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EP 10

反撃の狼煙、あるいは地獄の底から

 開戦から十日後。東シナ海。

 護衛艦『出雲』の戦闘指揮所(CIC)には、死臭にも似た疲労が立ち込めていた。

 金曜日。本来なら海自名物の「金曜カレー」で士気を高める日だが、補給港が壊滅した今、クルーたちに配られたのは塩をまぶしただけの固いアルファ米と、微量の水だけだった。

「……あー、もう。糖分ゼロ。脳のシナプスが焼き切れそう……」

 早乙女蘭は、完全に空になったチュッパチャプスの袋を虚ろな目で舐めながら、コンソールに突っ伏していた。

 彼女の『SHIELD』システムを稼働させる専用サーバーは、連日の熱暴走と酷使で黒焦げになり、今にも火を噴きそうな異臭を放っている。

「愚痴るな、三億円。俺の胃袋も、タバコのヤニと塩飯で悲鳴を上げてる」

 坂上真一将補は、無精髭を伸ばした顔でレーダーを睨みつけていた。

 出雲艦隊のイージス艦が搭載していた迎撃ミサイル(SM-3、ESSM)の残弾は、すでに「ゼロ」に近い。近接防御用の機関砲(CIWS)の弾薬すら残り一割を切っている。

 あと二週間。若林とジャックが約束したアメリカの補給船団が到着するまで、この丸裸の状態で、中国軍の猛攻を凌がなければならないのだ。

『——警告アラート。敵沿岸部より、大規模な飛翔群を検知!』

 無機質なAIの音声が、絶望のサイレンとなってCICに響き渡った。

「来たか……! 数、およそ二万! 自爆ドローンの群れ(スウォーム)に加え、超音速対艦ミサイル『YJ-12』の混成部隊です! 本艦隊を完全に沈める気です!」

 レーダー手が悲鳴を上げる。

 弾切れの艦隊に、二万の群れと超音速ミサイル。

 それは、明らかな「詰み(チェックメイト)」だった。

『……こちら雪之丞。空からのパトロール中だけどよぉ。俺のF-35Bも、ミサイル空っぽ、燃料ビンゴギリギリだぜ。……坂上のおっさん、さすがに今回は年貢の納め時じゃねえの?』

 上空で警戒に当たっていた平上雪之丞の声も、いつもの軽口の裏に、死を覚悟した響きが混じっていた。

「馬鹿野郎。俺の背中の仁王像が、まだ喧嘩は終わってねえと疼いてんだよ」

 坂上は指揮座から立ち上がり、蘭の首根っこを掴んで無理やりモニターの前に座らせた。

「蘭。敵のドローンの群れを、ハッキングで同士討ちさせることはできるか」

「……無理。奴らもバカじゃない。第一波の時みたいに遠隔でシステムに侵入されないよう、ドローン同士だけで通信する『近距離メッシュネットワーク』に切り替えてる。物理的に群れのド真ん中に割り込んで、至近距離からウイルスを直接流し込まないと……」

