五十嵐雫の困惑
「よし、皆集合するってさ。俺たちも行こう」
透にそう言われて私は頷く、気まずい気持ちをどう隠そうかと思うと、皆の所に行くのがとても億劫だった。特に光輔くんと顔を合わせたくないな、そんな事を考えていた。
話は少し遡る。
私は水族館に来て透と一緒に行動する事になった。本当は私は光輔くんと一緒に行きたかった。きっと楽しいし、それに人混みで光輔くんが体調を崩した時、私ならすぐに対処出来ると思ったからだ。
でも光輔くんは露骨に私の事を遠ざけた。何となく皆が私と透を一緒に行動させたがっているなとは思っていたが、光輔くんの駄目演技力を見て確信した。
本当に言うかどうかは分からないけれど、透は私に好意を伝えようとしている。そしてどう協力を取り付けたのか知らないけれど、透はそれに光輔くんも巻き込んだ。
振れ幅の大きい透の度胸を鑑みるに、光輔くんに協力を頼むのは何となく想像が出来た。だけど私は、光輔くんはそれを断ると思っていた。だから協力していると知った時、強烈に心の中が冷たくなった。
どうして?そんな言葉が私の頭の中で渦巻く、何かしら理由や事情があるのは分かっていても、感情がそれを理解するとは限らない。頭で理解できても心では…、私はそんな状態だった。
「雫、パンフレット貰ったけど見たい所あるか?」
透が広げたパンフレットを覗き込む、なるべくふれあいコーナーからは遠ざかりたい、そう思っていた。
「じゃあここ」
「ここか…って本当にここか!?」
「?そんなに驚く?」
私が指さしたのはサメが展示されているコーナーだった。サメは大きくて迫力があってかっこいい、どうせ見るなら私も楽しみたいと思っていた。
「もしかして透サメ怖いの?」
「こ、こ、こ、怖くないし!いいじゃねえかサメ!見たらぁ!」
そう言って透はずんずんと歩いて進んでいく、サメ怖いんだな、そう思うとちょっと笑えてきてしまって聞こえないようにくすくすと笑った。
サメの水槽に行くと私は水槽にかぶりついた。一口にサメと言っても色々な種類がいる。大きいのから小さいのまで、活発に泳いでいるサメもいれば、ふよふよと漂うように泳ぐサメもいる。
一度でいいからジンベエザメを見てみたい、世界最大の魚類はそれはもう圧巻だろう。泳ぐサメを見て私はそんな事を考えていた。
「はは、は、か、かっこいいなサメって、うん、すごくいい!」
水槽からちょっと離れた所で透がそんな事を言っている、見るからに怖がっているし、足もちょっと震えている。そんなになるなら断ればよかったのに、私はそう思って水槽前から移動した。
「あ、ちょっ」
慌てて後を追ってくる透を確認して、私はある展示コーナーで止まった。水槽から離れて、サメの歯や顎骨標本などが展示されている。
「これなら泳いでないし骨だから怖くないでしょ?」
私がそう言うと透はばつが悪そうに頭を掻いていた。強がる必要ないのにと思うと、またくすくすと笑ってしまった。
「何でサメが怖いの?」
展示されているサメの歯を観察しながら透に聞いた。
「…実は怖いサメ映画を見てからちょっとトラウマで、サメ見ると全部あれ思い出しちまうんだよな」
「ああいう映画に出てくるサメって、もっと大きい化け物みたいな奴でしょ?」
「そうだけどさあ、あそこにいるサメだって、俺の足くらいならバクっといけそうじゃないか?」
「私がサメだったら、態々人間の足をピンポイントで食べないと思うな。他のお魚の方を食べるんじゃない?」
そう言うと、何だか途端に面白くなって二人で笑った。透とこんな風に話したのはいつ以来だろうか、宝石となって消える訳でもないのに、思い出はどんどん過ぎ去っていく。
「雫が見たいものに付き合ったんだから、今度は俺が見たいものに付き合ってくれよな」
「いいよ。何処に行きたいの?」
「まあついてきなさいな、雫は絶対喜ぶぞ」
妙に自信満々の透の後に私は続いた。何だかその姿に既視感を覚える。そういえば、昔は透の背中にくっついて回っていたっけ、そんな事を思い出していた。
