雪之丞のように臨時滑走路から強引に離陸した少数のSTOVL(短距離離陸・垂直着陸)機や、哨戒飛行中だった数機のみ。
『——こちら出雲CIC、早乙女蘭。通信繋がった? あ、借金大王じゃん。生きてたんだ』
「よお、蘭ちゃん。相変わらず生意気な口調で安心したぜ。坂上のおっさんから、空を掃除したら借金全額チャラって言質取ってるからな。サポート頼むわ」
『了解。出雲の防空システム(SHIELD)から、空域の統合データリンクを回す。……でも気をつけて。ゴミドローンの群れに紛れて、本命が飛んでる』
雪之丞の視界の端で、味方のF-15Jが突如として火を噴き、墜落していくのが見えた。
ミサイルの航跡はない。ドローンによる自爆でもない。
ドローンの放つ強烈な電子妨害の影に隠れて、高高度から無音の狙撃をしてくる影があった。
「……人民解放軍の第5世代ステルス、J-20(殲20)か。ドローンを『盾』兼『目隠し』にして、生き残った俺たちを狩りに来てるわけだ」
最悪の戦術だった。
安価な無人機で防空網と滑走路をすり潰し、制空権を奪った上で、虎の子のステルス機で残党を一方的に処理する。
「あーあ。横須賀の港も燃えちまって、日本の物流はストップ。大好きなサッポロビールも、美味いジンギスカンも、可愛いキャバ嬢とのアフターも、全部お預けってわけだ」
雪之丞は、操縦桿を握る手にギリッと力を込めた。
いつもなら「及第点」の60%で流す男の瞳に、極寒の吹雪のような殺意が宿る。
「……俺の平穏なサボりライフを奪った罪は重いぞ、お前ら」
雪之丞はスロットルを全開に押し込んだ。
F-35BのF135エンジンが咆哮を上げ、機体は音速の壁を軽々と突破する。
目指すは、味方を撃ち落とし、悠然と旋回している二機のJ-20。
『警告。敵機からのレーダー照射を検知!』
AIの無機質な音声が鳴り響く。J-20が雪之丞のF-35Bを捉え、長距離空対空ミサイル(PL-15)を二発放った。
「馬鹿が。そんな直線的な攻撃、あくびが出るぜ」
雪之丞は回避機動すら取らない。
ミサイルが直撃するコンマ数秒前。彼は操縦桿を引きながら、F-35B特有の『リフトファン(垂直離着陸用の推力偏向ノズル)』を空中で強制的に下方に向けた。
——VIFF(Vectoring In Forward Flight:前進飛行中の推力偏向)。
通常は着陸時に使う機構を、音速の空戦機動で強引に作動させる狂気の変態マニュアル操縦。
ギュオォォォォンッ!!
F-35Bは空中で見えない壁に激突したかのように急減速し、機首を真上に跳ね上げた。
雪之丞をロックオンしていたはずのPL-15ミサイルは、突然目の前から目標が『停止・上昇』したことで誘導システムが計算を狂わせ、彼の機体の真下を虚しく通り過ぎていく。
「なっ……!? なんだあの機動は!」
中国軍のJ-20パイロットが、無線越しに驚愕の声を上げたのが雪之丞には見えた気がした。
「100点満点のテスト解答、見せてやるよ」
空中で急減速し、敵機の真上に躍り出た雪之丞。
彼とHMDで視線連動したAIM-9Xが、眼下のJ-20を文字通り『睨みつける』だけでロックオンを完了する。
「フォックス2(赤外線誘導ミサイル発射)」
放たれたミサイルは、逃げる暇すら与えずにJ-20の一機に直撃。爆散する火球を背に、雪之丞のF-35Bはリフトファンを戻し、再び猛烈な加速へと移行する。
残る一機のJ-20はパニックに陥り、密集する自軍のドローン群の中へ逃げ込もうとアフターバーナーを吹かした。
「逃がすかよ。俺は今、最高に機嫌が悪いんだ」
雪之丞はドローンの群れという『機雷原』の中へ、一切の躊躇なく突っ込んだ。
時速1000キロを超える極限の世界で、数万のドローンの隙間を縫うように機体をロールさせる。常人なら空間認識能力が崩壊し、自らドローンに激突して果てるだろう。
しかし、雪之丞の脳は、この三次元の混沌を『完全に計算し尽くされた静止画』のように処理していた。
「右、上、左下、ロール……はい、ビンゴ」
まるで障害物競走を鼻歌交じりでこなすようにドローンの群れをすり抜け、逃げるJ-20の真後ろ——完璧な射撃位置にピタリと張り付く。
「……化け物か、日本のパイロットは……!」
恐怖に引き攣る敵パイロット。
「あばよ。地獄で俺の酒代でも稼いでろ」
二発目のミサイルが放たれ、残る一機のJ-20も黒煙を吹いて東シナ海へと墜ちていった。
圧倒的、かつ一方的な蹂躙。
味方の残存機たちが、たった一機で戦局を引っ掻き回す雪之丞の神業に言葉を失っている。
『……すっご。おっちゃんの借金帳消しどころか、お釣り来るじゃん、それ』
通信越しに、蘭が呆れたような感嘆の声を漏らした。
「はぁ……はぁ……。G(重力)かけすぎて吐きそうだわ。ほら、空の掃除終わったぞ。後は出雲の対空砲でチマチマ落とせ」
雪之丞は酸素マスクの中で荒い息を吐きながら、操縦桿から片手を離し、だるそうに首を鳴らした。
「……あーあ。これで絶対、また『重要な任務』とか押し付けられんだろうな。俺はただ、クーラーの効いた部屋で可愛い子とアイス食いてえだけなのに……」
彼が愚痴をこぼしたその時。
HMDのレーダーに、今までとは全く違う『巨大な熱源』が複数、大陸側から浮上するのが捉えられた。
『……雪之丞! 冗談言ってる場合じゃない!』
蘭の声が、かつてないほど切羽詰まったものに変わる。
『中国沿岸から、極超音速滑空兵器(HVGP)の複数発射を確認! マッハ10で大気圏を飛んでくる! 目標——出雲艦隊!!』
「……マジかよ。ドローンの次は隕石の盛り合わせかよ」
雪之丞は眼下の海に広がる出雲艦隊を見下ろした。
第三次世界大戦の本当の絶望は、まだ始まったばかりだった。




