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追憶の宝石  作者: ま行
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五十嵐雫の母親

 私は長い間部屋で待たされてうんざりしていた。お母さんは一体いつまでこうちゃんと話すつもりなのだろうか、初対面であんなにべたべた近づいていって、あまつさえ軽々しくこうちゃんって呼んじゃって。


 この事は忘れまいと殴り書くようにノート一杯に文句を書き連ねた。簡単に消せると思うなよ結晶解離病め、私はしつこく抗ってやるからな。


 部屋の扉がノックされた。お父さんかなと思ったら、意外な人の声が聞こえてくる。


「雫、ちょっといいかしら?」

「お母さん?」


 いつもだったら特にノックもせずに入ってくる。もう私は慣れたからいいけど、お母さんにしては珍しい行動だった。


 扉を開けるとお母さんが立っていた。これまた珍しい事に少し落ち込んでいる。部屋の中に招き入れて、私達は適当な場所に座った。


「どうしたのお母さん?それにこうちゃんは?」

「今はパパと話ししてる。もうちょっとだけ待ってあげてね」


 それについては構わない、元々お父さんが話があるって事だったし、お母さんがいつも突飛だから悪い。


「お母さんこうちゃんに変なこと言ってないよね?」

「変なことって?」


 ぱっとは思いつかないけれど、お母さんだから私の恥ずかしい思い出を沢山知っている。私の居ない所でそれらを暴露されてたら最悪だ。流石にそんな事しないと思いたいが、如何せんこのお母さんだから安心は出来ない。


