五十嵐雫の記念
家についてからも私は胸のドキドキが止まらなかった。
尾上くんとデート出来た事もそうだけど、右手の小指にはまったリングを見る度に強烈にあの時の事を思い出す。
「…何気なく言った事なのに覚えていてくれたんだ」
メモリージュエルについては、ネットで記事をちらりと見た程度の知識だった。私は自分の記憶の宝石に対して言いしれない嫌悪感があった。だからこんな風に自分の財に変えるという発想そのものが珍しかった。
一度本物を見る機会があればいいな、そのくらいの心持ちだった。だから、尾上くんが私の言葉を覚えてくれただけでも胸が一杯になった。その上で現物を用意する為に手を回してくれていた事、本当に私の為に考えてデートプランを練ってくれたのだと実感できる。
何度も何度もリングを見ては顔がにやけてしまう、一粒のルビーが赤々と輝いている、研磨するとこんなにも輝きを放つのかと驚くほど綺麗だった。
嬉しい、尾上くんはきっと私がどれだけ嬉しく思っているか分かっていないだろう。それでもいい、私はますます彼に惹かれている。
そうだと私はベッドに横たえた自分の体を起こす。机に向かってノートを開き、今日の出来事を一字一句逃す事なく書き記そうと思った。こんなに素敵な思い出は例え病気であろうとなかろうと残しておきたい。
待ち合わせ場所で尾上くんを見つけた時嬉しかった。私は待っているつもりで早く家を出たのに、彼はそれより早くその場所にいた。遠くから見ても緊張して彼が愛おしい。
可愛いって言われて驚いた。顔どころか全身が熱くなって溶けてしまいそうな程衝撃的だった。尾上くんが焦って取り繕ったのは分かっていたのに、態々言い直す所は本当に彼らしい。
初デート同士だって知った時ほっとした。経験豊富だったらどうしようかと思っていたし、そんな相手がいたとしたら嫉妬してしまうから。この経験だけでも私が独り占めできたと思うと誇らしかった。
いつもの自然体に戻れた時ほのかな絆を感じた。私達は知り合ってまだまだ日が浅い、一方的に私は彼を見ていたけれど、彼は私を見ていなかったと思う。だから息の合ったやり取りが出来るだけで私は心が躍る。
映画を一緒に見てくれた時楽しかった。本当は恋愛映画にしようと思った。だけどどうしても恥ずかしくて苦肉の策でアニメ映画にした。引かれちゃうかな、子供っぽいって笑われるかな、そんな不安はあっという間に吹き飛んだ。
尾上くんは何も言わずに私が見たい物を一緒に楽しんでくれた。映画の内容も勿論楽しかったのだけれど、一緒に楽しもうとしてくれるその気持ちが嬉しい。
感想を言い合うのも楽しかった。尾上くんは細かい所まで本当によく見ていて、私が印象に残ったシーンの話をすると、内容を事細かに覚えていた。同じシーンを見ていて違う感想を抱くのも、何だか対等の関係のように感じられた。
色々な物に目移りする私を、尾上くんは一つ一つ面倒くさがらず対応してくれる。何でも真面目に返してくれるのが尾上くんだけれど、それが彼の魅力だと再度思った。
ヤドリギで悲しい事を打ち明けてくれた時上手くいかなかった。本当はあんな風に言うつもりはなかった。尾上くんを傷つけてはいないだろうか、不安だし心配だ、彼とご両親の事については、外野が簡単に口を出していい事じゃない。分かっていたのに私は自分の我が儘を言ってしまった。
いつかきっと尾上くんが癒やされて欲しい、出来れば私もその助けになりたいけれど、私に一体何が出来るだろうか。彼の悲しみに寄り添う事が出来るのはいつになるだろうか。
そして私はその時尾上くんを記憶していられるだろうか。
私は消しゴムを取り出して一文を消した。記憶していられるかなんて無駄な事を考えるべきじゃない、出来る事は全部やるんだ。
勇気も優しさも理由も全部貰った。輝くリングがその証、尾上くんにその気はないだろうけれど、私は今日貰った物以上に沢山の贈り物を受け取った。
思い返して見ても楽しくて嬉しかった。勇気を出してデートの話を出してよかった。本当はあの提案もすごくドキドキした。尾上くんは真面目だから受けてくれたけれど、あんな無理やり言っちゃって本当によかったのかな。
いや、そう考えるのはよそう。私は勇気を出した。尾上くんはそれに応えてくれた。それが大切でかけがえのない事だ。
私が一通りノートに記憶を書き留めた直後、スマホの着信音が響いた。画面には結衣の名前が表示されていた。
電話に出てスピーカーに切り替える、スマホを枕に置いてベッドにうつ伏せで寝転がった。
