深層心理
学校が休みの朝、俺はいつも決まった時間に起きる。朝六時、それが俺の起きる時間だった。
眠い目をこすりながらカーテンを開く、窓から差し込む朝日を浴びると、寝ぼけ気味の頭が少しシャキッとする。
ぐぐっと背伸びをして軽くストレッチをする、体を動かしていると段々と頭の働きがきちんと元に戻ってくる。部屋を出て洗面所に向かうと、顔を洗って完全に気分を切り替えた。
寝間着を脱いで服を着替える、身だしなみを整えるとリビングに入る。梢さんはもう起きて朝食の準備をしている。
「おはよう梢さん」
「おはようこうちゃん、いつも通り時間通りね」
「梢さんだっていつも早いでしょ」
「そうね、どっかの誰かさんを起こしてあげないといけないから」
そう言って梢さんは上を見上げる、今はまだベッドの中でぐっすりと眠っている叔父さんの事を言っているのだ。朝に強い俺と梢さんと違って、叔父さんは朝に弱い。
「何か手伝おうか?」
「じゃあ表の花壇に水やりしてきてくれる?」
「了解」
花壇は理容店の前に出してある、梢さんの趣味と店前の飾付けを兼ねていた。季節に合わせて実に見事な花を咲かせる、いい趣味だと思うし、こうした技術と知識を持ち合わせている事を素直に尊敬する。
じょうろに水を注いで土を湿らせる、こうしてゆったりと朝の時間が過ぎていくのが俺は好きだ。
「ようこうちゃん、おはようさん」
「あ、外谷さん。おはようございます」
ランニングをしていた外谷さんに声をかけられる、健康診断で悪い数値が出たとかで、その改善の為に始めたらしいが今ではすっかり趣味と習慣になってしまったらしい。ピカピカの靴を見るにまた新しいランニングシューズを買ったようだ。
「そうだ外谷さん、この前はありがとうございました。雫もすごく喜んでましたし、俺も貴重な物が見れてよかったです」
「いいよいいよ、あれが俺の仕事な訳だし。しかしこうちゃん、順調に仲良くなってるみたいでよかったよ」
「何がですか?」
「雫ちゃんとのことだよ、あの子はいい子だよ、浩也とも話してたけどこうちゃんにあんな素敵な彼女が出来てよかったよ」
外谷さんの言葉に俺は苦笑いで返した。そして一番否定しておかないといけない事を言う。
「雫は彼女じゃないですよ」
「えっでも」
「そんな特別な関係、俺には無理ですよ」
俺はそう言うと外谷さんにじゃあと伝えて急いで家に引き返した。外谷さんに失礼な態度を取ってしまったけれど、あのままじゃもっと失礼な事を口走ってしまいそうだった。
「こうちゃん終わった?」
「あ、うん」
「じゃあ食事を机に並べておいてくれる?もう用意はできてるから。私忠さん起こしてくる」
「分かったやっておくよ」
俺は言われた通りに食卓に朝食を並べた。全員のコップに麦茶を注いでいる内に、寝ぼけ眼でボサボサ頭の叔父さんが起きてきた。
叔父さんの家での食事は基本的に賑やかであるが、朝だけはそうでもない。理由は叔父さんがまだまだ寝ぼけていてハッキリ目を覚ましていないからだ、要は叔父さんの元気と気分に左右される。
まあでも、朝の時間を静かに過ごせる事は嬉しかった。明るくて楽しい叔父さんの話を聞く事は好きなのだが、朝から調子良く色々な事を聞かされると胃もたれしてしまう。
それに今日は特に静かにしてくれていると助かった。今日は用事がある、外出して気の重い場所へ足を運ぶ必要があった。
「こうちゃん、今日はついていかなくていい?」
「うんありがとう梢さん、多分大丈夫」
「そう、でも気が変わったらいつでも言ってね。私でよければついていくから」
俺は梢さんに頷いて返した。気が変わる事はないと思うが、それでも気遣いがありがたい。
「そうか光輔は今日は東条先生の所へ行くんだったな、俺が車で送っていってやろうか?」
叔父さんもようやくハッキリと目が覚めたようだ、ありがたい申し出だが俺はそれを断った。
