ドタバタ困難
喫茶ヤドリギに入ろうとした東西南北ズと出会ってしまった。そのまま店の前で立ち止まっている訳にもいかず、雫と一緒に店に入ってもらった。
俺は裏口に回って入り、支度を整えて店に出る。するとテーブル席の方から楽しげなマスターの声が聞こえてきた。
「いやあ雫ちゃんのお友達かあ、いやあ皆べっぴんさんだ」
「アハハべっぴんさんって」
「古くないですか?」
「そうかい?でも美人を褒める言葉としちゃこれ以上ないぜ、まあ俺なら百は女性を褒める言葉が浮かんでくるがな!」
ガッハッハという豪快なマスターの笑い声に、東西南北ズの黄色い声が上がる。雫は合わせて苦笑いをしていて、やっぱり居心地を悪そうにしていた。
「失礼します」
俺はトレーに人数分の水とおしぼりを持って机まで運んだ。北村と東野のニヤニヤと笑う視線が気になる。
「ご注文お決まりでしたらお呼びください」
「店員さんのおすすめは何ですかー」
「聞きたい聞きたい!」
額の青筋がピクピクと動くのを感じながらも、俺は平静を装い言う。
「メニューの中からお好きなものをお選びください」
「おすすめを聞いてるのに」
「そうだそうだ!」
マスターが北村達に混じって楽しそうに囃し立てた。どっちの味方をしてるのかと言ってやりたかったが堪えた。
「あの、私はいつものやつを」
雫が痺れを切らしたのか、小さく手を上げてアピールした。心中は分からないが、雫がここに東西南北ズを連れてきた所を見たことはない。その機会がなかったのか、敢えてそうしなかったのか、この様子を見ると後者なような気もする。
「あいよ、雫ちゃんはいつものね」
マスターは嬉しそうに雫の注文を聞くと、いつものようにカフェラテを淹れに行った。その様子を見ていた南部が雫に聞いた。
「ここにはよく来るの?」
「あーうん、行きつけってやつかな」
「いつものって何を注文したの?」
恥ずかしそうに頬を指先で掻いている雫に西が聞いた。
「あ、カフェラテだよ。美味しいし落ち着くの」
「じゃあ私達も同じやつにしない?皆いい?」
北村が全員に確認を取ると、妙に演技かかった様子で俺に話しかけてきた。
「店員さん、カフェラテ四つお願いできます?」
「かしこまりました。…他のお客様の迷惑にはなるなよ?」
「はいはーいお仕事頑張ってね」
北村がひらひらと手を振るのに呆れた溜息をついて、俺は注文をマスターに伝えた。注文を聞いたマスターは「あいよ!」と大きな返事をした。いつもはそんな事しないし、その様子は喫茶店というよりラーメン屋だった。
華やぐ店内に浮かれるおじさん、喫茶店とは思えぬ頭の痛くなるような光景だ。せめてマスターが調子に乗らないように祈るばかりだ。
勤務時間を終えて裏に戻る、するといつもは雫だけが待っている所に、女子全員が揃い踏みだった。
「お前らちゃんとマスターに許可貰ったのか?」
「勿論、快諾してくれたよ」
その様子は目に浮かぶ、きっとノリノリで許可を出しただろう。
しかしそこそこの広さとは言え、六人も集まれば狭い。店の迷惑にもなってしまうので、俺はさっさと用件を聞いた。
「それで?何でお前たち残ってたんだ?」
「あーそれね、梨々子からお誘いがあってさ」
北村から視線を送られて西が喋りだす。
「光輔も一緒に水族館行かない?私の親戚の兄さんが働いてて、一度遊びに行きたかったの。だから今雫を誘ってた所」
それを聞いて俺は納得がいった。東西南北ズがここに来たのは偶然だろうが、そのついでに雫を遊びに誘ってしまおうという事だろう。
加えて、俺がそこに参加するとなると、直接話を聞いたという体裁の方が都合がいい。雫をのけ者にしている訳ではないが、この計画は雫には秘密裏に立てられたものだ。
メッセージだけで俺が誘いに乗るのは雫にしてみれば不自然に思うだろうし、俺も正直に言うと誘われた所で断る自分の方が容易に想像できる。
だが対面であれば話は別だ、最終的には俺の参加はゴリ押しで決められる。俺としてもその方がボロが出なくてありがたい。うっかり口を滑らしてしまいそうだからだ。
