2話 数奇な縁
※2025/11/15 改稿しました
あれから、我に返った少女がはにかんだ顔を浮かべる。
「……先ほどは失礼な態度をしてしまい、申し訳ありませんでした」
「いや、気にするな」
答えた後、じろじろ見ていたからか、少女が戸惑った表情をする。
「あの……、いかがされましたか?」
「……いや、なんでもない」
ついっと目を逸らす。
いくらなんでも露骨過ぎたか。
次の言葉に困っていると、彼女のほうから声が掛かる。
「危ないところを助けていただいて、ありがとうございました。よろしければ、街までご一緒しませんか?」
色々聞きたいこっちの身としては渡りに船だったが、刺すような視線があちこちから向けられる。
一瞬の逡巡ののち、俺は静かに口を開く。
「……いや、聞きたいことだけ聞ければそれでいい。――そっちはそれなりの身分なんだろ? 自分で言うのもなんだが、怪しい奴と一緒に乗るのは不味いだろう」
気取られないためにと余計なことまで思わず口を衝いたが、従者らしき奴らや周りの軍人たちも同調するよう力強く頷いていた。
「そんなことありません。私たちの危機を救っていただいたのですから、問題ありません」
見上げると、彼女は柔和な笑みを浮かべて首を振る。
自分の頬が僅かに動くのを自覚しながら、俺は平静を装って言葉を返す。
「他の連中はそう思っていないみたいだが?」
「私がお願いすれば、みんな聞き届けてくれますから」
言葉だけ聞けば我がままなご令嬢なのかと思ったが、彼女の瞳に浮かぶ安心の情や、少女を見つめる他の連中の表情から、互いを認め合い、信頼し合っている様が窺えた。
そう純粋な眼差しを向けられると、たじろいでしまう。
どうしたものかと頭を巡らせていると、少女がドレスをギュッと握りながら言葉を続けた。
「……ご迷惑でなければ、私の話し相手になっていただけませんか? その……だめ、でしょうか?」
先ほどと変わらない笑顔のはずなのに、どこか寂しげに聞こえる声を、俺は突っぱねることはできなかった。
誤魔化すように頭をかいてため息を吐く。
「――分かった。面白い話はできないが、文句は言うなよ」
「はいっ! ありがとうございます!」
俺の答えに、少女の笑顔はたちまち花が咲いたように変じる。
それをまともに直視できず、俺はそっと目を伏せた。
周囲の複雑そうな視線に見守られながら、俺は彼女に手を引かれ、馬車へと乗り込んだ。
◆◆◆
馬車には少女の他に、二人の従者らしき人が乗っていた。
一人は執事服に身を包んだ老人。もう一人は召使いみたいな女だった。
どちらも俺を警戒して、厳しい目を向けている。
少女の護衛も兼ねているのか、両方とも服の下に武器を隠していた。
そんな二人が広めの馬車とはいえ、少女を挟んで三人横並びに座っているのは窮屈そうだった。
そいつらを無視して、俺は対面の窓際に陣取り、頬杖をついて外を眺める。
二人が発する剣呑な雰囲気を少女が咎めた。
「助けていただいたのに、そのような態度は失礼ですよ」
「お言葉ですが、お嬢様。それとこれとは話が別にございます。この方は始め、“条件次第でどちらでも与する”とおっしゃいました。最終的に助けられたとはいえ、そのような不誠実な方を警戒するなというのは難しいのです」
「ですが、こうして馬車を共にすることは許していますよね? てっきり、この方を受け入れたのかと思ったのですが……」
甘ちゃんなのか、人を疑うことを知らないのか、随分と呑気ことを話す。
「お嬢様の望みだからです。……どうしてお嬢様は、彼を招き入れようとされたのですか?」
それは俺も気になった。
こちらとしては都合が良かったが、どうしてこうも積極的なのか甚だ疑問だ。
ちらりと視線を向けると、少女は顔を伏せ慌てふためいていた。
「それは……その。えっとですね……。あの、なんと言いますか、その――」
銀幕から覗く肌は茹で上がったように赤く、今にも湯気を出しそうだった。
自分でもよく分かっていないのか、吐き出す言葉は意味を成さない。
「……お嬢様?」
訝しむ老人を誤魔化すよう、少女は焦点の合っていない目のまま、必死に否定する。
「――ち、違いますからね! そういうつもりではないんです!! ただ、その……なんといいますか、どこか不思議な感覚といいますか、引っ掛かりを覚えるといいますか……。表現が難しいです」
「では、恋煩いではないと?」
直球で尋ねた老人を噛みつかんとばかりに、少女が声を張り上げた。
「違います!! ――あっ、別にあなた様のことが嫌いとか、いやとかじゃなく、異性として見ていない……というわけでもなく――。うぅっ……」
きっぱりと否定して、自分の失言に気付いたように少女が狼狽する。
そのままどんどん墓穴を掘るが、仕舞には口を噤んで縮こまってしまった。
「別に気にしていない。他人にどう見られようと、俺には関係ないからな」
「それはそれで如何なものかと思いますが?」
なぜか老人が俺のフォローをしてきたが、どうでもいい。
召使いの女も、俺の扱いに困った様子で手を空に彷徨わせていた。
ひとまず少女のことは置いておいて、聞きたかったことを口にする。
「で、ここは一体どこの国なんだ?」
どこぞの王国か、はたまた共和国か――。帝国の可能性もあるのか。
俺もすべての国と場所を把握している訳じゃないが、連邦じゃないのだけは確かだ。
知らない国でもおおよその場所が分かれば転移できる。
「ここはルナート王国の王都に程近い都市、クラウディア近郊です」
「は――?」
思わず老人を凝視する。嘘を言っている訳ではないようだ。
