友人 南部六月の叱咤
バイトが終わり、休憩室に勢いよく飛び込んだが雫の姿はなかった。あれっと思っていると、後ろからマスターに声をかけられた。
「雫ちゃん用事があったのを忘れてたんだとさ、先に帰るけどもう大丈夫だってよ」
「そんな…」
俺は折角自覚した気持ちを早速伝えようとしたのに、雫がいなくて落胆した。その姿を見かねたのか、マスターが怪訝そうに話しかけてくる。
「どうした?そんなに落ち込む事ないだろ?いつでも会えるんだし」
「そうなんですけど、俺やっと気がついたんです。俺は雫の事が好きなんだって、だからそれを伝えようと思ったのに…」
「今か!?」
「え?そりゃあまあ」
マスターは頭を抱えて大きな溜息をついた。
「なんですか?」
「あのなぁ光輔、そういう事を伝えるのにはタイミングってもんがあるんだよ。お前そんな大事な事さらっと言って済ませるつもりだったのか?」
そう言われてハッとした。確かに橋田も態々二人きりになれるタイミングを作って、そして場所や雰囲気も選んでいた。
「特別感が必要って事ですか?」
「必ずしもそうとは言わねえよ?だけど、思い立ったからばっとやってがっと行くもんでもないだろ。勢いが大事なのは認めるが」
「いえ、確かにちょっと急いてました。そもそも雫に迷惑がかかるかもしれない、それは避けなければ」
俺は取り敢えず気持ちをぱっと切り替えた。マスターが何か呆れたような変な表情をしていたのが気になったが、恐らくまた発注をミスったとかだろう。
「ではお疲れ様です。俺はこれで」
ぱっぱと帰り支度を済ませて俺はとっとと家に帰る事にした。何だか気持ちが興奮したままで、走り出したくて仕方がなかった。
「ハァ…」
あれだけ息巻いていた俺は今、学校で南部と一緒に居残っていた。思わず大きな溜息をついてしまう。
「ど、どうしたの?そんなに大きな溜息」
「うん、ああ、ごめん。ちょっと考え事を」
「大丈夫?具合悪いとかじゃないよね?顔色が悪いけど」
顔色が悪いのは寝不足のせいだろう、恋心を自覚した日から、何だか目が冴えてしまって眠れなかった。
「いや体調は大丈夫だ。それよりすまん、目の前で溜息なんてついてしまって」
「そんな事全然気にする事ないよ、疲れてるみたいだし、ちょっと休憩しようか」
南部はそう言うと、広げていた資料を一気に脇へどけた。意外と切り替えが早いタイプなんだなと俺は思った。
「飲み物買ってくるけど、光輔くんは何がいい?」
「あ、いや俺も一緒に行くよ」
「いいからいいから、座ってて」
俺の休憩する時間を長く取ってくれる為だろうか、南部は俺の肩をぽんと叩いてにこりと笑った。寝不足なのは間違いない、南部の親切に甘える事にして、俺は小銭を取り出すと甘い缶コーヒーを頼んだ。
南部と学校に残っているのは、林先生から頼まれた勉強合宿の実行委員の仕事でだった。雫にその事を伝えて一緒に帰れないと言ったら、東野達と一緒に楽しそうに行ってしまった。
何だか一抹の寂しさを覚えたが、逆に興奮していた気持ちが段々落ち着いてきた。何もかも今すぐどうこうと動こうとするのは、俺の悪い癖だと思う。
そして今更になって不安がよぎる、俺なんかが雫に思いを告げていいのかと。
「はいどうぞ」
「おっありがとう。悪いな、俺がこんな調子で」
缶コーヒーを手に戻ってきた南部に改めて詫びを入れる、ただでさえ役目を押し付けているのに、目の前で溜息なんて以ての外だ。
「いいよそんな事。でも珍しいね」
「何がだ?」
「疲れたりしてても顔に出さないと思ってたから、まあちょっとは信頼が得られたみたいで私は嬉しいけど」
「そんなに顔に出さないかな?」
「光輔くんが倒れちゃった時も気が付いたのは雫ちゃんだけだったからね、私達は何が起こってるのかさっぱり分からなかったから」
あの騒動の時の事か、確かにそうだったかもしれない。
「皆の事は信頼してるよ、色々あったけど、その分多くの事を教わった」
「私達から?光輔くんが教えてる事の方が多いと思うけど」
「俺が教えられる事は教科書にも本にも載ってる、何だったらネットで調べても書いてある。だけど、俺が皆から教わった事はそんな簡単なものじゃなかった。だから感謝してるんだ」
俺がそう言うと、南部はふふっと小さく笑った。
「何だか面と向かってそう言われると照れくさいね」
「俺は正直だからな、そのせいで色々言われるけど」
「確かにそうだね、でも、最近はそんな空気も変わってきたと思うよ。私が言えた事じゃないかもだけど」
