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追憶の宝石  作者: ま行
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お誘い

 勉強合宿一日目を終えて、食事の時間になっても殆どの生徒からは覇気が失われ、死屍累々といった様相だった。


 中々豪華な料理が出てきて満足度が高かったのだが、そう考えている人は少なそうだった。何とかやっと口に料理を運んでいる、そんな感じだ。


 林先生から呼び出されていた俺と南部は、食事を済ませると早々に席を立ち、一緒に先生の元に向かった。


「二人共来たか」

「…先生何かお疲れですね?」

「俺たちは俺たちでやることが沢山あるからな、逆にお前達は平気そうだな」


 俺と南部は顔を見合わせた。


「俺は講義受けてる時の方が気が楽です」

「私はそこまでは言いませんが、まあ皆程では」


 俺たちの言葉を聞いて先生は力なくうんうんと頷いた。


「お前たちが頼もしくてよかったよ。尾上のように講義の度につやつやしていくのは珍しいけどな」


 先生は乾いた笑いを口から吐き出した。つやつやの意味が分からなくて聞こうと思ったが、南部に手で制されて止められた。


「先生、それより今後の打ち合わせを始めませんか?」

「ああそうだった。悪いな、こんな姿見せちまって。じゃあ今後の予定だが…」


 疲れ切った先生と一緒に予定と手順の確認を行った。今のところはスケジュール通りに事が進んでいる。滞りもなしで、順調と言っていいだろう。


「そうだ、明日の朝ミーティング時、レクリエーションの注意事項の確認と徹底を周知してくれ。特に行動範囲の制限と、迷惑をかけないように配慮をな」


 勉強合宿と言ってもずーっと勉強ばかりしている訳ではない、そもそもそんな事は効率が悪いし、あの様子を俯瞰して思ったが集中力が続かないだろう。


 レクリエーションとは名ばかりの自由時間が生徒には与えられる。ホテルの施設を利用する事も出来るが、当然他のお客様もいる。騒いだり迷惑をかけないように注意する必要があった。


「海を見に行くのはいいが絶対に水に入らないように、まあ監視の先生が居るから大丈夫だと思うが、それでも言わないと分からない奴もいるからな。それと、外で行動していいのは海辺までだからな、勝手に出歩かないように言ってくれ」


 俺と南部は先生からの注意事項をメモしていく、しかし矢面に立つのはどうしても南部に任せてしまう。俺は南部の肩を叩いて言った。


「南部、悪いな。何から何まで前に立たせてしまって」

「いいよ。持ちつ持たれつでしょ?」

「二人共よくやってくれているよ、俺からも礼を言わせてくれ」


 先生だって大変だろうに、こうしてきっちりと生徒にもお礼を言う所が林先生の尊敬出来る所だ。


 俺たちは確認と打ち合わせを終えると先生の元を後にした。廊下を歩きながら二人でもう一度話し合いとすり合わせを行い、準備を万全のものにする。


「そういえば、光輔くんはレクリエーションの時どうするの?」


 話の折に南部からそんな事を聞かれた。俺は戸惑いながら考えを口にする。


「じ、実は、その、雫を誘って海を見に行こうかと思ってる。き、来てくれるか分からないけど」

「もう誘ったの?」

「いやまだだけど」


 南部は呆れたように溜息をついた。


「な、何だよ。だって中々二人きりになる機会がなかったし、話すタイミングも」

「光輔くんはこんな言葉を知ってるかな?」

「どんな言葉?」

「善は急げ」


 俺は南部にがっと腕を掴まれると、そのまま引きずられるようにずるずると連れて行かれた。別に足を踏ん張ったりはしていないが、とても力強いその歩みに目を丸くするばかりだった。




