━━━━???の証言
あの方に出会えたことは、私にとって多大なる幸運な出来事でした。
そして、生涯忘れることのできない、いな、忘れてはならない、私の犯した罪の全てなのです。
私にとってのあの方は、正しく神様のようなお人でした。
あの頃の私は、とある下級貴族の、それも母親は平民のメイドと言う、所謂婚外子と呼ばれる存在でして、当然と言うべきか成長環境としては劣悪そのものでした。
私を政略結婚の駒にしようと画策して娘と認知したのは良いものの、相応しい教育などは全て継母に丸投げし、無関心を貫き、自身は違法賭博に手を出しては、領地の財産を借金の当てにするという行為を繰り返す父とは名ばかりの男。
その妻であり、男爵夫人として継母になった女は、夫が為した不義の子を愛せる訳もなく、その苛立ち、不満といった全ての開く感情を、まだ幼かった私にぶつけてはストレスを発散させる毎日。挙句、それでは飽き足らず、毎週のように新調される豪奢なドレスと、それに見合う装飾品の数々で、借金は嵩むばかり。そうそう、見知らぬ子を引き取っては、私の目の前で痛めつける。なんてこともありました。「お前のせいでこの子はこんな目にあうのだ」なんて、仰られながら。
止めに継兄となった男爵令息は、年の離れた妹に欲情し、その劣を浴びせようと夜中忍び込んで痴態を見せつけてくる有様。さらには、あまり評判のよろしくない荒くれものから、用途不明の乾燥された葉っぱを仕入れているところを目撃してからは、いよいよこの家の末路が明確になったと思ったものです。
産みの母親ですか?さぁ、どうなったのでしょう。物心ついたころには、もう居なかったので、無事逃げ果せたのか。それとも、貴族の不興を買ったとして片付けられてしまったのか。行方は私も分からないのです。
そんな環境で育ったものですから、私は自分が生き抜くことしか考えらない生き物になりました。
幼少期は毎晩寝床を変えて、継兄の襲来を回避し、昼間は程よく継母の授業と言う名の体罰を耐え、成長していく私の姿を見てはどれだけ高く売り飛ばせるかを計算する父の目を誤魔化すために、煤を叩いて、ぼろを身に纏い、少しでも価値が下がるように振る舞って……
そうして、貴族の義務である全寮制の学園に入学するまで漕ぎ着けたのです。
自分の部屋として割り当てられた寮室に足を踏み入れた瞬間、全ての労力が報われたのだと天にも昇る気持ちになったことを今でも覚えています。
あの方とお会いしたのは、学園生活が始まって一年ほど経過した時でした。
下級貴族の婚外子として知れ渡っていた私は、上流階級の皆様方には受け入れがたい存在だったらしく、分かりやすい嫌がらせをされていたのですが、継母や継兄の仕打ちに比べれば、可愛いもの。
受け流すのも容易かったのですが、やはり私も人の子と言うものでしょう。また、家のしがらみから一時的に解放されて油断していたこともあって、疲弊を感じることも多々ありました。なので、休憩時間などは、あまり人の立ち寄らない中庭の奥まったところに在る、朽ちかけていた四阿で心の落ち着きを居り戻していたのですが……そこにあのお方がいらしたのです。お一人で。
彼のお方のことは、同じ学園に通っていることと入学式などの式典で挨拶されている姿から、知ってはいましたので、すぐに気が付きました。
もしやこの場所は、このお方の為に誰も立ち寄っていなかったのかもしれない。
その可能性に思い至り、私はすぐさま立ち去ろうとしましたが、それを引き留めたのも、あのお方でした。
そして、私の手を持ったまま、あの真っ直ぐとした曇りなき慧眼で、運命の囁きを下さったのです。
『協力してほしい』、と。
あのお方は、私に会う前より私のことを知っていました。家庭環境も、学園で置かれている状況も、私自身が望む未来のことも。それらすべてを踏まえた上で、私に望んだことは、今まで通りの生活をしながら、ただあのお方の傍に居ることでした。
そうすれば、あのお方の望みが全て叶い、終わりを迎えた時。
私の望む未来の通りにしてくれる。と、約束してくれたのです。
あのお方は、多くを語りませんでした。しかして、私も多くを知ろうとはしませんでした。
あのお方が望むことが何であるかを知ってしまえば、きっと私は自分の望む未来を手に入れることが出来なくなる。と、そんな漠然とした予感が過ったのです。そして、同時にこの機械を逃せば、きっと私もこの後起きるであろう何かに巻き込まれることが余儀なくされるのだろう、と。この中途半端な身分だとしても、半分の血を見逃されるはずがないのですから。
だから、私はあのお方の手を取ったのです。自分の望む、未来。
全てのしがらみから解放されて、自分らしく生きていく。そんな自由を手に入れたいがために……あのお方の描く未来に加担したのです。
あのお方の傍に侍るようになってから、嫌がらせの程度は酷くなり、幾度となく命の危険に晒されましたが、そこはあのお方が付けてくださった護衛の皆様方のお陰で傷一つなく、その時までを耐え抜けることが出来ました。
そうして、あの方が用意された筋書通り、あの事件は置きました。
そう―――かの有名な「婚約破棄騒動」。あの事件です。
ついに幕が上がったのだと、私は思わず身震いしてしまう体を自ら抱き締め、そっと舞台の中央で演説されるあのお方の後ろへと身を隠しました。そのすぐ後ろには舞台幕が掛けられており、周りのものへ悟られぬように入り込めば、分厚いビロードで出来た幕ですから、人1人中で移動するくらいなら気付かれないというもの。素早く、舞台袖に捌け、そのままドレスを脱ぎ捨て、下に来ていた平服の上に暗褐色のマントを羽織って顔を隠して、裏口へと続く通路を駆け抜けました。
