記憶の飾り
五十嵐家を訪れてようやく人心地ついた。霞さんのお墨付きをもらい、大河さんからは励ましをもらい、二人がそれぞれの愛情を雫に注いでいるのがよく分かった。
最初はどうなる事かと思ったし、大河さんに霞さんの手を握ってしまった場面を見られた時には地獄の釜の蓋を開けてしまった思いだった。
大河さんが冷静で話の分かる優しい人でよかった。こう言っては何だが、霞さんと大河さんは見た目と性格が真逆というか、ミスマッチというか、兎に角温度差に幅がありすぎて風邪をひいてしまいそうだ。
雫が隣に座ってくれているだけでこんなにも安心感があるのかと、俺は改めて雫の存在に感謝していた。叶うことならずっと手を握っていたいくらいだ。
「雫、足大丈夫か?痺れてたみたいだけど」
「大丈夫だから!蒸し返さなくていいから!」
恥ずかしそうに顔を手で覆っていた。別にあんなの失態でも何でもないのに、よく分からない恥じのラインだな。
「あっ、そうだこうくん。これ私が持ちっぱなしになっちゃった。返すね」
そういえば返してもらうタイミングがなかった。俺は霞さんからネックレスを受け取った。
「すみません、持たせたままになってしまいまして」
「ううん、いいの。それより雫に渡してあげて」
雫は一瞬何のことだか分からないような顔をしたが、すぐに今日俺がここに来た本題を思い出したようで、顔をぱっと明るくした。
「もしかしてそれが?」
「うん、不格好だけど。よかったら…」
俺は雫に自分が作った雫のメモリージュエルを手渡した。ネックレスを手にとって、ついている宝石を目を輝かせて見つめている。
「凄く綺麗…」
「手作業だし、そこまで上等な物じゃないけど」
「そんな事ない。私には分かるよ、これは世の中のどの宝石より綺麗…」
そこまで言われると照れる以上に気が引けてしまう、流石に言い過ぎじゃないか、そう雫に言おうとして俺は驚いた。
雫は静かに涙を流していた。自分の涙にも気が付かない程、本当に静かに涙が頬を伝っていた。
どうしたらいいか分からなかったが、俺はハンカチを取り出すと雫の涙を拭いた。それでようやく涙に気がついたらしく、雫は少し微笑みながらありがとうと呟いた。
「今のは拭いてもいい涙?」
「ふふっ、それ覚えてたの?」
「忘れるものか、俺が雫に恋していると気が付いた切っ掛けだ」
俺がそう言うと、霞さんの「あらっ」という声が聞こえた。俺は二人が目の前にいるのにとんでもない事を言ってしまった。顔から火が出る程恥ずかしくて、今度は俺が手で顔を覆った。
「やっぱりいいわねこうくん、私ますます好きになっちゃった」
「母さん、またそんな言い方…」
「大丈夫よ、ラブじゃなくてライク。嫉妬したのパパ?」
二人は楽しそうにじゃれ合っているが、俺はそれどころじゃなかった。こんなに恥ずかしい事他にあるか、そう思っていると服の袖をくいくいと引っ張られているのに気がついた。
「ねえ」
勿論相手は雫だ、俺は恥ずかしがるのをやめて雫に向き直る。
「どうした?」
「これつけて」
雫は俺にネックレスを渡すと、俺に背を向けて髪をかきあげた。近くで見る事のないうなじが見えて、俺は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
留具を外して首にネックレスをかける、なるべく触れない方がいいだろうかと、慎重にネックレスをとめると、雫に出来たぞと声をかけた。
まとめていた髪を下ろし、手ぐしで軽く髪型を整える。その一連の仕草だけでも美しい、背を向けていた雫が俺の方へ向いて胸元に手を置いた。
「どうかな?に、似合ってる?」
「ああ、すごく綺麗だ」
雫の白い肌に鮮やかなオレンジ色が映える。心から綺麗だと思った。今度は恥ずかしくもなんともない、よく似合っているし綺麗だと断言出来た。
「お父さん、お母さん、見て。私の記憶の宝石だよ。こうちゃんがその記憶を取り戻してくれて、皆とのわだかまりも消し去ってくれた。そして、こんなに輝かせてくれたんだ。私の記憶、綺麗でしょ?」
