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追憶の宝石  作者: ま行
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悲しい決意

 五十嵐は中井さんが用意してくれたチーズケーキを美味しそうに食べていた。俺の目の前にも同じものが置かれているが、喉を通る気がしない。


「どしたの尾上くん?ケーキ美味しいよ。マスターの手作りだってさ」


 知っている。あのおじさんの趣味はお菓子作りだ。和菓子だろうが洋菓子だろうが器用に何でも作ってしまう、この前頂いたプリンも絶品だった。


「どうしたもこうしたもないよ、俺はもう展開についていけないよ」

「あらら、何かあったの?話聞こうか?」

「分かってて言ってるだろ」


 俺が睨みつけると五十嵐はわざとらしく肩を竦めた。いよいよ馬鹿らしくなってきて、俺は中井さんに注文した。


「すみません、ミルクティーください」

「ああホットでな」


 注文し終えた俺を五十嵐が見つめていた。


「何だよ?」

「甘いものに甘いもの?」

「コーヒー飲めないんだよ、苦いから」

「そうなんだ!なんか意外」

「俺にどんなイメージ持ってるんだよ…」


 ほとほと疲れ果てた俺は目の前のチーズケーキを一口サイズに切って口にした。相変わらず美味い、これで元々菓子職人とかでもなく普通のサラリーマンだったのだから尊敬する。


「それにしても、尾上くんアルバイト始めるんだね」

「ん?ああ、将来とか学費の為にも貯めておきたくて」

「それって例の結晶解離病について研究したいから?」


 五十嵐の問に俺は頷いて答える。


「結晶解離病は本当に詳しい事がまだまだ分かってないんだ、それに患者も少ない、症状の進み方も個人差が激しい。記憶が宝石となって抜け落ちたのは分かった時一度だけって人もいる。きっとこの道は俺が思っている以上に厳しい道だと思う、だから今の内に備えるんだ」

「お父さんお母さん、それに自分の為って言ってたね」


 俺はぐっと体を固めた。まだ五十嵐に言っていない事がある、そしてそれを正直に言わないのは協力を断られると思っているからだ。でも言わないのも関係がこじれるような気がして俺は話し始めた。


「なあ五十嵐」

「ん?」

「実はさ、確かに両親の事も考えてるんだけど、本当は俺自分の為って気持ちが強いんだ。本当に利己的な考えで動いていると思う」

「思うって?」

「俺にもまだ気持ちを上手く説明できない、あの時の記憶に呪われてるようにも感じるし、取り憑かれているようにも感じる。本当は今お世話になってる叔父さん達も俺が結晶解離病に執着するのをよく思ってないんだ」


 運ばれてきたミルクティーに口をつける。中井さんも雰囲気を察したのか、それ以上何かを言う事もなく引っ込んだ。


 五十嵐はもう飲み終えたカップの底を見つめている、言葉を探すように手を合わせたり離したりを繰り返してから話し始めた。


「保留しよう」

「ほ、保留?」

「そう保留、今尾上くんの気持ちを私は理解してあげられないし、多分尾上くんも説明できない。だから保留、いい?」


 確かにそれは五十嵐の言う通りだった。異議もないので頷いて同意する。


「じゃあ次、私の話。それから私からの提案。どうせなら二人共納得出来るようにしたいから」




 五十嵐の提案を俺は聞いた。


「さっき尾上くんは私が嫌われたがってるように見えるって言ったでしょ?あれは当たってるよ、私はなるべく皆から離れたい」

「理由を聞いていいか?」

「勿論、簡単に言うともう思い出に意味がないと思うからだよ。どれだけ私が自分の為に何か行動した所で、私はそれを忘れてしまうかもしれない。ならいっその事遠ざけたいと思ったの」


 それはとても沈痛で暗く重い声だった。


「私が初めて失った記憶は起き上がるって事、朝目が覚めたら突然動けなかった。目は開いている、手足は動くのにどうしたらいいのか分からなくなったの、それで必死に叫んで両親に助けを求めた」


 五十嵐は机についた水滴を指の先で触った。そしてそれを引き伸ばすように指を忙しなく動かしてなぞった。


「両親が飛び込んで来て大騒ぎになった。私は混乱していて、どうして何がしたいのかも分からずただ泣いていたの、だって想像できる?今まで当たり前に出来てた事が急に頭の中から消えてるの。怖くてどうにかなりそうだった」