「フフッ、心配しなくても雫の恥ずかしい過去は喋ってないわ。そういうのはいつかあなたの口から教えてあげなさい」

「えっ?う、うん…」

「なあに?どうしたのよ、歯切れが悪いわね」


 何だかお母さんがいつもの調子じゃない、私がムキになりそうな軽口を挟んできそうなものなのに、そうせずにいる。


「ねえ?何かあった?」

「何かって?」

「そうやってはぐらかさないでよね。様子がおかしい事は分かるんだから」


 私がそう言うと、お母さんはハァと大きな溜息をついた。


「やっぱり娘には通じないわよね。表情を隠すのは得意なんだけど」

「それは仕事の話でしょ?これは家族の話なんだから当たり前でしょ」

「…そうね、確かにあなたの言う通りだわ」


 お母さんは私に優しく微笑んだ。こうちゃんを長い間占領していたから、私はそこそこ怒っているのだが、取り敢えず矛を収める事にした。


「それで、何に落ち込んでいるの?」

「…怒らない?」

「内容による」


 沈黙が流れた。お母さんがここまで葛藤するのもこれまた珍しい、大抵のことは即断即決の人で、何事にもスピーディーなのに。


「こうくんにね、その、雫と別れなさいって言ったの」

「はあ!?」

「ヒィィ…怒らないでぇ…」

「怒るに決まってるでしょ!?こうくんって何!?勝手にあだ名つけないでよ!」

「えっ?」

「えっ?」


 怒る私にお母さんが困惑の表情を向けるので、私も思わず怒りが冷めてしまった。


「あれ?雫は、勝手にあだ名つけた事の方に怒ってるの?」

「ん?他の何に怒ればいいの?」


 どうにも話が噛み合わなくて二人とも混乱してきた。一度内容を整理する必要があるなと思い、私は床に座布団を敷くと、お母さんと向き合うように正座した。




 お母さんも居住まいを正し正座した。まだ少しオドオドしているけれど、段々元の明るさが戻ってきたようにも見えた。


「雫は私がこうくんに別れなさいって言ったこと怒ってないの?」

「だからこうくん…。はあもういいや。その事については全然怒ってないよ」


 予想外の答えだったのか、お母さんは目を丸くした。


「だ、だって雫、こうくんの事好きなんでしょ!?今まで彼氏のかの字も聞かなかったのに、こうくんの事は楽しそうにいつも話してるじゃない!」

「そうね、これ以上ないってくらい好きよ」

「じゃ、じゃあ、勝手に私がその関係に口を挟むのってとっても失礼な事でしょ!?雫は怒っていいのに何で…」


 今度は私が大きな溜息をついた。そんな心配になるくらいだったら言わなかったらよかったのに、まあ、お母さんにそれは無理な話だけど。


「聞いてよお母さん、私、何でそんな事言ったのか理由分かってるよ。お母さんは私の事を大事に考えてる、だからこそ傷つく前に行動したかった。違う?」

「違いません、その通りです」

「ほらね、流石に何でもお見通しって訳にはいかないけど。娘なんだからこれくらいは分かるよ」


 私は笑ってそう言ったが、お母さんの方はまだ浮かない顔をしていた。言うまいと思っていたが口に出す。


「後悔するくらいだったら言わなかったらよかったじゃん」

「それはっ…そうだけど、出来ない」

「それも分かってる。私だけじゃなくてお父さんもね」

「うぅ…」


 お母さんは見当違いの反省をしているようだった。私の事が心配なのは当たり前だし、それが愛情だと私は知っている。だから怒る事なんて何一つない、あだ名の件は別としてだけど。


 それに、もう一つ重要でもっとも信頼出来る考えが私にあった。


「お母さん、こうちゃんの事甘く見すぎてたね。どんな事言われても、何を条件に出されようとも、こうちゃんは絶対に私と別れない。それを知ってるから怒る必要もないんだよ」

「そんなの、そんなの分かりようがないじゃない。あなたの願望でしょ?」

「違うよ、本当に分かってるの。私かこうちゃん以外の人に、私達二人の仲は引き裂けないよ。何でか分かる?」


 お母さんは怪訝な表情を浮かべて首を横に振った。


「お母さんの懸念してる事や想像してる事は、もう全部こうちゃんは体験してるし、思いついてる。だって常に結晶解離病について考えてたんだよ?しかも実の両親の為に。お母さんの私への愛情は誰にも負けないけれど、こうちゃんの家族を思う気持ちも誰にも負けないの」


 本来その気持ちには差なんてない、誰だって同じように思う事だ。形は人それぞれだけど、説明のつかない絆が確かにそこにある。


 こうちゃんはそれを他の人より少しだけ大切にしている。それは自分の体験も、心の傷も、性格も、考え方も全部含めてのものだ。どんな難題にだって折れる事のない意思がある。


「ねっ?こうちゃんの愛にお母さんの愛は負けずとも劣らないでしょ?私はほんの少しこうちゃんの近くにいるからそれを知っていたの。だから何も心配する事なかったんだ」


 私が説明し終えると、お母さんはがくっと俯いた。傷つけるつもりはなかったけれど、気に障る事は言ってしまったかもしれないと私が焦っていると、背中が小刻みに揺れていた。


「お母さん?」

「ふふっ、あははっ、あっはっはっは!」


 突然お母さんは大口を開けて笑い始めた。


「こ、壊れちゃった?」

「失礼ね!壊れてないわよ!」

「あ、よかった」

「でも、ふふっ、そうか、そうよね。親の心配より早く子供は成長していくのよね。私もまだまだね」


 どうやらいつものお母さんに戻ったようだった。一安心して私は満を持して話を蒸し返した。


「じゃあこれでお母さんの懸念は終わりね!こうちゃんのあだ名を勝手につけた事、そっちの話をしようか?」

「雫ちゃん、怒ると折角の可愛い顔が台無しよ?眉間にシワが寄った顔、こうくんに見せられるのかしら?」

「また言った!こうくんって!また言った!こうちゃんだって私がつけたあだ名でもないのに!ずるい!」


 私はお母さんに飛びかかろうとした。お母さんはそれを避けようとした。二人とも今まで正座をしていた事をすっかり忘れていた。


「「ううっ!!」」


 同時にうめき声を上げて、二人とも床に倒れ込んだ。足が痺れて動けない。


 倒れた音を聞きつけたのか、階段をどたどた上がってくる音が聞こえてくる。お父さんが「入るぞっ!」と声をかけて扉を開けた。


「何やってるんだお前たち?」

「アハハ、ちょ、ちょっとね」


 もう笑って誤魔化すしかない私達、早く痺れがなくなって立ち上がりたいなと思っていると、最悪な事態が目の間にあった。


「大河さん、大丈夫そうですか?」

「ああ、どうやら大丈夫そうだ。悪かったね光輔くん、ついてきてもらってしまって」


 お父さんの背中に隠れていて見えなかったが、こうちゃんもここに来ていた。こんな情けない姿見られるなんて、私は心の中で涙を流した。

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