むしろ、どうしてそんなことも知らないのかと怪訝な様子だった。
「それは、どこぞの小国だ?」
聞き覚えのない国といったら、それぐらいしか思い当たる節はない。
十数個ある小国の名前を知る機会なんてほとんどなかった。
とはいえ、南西に固まる小国群なら、ある程度ズレたところで連邦には簡単に戻れるな。
そんな俺の考えは、次の老人の言葉で露となって消えた。
「――いえ、ルナート王国は世界でも名だたる大国と自負しております。帝国や聖国には一歩劣りますが、それでも世界では確固たる地位を築いておりますので」
「聖国? 教国の間違いじゃなく?」
憤慨するように言い募る老人だったが、俺の質問で態度が変わった。
それまでは咎めるような強い目付きをしていたのだが、今は何か考え込むように視線を落とす。
俺の疑問には答えてくれそうになかったので、もう一人こちらを見ていた女に視線を向ける。
女はちらりと老人を見ると、ややあって答えてくれた。
「……はい、聖国で間違いありません。――テーベ聖国。それが正式な国名となります」
俺は今、酷く顔を歪ませていた。
聞いたことのない国名からして薄々勘づいていたが、どうやら未知の場所に来てしまったようだ。
ここは海を越えた先なのか、未開の地の先なのか――。
俺の疑問に答えるように、老人がおもむろに口を開く。
「もしかしましたら、貴方様は『稀人』なのやもしれません」
「稀人? なんだそれは」
「ルナート王国では『稀人』もしくは『流れ人』と呼ばれる、こことは別の世界から迷い込まれる方を指します。異世界人、といえばお分かりいただけるかと思います」
まさか、異世界とは――。
作り話にしても笑えない冗談だ。
とはいえ、未開の先や海を越えた先に国があるとは聞いたことがない。
荒唐無稽な話だとは思ったが、老人や召使いの女、それから気持ちを落ち着けたのか、こっそりと覗き見る少女が嘘をついている感じはしなかった。
そこまで来て、ようやく別世界という実感が湧いてきた。
遠い遠い大陸の話という可能性も捨てきれないが、俺の感じた違和感の正体が別世界だからとすれば、いくらか納得できないこともない。
そうだとすれば、どうやって戻ろうか――。
そこまで考えて、ふと、戻る必要はあるのだろうかと思い悩む。
――向こうでの脅威はあらかた取り除いた。
この先、何か障害となるものが現れたとしても受け持つと断言した奴がいる。あいつに任せるのは少々業腹だが、実力だけは確かだ。多少の悪戯は仕方がない。
――孤児院の連中もあまり心配することはない。
真ん中の子たちも、もう十歳を超えた子供ばかりだ。最近では滅多に寄り付かなかったのに、今更干渉しすぎるのもよくないだろう。経営も資金も問題ないし、後見人も問題ない奴を見繕っている。何かあれば手助けすると契約させたから、俺がいなくても十分だ。
――喧嘩別れのように泣き別れたあいつ。
しっかりと別れを済ませられなかったから、何かしらの方法で連絡さえ取れればいい。それも、今すぐじゃなくてもいい。数か月は音沙汰ないのが当たり前だったから、一年ぐらいはどうってことないだろう。仮に戻れるとすれば、後で叱られればいいだけのこと。ゆるりと手立てを見つければいい。
そんなことよりも――。
「あの、どうかされましたか? 何か心配事でも……」
長いこと物思いに耽っていたようで、少女が恐る恐る声を掛けてきた。
「いや、なんでもない」
小さく首を振って「稀人」について、もう少し詳しい話を聞く。
老人の説明によると、百年に一人か二人この世界で存在が確認されているらしく、直近では帝国で五六年前、王国では一二四年前にいたとのこと。
その「稀人』だが、何らかの才能を持った奴が多く、多くの国で保護の対象になっているんだとか。
「保護、ね――」
「ご懸念はごもっともかと存じますが、『稀人』は希少な存在でございますれば、その有能さ・希少さから狙われることも度々ございます。貴方様のように、武に長けた方であればご理解いただけないかもしれませんが、力なき『稀人』も多数存在しておりました。そういった方々の身の安全のための保護であり、当人の自由を迫害する意図はございません」
胡乱な目を向けても、老人は淡々と、むしろ潔白を証明するように詳らかに説明した。
見透かすようにじっと見つめていたが、確かに下心はないと納得する。
小さく息を吐き、その「稀人」とやらについての疑問を口にした。
「で、その『稀人』っていうのはどうやって判断しているんだ? 嘘を吐く奴もいるだろ」
「ご慧眼の通り、大昔は騙りも多かったです。そのため、今では『真偽判定』の魔道具で『稀人』と思しき肩を見定めております」
判断方法に思わず顔を顰める。
「その魔道具ってどうやって使うんだ?」
「『稀人』とされる方に魔道具の一方を触れていただき、こちらから質問を投げかけます。そちらに嘘偽りなくお答えいただくことで判断しております」
「ってことは、魔力で判断しているんだな。――なら、俺にはその魔道具は効かない」
「どういうことですか?」
きょとんとあどけない表情をした少女が首を傾げる。
「そのままの意味だ。俺はその魔道具――というより、解析系の魔法が通じないといったほうが正確だな」
「そうなのですか……。申し訳ありません、私は全く魔法が使えませんので詳しくないのですが――」
眉を下げつつ、申し訳なさそうに告げた少女の言葉を思わず遮った。
「は? そんなに魔力があるのに?」
俺の一言でこの場の空気が固まった。




