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追憶の宝石  作者: ま行
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家族の形

 海で過ごした思い出は、決して忘れられない大切な思い出となった。友達と一緒に、何より恋人と過ごす夏を俺が体験するなんて夢にも思わなかった。


 いつもの日常とはまるで違う非日常、夢心地の時間だった。大忙しで大変だったけれど、それすらも今はよかったと思えた。


 帰り道、車に揺られて俺たちは皆寝てしまっていたらしい。マスターには運転を任せきりで申し訳ない気持ちだったが、当の本人はそんな事を豪快に笑いすてた。


「俺は嬉しかったよ、皆のお陰で楽しい時間を過ごす事が出来た。こんなオジサンの手伝いをしてくれてありがとうな」


 そう言われたけれど、お礼を言うのはこちらのほうだ。マスターのお陰で貴重過ぎる体験が出来た。大満足の夏をくれた事を俺たち皆忘れないだろう。


 こうして俺たちは海から帰り、それぞれの日常へと戻っていった。




「…という事があったよ」


 俺は帰ってからすぐに、父さんと母さんに電話をした。いち早くこの思い出を伝えたい、熱をそのままに伝えたいと思ったからだ。


「そうか、いい経験が出来たな光輔」

「うん、すごく楽しかったよ父さん」

「シーグラスの事、覚えていてくれたんだな…」

「…うん、大切な思い出だったから」


 父さんはゆっくりと呟くように言った。そこにどんな思いが込められていたかは分からない、でも、確かに二人を繋ぐ絆の一つだ。


「パニック症状は出なかった?人が沢山いたでしょう?」

「うん、俺はずっと裏方させてもらったし。薬でちゃんとコントロール出来るから」

「そう、皆さん配慮してくれたのね。ちゃんとお礼は言った?」

「大丈夫だよ、皆事情も知ってるし」


 母さんは俺の体調をすぐに気遣ってくれた。暑さと人の多さで俺の体調が崩れるのを心配してくれている、それが分かると、くすぐったいけれど嬉しかった。


「父さん、母さん、ちょっといいかな?」

「どうした?」

「近い内に、東条先生に立ち会ってもらって、その、会えたらいいなって思っているんだ。まだ相談してないんだけど、どう思う?」


 会いたいと俺の方から言われるとは思っても見なかったのだろう、二人共暫し言葉を失っていた。喋りだすまで少しドキドキとして待つと、母さんがまず言った。


「…私は、私はまだ少し怖いわ」

「母さん」

「会いたい、光輔に会いたい気持ちは誰にも負けない、だけど、あなたを傷つけてしまうかもと思うと怖いのよ」


 それは俺も怖い、大丈夫だと思っていてもその時になってみないと分からない、言っておいてなんだが、不安しかないのは事実だ。


「光輔、兎にも角にもまずは東条先生に相談してからだ。その判断に委ねよう」

「ごめん、気が急いたかな?」

「そんなことはないさ、会いたいと申し出てくれたことはとても嬉しかった。父さんも母さんも気持ちは一緒だ。光輔のその言葉だけでも、父さんは満足してるよ」


 父さんにそう言われて俺は嬉しかった。やっぱり少々気が急いてしまったと思っていたので、父さんのその言葉だけでも気が楽になった。




 受診の日、俺は早速先生に相談をした。そして返ってきた言葉は。


「いいんじゃない?」


 とてもあっさりとしたものだった。話が話だけに同席していた叔父さんと梢さんはずるっと体がずり落ちた。


「先生っ!そんな簡単にいいんですか!?」


 俺ではなく真っ先に叔父さんが反応した。そう言いたくなる気持ちは分かる。


「そんな簡単でいいんですよ。まずは光輔君がその気持ちになってくれた事が大切な事です」

「で、でもですね」

「ご心配は分かります。でも、それを一番よく分かっているのは光輔君本人では?」


 先生の言葉に叔父さんは押し黙った。言っている事がもっともだと思ったのだろう、そして先生は梢さんに話しかけた。


「梢さんはどう思いますか?」

「私は…そうですね…」


 梢さんにしては歯切れの悪い返事だと思った。俺が梢さんの顔を見ると、答えを迷い困っているように口を手で覆っている。


「こうちゃんが心配なのは本当です。そして、先生の仰っている事も正しいと分かっています。でも、私は…」