「……なら、物理的にブチ込めばいいんだな?」

 坂上の顔に、極道も震え上がるような凶悪な笑みが浮かんだ。

「上空の雪之丞! 聞こえるか!」

『聞こえてるけど、嫌な予感しかしねえ!』

「お前の機体の電子戦ポッドに、今から蘭が作った『特製ウイルス』を転送する。……ドローンの群れのド真ん中に突っ込んで、至近距離でそのウイルスをバラ撒け」

『はぁ!? 俺の機体はステルスだけど、二万機のド真ん中に突っ込んだら物理的に衝突クラッシュして死ぬわ! 俺に神風特攻しろってか!』

「お前ならかわせるだろうが。100点満点の変態機動でな」

『……っの、ブラック上司がァ!!』

 雪之丞の絶叫とともに、F-35Bが急降下を開始した。

 目標は、海面スレスレを黒い津波のように押し寄せてくる二万機のドローン群。

「蘭! ウイルスの準備はいいか!」

「……やってやるよ! ボーナスで銀座の高級寿司、一生分奢ってもらうからね!」

 蘭が最後の力を振り絞り、キーボードに血の滲むような速度でコードを打ち込む。

 上空では、雪之丞のF-35Bが、文字通り『死の壁』に向かって突撃していた。

『……あーあ。俺はただ、クーラーの効いた部屋でサボりたかっただけなのに!』

 雪之丞はHMDヘルメットの中で目を血走らせ、操縦桿を限界まで倒し込んだ。

 時速1000キロでの超低空スラローム。

 ドローンとドローンの、わずか数メートルの隙間を、機体を垂直にロールさせながら強引にすり抜けていく。機体の表面をドローンのプロペラが掠め、火花が散る。常軌を逸した、神業とも悪魔的とも言える空間認識能力。

『群れの中央を突破! 蘭ちゃん、今だ! ぶっ放せ!』

「喰らえ、中国のポンコツAI!!」

 蘭がエンターキーを叩き割る勢いで押し込んだ。

 雪之丞のF-35Bから、強烈な指向性データリンク(論理爆弾)が放射される。

 至近距離でウイルスを浴びた中央のドローン群が、一瞬だけ空中でピタリと静止した。

 ウイルスの内容は単純にして極悪。『味方の超音速ミサイル(YJ-12)を、出雲と誤認させる』という最悪の書き換え(スプーフィング)だ。

 次の瞬間。

 二万機のドローンの群れが、突如として反転。

 出雲の背後から迫っていた味方のはずの中国軍の超音速対艦ミサイル群に向かって、一斉に『カミカゼ特攻』を開始したのだ。

「な……!?」

 中国側の指揮官が絶望の声を上げた時には、もう遅かった。

 空中で、味方同士の凄まじい大爆発が連鎖する。ドローン群が自ら肉のシールドとなり、出雲に向けられたミサイルを全て空中で粉砕していく。

「……見たか、これが俺たちの喧嘩だ」

 坂上が、爆炎に照らされる海を見つめて低く笑う。

「操舵手、面舵一杯。……敵のミサイルが消え、視界が開けたぞ」

 出雲の巨体がゆっくりと旋回し、中国大陸の方向を向く。

 ミサイル防衛用の弾は尽きた。だが、敵を殴り飛ばすための『矛』は、まだ残っている。

「残存する12式地対艦誘導弾(能力向上型)、および艦載全ミサイル。目標、敵第二艦隊およびミサイル発射母艦」

 坂上の眼光が、海を越えて敵の喉元を真っ直ぐに射抜いた。

 飢えに苦しむ妻の恵。暗闇で泣く娘の千姫。そして、見えない戦争で理不尽に命を奪われた国民たちの無念が、坂上の背中の仁王像を焼き焦がすように熱くさせている。

「これより本艦隊は、専守防衛の盾を捨て、矛となる。……全門、ファイヤー!!」

 ズドォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!

 出雲打撃群の残存兵装が、火を噴いた。

 日本の命運を懸けた反撃のミサイル群が、海面を割って敵艦隊へと殺到していく。

 空では、燃料ギリギリの雪之丞のF-35Bが、そのミサイルの軌跡を見届けながら、夕日に照らされて大きく翼を翻した。

 コンソールに突っ伏し、気絶するように眠りに落ちた蘭の頭を、坂上が優しく撫でる。

(……耐えてくれよ、恵、千姫。そして若林)

 坂上は、燃え上がる敵艦隊の火柱を見つめながら、心の中で家族と盟友に呼びかけた。

(俺たちは、海の上で絶対に生き残る。だからお前たちも……地獄の底で、意地を見せてみろ)

 2027年8月。

 第三次世界大戦、開戦から十日。

 日本国は、致命的な傷を負いながらも、絶望の海で確かに『反撃の狼煙のろし』を上げた。

 真の地獄の消耗戦が始まるのは、ここからである——。

【第一章 Phase 0〜第一撃の絶望】 完

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