「もしもし、今大丈夫?」
「うん大丈夫だよ、どうしたの?」
「ほら、例のデートの話。今日だって言ってたし感想聞いてみたくて」
あの一件以来、結衣達と私はもう一度仲良くなる事が出来た。いや、本来の意味でやっと友人になれたと言ってもいいかもしれない。何のわだかまりもなく、スッと輪の中に溶け込める事がこんなに楽な事だとは思わなかった。
結衣にも皆にも今日の事は話していた。きっと明日辺り質問攻めにあうんだろうなと思っていたけれど、結衣は我慢できなかったようだ。
「すっっっっごく楽しかった!こんなに素敵な経験は初めてって思うほどに」
「フフッその声色を聞いただけで、詳しく聞かなくても分かるくらいね」
「でしょ?本当に楽しかったんだあ」
それからは私の方から結衣に今日あった出来事を喋り始めた。聞いてくれる相手がいると止まらなくなって、話しても話しても「そういえば」が止まらなかった。
「ありがとう雫、もうお腹いっぱい」
「あっごめん、喋り過ぎちゃたよね?」
「ううん、私が聞きたいって言ったんだし、聞けて嬉しかった。私達もあれこれ言った手前、上手くいってなかったらどうしようかと思ってたし」
結衣達は今日のデートに合わせて服装選びやお化粧の事を色々と教えてくれた。髪型のセットもいつもは特に気にしていないから、皆の助言はとても助かった。
「皆のお陰で可愛いって言ってもらえたの!本当にありがとうね結衣」
「それは雫が頑張った成果だよ、私達はあれこれ好きに口出ししただけ、でも良かったね雫」
「うん!」
これまでも容姿を褒められる事は何度かあったけれど、今日尾上くんが言ってくれた一言にはまるで敵わない、それほど嬉しかったし、そこまで仕上げてくれた皆には感謝していた。
「それで雫、相手の反応はどうだったの?懸念してた事は?」
「あーうん、そうだね」
答えにくい質問がきた。いや、そもそもその懸念を伝えたのは私だから、私の言葉が戻ってきて私を刺しているに過ぎないのだけれど。
「やっぱり難しいね、私の望むような関係にはなれないと思う」
「嫌な確認をするけれど、それはどっちの事情で?」
結衣の心配はもっともだ、結衣が言うどっちというのは私が病気を理由に引いているのか、それとも相手に何か問題があるのか、それを聞きたいのだと思う。
「私じゃなくて彼の問題かな、特別な関係を拒んでいるようだから。きっと今のままじゃ、私がどんなにアピールした所で見向きもされないと思う」
今日のデートで私は以前から感じていた違和感が確信に変わった。
尾上くんは私と距離を置いている、近づく時は近づくけれど、彼はいつも少しだけ私と離れていた。それは他の誰に対しても同じ態度で、私は結晶解離病の分一歩だけ彼に近づけただけだった。
「でもいいの、望んだ関係になれなくたってそれでもいい」
「雫…」
「あんまり我が儘言って困らせたくないし!それに私は今のままでも充分満足してるよ!」
嘘だ。ただの虚勢。本当は悲しくて悔しい。でも彼の悲しみの深さに触れる程にそれを望まない理由も理解出来てしまうのだ。
ちょっと空元気が過ぎたかな、電話の向こうで結衣が黙ってしまった。
「結衣?」
「え、ああごめん、ちょっと考えちゃってさ。でも今は多分私に力になれる事はないんだろ?」
「そう、だね。うん、そう思う」
「なら雫も考えるのやめようよ、私は変わらないものはないって知ってるよ。私達がその証明じゃない?」
「…本当だね、結衣はすごいね」
そうだ、皆私ともう一度友達になる為にあれだけの行動と覚悟を示してくれた。そして私もそれを受け入れる事が出来た。尾上くんの言葉も理由の一つではあるけれど、最後にそう決めたのは私自身だった。
変わらないものはない、その言葉が私に希望をくれた。
「ありがとう結衣」
「いいの、私達友達でしょ?」
「フフッそうだね」
改めて皆が行動してくれた事に私は感謝した。これも消えてほしくない大切な思い出だ。
「ところで話が変わって悪いんだけどさ」
「ん、何?」
「雫、そろそろ透と和也、二人とのわだかまりも解けないかな?」
結衣からの提案を聞いてそういえばそうだったと思った。何となく二人とも話しにくい状況が続いてしまっているけれど、私の一方的な態度だからよくない事だと分かってはいる。
「そうだね、うん、そうしたいな。協力してくれる結衣?」
「言い方が違うでしょ?」
「協力して結衣」
「よく出来ました」
私達は通話越しに笑いあった。




