消滅の決意
出席確認の時、林先生から聞かされた事に驚いた。
「五十嵐は体調不良で休みだ」
そんな話を雫からは聞いていない、体調不良だって?それなら俺に何か連絡があると思うのだが。
雫からも、大河さんからも霞さんからも何も連絡がなかった。連絡先を交換しているのに、雫がもし俺に連絡も取れない程具合が悪かったとしたら、どちらかが代わりに連絡をしてきそうだが、何の音沙汰もなかった。
混乱と動揺が全身を強張らせる、雫の体調が心配で、その事で頭の中が支配されていた。
ホームルームが終わった後、皆は俺の所に集まってきた。俺もすぐに確認しに行こうと思っていたので好都合だった。
「光輔、何か聞いている?」
東野の問いかけに俺は首を横に振った。残念そうな表情で東野は俯いた。
「北村はどうだ?」
「私も何も…私も光輔が何か聞いているかと思ってた」
北村の他にも集まってきた人たちの顔を一通り見回すが、誰も何も聞いていないと態度だけで分かった。
これは明らかにおかしい、何か重大な事があったに違いないと思わせるには十分過ぎた。俺はスマホを取り出すと、大河さんと霞さんにメッセージを入れた。
「今、雫の両親にメッセージを送った。何か反応があったら皆にも知らせるよ」
「分かった。頼んだぞ尾上」
橋田が俺の肩に手を置いた。その手は小さく震えている、橋田もきっと不安で一杯なのだろう、俺は皆の為にも早く返信がくる事を願った。
結局放課後まで雫たち五十嵐家の誰からも返事がなかった。無視をするような人たちじゃない事も相まって、俺は余計に心配が募った。
教えてはくれないと思うが、一か八かで林先生に雫の安否を確認しに行こうと踵を返したその時、校門の前で停まっていた車から見覚えのある背の高い人物が現れた。
「光輔くん、こっちに」
大河さんの大きな手招きで、俺は一緒に車に乗り込んだ。
「悪かったね、連絡貰っていたのに返事が出来なくて」
開口一番は謝罪だった。大河さん達を責める気など毛頭ない、ただ、これで懸念が確信に変わってしまった。
「何かあったんですね?」
「…そうだ。雫の結晶解離病についてだ」
ドクンと心臓が跳ね上がるのを感じた。乱れそうになる呼吸を必死に抑えて冷静さを保った。そして意を決して大河さんに聞いた。
「記憶が消えましたか?」
「ああ」
「もしかして、俺に関する記憶ですか?」
「あ、いや、それは違う。すまない、不安にさせてしまったね。すぐにでも否定するべきだった」
安心してはいけないのだけど、どうしても俺はほっとする気持ちが隠しきれなかった。だがすぐに気持ちを切り替えて、まだまだ聞かなければならない事を聞く。
「ではどんな記憶が?それに体調不良も起こすなんて」
記憶の消失に伴い、体に様々な影響が起きる事は確認されていた。しかし雫はその例に当てはまらず、記憶の宝石の出現でも体調に影響はなかった筈だった。
俺の問いかけに大河さんは黙ったままだった。何も言わずに俯いたままで、言葉を選ぶように何度か口を開きかけては、また閉じるのを繰り返していた。
「…雫の結晶解離病が急性化した。記憶の宝石が、次々に生まれ落ちている」
「急性化!?」
その症例は聞いた事があった。しかし、数が極端に少なくて、資料もデータも全然足りていない、そういう事例があるという幻のような扱いの症状だった。
嘘だと思いたかった。しかし、大河さんが結晶解離病について俺に嘘を言う筈がない。これは事実なんだと思い知らされる。
「雫の体調不良は精神的なものだ、急性化に伴い、気持ちが追いつかなくて体が参ってしまった。僕も正直参ってしまっている、一度に三個以上の記憶の宝石が、連続して抜け落ちるのを見たら冷静ではいられないよ」
一度で三個以上、それが連続する、急性化の中でも聞いた事のない異例の速度だ。何故、どうして、その言葉が頭の中に浮かぶが強引に振り払った。
理由はきっと今の医学では解明できない、それが起こった事をまず受け止めなければ、考えつく方法がないか俺は今まで見てきたものの記憶を掘り返していた。
結晶解離病はまだまだ分かっている事が少ない、急性化についてはデータが殆どない、ただ今は、少しでも進行を遅らせる方法が必要だ。
雫の心が壊れてしまう前に、何か、何か方法がないか。治療法、俺の知っているものに急性化を鈍化させる方法はない。
じゃあ薬はどうだ?それも駄目だ、結晶解離病の進行を遅らせる事は出来ても、急性化に対処出来るものはまだない。
