五十嵐雫の異変
「じゃあお父さんとお母さんとちゃんと話せたんだ」
「ああ、そんなに長時間じゃないけどな」
こうちゃんから連絡をもらって、私はその出来事を聞いた。上手くいったのが、こうちゃんの声色からも伝わってくる。弾むような嬉しそうな声だ。
「父さんも母さんも、俺の記憶のままの姿だった。二人はそんな事ないって言ってたけれど」
「こうちゃんとご両親とでは、感じてた時間が少し違ったのかもね。でも、私はいいことだと思うよ?」
「どういうことだ?」
「どっちも会えない時間の事を考えつづけていたって事だよ、お父さんもお母さんも、こうちゃんもね」
それはきっと、自分の事を責める時間でもあったと思う、出来ない事を嘆いた時間でもあったと思う、だけど、確かにお互いに思い合っていた証左でもあるのではないだろうかと思った。
「そうか、そうだな。それは本当に素敵な考えだと思う。だからきっと雫の言っている事が正しいと思うよ」
こうちゃんは安心したような声でそう言った。顔は見れないけれど、きっと穏やかな表情をしていると思う、隣に居てあげられたらもっといいのだけど。
「そうだ、二人共雫に会ってみたいと言っていたぞ」
「えっ?私に?」
「俺が何度も雫の名前を出すものだから、気になって仕方がなかったらしい。交際していると言ったらとても驚いていた」
「またそんなあっさりと…」
少しだけ呆れてしまうが、これがこうちゃんだなあという気もする。しかし、私のいない所でこうちゃんはどんな評価をしているのだろうか、それがとても気になる。
私は誰に見せる訳でもないのに、ちょっとだけ前髪をいじって整えた。
「俺も是非会わせたいと言った。雫が如何に素晴らしいか伝えたい」
「ちょっと、それはやめてよ。恥ずかしいってば」
「恥ずかしい事など一つもない、俺は自信を持って雫の事を紹介出来る」
「そりゃこうちゃんには出来るだろうけど、それを聞かされる私の気持ちも考えてよ、絶対恥ずかしいよ…」
褒めるとなったらとことん褒めるだろうし、止まらないのがこうちゃんだ。自惚れかもしれないが、私の事に関するとこうちゃんはちょっと箍が外れる。
それだけ強く思ってくれているのが分かって嬉しくは思うけど、恥ずかしくて顔から火が出てしまいそうだから心臓に悪い。
「そうか?じゃあ少し抑えめにするか…」
「是非そうしてね。でも、会いたいって思ってくれるのは嬉しいな。私も会ってみたいから」
「いつか絶対に会わせたい、俺の自慢の両親なんだ」
それはとても嬉しそうな声色だった。そして同時に、安心したような落ち着きもあった。やっと肩の荷が下りたのだろう、まだまだ先が長いとは言え、この一歩がどれだけ大きいかは私でも分かる。
「こうちゃん、本当によかったね」
「うん、ありがとう」
「私は、いや違うな、私達か。私達はこうちゃんの背中を押したかもしれないけれど、重く苦しい一歩を踏み出したのはこうちゃんだからね。それは忘れないで」
こうちゃんは自分の力を信じきれてはいない、だから上手くいった理由を私や人に移してしまうだろう。
だから私がしっかりと教えてあげよう、他の誰でもない、こうちゃんだから出来た事なんだと、私はそう信じているから。
「…本当にありがとう。雫、俺は君に出会えて本当によかった」
「なあに?改まっちゃって」
「何度言っても言い足りないが、俺は君に出会えた事も恋した事も、全部全部なによりもかけがえのないものだと思っている。雫が隣にいない事なんて考えられないくらいだ」
真剣に、そして清々しい程真っ直ぐに、こうちゃんは気持ちをぶつけてくれる。それは恥ずかしい事もあるけれど、いつも本当に嬉しく思っていた。
「まるで今生の別れのようだけど?」
「えっ?い、いや、そんなつもりはないぞ!?」
「分かってるって、ちょっとからかっただけ。私もこうちゃんが隣にいないなんて、もう考えられないんだからね。ずっと一緒に居てよ?」