 雫たちは皆食事も終えて、ロビーに集まって話をしていた。見えてくると南部ぱっと俺の腕を離して、顎をくいっとさせついてこいとジェスチャーをする。


「皆お疲れ様、調子どう?」

「美味しかったんだろうけど味がしなかった」

「六月も光輔もよくまだまだ動けるよね、実行委員って大変だね」


 北村達にはやっぱり疲れが見える、それでも講義の合間で見た疲労感よりマシに見えるから、順応してきているのだろう。


「その事なんだけどさ、透くんと和也くんちょっと手伝ってくれない?」

「いいけど、何を?」

「講義で使う資料を運ぶように言われてるの、人数が多いから大変で」


 俺がえっと声を上げそうになった瞬間、南部は皆から見えないように俺の足を踏んだ。笑顔ながら余計なことを喋るなという圧と念を感じた。


 その仕事は確かに頼まれていたけど、俺と一緒にという話だった筈。だけど黙って見てろという事なのだろう、俺は南部に行末を任せる事にした。


「尾上は行かないのか?」

「別の仕事頼まれてるの、ほらほらさっさと終わらせよ」


 そう言って南部は橋田と川井の背中を押した。そしてぱっと北村達に目配せをすると、何を感じ取ったのか分からないが、三人が小さく頷いていた。


「私今日分からなかった所質問に行ってくる。今ならまだ受け付けてるって言ってたし」

「あっじゃあ私も結衣について行くわ、一人で行くの何か怖かったんだよね」


 北村と東野がそう話し始めた。


「私はコース変更の申請に行ってこようかな、慣れてきたし、もうちょっと上の内容受けたい」


 西もそう言ってさっさと立ち上がって行ってしまった。その場に取り残されたのは、俺と雫だけになった。


 そのあまりにも鮮やかな手腕には脱帽する。あの短なやり取りの中で、特に打ち合わせもせずここまで動くなんて、特殊部隊の戦闘員とかじゃないだろうか。


 ともあれ南部がきっかけをくれて北村達が場を作ってくれた。誘うなら今しかないと俺でも分かる。座っている雫の対面に腰掛けて俺は話しかけた。


「み、皆、何だかんだ言ってもバイタリティーあるよな」

「ふふっそうだね。あんなに疲れてたのに、すぐ行動出来るんだもん」


 自分でも呆れるくらいに焦っているのが分かる、パニックになった時とは違う、指の先まで冷え切っていくのを感じ取れるくらいだ。


「あれ?光輔くんは行かなくていいの?」

「はい?」

「え?六月が別の仕事頼まれてるって言ってなかった?」


 それは南部の嘘だ、と言うより俺の為に作ってくれたチャンスだ。善は急げと言ったが、このチャンスを俺が掴みきれるのか。


 いや、ここで動かなかったらそれこそ南部に怒られる。それ以上に、何故か事情を知っていた北村達にどやされる。絶対に後から根掘り葉掘り聞かれるんだから行くしかない。


「し、雫さん!」

「え?あ、はい」

「あの、あ、明日のレクリエーションの時間、その、えっと一緒に海を見に行かないか?いや行きませんか?」


 どんどんと声が上ずっていったが、何とか言い切った。口調も何だか変だったけれど、俺にしては上出来じゃないだろうか。自然と鼻息が荒くなりながら、雫の顔を見た。


「ふ、ふふっ、ははっはははっ!」


 俺はぽかんと口を開けてしまった。雫の反応は何か言うでもなく爆笑だった。笑いを抑えきれないのか、今まで見たことのないくらい大口を開けて笑っている。


「何だよ!何でそんな笑うんだよ!」

「ご、ごめんね、でも、この世の終わりみたいな顔して真剣に何を言うのかなって身構えてたら、お誘いだとは思わなくって。それに、ふふっ、雫さんってふふふ」

「け、敬語が混じったのは仕方ないだろ!緊張してたんだよ!柄にもない事して悪かったな!」

「ふ、ふふっ、ごめんごめん、怒らないで」


 雫は目に涙を浮かべてお腹を抑えている。こんなに勇気出して言ったのに失礼な、俺は恥ずかしいんだか苛立っているんだか訳が分からなくなった。


「ご、ごめん、光輔くん。ちょっとこっち来て、もう立てない」

「何だよもう、そんなに面白かったか?」


 俺は雫の態度に憤慨しながらも、言われた通り近くに寄った。


 瞬間、雫は俺の手を取ってぐいと近くに引き寄せた。バランスを崩して、俺は雫に覆いかぶさるようになる。雫はそれを気にもとめないで、俺の耳元で囁いた。


「勇気出してくれてありがとう、すごく嬉しい。海、楽しみにしてるから」


 囁き声がくすぐったい、それに近くで香る甘くていい匂いに心臓が跳ね飛んだ。先程の冷えていく指先の感覚が嘘みたいに全身が発熱する。俺が体をバッと離すと、雫はいたずらな笑顔を浮かべていた。


 これは敵わない、これは駄目だ、俺は狼狽えて後ずさると、最後の力を振り絞って言った。


「俺も楽しみにしてるから!」


 それだけ言って俺はその場を去った。兎に角もう恥ずかしくて雫の顔を見ていられない、もう耳には自分の鼓動の音しか響いていなかった。

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