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追憶の宝石  作者: ま行
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再結晶

 俺は雫に連絡を取っていた。決めた事を真っ先に伝えたい相手だった。


「そう、そんな事があったんだね…」

「梢さんには悪いことしちゃったかな?」

「そんな事ないよ、きっと梢さんも全部理解して納得した上で、それでもって思ったんじゃないかな?何時だって味方なのは変わらないよ」

「…そうだな、ありがとう雫。その通りだよ」


 頭で分かっていても、雫が言葉にしてくれるだけでとても安心できた。どんな薬よりも雫の存在が俺には効果があるようだ。


「雫、俺がこうして前に進めるようになったのは、勿論色々な人の支えがあってこそだけど、一番大きい理由は雫との出会いとその後が重要なんだ」

「私との?」

「俺は雫の事を、よく知りもしない時は可哀想な奴だって思ってた。それに、俺とは交わる事のない人間だって、でもそれは、俺が何も知ろうともしない臆病な人間だったからだ。雫を通して俺は色々な事を知った。この恩を俺は絶対に忘れない」


 通話の向こうの雫は何も言わない、真剣に俺の言葉に耳を傾けている。俺は更に言った。


「いつか、この大恩は必ず返す。俺の持ちうるすべてを使って、絶対にだ」

「無粋かもしれないけれど言っておくね、私はもう、こうちゃんから沢山の大切なものを貰ってるよ。だけど、こうちゃんがそう言ってくれるなら、私はそれを待つよ、期待して待ってる」

「ああ、約束だ!」

「うん、約束だね!」


 俺は雫から、溢れんばかりの勇気を貰って通話を切った。そして気合を入れ直すと、その日に向けて備える事にした。




 心臓が高鳴り額に汗をかく、こまめに拭いてもまた滲んできてしまう。俺は椅子に座ってその時を待ち続けていた。


 がちゃりと扉の開く音が聞こえた。ビクッと体が反応して固まる。


「光輔くん、いらっしゃったよ」


 先生は俺にそう一言かけると、コツコツと歩きだした。一人分の足音ではなく、ついてくる二人分の足音も聞こえてくる。


 そんな気はないのに、咄嗟に顔を伏せてしまった。目を合わすのが怖い、反射的にそう思った。


 とすっと音が聞こえた。俺の向かいには今、父さんと母さんがいる。その事実だけで気が動転してしまいそうだ。


 でも、先に進むとそう決めた。俺は顔を上げた。


「光輔、久しぶりだ。大きくなったな…」

「ええ、本当に、立派になったわね」


 俺が想像しているよりも、父さんと母さんは別れた時のままだった。年齢や時間の流れを感じさせない、そのままの姿だと思った。


「…父さんと母さんは変わらないね」

「そんな事はないさ、白髪だって増えたし、目も老眼鏡に頼りつつある」

「私だって小じわが目立つでしょ?ほら目元とか」

「端から見たら全然分からないよ、俺の…記憶のままの父さんと母さんだよ」


 震える声を必死に抑えて俺は話し続ける。震える原因は様々あるのだろうけど、今はそんな事を考える余裕はなかった。


 二人と対面して会話を交わす。これだけで奇跡に近い出来事だった。


「今日は貴重な機会をくれてありがとう、光輔、並大抵の決意ではなかっただろう?」

「そうだね、すごく勇気が必要だった」

「無理は、してるに決まってるわよね…」

「うん、でもこの無理は駄目な無理じゃない。前に進む為の無理だ。だから、父さんと母さんと今日会えた事は、本当に嬉しいんだ」


 俺は本音をちゃんと言葉にできていただろうか、言いたい事は言ったけれど、不安になるくらい自分の声が震えているのが分かった。


「…さっき忠弥に会って話してきたよ。光輔の事、色々な事、ありがとうって言ったら、それを言うのは俺たちの方だって、あいつそう言ってた」

「叔父さんが?」

「うん、かけがえのない時間を過ごさせてもらってるのは自分達の方だって、家族として誇らしい息子だって、俺はそれを聞いて嬉しかった。光輔から、家族まで奪うことをせずによかったって、そう、そう思ったんだ」


 父さんの声は最後になるにつれて湿り気を帯びていた。きっと俺が、家族という関係すらも拒絶してしまうようになる事を心配していたのだろう。父さんの思いに触れて、俺も涙が出そうになりぐっと堪えた。