「水族館?何処のだ?」
「場所はここ」
俺が演技に乗っかったのを見て、西も柔軟に対応してきた。スマホの地図アプリを立ち上げて、住所を出して俺に見せてくる。
「ふーん、いつだ?」
「日時はこんな感じで、来るのは私達と透に和也、あとは二人さえ参加してくれたら嬉しいんだけど」
俺はちらりと雫の方を見ると、雫も俺の顔色を伺っているようだった。互いの視線に気がついて、何だか分からないけれど目を逸らした。
「予定は空いてるな、参加するのはやぶさかではない。ちなみに聞くが、水族館にカバはいるか?」
「カバ?」
俺の言葉を聞いて雫がぶっと吹き出して笑った。東西南北ズはそれをぽかんとした様子で見ていたが、俺にはその理由が分かるし、雫なら何かしらリアクションをしてくると踏んでいた。
「カバは動物園じゃない?光輔くん」
「そうか、ならメンダコはいるかな?」
「メンダコ?」
「深海のタコだが、ふよふよ浮いていて可愛いんだ。一度見てみたい」
「フフッ、何だか乗り気だね。話聞いてたら私もちょっと興味出てきたな、梨々子一緒に行ってもいい?」
西は暫し言葉を失っていた。どうしたのかと俺が尋ねると、我に返ったようで雫に勿論と返した。
「どうした西?具合でも悪いのか?」
「いや、別に、その」
妙に歯切れが悪くて俺は首を傾げる、すると北村の方が聞いてきた。
「雫、いつの間に下の名前呼びにしたの?」
「えっ?あっ!」
雫はしまったという表情を浮かべて顔を赤らめると下を向いた。あのずるいと叫んでいた雫を見ていたのは俺だけだから当たり前か、何とか助け舟を出せないかと俺が言った。
「お前らがあっという間に名前呼びになるから、それに合わせてくれたんだよ。距離の詰め方が早くないか?」
「だって透も和也も名前で呼んでるし」
東野がそう言った。俺は苦笑して返す。
「俺はな、自慢じゃないが今まで一人だったんだ。クラスのはみ出し者だぞ、お前らが俺の事なんて言ってたかも聞いてたからな、でも打ち解けた途端にこれだよ。だから雫に相談して、俺のことを名前で呼んでもらうように頼んだんだ」
「雫?光輔も雫の事名前で呼んでるの?」
北村にそう聞かれて、俺は額に一気に汗がにじむのを感じた。最後の最後でうっかり口を滑らせてしまった。どう言えばいいか次の言葉に悩んでいると、雫が声を上げた。
「私だけ名前で呼んで、光輔くんがそう呼ばないのも不自然かなって、だから私からもお願いしたの」
「あーまあ確かにそうか、私達も光輔って呼んでるもんね」
焦る俺とは違って雫の対処は冷静だった。西が同調してくれたので、皆の中でそれならそれがいいかという空気感が広まる。慣れない事はするものじゃないな、額の汗を拭うと、南部が言った。
「じゃあ光輔くんも私達の事下の名前で呼べばいいんじゃない?それならもっと自然」
彼女だけは味方だと思っていたのに、俺は軽い絶望感を味わいながらも、次の瞬間にはあっと声を上げて答えた。
「悪いがそれは無理だ」
「え?」
「俺はやっと皆の名字を覚えたが、下の名前はまだあやふやだ」
これは本当の事だから自信を持って言える、この堂々とした態度に北村は呆れた顔で言った。
「お前まだ名前覚えられてないの?」
「何を言うか、これでもお前達は特別な方だぞ。俺はクラスメイトで顔と名前が一致する奴の方が圧倒的に少ないんだからな。誰が誰かも分からん」
「んな事で威張るな!」
北村にそう怒られるがこればかりは仕方がない、本当に興味がないと名前がまったく覚えられないのだ、これは俺の性分だ。一回聞いてもその場限りで忘れてしまう。忘れるというか記憶しないのが正しいか。
「だが俺は友達の名前なら忘れないぞ、だから皆はそういった意味で特別だ」
「下の名前は知らないけどな」
「それは追々」
「努力しろよ!」
この話が盛り上がったお陰で、何とかさっきまでの話題が有耶無耶になってくれた。俺が雫に視線を送ると、それを察したのかぐっと親指を立て返事をしてくれた。




