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追憶の宝石  作者: ま行
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海辺の思い出

 俺は無心で講義を受け続けていた。このまま何も考えずに勉強の事だけ頭に入れていないと、すぐにでも雫の事で頭が一杯になってしまいそうだった。


 講師に答えを聞かれると助かった。決まりきった事を言えばいいだけだから。


 ディスカッションは楽だった。頭に浮かんだ意見を兎に角吐き出し続けていればよかった。


 グループワークも苦にならなかった。人の輪の中に居るなんて忘れてしまえていた。


 自分でも驚くくらいに、雫との時間を楽しみにしていた。どうすれば彼女は喜んでくれる?何を言えば楽しんでくれる?俺の乏しい知識と経験で、どうすれば雫にとって最高の時間を作ってあげられるだろうか、ドキドキとしていた。


 駄目だ。どれだけ頭の中を知識で詰め込んでも、雫の事が強引にそれを押し出していく。俺はもう集中力だけは切らすまいとそれだけに気をつけていた。


 執念で乗り切った講義で、俺はげっそりとやつれていた。トイレの鏡で顔を見ると、寝不足でもないのに目の下にクマが出来てる。水でさっぱりと顔を洗い頭を切り替える、頬をぴしゃんと叩いて雑念を振り切った。




 昼食、ホテルのレストランを貸し切り豪華なビュッフェ、しかし料理を取りに行く元気もなく机に項垂れていた。


「おい尾上、どうしたんだ?元気ねえな?」

「勝手かと思ったけど俺たちで料理持ってきたぞ、食べられない物があったら避けてくれ」


 橋田と川井が俺の様子を見かねて代わりに料理を取りに行ってくれた。様々な種類の料理が雑然とお皿に乗せられている。俺の好みが分からないなりに気を使ってくれたのだと嬉しくなった。


「ありがとう二人とも、ちょっと疲れが出て」

「疲れ?昨日はピンピンしてたじゃないか」

「俺たちが慣れてきたってのに、尾上がそうなるのは珍しいな」


 橋田も川井も心配そうな顔で俺を見た。俺は元気に返事でもしたかったけれど、乾いた笑いしか出なかった。


「まあでも、ここさえ乗り切ればレクリエーションの時間だろ?食って元気だせよ」

「そうだよ、少しでも腹に何か入れておかないと乗り切れないぞ」

「…分かった。食べる」


 俺はローストビーフをひとつまみして口に入れた。そしてカッと目を見開くと、皿に乗せられた料理を次々と口に運んだ。


「美味いっ!全部美味い!」


 何食べても高級な味がした。料理の味を表現する言葉を持ち合わせていないけれど、どれを食べても美味しいのだけは分かった。食べれば食べる程元気がわいて出てくる、二人の言う通りご飯を食べて力を入れ直した。




 待ち合わせの時間前、俺は海辺の砂浜に先に出て待っていた。人目のつく所で一緒に居たらまた騒ぎになりかねない、俺はそれでもいいけど雫が渦中に巻き込まれたら嫌だ。


 ビーチサンダル、使わないと思っていたが持ってきておいてよかった。何があるのか分からないと思ったのは、皆と親交を深めたからこその発想だと思う。行動を予測するなんて初めての事だけと功を奏した。


 砂を踏むとサクサクと音がした。夏が近いとは言えまだ海に入るには早い、でもこれくらいの気候で海を眺めている方が自分には合っている。


 なるべく目立たない場所に来て座った。波の音を聞きながら遠くを見つめる。雫が来るのが待ち遠しいけれど、来たらどう対応しようかとドキドキもする。


「こんな所で何してるんですか?」

「えっ?ああ、海を見ていて…」


 ぼーっとしていると、突然誰かに声をかけられた。慌てて顔を上げて返事をした瞬間、俺は目を奪われた。


 白いワンピースを着て麦わら帽子をかぶった雫の姿がそこに居た。初デートの時の衝撃たるやと思っていたが、気持ちを自覚した今はもっと凄い、言葉も出ないってこういう事なんだ。


「お隣いいですか?」

「あ、ああ勿論。どうぞ」


 雫は俺の隣に腰を下ろした。バクバクと響く心臓の音、俺の頭の中でなり続けて止まらない。


「ふ、雰囲気がいつもと違うな」

「それは敬語が?それとも服が?」

「両方だよ、そういや何で敬語なんだ?」

「光輔くんがぼーっとしてたから、後ろから声をかけてわっ!てやりたかったんだけど、こっちの方が驚くかなって」


 悔しいが正解だ、驚きすぎた程に。


「服もさ、皆合宿中は私服だけど地味めでしょ?レクリエーションの時くらいいいかなって」


 そう言うと雫は立ち上がって俺の前でくるくると回った。スカートの裾が舞い、風と共に踊るよう妖精のようだ。


「どうかな?」

「すごく似合ってるよ、綺麗、いや可憐と言えばいいのか。俺には言い表わせないくらいに素敵だ」


 思ったままを口に出す。雫は帽子のつばを掴んで下に引き、顔を隠すと言った。


「流石に褒め過ぎでしょ」

「いや、本心だよ。言葉が見つからないのがくやしい」

「…ありがと」


 雫は顔を隠したままもう一度俺の隣に座った。二人で潮風にあたりながら海を眺める。


「光輔くんは海って来た事ある?」

「小さい頃何度か、もっとも古い記憶だけど」

「そっか、私は実は海に初めて来たんだ。砂浜があって、波打ち際があって、今すごく不思議な気持ち」

「不思議って?」


 俺は雫に聞いた。


「新しく体験したり覚えたりしていく事って、これからどんどん減っていくでしょ?加えて私はこの記憶がいつまで持つか保証もない。だからこうして新しい記憶が刻まれる場所に居るって、何だか上手く言えないけれど不思議」


