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追憶の宝石  作者: ま行
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遠くの海で待つ君へ

 深い深い眠りについていた。そして、長い長い夢を見ていた気がする。


 夢の中で、女の子は笑っていた。穏やかで何事もない日常を過ごしていた。それがたまらなく嬉しくって、たまらなく寂しい、そんな夢だった。


 目を開けると、真っ暗な部屋で紙の山に埋もれていた。何だいつもの事か、そう思いもう一眠りしようとすると、部屋の明かりがパッとついた。


 眩しくて目がくらむ、もぞもぞと動いていると男の短い悲鳴が聞こえてきた。


「ああ驚いた。誰かと思ったらまた君か、Dr.オガミ」

「おはようございますProf.デイビス。今日はやけに早いですね」

「そんな事はない、君がここを巣に使っているからだ。まったく、最後に家に帰ったのは何時だね?」

「…忘れちゃいました」

「今すぐ家に帰って人間的な生活を取り戻してきなさい、忘れ物を取ってくるまで帰ってくるんじゃないぞ」


 俺は後ろ襟をむんずと掴まれると、リュックサックと一緒にそのまま部屋の外に放り投げだされた。年を召した今でも柔道をやっているそうなので力が強い。


 相変わらず荒っぽい事をするなと思ったが、何日か着替えを着回していたので臭うのも事実だ。


 シャワーを浴びて洗濯をして、ご飯を食べて少し寝よう。そうしたらまた研究再開だ。俺は教授に従って家に帰る事にした。




 マンションに帰ると、エントランスで管理室に詰めていた人に声をかけられた。


「ようコースケ、暫く見なかったけれどまた研究所に籠もってたのか?」

「マイク、そりゃもういつも通りさ」


 マイケルは管理人の仕事をしている人だ、気さくでいい人で、よく話しかけてくれる。マイクは彼の愛称だ。


「だろうな、髪の毛がボサボサだぞ。鳥の巣みたいだな」

「何羽か頭の中で飼ってみるか、卵代が浮く」

「うるさくて眠れないだろ」

「目覚まし時計の代替品さ」


 こんな馬鹿馬鹿しい話にもちゃんと付き合ってくれる。彼は他の住人からも人気が高いようで、積極的に話しかけられていた。


「しっかし分からないな、こんな立派なお家があってなんで帰ってこない?」

「ここより研究所の方が住みよいのさ、教授はお怒りだけどね」

「相変わらず変わった人だな、まあいいや。はいこれ」

「いつもありがとう。じゃ」


 マイクから郵便物を受け取ると俺は自室に戻った。物は殆ど置かれていない、部屋は殺風景という言葉がよく似合う有様だ。


 かろうじて机とソファーがあるけれど、机の上には書類の山が築かれていて、ソファーはただ体を横にするだけの為にある。広い部屋を存分に無駄にしていた。


 シャワーを浴びて洗濯機を回していると、扉の開く音が聞こえてきた。何だと思い顔を覗かせると、霞さんが手を振って入ってきた。


「やっほーこうくん!元気してる?相変わらず何もない部屋ね」

「…霞さん来るなら来るって言ってくださいよ。いつも突然何だから」

「いいじゃんいいじゃん、細かいことは気にしない。ご飯買ってきたから一緒に食べよ?」


 言われてみると飯のいい匂いがした。俺のお腹は必死にアピールするかのようにぐうぅと大きな音を立てた。




 机の上の書類を手でがーっと退かして床にぶちまけた。ようやく机が露わになった。


「そんな雑に扱っていいの?」

「もう全部見て覚えました。もうただ置いてあるだけの紙です」


 頭の中に入っていれば十分だ。いつでもどこでも使えるし引き出せる。


 霞さんが買ってきた食べ物を机に広げていく、どうも肉の匂いがすると思っていたら、分厚いステーキだった。ソースの香りと香ばしい焼けた肉の香りで、唾液が口から溢れそうになる。