「…それでどうなったんだ?」

「お母さんが救急車を呼ぼうとして、お父さんが私の枕元に光る何かを見つけた。それでもしかしたら結晶解離病なんじゃないかって気が付いたの。体を支えられながらこうして動かしてごらんって教えてくれて、体がやっと動かせるようになった。それから病院に行って検査して正式に結晶解離病って診断されたの」


 俺は五十嵐から打ち明けられた事を聞いて一冊のノートを取り出した。そして目的のページまでめくると、開いたまま五十嵐の前に差し出した。


「これは?」

「父と母の為に俺が記録し続けた物だ。もっと何冊もあるけど、これは初めて二人が無くした記憶が書かれてる。父は靴が分からなくなった。母は爪が分からなくなった。その当時の事を残せるだけ書いてある」


 五十嵐は興味深そうにノートを見た。びっしりと書き込まれた文字を指でなぞりながら丁寧に読み進める。


「父は仕事に行こうとして靴を履かずにそのまま外に出た。俺はそれに気がついて靴を履き忘れてるって指摘したら、靴って何だ?って返されたよ。その後足元に小さなエメラルドが落ちてるのに気がついた」


 俺は五十嵐の指に寄り添うように、自分の指もノートに添えて指し示した。


「母にその事を報告したら、すぐに病院に行こうって事になった。結晶解離病の存在は知っていたし、明らかに異常だったからな。だけど今度電話をかけようとした母の手が止まった。自分の手を見つめてびたっと動かなくなったよ」

「その時尾上くんのお母さんは手についている爪が何なのか分からなくて混乱したのね」


 五十嵐がノートの内容を読み上げて俺は頷く。


「その時母は片手を握りしめていて、何を握ってるのかって俺に聞かれて手を開いた。その時掌の上にあったのは黄色いトパーズだった。ここで俺たちは二人共結晶解離病を発症しているって可能性に気がついたんだ」


 それからは実に慌ただしく進んでいった。最初に行った病院では手に負えないと言われて、遠い所にある大きな大学病院に行った。色々な先生が入れ替わり立ち替わり両親に聞き取りと検査を行って、俺はずっとそれに付き添っていた。


 俺自身が心配だった事もあるけれど、何より父と母の手が震えているのに気がついたからだった。あの頼もしい存在の父が、厳しくも優しい母が、子供の前で弱さを見せない二人が震えている。それだけで俺は二人についていたかった。


「長い時間かけて二人共結晶解離病を発症してるって結論づけられたよ。二人同時ってのは殆ど前例がなくて医者は騒いでたよ」


 薬品などでの対処法が存在しない事、難病だという事、今まで発症した人達が治癒した例がないなどを説明されて、生活の上でどういう事に気をつけるべきかなどの説明をされた。


 治療方法が存在しない以上、無くなる記憶をすぐに取り戻せるように備えるという対処法くらいしか出来る事はない。失ってしまった場合を考えて、どんなに細かい事でも紙に書き出しては見える所に貼り出すなどの他の患者さんの対処例を教えてもらった。


 それに加えて夫婦という立場を生かし、お互いの事を記録し合うという事を提案された。兎に角助け合う事が大切だと説明を受けて、俺もそれに協力する事に決めた。


「二人が以前のような生き方が出来ないってのが分かった時、俺はそれがあまりにも理不尽な事だと思った。だからこそ二人に力になるって決めたんだ」

「そっか…、それは辛かったね」

「辛かったけれど今から俺はその感情を心に仕舞う。俺の辛さなんかよりもっと辛いのはこの病気を発症した人、五十嵐の方が辛い。と言うより、俺は今の五十嵐を見ているのが辛い」


 俺はハンカチを取り出すと五十嵐の頬を拭った。何をされているのか分からず俺を見つめる五十嵐は、自分が泣いている事にも気がついていなかった。


「五十嵐、消えていくからって無くす必要はない。それはきっと自分を追い込むだけになってしまうから」


 少し恥ずかしかったけれど俺は五十嵐の手を取った。あの時俺を助けてくれた熱を、少しでも彼女に分けてあげたかった。

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