「見ろ!見ろ!ペンギンだぞ!」
透が来たかった場所はペンギンの水槽らしい、愛らしい姿のペンギンが、陸地で集まっていたり、水の中を飛ぶように泳いでいた。
「わあ可愛い」
私は思わず口から言葉が漏れ出ていた。歩く姿泳ぐ姿、首をきょろきょろと動かす姿、どれを取って見ても愛らしい。
「そうだろ?見に来てよかっただろ?」
「うん、本当に可愛い」
「覚えてるか雫、小学生の時、何かの旅行行事で動物園に行ったことあっただろ?」
「あーあったねそんな事も」
校外学習の一環だったと思う、皆でバスに乗り、何処かの動物園に行った事を覚えている。
「そこにもペンギンがいてさ、しかも丁度子供のペンギンが居たタイミングで、皆ペンギン見て大騒ぎしてたろ」
「ちっちゃくて可愛かったからね、羽毛に包まれてふわふわで、ぬいぐるみみたいだった」
子供ペンギンを初めて見た時だ、私も興奮したのを覚えていた。あの時は周りの全員がそうだったけど、引率の先生達も含めて。
「その時さ、お土産を買う時間があって。皆でギフトショップに入ったろ?雫はそこで見つけた子供ペンギンのぬいぐるみを買うって聞かなくてさ。お土産買う小遣いじゃ足りなかったのにな」
「懐かしい!結局透が足りない分貸してくれたんだよね。で、私も透も自分のお母さん達に怒られて泣いたよね、お土産買うお金全部ぬいぐるみに使っちゃったから」
家に何も買って帰れなかった私達は、お母さんから鬼のように怒られた。お金の貸し借りをした事と、お土産を買ってくる筈のお金を勝手に使ってしまった事を咎められた。
私たちは二人で泣きべそをかいて謝り、私のお母さんは透のお母さんに頭を下げてお金を返していた。それを見て、子供ながらにとんでもない事をしてしまったと思い更に泣いた。
「雫はわんわん泣いてたけど、絶対にぬいぐるみだけは離さなかったよな」
「透に迷惑かけてまで買った物だったからね、意地でも手放さないぞって思ってた」
「誰も取り上げるなんて言ってないのに、変な所で意固地になるよな雫は」
本当に懐かしくて楽しい思い出話だ、透とのこんな思い出話は多分山のように出てくるだろう。一緒に居た時間が長いからこそだ。
そんな話をして盛り上がっている最中に、透がふとしたタイミングでやけに真剣な表情をした。明らかに雰囲気が変わって、何か覚悟めいたものを感じた。
「雫、その、聞いてほしい事があるんだ」
「何?」
嫌だ、その先は聞きたくない。
「俺は、ずっと昔から雫と一緒だった。楽しい事も悲しい事も沢山一緒に経験したよな」
叶うなら誰かに透の口を塞いで欲しい。
「今でもずっと覚えてる、どの記憶を切り取ってみても俺にしてみればどんな宝物よりも大切な物だ。雫と過ごした時間も、思い出も全部全部だ!」
両耳を手で塞ぎたい、続きを話してほしくない。
「雫が結晶解離病になったって聞いた時、本当にショックだった。いや、一番辛いのは雫だけど、もし俺がいつか雫の記憶から消えてしまったらって思うと、本当は正気でいられないくらい混乱した」
透は止まらない、そして、私に透の語り口を止める権利はない。
「だから、今までだってずっと機会があったのに、言えずにいて後悔している事がある。言わなきゃ伝わらないのに、俺は覚悟が決まらなかった。だけど、今雫に言いたい、伝えたい事があるんだ」
「…うん」
私はもう呟いて頷く事しか出来なかった。
「俺はずっと前から雫の事が好きだ。これまでもこれからも、ずっと一緒にいたい。俺と付き合って欲しい、俺を雫の特別にしてくれ」
この言葉を聞いたからには、私は真剣に返さなければならない。彼にとってどれほど残酷な事を言う事になったとしても、私は私の気持ちを偽る事は出来ない。それは勇気を出した透にも失礼だ。
「ごめん透、私は、透の気持ちに応える事は出来ない。私は…私は、好きな人がいるの」
拒絶、私に出来る事、こうなってしまえばどちらも傷つかずにはいられない、でも私は、一つしかないその特別な席を、透に明け渡す事は出来なかった。