「ああ、約束だ」
私はこうちゃんとの通話を切った。長く話し込んでしまった。話したい事が多くてついつい長話になってしまう。
それにしても安心した。こうちゃんがちゃんと望む形でご両親と会話出来るか、私も不安に思っていた。
確かに大切な一歩ではあるが、こうちゃんの心の問題がある。それは気持ちだけでどうにかなるものではない、今回は手厚いサポートがあったから無事に済んだけれど、ボタンの掛け違いでどうなっていたか分からない。
でも、その私の心配も杞憂に終わってよかった。こうちゃんにとっていいことであったのなら、それが一番何よりだ。ほっと胸を撫で下ろし一息ついた。
コロン、床に何かが落ちた音が聞こえた。
私は背筋に汗が伝うのを感じていた。この音、この感じ、信じたくない。きっと何か固い物が落ちただけだ、小物や筆記用具やそんな些細な物だろう。
そう思っているのに音がした場所を見る事が出来なかった。動くことが出来ない、そうして固まっていると、もっと絶望の音が聞こえてくる。
コロン、コトン、と二回音が聞こえた。全身にぶわっと悪寒がした。
このままじっとしていても意味がない、私は全身にびっしょりと汗をかきながらも、音のした床を見た。
「そんな…」
床に転がっていたのは赤色と緑色と紫色に見える石、間違いなく記憶の宝石だ。一度に三個、しかもこんなに間隔が短く、考えがまとまらない、どうするべきか分からない、吐き気と目眩に体の自由が奪われる。
どうしよう…どうすればいい?そうだ、こうちゃんに、連絡を、でもどうやって?どうすればこうちゃんと話せる?一体私の身に何が起こっているのだろう。
混乱する頭に、追い打ちをかけるように絶望が続いた。手のひらにはいつの間にか水色の石が握られていたのだ。私はそこで気を失った。
目を覚ますと心配そうに私を見つめるお父さんとお母さんの顔があった。
「雫っ!起きたのね!ああ、よかった」
お母さんは私に抱きついてきた。お父さんは私が起きた事を伝えようと廊下に出て先生の名前を呼んでいる。どうやら私は病院にいるようだ。
「お母さん私どうしたの?」
「それが…その、雫の部屋から大きな音がして、私達が駆けつけたら床にあなたが倒れていたの。あの、すぐ側にこれが」
お母さんの手に握られていた物を見て思い出した。それは四つの宝石、私の記憶の宝石だ。ショックで気を失ってしまったのだ。
お父さんが先生を連れて来た。すぐさま記憶の確認が行われる、そしていくつかの重要な抜けがある事が判明した。
通話の方法、そしてクラスメイトの一人の記憶を失っていた。
こうちゃんに通話する事が出来なかったのはそれが理由だった。スマホの操作方法が分からなかったからだ。
クラスメイトの一人は、ノートに記録はされていた。しかしあまり親交がなかったのか記述が少ない、しかし人物の記憶を消失した事は私にとってとても衝撃的だった。
しかし一度にこれだけの記憶を失った事は今までない、こうちゃんからもそんな話を聞いた事がない、その事を私は先生に聞いた。
「まだ判断は出来ませんが、極少数似たような症例が報告されています。短期間に大量の記憶の宝石が生まれてしまう。ただ、今回の五十嵐さんがそれに当てはまるかは検査をしてみないと…」
「そうですか…」
私はあまりにも現実味がなさすぎて何処か他人事のように聞いていた。今自分の身に起こっている事だとは、とてもではないが信じる事が出来ない。
お母さんが先生に色々と言いながら詰め寄っていた。お父さんがそれを宥めているが、そんな光景も信じる事が出来なかった。
怖い、怖い怖い怖い怖い、寒くもないのに体の震えが止まらない。何も考えられなくなって、私はまた気を失った。目を閉じる前にお母さんの叫び声が聞こえてきたけれど、今の私にはどうする事も出来なかった。