「いいよ。そんなに遠くないし、叔父さんは仕事があるでしょ?」
「少しくらいって言いたい所だが、まあ光輔がそう言うならな」
朝食を済ませて手早く外出の準備を整える、玄関でもう一度持ち物を確認すると行ってきますと声をかけて扉を開けた。
東条先生の診療所は俺の済む街から二駅程離れた場所にある、いつもは雫を見送るだけの駅で切符を買い、改札口を通ると電車の到着を待つ。
時刻通りぴったりと駅に到着した電車に乗り込むと、空いている席について車窓から流れていく外の景色をぼんやりと眺めていた。
二駅分の乗車時間なんてあっという間だ、目的の駅で下りて数分歩くと診療所が見えてくる。こじんまりとした建物にささやかな看板がついているだけで、初見では中々分かりにくい場所にある。
中に入るともう待合室には何人かが座って待っていた。席が埋まっていなくてよかったと思いながら俺は受付まで向かう。
「すみません、予約している尾上です」
「あら尾上くんいらっしゃい、今日は一人?」
「ええ、最近は調子も悪くありませんし、これもリハビリの一環です」
「すごくいいことだと思うわ、じゃあ診察券と保険証をお願い」
受付の女性菊池さんとはもうすっかり顔なじみとなっている、テキパキと仕事をこなして、ちょっと厄介そうな患者さんの相手もお手の物の親切でいい人だ。
暫し座って待っていると俺の名前が呼ばれる、診察室に入ると東条先生は座って待っていた。
「こんにちは先生」
「やあ尾上くん、待たせちゃったかな。どうぞ座ってくれ」
東条先生はにこやかな笑顔で俺を席に促す。大きめでゆったりとしたソファーに腰を下ろすとカウンセリングが始まった。
「まずは何から話したいかな?」
「そうですね、じゃあアルバイトの話から」
「無事に許可はもらえたかい?」
「ええ、叔父さん達のお店に来る常連さんの喫茶店で働かせてもらっています。俺の事情も知っている人なので色々と融通してくれて助かってます」
俺の話を聞きながら先生は手元で素早くペンを動かしている、話を聞きながらも同時に記録もしなければならないなんて大変だなといつも思う。
「喫茶店か、接客はするのかな?」
「はい」
「接客業を選んだ理由はあるのかな?」
その質問で俺は少し口を閉じて考えた。頭の中をまとめるともう一度口を開く。
「リハビリも兼ねてです。裏方の仕事だけでもいいとも言われましたが、俺から望んでお客様と接する仕事も任せてもらいました」
「そうか、辛くなったりはしていないかい?」
「今の所は何も、寧ろお客様と完全に割り切れるのでパニック症状は出ません。正直言って学校よりしんどくないです」
客と店員の立場はいい、線引が明確に出来るし気を使うだけで済む。俺は他人と自分の立場があやふやになっていく程に混乱していく傾向があると、アルバイトを通じて知った。
「学校の人間関係は面倒くさいです。声をかけた方がいい時もあれば、かけずにそっとしておいた方がいい時もある。言った方がいい事だと思っていた事がかえって相手の逆上を買ったりと、複雑で分かりにくくて冗長です」
俺がそこまで言い終えると、先生は何やら嬉しそうな顔をしてニコニコとしていた。
「…何ですか?」
「尾上くんの方から学校の事を話してくれたのはこれが初めてだからね、何か大きな変化があったと見える。どうかな、よければ是非聞かせてもらいたいんだけど」
先生の言葉に俺はえっと声を上げた。これまで自発的に学校関連の話を切り出した事がなかった事に驚いたのと、先生がそれを覚えていた事が驚きだった。
「変化、といえば大きな変化なのかもしれません」
「君はそれを良いと思うかい?それとも悪いと思うかい?」
「少なくとも悪い気分じゃないのは確かです」
俺の受け答えに先生はますますニコニコとした。そんなに嬉しい事だろうか、俺は戸惑いながらも雫達との事を話し始めるのだった。