 俺はいただきますと手を合わせた後、肉にかじりついた。溢れ出す肉汁が口に広がって、噛めば噛むほど味が染み渡る。硬すぎず柔らかすぎず、ちょうどいい食べごたえだ。


 霞さんは隣に座ってワインを開けた。いつの間にか棚からグラスを二つ出してきていて、俺の目の前に置いて注いだ。


「昼間から飲むんですか?」

「ステーキにはこれがないとね、こうくんも一杯くらいいけるでしょ」

「この後また研究所に行くんですから、一杯だけですよ」


 お酒が飲めるようになってから三年経ったが、あまり飲む方ではない。付き合いで口にするけれど、自分は積極的に酒を口にする性格ではないようだった。


 まあそれでも、霞さんが持ってくるお酒に外れはない。香りも味も特別に上等だ。何杯でもいけそうになってしまうので、あまり口にしたくなかった。


 肉にワインに、最高の飯だ。行儀は悪いけれど、今更遠慮する仲でもないので、俺は肉をかっくらった。綺麗に平らげた後、手を合わせごちそうさまでしたと言った。


「研究の方は順調?」

「ええ、近い内にいい報告が出来ると思います。送った資料には目を通してくれましたか?」

「勿論よ、最初は目を疑ったけどね。…まさか数年でここまでの結果を出すとは思いもしなかったわ」

「考えはある程度まとまってましたから、後はそれを実行できる環境と、考えを研ぎ澄ませる事の出来る人が必要でした。研究所メンバーは優秀な人しかいません、あれだけハイレベルな研究員を集められる教授はすごい人です」


 会話の最中、俺は後片付けをしながらやかんに火をかけた。


「一体どういうコネがあったんですか?霞さんと教授は中々繋がらない気がするんですけど」

「あれー?話してなかったっけ?」


 俺が頷くと、霞さんはあっけらかんと答えた。


「あの人は私の実の父よ、本家の母が不貞で作った子供が私って訳。当然この話は極少人数しか知らないけど」

「…それ本当ですか?」

「ホントホント、母もパパも若い頃はやんちゃだったんじゃない?私が実家に居場所を感じなかったのも、なるべくしてなったって事ね」


 とんでもない事実に頭がくらっとした。大型の爆弾をキャッチボール感覚で渡された気分だ。


「…こうくんには悪いけど、実際いい機会だったわ。もう絶対関わらないと決めていた本家に連絡を取って、母の声が聞けたのは嬉しかった」

「霞さん…」

「まあ母には過去の事で脅迫して、パパに渡りをつけさせたんだけどね!不貞ってのも偶には役に立つのね、お陰でこうしてこうくんに最高の環境を用意出来たんだし!」

「…霞さん」


 多分この人には誰も敵わないんだろうなと思った。成功者が誰も彼もこうとは限らないが、ぶっ飛んだ考えが出来ないとこうはなれないだろう、そう思うのもまた事実だ。


「コーヒー淹れますけど、飲みますか?」

「飲む飲む!こうくんのコーヒー美味しいよね」

「それは師匠の腕がよかったんですよ。俺はただ教えられた通りにやっているだけです」


 喫茶ヤドリギで働いている時、中井さんがコーヒーの淹れ方を教えてくれた。


「美味しいコーヒーを淹れられる奴はモテるぞ光輔!」


 そんな訳の分からない事を言って厳しく仕込まれた。そう言えばまだ、あの頃はコーヒーなんて飲めやしなかったのに、時が経つと変わるものだ。


 カップを持って霞さんの前に置くと、ヤドリギでの思い出が蘇ってくる。思わずお待たせしましたと言ってしまいそうになった。


 隣に座って食後のコーヒーを楽しんでいると、霞さんの方から話を切り出された。


「いよいよなのよね?」

「…雫は元気ですか?」

「お陰様でずっと元気よ、結晶解離病の症状もパタリと止まった。あなたが自分を犠牲にしたあの時からね」


 犠牲か、確かにその通りだ。でも一つも後悔はしていない。


「雫が元気ならそれが一番ですよ」

「…でもあの子には、ぽっかりと大きな穴が空いているわ。自分では気づく事の出来ない大きな穴が、母親だから分かるの。あの子は見えない所で苦しんでいる。取り戻せるのよね?」

「まだ分かりませんよ、その時になってみないと。だけど、俺は諦めていません。約束はずっと続いたままだ」


 俺は立ち上がると霞さんに向き直った。


「出来るか出来ないかじゃない。やるんです。その為に時間も費やし、準備も整いました。後は雫を迎えに行くだけです」


 その道の先が、例え崖の下への転落だとしても、俺は歩みを進める。ぐしゃぐしゃに打ちのめされて、立ち上がれないくらい粉々にされても、俺はまた立ち上がるだろう。ただ一人の大切な彼女を迎えに行く為ならば。

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