準備と期待
諸々の学校行事を終えて夏季休暇に入った。その間も夏期講習等の勉強に関する行事が逐次あるものの、基本的には生徒達は学校からは開放される事になる。
俺としては毎日をいつも通り過ごすだけだ、アルバイトも勉強も、結晶解離病についての事だって、もう習慣化している。やって当たり前の事をやり続ける事はそう難しくない、自己を律するのが大変だと校長先生は長々と喋っていたが、俺にとっては何の意味もない言葉だった。
しかしいつもの毎日に大きな変化があったのも事実だ、それは当然雫の存在だった。俺たちはもう普通に互いの家を行き来するようになっていた。
叔父さんと梢さんは雫の事を我が子のように可愛がっていた。特に梢さんの溺愛ぶりは相当なもので、雫もまた梢さんによく懐いていた。
一方で俺には霞さんがべったりだった。そしてその霞さんと雫が喧嘩するまでが一連の流れで、俺はその間に挟まれてただ困っている状況が続いた。
そんな俺達は課題を片付ける為にファミレスに来ていた。量はそれほど多くはない、そもそも大量に問題を解かせた所で身につかなければ無意味だ。これは休暇中でも、どれだけ自己を律して計画的に課題を進める事が出来るかのテストのようなものだ。
突然、向かいに座っている雫が言った。
「私最近悩んでるんだ」
「どうした?結晶解離病絡みか?」
「違う違う、うちのお母さんと梢さんを交換してほしいって悩み」
飲みかけていたジュースを吹き出しそうになって慌てて飲み込んだ。そのせいで盛大にむせる。雫が背中をさすってくれてやっと落ち着いてきた。
「ごほっ!げほっ!ったく、とんでもない事に悩んでるな」
「現実的な話じゃないよ、そもそも交換したらしたで嫌だし」
「ん?どういう事だ?」
「梢さんがお母さんになったら最高だけど、こうちゃんをお母さんを近づけたくない」
成る程そういう事か、しかし意味のない悩みだ。それでもちょっと理解は出来る。
「無理だと分かっていても想像してしまう事はあるよな」
「そうそう!お母さんって何事も距離感が近いでしょ?だから梢さんくらいの丁度いい距離感が欲しいなって」
「まあでも、霞さんはあれが霞さんだから」
「だから困ってるんじゃない…もう」
雫が言う距離感が近いというのは、物理的と心情的にという意味だ。兎に角霞さんは近い、グイグイ来る。多分元々そういう人なんだと思う、生まれついての性格はそうそう変えられないものだ。
「お母さんってどうしてあんなに近いんだろう?」
「俺に対しても近い理由は分からんが、雫に対してそうある理由は恐らく分かるぞ」
「えっ?ホント?」
俺の言葉に雫は身を乗り出して驚いた。ずいっと顔が近づいてきて俺はごほんと咳払いをする。
「あっとごめんごめん」
外では慎みをもってと決めたのは雫だ、雫が身を引いてから俺は話す。
「…親の愛って子供にはよく分からないよな、俺だって分かったとは言えないし、叔父さん達の愛情だって全部受け取れているとは思わない」
「うん」
「でも俺はちょっとだけ特殊な理由で、親と離れて暮らす事になった。それで、少しだけ遠くから冷静に親の愛を観察する機会があった。その時気がついたんだ、親の愛って近くても遠くても不安や心配から生まれるって」
「不安や心配?」
雫は俺の言っている事の意味が分からないというように首を傾げた。それを見て俺も続ける。
「相反するように思えるだろ?だけどな、どこにいたってどんな状況だって、親って子供の事が心配なんだ。無理をしていないか、何か不具合がないかって不安なんだ。その事が子供にとってはお節介のように感じられる、愛情からくる行為でもな」
「まあ確かにそうかも」
「霞さんは少しでも近くにいて、すぐにでも助けになりたい。梢さんはちょっと離れた所にいて、助けてって顔するまで見てる。どっちも正しいし、どっちも人によっては感じ取り方が違うよな」
前者はべたべたと鬱陶しいとなりかねない、後者は時には何ですぐに助けてくれないんだと薄情に思いかねない、そしてその距離感を計るのが難しい。