「そんなことないさ、少なくとも俺は南部の口から俺の悪口を聞いた事はない」
南部は驚いた表情を浮かべた。でも本当のことだ、南部から俺の悪口を発していた事はない、乗っかったり同調する事はあったが、それも北村達に比べたら可愛いもんだ。
「全部聞こえてたんだね、きっと聞こえるように言ってただろうし」
「気にするなよ。俺は気にしてなかった」
「それでもよくない事しちゃった。ごめんね」
謝罪してもらうつもりで言った訳じゃない、逆に南部に謝らせてしまって申し訳なかった。
「本当にもういいって、ずっと気にしてなかった。寧ろ俺の方が失礼な事考えてたよ、まったくの無関心だったんだ。道端の石の方がまだ気になるって感じで」
「ふふふっ、それは確かに酷いね」
「ああ、酷い者同士だ」
俺と南部は顔を見合わせて笑った。わだかまりはもう無いのだからこれでいい、こんなに仲良くなれるとは思っていなかったが、嫌われる必要は本当になかったと思う。
それに、南部はなんというか話しやすい。他の三人が話しにくいという訳ではないが、一番自然体で話せている気がする。勉強を教える時も南部が一番教えやすかった。
「…なあ、少し聞いていいかな?」
「なあに?」
「恋心って何なんだろうな、南部はどういうものだと思ってる?」
このままモヤモヤとしているだけなら聞いてみようと思った。南部なら茶化したりもしないだろう。
「それはまた突飛な質問だね」
「抽象的すぎるかな?」
「そうだねえ、でも何が言いたいのかは何となく分かったかな」
俺が驚きの声を上げると、南部はまたふふっと笑って言った。
「雫ちゃんの事でしょ?」
「何で分かったんだ!?」
心底驚いて大声を出してしまった。そんな事一言も言っていないのに、何で南部は分かったのだろうか。
「見てたら分かるよ。でも何で今になってって疑問は残るけど」
「これは見ただけで分かるのか?」
「まあね、それで何が聞きたいの?」
俺は自分の感情の何が顔に出て、何が顔に出ないのかよく分からなくなってきた。取り敢えず今はそれを横に置いておく。
「俺は雫の事を好きでいていいのだろうか」
「どうして?」
「元々俺は雫から病気について聞きたくて近づいた。それが俺の生きる意味で、目標でもあったからだ。でも、それって最低な下心じゃないか、酷いことを言ってしまったと思う」
手慰みに缶のつまみを爪でパチパチと弾く、考えれば考える程ネガティブな気持ちが溢れ出してきた。
「俺は橋田のように雫と長い付き合いがある訳じゃない、皆みたいに絆がある訳じゃない、俺の思いは本当は薄っぺらなものなんじゃないか?そんな事を…」
「光輔くん」
言葉の途中で南部に遮られる。俺が顔を上げると、南部に両頬を掌でぽんと挟まれた。
「それ以上言わない。いい?」
「ふぁい」
尖った口ではいと返事をする。
「光輔くんは長く一緒にいなかったからってその気持ちを諦めるの?交流した時間が短いからその気持ちは偽物だって、本当にそう思う?」
「おもいまへぇんけど」
「けども何も無い!その気持ちが本物だとか偽物だとか、そんな事はどうだっていいの。大事な事はどれだけその人の事を大切に想っているかどうか、そうでしょ?」
南部が頬から手を放す。そして優しく微笑んで言った。
「誰かを好きだって思う気持ちに上も下もない、もっと下世話な切っ掛けから始まる事だってあるし、最初は嘘から始めた事だっていつか本当になる事だってある。その気持ちを本物に出来るのは自分だけだよ。分かった?」
「…分かりました」
意外な程熱く語る南部の迫力に気圧された。それに言っている事も尤もだと思ったし、説得力もあり納得感しかなかった。
「でも気持ちを急ぐ必要もないよ、光輔くんには光輔くんのペースがあるんだから。どうするのかって正解もないからね。さっ休憩終わり、ぱっぱと仕事済ませちゃお」
「あ、ああ、そうだな」
退けた資料をまた目の前に持ってきて、俺たちは作業を再会させた。考えるよりも手を動かしていた方が、気持ちも頭の中も落ち着いてくる。
「南部」
「ん?」
「ありがとな」
「どういたしまして」
手を動かしたまま顔も上げずに俺はお礼を言った。見えないけれど、多分南部も同じ様にしていると思った。
今回の勉強合宿で行く場所は海の近くの大きなホテルらしい、海なんて見るのはいつ以来だろうか、勉強合宿は何も楽しみじゃないが、雫と一緒に海が見られたならと思うと心が踊った。