「父さん達は俺から何も奪ったりしてないよ、俺が勝手に失ったんだ。だけど、それだって取り戻せるって教えてくれる人達がいた。だから今ここに俺はいる」

「そうか…、良い出会いに恵まれたな」

「うん。俺の宝物だ」


 そう言って俺は父さんに笑ってみせた。上手に笑えているか分からない、だけど精一杯の笑顔を見せたかった。


 父さんはそれを見て、目を丸くして驚いた。しかし、すぐに柔和な表情に戻って俺に言った。


「光輔の、その笑顔が見られただけでも、父さんは今日ここに来てよかったと断言できるよ」

「そうかな?俺、今笑えている?」

「ああ、こんなに素敵な笑顔は見たことないさ」


 頬に水が伝うのを感じる、それでもこの笑顔が素敵だと言ってくれた事が嬉しくて仕方がなかった。だからこれは、嬉し涙という奴だろう。


「光輔、あなたこんなに強くなったのね…」


 母さんはしみじみとそう言った。俺は涙を服の袖でごしごしと拭き取り、母さんの顔を見る。


「あなたの強さに比べたら、私は本当にちっぽけだわ。でも、同時にとても嬉しいと思ってる。あなたの成長をこの目で見れた事がとても嬉しいの」

「俺を成長出来たのは、周りに支えてくれる皆がいたからだよ。そして何より、かけがえのない人が出来たんだ。俺の命と同じくらい大切な人」

「…五十嵐雫さんね」

「雫が俺に変わる切っ掛けをくれた。それと、今日ここに至るまでの道筋を一緒に作ってくれたのも、雫のお陰なんだ」


 最初は自分のエゴと傲慢さから始まった。しかし、雫を知っていく程に、自分と周りの違いが浮き彫りになっていった。客観的に自分の事を見る事が出来るようになった。


 そして友人が出来た。楽しい事ばかりじゃなかった。難しくて面倒な事だって増えた。だけど、彼らとの時間がない俺を、俺はもう想像が出来ない、それほどに大切で重要な友人になった。


 俺の周りの頼れる大人達は、俺を決して押さえつけようとはしなかった。見守って、考える時間をくれた。その思慮深さと、慈愛の心に気がつく事が出来たのは、人との関わりを大切に思えるようになったからだった。


「俺はまだ、きっと心が癒えきってはいないと思う。寧ろこの傷は、一生負っていくものかもしれない。だけど、今の俺はその事を悪い事だと思わない。それを受け入れて悩み迷い続ける事は、決して悪い事だけじゃないって知っているから」

「光輔…本当に、あなたはっ」


 母さんはばっと口を手で押さえた。せき止められていた涙が溢れて止められなくなったかのように流れだした。父さんは、母さんの背にそっと手を置いて、涙をハンカチで拭ってあげていた。


 俺は意を決して口をきゅっと結ぶと、自分の両手を両親の前に差し出した。その行動に困惑する父さんに、俺は言った。


「片手ずつ、掴んでみてくれないかな?」

「それは…」

「大丈夫、先生もいるし、何よりも俺がそうしたいと思ったから」


 一応俺は先生の顔を伺った。それに気がついた先生はゆっくりと深く頷いた。大丈夫だと背中を押してもらっているようだった。


 父さんと母さんは、恐る恐る俺の手に自分の手を伸ばした。その手が近づくと、俺は小刻みに震えてしまったけれど、父さんも母さんも同じように震えている事に気がつくと少し落ち着いた。


 両手を包み込む温かな感触が伝わる、大きくて固い手のひらは、俺の手をぎゅっと力強く握りしめていた。


 もう片方の手は俺よりも小さくて、両手で包み込むように優しく握っていた。俺の事を気遣う心が、手からも伝わってくるようだった。


「俺は居るよ、ここに居る。父さんと母さんの息子は、ここにちゃんと居るからね。何度消えたってもう構わない、俺は、何度でもこの手を差し出すから。その時はまた握ってくれるかな?」

「ああ…ああっ!勿論だ!必ず!必ず手を取って見せるさ!」

「私達の記憶は信用できなくても、私達の心はいつでもあなたの側にいる。絶対に、絶対にだからね」


 俺たちは涙でぐしゃぐしゃな顔を互いに見つめ合った。それを見て俺は思った。何度だって家族になれる、それは何が消え去ろうとも関係ない、そう確信できた。


 父さんも母さんも、叔父さんも梢さんも、全員俺の家族だ。助け合って、手を取り合って、そうして生きていくんだ。俺は手の温もりからそう教えられた気がした。

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