「俺の母さんは、多分今でも一緒にいたら霞さんのタイプに近かったと思う。世話焼きなんだ色々と、梢さんと比べると母さんが色々と手を出したがりだったのがよく分かったよ」
「…そっか」
「霞さんは雫の事が心配なんだ。どうしたって結晶解離病が頭にちらつく、加えて生来の人の懐に飛び込む性格が相まって、雫にしてみればちょっと鬱陶しく感じるんじゃないかな?」
「…まあ私も、全部が全部嫌って訳じゃないけどね!お母さんが心配してくれてるのは分かってるし!」
俺はちょっと強がってそう言う雫を微笑ましく見つめた。きっと霞さんは雫が鬱陶しいと感じているのも分かっていると思う、それでも一緒にいたいと考えているんじゃないかと俺は思った。
「でもこうちゃんにあんなにベタベタするのは止めさせる!絶対に!」
「それは俺からも頼むよ…ホントに…」
「こうちゃんもビシッと言えばいいの!近づくなって!」
「んな事言えるか!」
彼女の母親にそんな口の聞き方は出来ないし、そもそも俺は霞さんを相手にすると弱くなる。雫に似ているのもそうだが、絶妙に断りにくい事を言ってきたりする。あれが計算されたものだとしたら、絶対に敵わない。大河さんが霞さんに甘くなると言った気持ちがよく分かった。
そんな話を挟みつつ、俺たちは課題を進めた。場所を変え喫茶ヤドリギへ、その後は叔父さんの家へと移り、結局一日かけて半分も終わらせてしまった。
「呆れた。あんたら二人集まったのに勉強だけしかしなかった訳?」
「うるさいな、いいだろ別に」
夜、北村から電話があって、ついでのように今日の出来事を話した。そして呆れられた。なんて理不尽な話だろうか。
「それが恋人同士の過ごし方?」
「うぐっ、まあ、ちょっと華がないとは俺も思うが…」
「ま、それでも雫は楽しんだと思うわよ。光輔と一緒にいる事が一番なんだからさ」
そう言われると悪い気はしなかった。俺は電話で見えないからと、少し口元が緩んだ。
「何ニヤニヤしてんのよ!」
「なっ!北村お前見えてるのか!?」
「馬鹿ね、カマかけたのよ。こんなに見事に引っかかるとは、光輔もまだまだね」
してやられた。もう雑談は止めて話を先に進めよう。
「で?本題は?」
「ああそうそう、光輔の事もあるし現地集合って訳にもいかないでしょ?電車の乗り継ぎもあるし」
それは最難関だ。下手したら俺は現地にはたどり着けない。
「すまんな、俺はここで終わりのようだ」
「だからマスターに頼んで車用意してもらったから、朝ちょっと早いけど喫茶ヤドリギ前に集合してね。そこから車で移動、いいわね?」
「あの人、そんなでかい車持ってたっけ?結構な人数だぞ?」
「私は知らない人だけど、雷太さん?って人が貸してくれるそうよ。仕事柄大きい車が必要なんですって」
雷太、外谷さんの事か。確かにあの人なら所有してそうだ。各地を移動して様々な物を買い付けていると聞いた事があった。
「成る程ね、その人はマスターの友達だよ。俺も顔見知りだ」
「そうなんだ、じゃあより安心ね。あっと、えっと、保護者の方の許可はもらった?」
北村が言葉を選んで選んでやっと保護者という単語を引き出していた。気を使ってくれたのだろう、別になんて呼び方でもいいのにとは思ったが、その気遣いがちょっと嬉しかった。
「実はマスターってうちの理容室の常連さんなんだ。だから手伝うって言ったら難なく許可が出たよ。寧ろ率先して行ってこいって」
「なら大丈夫そうね、じゃあ日時時間場所、またメッセージで送っておくから。しっかり確認して準備しておくように!またね!」
ああまたと言って俺は通話を切った。北村のお陰で万事抜かり無くことが進んでいる、とても優秀で勤勉だ。
夏の本番が近づいてくる。長期休暇だろうと特にイベントもない俺にとって、今回の友達との計画と遠出は刺激的で新鮮な一大行事になるだろう。
「大雨や台風が来なきゃいいけど」
自分で言っておいて馬鹿な話だが、言葉にすると本当に来そうに思えてきた。机の引き出しからハサミやタコ糸を取り出すと、作ったのは何年ぶりか、てるてる坊主を俺は窓際に飾った。