何か、何か何か何か!何でもいい、方法があるはずだ!思いつけ、考えろ考えろ考えろ。
「…あっ」
「光輔くん?」
一つ、最近読んだ新薬についての記述を思い出した。そしてこれなら、急性化の進行を遅らせる事が出来るかもしれない。
だがそれは、とても重大で重要な、俺にとっても雫にとっても、最悪の決断をしなくてはならない事も示していた。
「大河さん」
「うん、どうしたんだい?」
「雫に会える事は出来ますか?話したい事があるんです」
「勿論だよ、僕はその為に来たんだ。これからすぐに向かいたいけれど、大丈夫かな?」
「ええ問題ありません。お願いします」
大河さんは俺の返事で車を走らせた。走行中、俺は黙って思考を続けていた。そして同時に覚悟を固めてもいた。
病院についてまず、俺は大河さんに言った。
「わがままを言って申し訳ありません。雫の主治医の方とお話できないでしょうか?」
「先生と?それはまたどうして」
「話したい事があるんです。大河さんと霞さんにも同席してもらえませんか?」
そこで俺の考えを説明するつもりだった。大河さんは聞きたい事があるように逡巡していたが、それを飲み込んで俺の提案を承諾してくれた。
用意された部屋に雫の主治医と霞さんと大河さんが集められた。俺は一呼吸おくと、ゆっくり口を開いた。
「先生、僕の名前は尾上光輔です。本来部外者の僕を同席させてもらいありがとうございます」
尾上光輔と名乗った所で、先生は何かに気がついたようで俺に聞いた。
「尾上、もしかして君は、あの夫妻が同時に結晶解離病を発症した尾上夫妻の関係者かい?」
「実子です。ご存知なんですか?」
「そうか…、すまないね不躾に聞いてしまって。日本の結晶解離病に関わる者で、尾上夫妻の同時発症について知らない人はいないだろう。積極的にデータの提供や検査を受けてくれている。本当にありがたい限りだよ」
父さんと母さんがその界隈で有名人なのは知らなかった。珍しい症例なのは確かだが、そんな事までしていたなんて。
気を取られそうになったが、俺は切り替えた。本命は雫、ただ一人だ。
「先生、結晶解離病の新薬についてご存知ですか?」
「無論だとも」
「では最近開発された記憶の宝石を生み出す新薬について知っていますね?」
俺の問いかけにハッとした表情を浮かべ、考え込むようにぶつぶつと独り言をいい始めた。
「光輔くん、一体何の話をしているんだい?」
「記憶の宝石を態と生成させる薬が最近開発されたんです」
「そんなもの使ったら余計に酷くなるんじゃ?」
霞さんの質問はもっともだ、しかしそれは否定出来る。
「逆なんです。原理ははっきりしていませんが、大切な記憶を宝石に閉じ込める事で、新たな宝石を生み出す事を抑制する事が出来る。その記憶が重要かつ大切であればある程、その効果は高い」
今雫から抜け落ちている記憶の宝石は、数が多くとも小さくて重要度が低いものだ。ただ、これが続けばいつかすべての記憶が消えてしまいかねない。
「敢えて大切な記憶を宝石に移す事で、負担を減らし、急性化も止める事が出来るかもしれません。結晶解離病の症状も抑えきれる可能性もあります。それほど画期的な薬なんです」
「でも、大切な記憶って…」
大河さんと霞さんの不安な顔を見て、俺は無理やり笑顔を作って言った。
「雫の中の俺の記憶を使いましょう。大切な記憶である自信があります。俺の事は綺麗さっぱり消してもらいましょう」
「こうくんそれはっ!」
「いつか必ず、俺が雫の記憶を取り戻します!そう約束したんです!!」
記憶の中から消える、雫の中から俺が消える、雫の中の俺は死ぬ、今までの思い出はすべて宝石へと封じ込められる。
でも今の俺は両親の中から消えたあの時の俺とは違う。恐怖に震えて心を閉ざし、ただ助けを待つだけの自分ではない。
今ここで一歩踏み出す。
「ただ、この効果を長続きさせる為には、俺は雫との関わりを一切断つ必要があります」
「そんな!どうして?」
「再記憶してしまったら効力が弱まってしまうからです。お二人には、雫が持っている俺に関する物の処分をお願いします」
「光輔くん、まさか君は…」
「俺は記憶と共に雫の前から消えます。だから、最後に二人で話す時間をください」
尾上光輔は五十嵐雫の記憶から消える、最悪の決断でも最良の結果を掴める唯一の方法だ。