その先で待っていたのは、私と同じようにあのお方へ協力する青年。彼も、私と似たような立場だと学園の噂で聞きましたが、私自身は彼とお話したことが無く、知っているのはお互いの名前くらい。
それもこれからは、過去のものとなってしまうので、その名前で呼び合うことは最後の最後までありませんでした。
話が逸れてしましました……申し訳ありません。
そう、その後のこと。
舞台から首尾よく抜け出したのは、私の役割はそこまでだったからです。
これから先に繰り広げられるあのお方の演目に、私たちの役は無い。
故に、私たちには報酬が支払われたのです。
兼ねてより望んでいた、全てからの解放。
裏通路を駆使して、二人で学園を抜け出し、あちこちであの方が巻いた種が芽吹くのを尻目に、飛び乗った船で向かったのが、全ての人を引き受けてくれるという隣国でした。
無事に辿り着いた国で、青年とは別れました。彼の望みは本当の家族と暮らすことだったのです。
十数年ぶりの再会だという彼らの喜びに浮かべた涙は、私も思わず貰い泣きしてしまいそうになりました。
そこから、紆余曲折ありまして、果てにこの村へと行きついたのです。
……風の噂ではありますが、あの国の全ては耳にしました。あのお方の末路も。
その通りであるのであれば、あのお方は無事自らがお望みになった大願を無事に果されたのです。
その結末は、協力したものとして大変喜ばしいのだと、あの時は心からそう思っていました。
そう思い込むことで、私自身の咎を、正統化しようとしたのです。
考えが変わったのは、いいえ、現実に目を向けることが出来たのは、それからしばらく経ってのこと。
旅商人から、滅んだ国の上で新しく興されたとある国の、王妃となった方が亡くなったという話を耳にした時のことでした。
その名前は、私のよく知るお方の者でした。
私も、一度だけそのお方と会話を交わす機会がありましたので、どの様なお人柄だったのか、あの時話されていた内容と共に、今でも忘れることなく覚えています。
なぜならば、そのお方はあのお方の婚約者様でしたから。
上流貴族の中でも筆頭を冠する侯爵家の御令嬢であり、品行方正として評価される社交界の華と呼ばれるに相応しいお方。それなのに、依頼されたとはいえ、恥も知らずにあのお方の傍へ侍る私にも対等であろうとされた、高潔な人。このような人こそが、真の貴族と呼ばれるに相応しいのだろうと、畏敬の念を抱いたものです。
このお方だからこそ、あのお方はこの演目を考えたのではないかと、思わずそんな考えを浮かべてしまったほどに。
交わした内容は、ありふれたモノでした。
物語さながら、定められた通りに台詞をなぞる。それが私の役目でしたから。
僅か数分にも満たない邂逅の中で、今でも記憶に残っているのは、やはり最後のやり取りでしょうか。
『あのお方をあなた様はどう思ってるのですか』と厚顔無恥にも問う私へ、『―――何も。』と返されたあのお方。
曰く、この国では、王と王妃は互いを愛してはならない。のだとか。
そんな話、聞いたことがありませんでした。
思わず役割も忘れて戸惑ってしまった私に、あのお方は僅かながら口元を歪めて居られました。
『だからこそ、もう私は不要となったのでしょう。そして、愛する貴女を選んだ。それが全てです。
ですから―――私は、私の役割を果すまでです。それが、王家と我が一族が交わした約定ですから』
その言葉に込められた意味が何であるか、愚かな私でも分かりました。
分かってしまったからと言って、もう始めてしまったこの演目を、私が止めることは出来ませんでした。
そも、気付いたからと言って、私に出来ることは何一つ無いのです。
何故ならば、思い浮かんだその感情の名をたとえ他人であったとしても、語ること自体が彼等にとって禁忌であったから。
故に、目を逸らしたのです。気付かぬ振りをし、あのお方の望みが果されることだけを考え、用意された筋書きから逸れないように動き、そして私は逃げ出したのです。
それが全てなのです。それが全てでした。
私が犯した、罪。自らの自由のために、許されざることをしたとは自覚しています。
けれど、後悔はしていません。きっと、私は何度繰り返したとしても、たとえこの記憶を持っていたとしても、同じ選択をすることでしょう。
ただ、旅商人から聞いたあのお方が今際の際に発せられた、お言葉。
「やっと私も見れるのですね。あなたの瞳と同じ、アイスブルーの海を……」
その一言に込められた想いを勝手ながら推測しては、ほんの少しだけ、何かできたのではないだろうかと悔いが滲むのです。私などの後悔は、星の煌めきがひとつとなられたお二方にとって不快なものでしかないでしょうけれど。
ですが、祈らずには居られないのです。
求められていないとは分かっていながら、私に自由を与えてくださったあのお方と、私にも対等で在ろうとされた彼のお方に。
叶わぬモノだと零された、その夢が醒めないことを。
どうか、どうか。もう二度と、その夢が醒めることがありませんように。
あの国は。この世界は。あなた達が夢を見るには、冷たすぎたから。
そして、お二方の次来る世では、暖かな日差しの下で、夢を語れますように、と。