眼暗草紙
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むかしむかし、いろんな神さんがおった。日の神さんに海の神さんに、森の神さん、石の神さんなどというのもおった。そして神さんというものは、どんなものでも大概は山におるもんだった。だからな、山っちゅうのは勝手に入ってはならなんだ。
人間は、山に入らねばならんとき、儀式をしたということだ。詳しいことは、今となっては誰も知らん。
なぜかというと、神さんが山におらんようになった。人間も、神さんを信じないようになったので、儀式のやりかたをを伝えんようになってしまったのだろう。それで今では誰でも山に入る。山に入って、神さんから赦しをいただかんでも木を伐るし、魚を釣る。
山に神さんがおったとき、山のもんはなんでも神さんのもんだった。
山に神さんがいなくなったので、山のもんを人間が持ち出せるようになった。そう思っておった。ところがそうではなかったのだね。
神さんはまだ山におったのだ。
でも、人間はそれに気づかなんだ。
どうしてだろうね、人間には神さんが見えんようになってしまったのだという。眼で見えんものを人間は信じなくなったのだと、いう。
神さんはそれでも文句を言わなんだ。言っても聞こえなんだのかもしれないがねえ。眼で見たって見えんくらいだから、言葉も聞こえないようになったのかもしれないねえ。とにかく神さんは人間が山のなかを行ったり来たりしているのをずーと眺めておるんだというよ。
いいかい、あんた、山に入るときにはな、神さんにね、入りますよ、と言うもんだ。そうすりゃ神さんだって怒らない。
神さんと呼ぶのは神さんたちが人間の上にいるということ、お上さんと呼んでるってことだ。だから神さんと呼ぶからには神さんを敬わないといけない。そうすると神さんは喜んで、気まぐれに人間を助けてくれるもんだった。
今の神さんは怒っているよ。人間は神さんの山を好き放題荒らしている。入ってはならん場所に入る。
神さんは、山のなかでも特に好んでいる場所があって、そこに人間が近づくことをいちばん嫌うのだというが、人間にはそれがどこなんだかわからんし、まず誰も神さんがおるっちゅうことを信じておらん。
神さんはもう人間を助けてはくれんだろう。もしかしたら、人間に害を為すということもある。
そうだ、神さんは今でもときどき見えることがあるんだと。神さんを見ることのできる人間がいて、そして訊けば神さんの姿は、誰が見ても違うそうだ。同じ顔、同じ服の神さんをふたりで見ることはないんだと。そういうものらしい。
それで、もしもだ、もしもあんたがこれから先どこかで神さんを見ることができたら、神さんになんとか謝ってほしい。人間の多くは見えん者で、それができんからね。
神さんに謝るとき、神さんの山はいつかきっとお返しすると言っておくれ。それで赦してもらえるかはわからんが。
さて、話はおしまいさ。もう何もないよ。
なにか忘れたこと?
ああ、そうそう最後にひとつだけ。神さんが見えんようになってから、神さんにはもうひとつ名前がついたんだよ。その名前というのはね、そのまま「見えない」という意味だ。
これは、神さんを知らんでもこの名前は、あんたも知ってるだろうと思うけどねえ。ただ、神さんと同じで、書く字がちょっと違うから。
──隠れる、と書くんだ。隠れているから見えんのだ、と言いたいんだろうね。
そしてそれは、「おに」と読むんだよ。
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