兆し
官吏局で依頼書を受理してもらい、踵を返し鈴森家へと戻ってきた。
呼び鈴を鳴らす。奥から彩花お嬢様のか細い声が聞こえた。僕はただいま戻りましたと
伝えると、驚いたことに彩花お嬢様が引き戸を開けてくれた。なんと出迎えてくれたのである。「お、おかえりなさい」小さな声ではあるがはっきり聞こえた。
彩花お嬢様も必死なのだろう。よくなりたいと思う気持ちが伝わってくる。
彩花お嬢様、ありがとうございます。ただいま申請を終え戻りました。と答えると伏し目がちではあるが家内にいれてくれた。そばに控えていた侍従の女性から話しかけられる。
「旦那様より、丈瑠殿のお世話も仰せつかっております。お部屋へご案内しましょう。」
そう言うと、侍従の女性が先導し滞在の許された部屋へと向かう。履物は勿論玄関に置かれている。廊下を侍従の女性について進んでいくと庭園に出た。結構広いってもんじゃない
サッカー場のハーフコートはあるんじゃなかろうか?庭園を眺めながら歩いていると、部屋に到着した。そして侍従の女性が驚くべきことを告げる。
「お隣の部屋はお嬢様の部屋となっております。私はそちらにおりますので何かあればお声かけを」と、、、えっ!と一瞬固まってしまったが当然か。警護も兼ねているのである。
今の状況だと雇っている警備の人も彩花お嬢様に近づくのもままならないのかもしれない。
了解の返事を返し、与えられた個室に入る。部屋は10畳位だろう。物がない僕にはちょっと広いかな。ふと横を向いた時にさらに驚いた。彩花お嬢様との仕切りは襖のみなのである。
これってどうなんだ?とは思うが悩ましいところだ護衛対象のそばにはいついかなる時も
目の届く範囲にいてもらいたい。鈴森家としては当然の処置なのだろう。また侍従をつけるにしても手を増やすことは考えずらい。彩花お嬢様の専属侍従なら僕の監視も容易かろう。
そりゃ、初対面ですべてを信じ切られるとは思っていなかったのにこの待遇にはちょっと驚いた。でも10歳だし、ま、普通か?
刀剣を脇から抜き出し太刀掛に置く。そして意を決して襖越しに呼びかけることにした。
するとスルリト襖が開き中に彩花お嬢様が座っておられた。心なしかお疲れの様子も見て取れるが、謝罪を述べて話しかけることにした。
「何か」と答えたのは侍従の女性だった。
そうですね。まずあなたのお名前をお聞かせください。まさか自分の名を聞いてくるとは
思わなかったのか少し動揺したのが見て取れたのでクスリと笑ってしまった。
侍従の女性は“柊 香菜”という名前を教えてくれた。そしてフルネームで呼ぶのも面倒なので“香菜さん”と呼ぶ了承も頂いた。そして彩花お嬢様にも“彩花さん”と呼ぶ許可も頂けた。
これには香菜さんも驚いていた。僕が有無を言わさぬような感じで許可を求めたこともあるが、過去来られた刀剣士には反応の返さず逃げたらしい。とは彩花さんが離席する際に
ちらっと聞いた。許可を貰えたっていっても頷かれただけなんだけどね。
その後、2,3度の離席を繰り返しながら、少しづつ何がどこにどう見えたのかを確認していった。彩花さには嫌な思いをさせてしまったが、最初に状況の確認だけはしておきたかった旨を伝えると香菜さんも含め納得してくれた。
そして、夕餉の準備が整い連絡を受けると3人で居間に向かうことになった。
本来は配膳されるらしいが、今日は初日だからか一緒にってことになったようだ。
彩花さんが先頭にたち廊下を進む。後ろから香菜さんがついてくる形になっている。
香菜さんが突然小声で話しかけてきた。
「丈瑠さん、これは大変珍しいことなんですよ」
とどういうことかと聞くと、彩花さんは基本人見知りな上、部屋からあまり出ようとしまいらしい。また鈴森様も娘を慮ってか、無理強いはしない。結果として自室でバラバラに食事をとるのが鈴森家では普通のことになっているそうだ。香菜さんは?と聞くと
「私のことはいいんです。」って言われた。
後から聞いた話では、彩花さんお休みになったところ外に配膳してもらい廊下で食べるらしい。なんか苦労してるっぽい。そしてどうしてこうなったかと言うと、初対面の僕に
今までと違った反応を彩花さんが見せたのが原因だそうだ。同い年というのが大きいのかもしれない。王国にはどうやら学校のようなものはないのかもしれない。流石に商家の令嬢が街中で遊ぶってのも無理があるし、招くこともできないだろう。言ってみれば本当に偶然の出来事だったみたいだ。僕としては先ず不安の解消をしてもらって心身の安定を目指すことに決めた。同時に不安や異変の原因を突き止めよう。解決はそのあとだ。
香菜さんの話を聞きながらそう決意した。
夕餉では鈴森様へもお願いごとをした。みなさんと同様に“旦那様”と呼ぶ許可をもらった。
そんなことかって笑われてしまったが、一応筋は通そうと思ったのでお願いした。
そして食事を進めながら、僕の身の上のことや、どのようにして刀剣士になったのかを説明
していた時に彩花さんと眼が合った。笑顔を向けたら俯かれてしまったが、興味は持ってくれたらしい。旦那様にいたってはその辺はスルーして関谷商会の動きに唸っていた。
鈴森商会とは違い、小さな商会ではあるが堅実でもあり先見の明を見せるような動きも
最近特に多くみられるそうだ。流石、後継者の五郎くんだね。そこから旦那様は僕に
商売とは何たるかを熱く語ってくれた。これも大変珍しいことだと執事さんの佐治さんに
お礼を言われた。やはり色んなところに弊害が出てたんだろう。早く解決に向かう何かを見つけないと逸る気持ちを抑えながら楽しいけど少しだけ寂しい晩餐を終えた。
そして、なんと!!風呂に入れた。この世界ににてから風呂の事を思い出したのは
宿に泊まったひと時のみ。それなりにハードニ動いていたし、魔獣の血糊も若干ではあるけど残ってる。あまり気にしていなかったけど、迷宮内の魔獣の血糊はドロップアイテム変わるとほとんど消えてた気がする。そもそもドロップアイテムってのがゲームぽいよね。
などと湯舟につかりながら考えていると、女中さんから声がかかった。
「お召し物を洗濯させていただきますね。替えの着物は少し大きめですが置いておきます」ちょっとだけ、びっくりした。一人暮らしの長かった僕は入浴中に声を掛けられるなんて
ことはなかった。それにしても“僕”か。。。やはり今はこちらが現実なのかね。
鍛冶屋での“夢”は“現実だったかもしれない夢“ってことなのか。もうどうでも良くなってきた。今は受けた依頼に集中しよう。軽く自分の頬を張り、勢いよく湯舟から上がった。