俺は雫のその言葉に涙が出そうになった。いや、涙腺はもう崩壊寸前だった。しかし俺より先にしゃくりあげて泣く人がいて涙が引っ込んだ。
泣いていたのは大河さんだった。背中を丸め、雫の手を握り、体を震わせて大粒の涙を流していた。何か伝えたいのか言葉を発しようとするも、涙に遮られ声にならない。
そんな大河さんの背中を優しくさすって、霞さんは目元を指で拭った。そして俺を方を向くと、にっこりと笑顔を作って言った。
「ごめんなさいねこうくん。少しだけ時間を頂戴」
俺はただ頷いて答えた。
大河さんが泣き止むまで俺は黙ってその様子を見守った。雫も霞さんも、言葉を発する事はなかった。
「みっともない姿を見せたね」
泣きはらした目で大河さんはそう言った。俺は首を横に振ってその言葉を否定する。
「そんな事ありません。絶対にです」
「…ありがとう」
霞さんはまだ大河さんの背を優しくさすっていた。二人の関係性の深さが伺い知れる。
「僕はね、本当は雫と同じようにその宝石を良く思えなかった。もっと言えば憎々しく思っていたと言っていい。この小さな石の欠片に、雫の大切な記憶を閉じ込めるなんてと思っていた。希望があると医者に説得されて、保管する事も渋々許可したんだ」
「そうだったの?」
雫が大河さんに聞いた。どうやら雫も聞いたことのない話らしい、本音を隠して自分を偽るのはよくある事だ、愛娘の事なら尚更だろう。
「私はパパと逆の意見でね、その宝石を諦められなかった。雫の記憶がこの中にあるのなら、いつかきっと取り戻せる日が来る筈って、そう思っていたの。だから、こうくんに宝石を全部渡すと言い出した時は焦ったわ、信用に足る人間かどうかってね」
霞さんの意見ももっともだと思う、親として、子供の貴重な記憶を他人に渡すなんて事は悪夢に近いと思う。想像の域は出ないが、霞さんは恐らくその時から俺の事を調べ始めていたんじゃないかと思った。
「…雫が結晶解離病を発症した時の事を聞いた事あるかい?」
「ええ、大河さんが体の動かし方を教えてあげたと聞きました」
「僕は怪我が多かったからね、ストレッチだとかリハビリだとかに詳しくなったんだ。あの時、記憶の宝石を見つけたのは僕だ」
沈痛な面持ちのまま大河さんは語った。
「信じたくなかった。嘘だとか夢だとか、兎に角現実逃避していたと思う。でも、知識として聞いていた症状とあまりに合致していた。何故雫が、何故こんなって誰ともなくずっと問い続けたよ」
「…軽々しく言える事じゃないと思いますが、その気持ちは俺にもよく分かります。誰にもぶつけることの出来ない、不安や悲しみや怒りが、頭の中で渦を巻いている、俺はそんな気分でした」
「辛いことを思い出させてしまったかな?」
「いえ、この思い出はもう俺の一部です。飲み込んで、消化しきれないけど、ずっと一緒です」
俺が両親の中から一度完全に消えた事実は変わらない、だけど、二人は俺にとっての実の両親である事も変わらない。この考えに至る事が出来たのも、雫と関わりを持ったお陰だ。今はまだ完全に一緒とは言えないけれど、それでも着実に進んではいる。
「君は本当に強く真っ直ぐな子だ、僕は君の事を尊敬する。今の今まで僕は雫の病気を本当の意味で受け入れてこれなかった。でも、綺麗に磨かれた宝石と、それを身につける雫を見て思った。病気になった事は悲しいけれど、絶望する理由にしては駄目だ。今出来る事を探して最善を尽くす。日々の生活と何も変わらない、そうだろう?」
俺は大河さんの言葉に頷いて答えた。それを受けて、大河さんは満足そうな笑みを浮かべた。
「母さん」
「何?パパ」
「雫は素敵な恋人を見つけたと思わないかい?」
「そんなの当たり前でしょ、だって雫は、私達の自慢の娘ですもの」
霞さんはそう言って俺たち二人にウインクした。俺と雫は顔を見合わせると、手を取り合ってふっと微笑んだ。この時間が、この関係が、雫の暖かな手の温もりが、永遠に続けばいい、俺はそう思った。