「…ご主人と光輔君には部屋を出てもらいましょうか?」

「えっ?」


 先生の提案に、思わず俺と叔父さんの声が重なった。梢さんはふるふると頭を振ると、先生に向かって言った。


「いえ、家族の話です。家族の前でちゃんと話します」

「それでは不安に思っている事を教えてください」

「私は…、私はこうちゃんが家から居なくなってしまう事を不安に思っています。離れたくない、浅ましくもそう思ってしまうのです」


 梢さんの言葉に一番驚いていたのは叔父さんだった。椅子から立ち上がって何かを言おうとする前に先生が動いた。


「待ってください、まずは落ち着きなさい。ご主人の言いたいことは分かります。ですが、梢さんの言う通りこれは家族の話です」

「でもっ!」


 それでも叔父さんは収まりがつかないようだった。俺は叔父さんの腕を掴んで引っ張った。


「光輔…」

「叔父さん、俺は梢さんの話が聞きたいよ」


 こうしてようやく叔父さんは椅子にもう一度座った。それを待って梢さんはまた話し始めた。


「こうちゃんの保護者となって、母親のように接してきたつもりです。他のどの子の母になれなくても、こうちゃんにとって一番のお母さんになろうと努力しました。誰にも劣らないと断言出来ます」

「はい、とても立派に努められていると思いますよ」

「だから、だから怖いのです。私達の家から、こうちゃんがいなくなってしまう事を想像すると、たまらなく怖くなる。もし、今のこの幸せがこの先にないのを自覚してしまうと、不安で心が押しつぶされそうになります」


 梢さんの固く握りしめた拳の上に、小さな水滴がぽたぽたと落ちてきた。顔は真っ直ぐに先生を見ていても、その瞳からは涙が零れ落ちていた。


「梢さん…」

「分かってるの、分かってるのよこうちゃん。この生活がいつまでも続く訳じゃない、いつかこうちゃんは本当の親の元に戻るんだって、それが一番大切な事だって分かってる。だけど…」


 そこから先は言葉に詰まってしまって梢さんは話せなかった。俺は、梢さんのそんな不安に気がつくことが出来なかった事を酷く後悔した。誰よりも俺の側で俺の事を思っていてくれたのに、俺はとんだ恩知らずだ。


「梢さん」

「はい、先生。分かっています。こんな事言っちゃ駄目ですよね」

「いえ、分かっていませんよ。梢さん、あなたの考えは間違いじゃありません」


 先生がそう言うと、我慢できなくなったのかいよいよ叔父さんが立ち上がって声を荒らげた。


「先生!それは違います!間違っています!同情や、肩を持ちたいとか、そんな無責任な気遣いだとしたら、それはとんでもない大馬鹿者です!光輔の、光輔の本当の親は兄貴達夫婦です!俺たちじゃない!」

「はい、それもその通りです」


 さも当然かのように簡単に言い放つ先生に、叔父さんは出鼻をくじかれたようで、またしても体からガクリと力が抜けた。


「先生、からかっているんですか?」

「とんでもない、大真面目に言っています。そもそもですね、人を大切に思う気持ちに正しいも何もないんですよ。二人の愛を光輔君が受け止めている、それが一番大切な事です」

「うっ、そ、それは」

「いいじゃないですか、父親と母親が何人居ても。大事な事は子供がそれをどう受け止めているか、そうじゃありませんか?」


 そう言うと、先生は俺の方に向き直った。


「光輔君に聞きます。君はお二人の事をどう思っていますか?」

「俺は…、俺は二人の事を、両親と同じように大切に思っています。俺の、大切な父さんと母さんです!」

「光輔、お前…」

「叔父さん、前にも言ったけれど、俺にとって叔父さんはもう一人の父さんだ。梢さんはもう一人の母さん。俺は同じくらい大切に思っているよ、俺たちは家族でしょ?」


 叔父さんは下を向いて目頭をぐっと押さえた。しかしその背中は大きく上下して震えていた。静かな嗚咽の声が叔父さんから漏れ聞こえた。


「お二人の愛情は光輔君にちゃんと届いています。その力と支えがあってこそ、私は一歩踏み出す彼に太鼓判を押せるのです。家族の形に正解なんてありませんよ、ゆっくりと探して行きましょうよ」


 その言葉に、叔父さんも梢さんも、泣きながら言葉もなく頷いた。俺は二人からもらった愛情を胸にいだき、覚悟を新たにして父と母に向き合う事を決めた。

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