EP 1
月給3億円のスイーツ狂と、見えない戦争の始まり
2027年8月15日。
フィリピン海に展開する海上自衛隊・第1護衛隊群。その旗艦であるヘリコプター搭載護衛艦『出雲』の戦闘指揮所(CIC)は、薄暗いブルーの照明とサーバーの駆動音に包まれていた。
「あー、もう。なんで海の上ってウーバーイーツ来ないわけ? 新作のフラペチーノ飲みたいのに」
国家の最高機密が飛び交うCICの片隅。
自衛隊の制服をパーカーのようにダボダボに着崩した小柄な女が、ストロベリー味のチュッパチャプスを転がしながら毒づいた。
足元はピンク色のクロックス。階級章など最初から付けていない。
早乙女蘭、25歳。
世界に数百人しかいない特A級のAIエンジニアであり、防衛省が『月給3億円』という狂った国家予算を投じて民間から拉致——もとい、ヘッドハンティングしてきた出雲艦隊の電子の脳髄である。
「蘭。私語は慎め」
重低音の響きがCICの空気を一変させた。
現れたのは、身長180センチを超える筋骨隆々の巨漢。短く刈り込んだ白髪混じりの頭に、歴戦の猛者のような鋭い眼光。パリッと糊の効いた将官の制服を着こなしているが、どうしても隠しきれない『野獣』の気配が全身から滲み出ている。
出雲艦隊打撃群、司令官。坂上真一将補、50歳。
並の幹部なら直立不動で敬礼する威圧感だが、蘭はモニターから目を離すことなく、チュッパチャプスを噛み砕いた。
「おっちゃん、これ見て。台湾海峡の対岸、福建省あたりのデータ」
「中国軍の演習だろう。連中、ここ数週間ずっとドローンの編隊飛行を繰り返している」
坂上が眉間に皺を寄せながら、蘭の専用マルチモニターを覗き込む。
「ただの演習じゃないよ。これ、通信のパケットと欺瞞信号のパターンを解析したんだけどさ……尋常じゃない数」
「……何機だ」
「少なく見積もって、3万機」
CICの空気が凍りついた。
3万機。それは、これまでの常識を覆す異常な数字だった。
「1機あたり数万円の安物カミカゼドローン(Shahed型)と、レーダーを狂わせる電子戦用のデコイ。これを『群れ(スウォーム)』にして飛ばすテストをしてる」
蘭の指が異常な速度でキーボードを叩き、シミュレーション映像がメインスクリーンに映し出される。
「もしこれを日本列島に向けて一斉に放たれたら、防衛省が1発数億円かけて配備した迎撃ミサイル群は、数時間で在庫ゼロになる。文字通りの『飽和』。ミサイル防衛網は完全に無力化されるね」
「……」
坂上は無言でスクリーンの光の点(ドローンの群れ)を見つめた。
ウクライナ戦線で証明された非対称の絶望。数万円のオモチャが、数千億円のイージス艦や民間インフラを沈める時代なのだ。
「でね、おっちゃん。一番エグいのはここから」
蘭がモニターのウィンドウを切り替えた。
映し出されたのは、軍事データではない。ブルームバーグや日経の経済ニュース画面だった。
『日経平均株価、前日比4000円の暴落』
『為替相場、一時1ドル=220円を突破。歴史的円安』
『台湾海峡の緊張を受け、都内のスーパーで米とトイレットペーパーの買い占めが横行』
「中国はまだ一発も撃ってないのに、日本の経済はもう死にかけてる。日本は食料の6割、エネルギーの9割以上を輸入に頼ってる『補給最弱国』でしょ? 奴らは台湾を封鎖してシーレーンを潰せば、日本が勝手に兵糧攻めで干上がることを知ってるの」
ミサイルなんか撃つ必要はない。
安価なドローン群で海峡を封鎖し、港湾のクレーンと天然ガスのタンクに特攻させるだけでいい。それだけで数週間後、日本は暗闇と飢餓に包まれ、内部崩壊する。
「おっちゃん。これ、演習のフリをした『見えない戦争』のフェーズゼロだよ」
蘭の言葉に、坂上は制服越しに自身の背中を撫でた。
自衛隊員としては絶対に許されない、若気の至りで彫った背中の『仁王像』のケロイド。かつて広島の裏社会で暴れ回っていた頃、血の雨が降る直前に必ず感じていた、あのヒリつくような痛みが疼いていた。
——東京にいる妻の恵、そして4歳の娘、千姫の顔が脳裏をよぎる。
もし今、エネルギーの供給が止まれば、あの猛暑の東京でエアコンも使えず、娘は飢えと熱中症に苦しむことになる。
「通信手。市ヶ谷(防衛省本省)に暗号回線を繋げ。若林幹事長に至急のホットラインだ」
「司令! しかし、事前の許可なく政治家と直接通信するのは……」
「構わん。責任は俺が取る」
坂上は鋭い眼光でCICのクルーたちを見渡した。
「総員、第一種戦闘配置。これより本艦隊は、平時哨戒から『有事即応体制』へ移行する。出雲の全防空システム、およびSHIELD(ドローン防衛網)をスタンバイしろ」
2027年8月15日。
後に『第三次世界大戦』と呼ばれる人類史上最悪の消耗戦の火蓋が切られるまで、あとわずか数時間の出来事であった。