 風でなびいた髪を耳で止めて雫は遠い目をした。確かに雫の記憶の保証は誰にも出来ない、そういう理不尽な病気だからだ。


 でも、刻む方法はある。俺はすくっと立ち上がって砂を叩くと、雫に向かって手を差し出した。


「そろそろ行こうか」


 雫は小首を傾げながらも俺の手を取った。引っ張って立ち上がらせてやる。


「どこ行くの?」

「思い出を探しに行こう」


 俺は敢えて手を握ったまま歩き出した。前を向いたままにして顔色を見られないようにしたが、恐らくトマトのように真っ赤に染まっていたと思う。




 砂浜を歩いて目ぼしい場所を探す。俺もとても久しぶりだから見つかるかどうかも分からない、でも当たりをつけると付近を調べはじめた。


「何探してるの?」


 しゃがみ込んだ俺の隣に雫もしゃがむ、俺は小石混じりの砂を片手でかき分けながら、ポケットに手を入れてある物を取り出して見せた。


「これさ」


 雫は俺から受け取った物を掌に乗せた。興味深そうに見ているが、何なのかは分からなかったようだ。


「綺麗、だけど石というより、何か飴玉みたい」

「シーグラスって言うんだ。ガラスが波で削られて丸みを帯びる、そして海岸に打ち上げられるんだ。前に父さんが教えてくれた。好きで集めていたらしい」

「…ガラス、これがガラスなんだ」

「独特だろ?曇りガラスのような物もあれば、もっと透明でカラフルな物もある。一緒になって夢中で集めた事があるよ、すっごく長引いて母さんに怒られたけど」


 俺は膝をつけて探す。ここにあるかは分からない、だけど見つけたい。


「シーグラスを使ってアクセサリーを作ったりもするんだ。何だかさ、宝石に似てると思わないか?磨いて綺麗にして身につける、これは自然がやってくれるけれどな」

「確かにそうかも、こんなに綺麗なら身につけたくなるよね」

「元はさビンとかガラス製品が海に捨てられた物なんだ、それが時間をかけて角が取れて色々な形になる。価値がないって捨てた物が価値ある物に変わる、不思議だよな」


 あった。俺は砂から手を出してつまみ上げたシーグラスを雫の手に乗せた。


「な、綺麗だろ?」


 俺が見つけた物は薄緑色のシーグラスだった。ほぼ丸に近い形になっていて、曇ってはいるが海の水につけると綺麗に透き通る。


「凄い…」

「雫も探してみろよ、指先に気をつけろ、これはめな」


 俺は軍手を取り出すと雫に渡した。二人で一緒になって砂を漁る、見つけると嬉しくて飛び上がり、中々見つからないと苛立ってくる。だけど、そうやって二人ではしゃぐ時間は、どんな宝石よりも綺麗だと思えた。




「結局これだけかあ」

「四個もあれば上出来だ、一個も見つからないかもって冷々してたから」


 雫の掌には四つのシーグラスがあった。最初に見つけた薄緑に、ちょっと濃い色の緑と後は透明な物だ。どれも形はいびつだけれど一点物だ。


「そうだね、見てこれすごく綺麗!私海にこんな物があるなんて初めて知ったよ」


 雫は楽しそうにシーグラスを手にとって顔を輝かせた。俺はその姿を見て、よかったと安堵のため息をついた。


「ん?どうしたの?」

「いや、もし雫がつまらなかったらどうしようかと思って、でも喜んでくれてよかった」

「何で?あんなに楽しんでたのに、楽しそうじゃなかった?」


 そうではないが、それでも不安にはなる。


「俺は雫と一緒に居ると楽しい、だけど俺が雫を楽しませられるかは別問題だから」

「光輔くん」

「うん?」

「女々しい」


 雫の突然の鋭い言葉が俺の心を抉る。


「光輔くんが誘って、私がそれを了承して、一緒にいて楽しかったんだからそれが一番でしょ?それに、本当にちゃんと思い出を見つけたじゃん」


 俺の手にシーグラスを置くと、雫は両手で俺の手ごと包み込むように握った。


「これ、私の為だよね」

「…うん」

「宝石、落ちた物も無価値じゃないって言いたかったんでしょ?」

「この前のオパール、覚えてるか?」

「うん…」

「あれを見ていて思ったんだ。きっと磨かれた記憶の宝石は綺麗だって、雫の記憶は綺麗に輝く筈だって、俺は無くなったことやものに囚われていた。だけど、もっとちゃんと、違う向き合い方があるんじゃないかって思った」


 俺は雫の顔を見た。目を真っ直ぐと見つめた。恥ずかしさはない、あるのは伝えたい言葉だけ。


「俺は雫の事が好きだ。雫を知りたいし、俺を知ってほしい。記憶が消える事を恐れて踏み込まないのはもうやめだ。俺は雫の心に近づきたい」


 二人の間に言葉はない、ただお互いを見つめ合った。どちらともなく顔を寄せた。唇が触れ合うと心が通じた。それが何よりも嬉しかった。

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