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お城  作者: みぃ
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2

 加島君はポインセチアに水をやりながら思い出していた。

(…昔から自分は世話係だった…)

「飼いたいだろ?強そうだろ?かっこいいよな、番で買ってやろう」とお父さんが押し付けるように強引にプレゼントしてくれたクワガタもカブトムシも、自分が世話をしていたのは父親を喜ばせるためだった。すぐに死なせてしまっては虫にも金を出した父にも悪いと思って(本当は汚い黴菌がウジャウジャしていそうで、でかいゴキブリみたいだし、どこを持っていいかとか知りたくもないし触ることができなかったから、)割り箸で掴んで別の籠に移動させ、水槽をいつも清潔に保っていた。土や木の枝や昆虫ゼリーの乗った皿や隠れ家の石や枯葉の配置を変えておくと、仕事から帰ったおとんが大喜びだった。上手に飼育するための本まで買ってきてくれて、その通りに手入れしたら最初の番の卵が生まれ、それが孵り、次の夏には加島家生まれのクワガタとカブトムシが誕生した。自分にはそのこと自体よりも父親の興奮ぶりが楽しかった。父親が虫に興味を示さなくなってきていた三年目の春に、クワガタの籠の一つで蠅が湧き、虫籠の中が地獄絵図のような様相を呈してきて救いようがなかったので丸ごとゴミ袋に包んで捨てた。他の生き残った虫たちは別のある日一斉にひっくり返って謎の死を遂げていた。他の生物に攻撃されたり体を齧られたような形跡もなく、蠅の仕業でもなかった。まるで煙のような死神が水槽の細かい網の蓋をすり抜けて侵入し、魂だけを抜きとって冥界に連れて帰ったかのような、完全犯罪の、全く何の外傷も残さない綺麗な死にざまだった。16匹全員が96本の毛深い脚を揃えて合掌していた…(後で蚊取り線香の仕業だと分かった。)

加島君のお父さんは加島君に「お前も最初のうちだけだな」と言った。

 妹が拾ってきた猫ももらってきた犬も夏祭りで掬ってきた金魚と亀も何故だかいつの間にか自分が全部世話することになっていた。

「タクトは生き物を可愛がるのが好きだから」と母が近所のカラオケ仲間のおばさんからもらってきた生まれ過ぎたハムスターの赤ちゃんは、一晩で猫のミケのオモチャにされ、それに懲りて、

「うちの裏庭に落ちていた燕の雛が…巣に戻しても親につつき落されて…拓斗君が世話してやってくれない?」と手のひらに小鳥を包んで持ってきた斜向かいの家のおばさんからは断固として受け付けないようにしようと、両手を後ろに回して首を横に振り続け、

「それはおばちゃんが手で触ったからだよ、多分。それで匂いがうつって、もううちの子じゃないって判断されるんだ…うちではもう猫を飼ってるから…」

と上手に断りかけていたのに、

「あああ、可哀想に…」と後ろから出てきた母が両手を差し出して受け取ってしまった。

「タクト。あなたが責任もって育てなさい、上手だから」と言って。


 もう行き物は飼わない…大切にし過ぎて別れを乗り越えられないから、本当は自分には向いてない…そう思い、独り暮らしを始めた部屋では自分以外何も息づくものは住まわせてなかった。別に寂しいとも思わずに、それどころじゃないほど最初の一、二年間は仕事に慣れるのに精いっぱいで、溺れながら流されていくようにしてあっという間に過ぎた。

(ベランダにでっかい雑草が生えてるなぁ)とは思っていた。それが大きな蕾を開き百合の花を咲かせたのは、彼女ができた年だった。

初めて部屋に上げた日から彼女はほとんど住み着いて、気が向いたときにふらっとどこかへ何日も黙って行方をくらましたりしながら、思い付きで鉢植えの花をしょっちゅう買ってきて、勝手にベランダを花畑にしようとしていた。何日もいなくなったりして自分では世話をしないくせに…

「だって花が好きなんでしょ」と彼女は言い返してきた。

「だから生き物はやめてって言ってるのに…」と加島君に注意されるたびに。

「だって球根の花じゃなかった?百合って…自分で植えたんじゃなかったらどうやって生えてくるの?」

「だから種も風に乗って飛ばせるらしいよ…」二人は同じ喧嘩を何度も繰り返していた。それほど熱くもならず、猫がじゃれ合うみたいに。彼女は彼が言ったことを全く覚えようとせず、加島君をお花を好きな男の子だと勘違いしたままでいたいみたいだった。

(…そう言えばベランダに花が咲いてるのを見てパチパチ手を叩き「綺麗だねー!綺麗―!」と大喜びしていたのは、花の美しさに対してではなくて、花を愛でる僕の心を綺麗だと褒めてくれていたのかもしれない…)

加島君は今更にふと気付いた。

「枯れると悲しいから、どうせ買ってくるなら切り花にしてよ。それなら萎れてきたら捨てられるから」と言うと彼女は本当に悲しそうな顔をした。


ほとんど三年間もこの家で一緒に暮らしてきたのに、彼女の名前も分からない。百合の名前は簡単に調べられたけど、彼女の本名は知らないままだ。もう半年以上も帰って来ない…

ぼんやりとした薄い黄色と黄緑色の境目を行ったり来たりしてるようなクリスマスローズ、可憐な水色のチェリーセージ、表はくっきりとした濃い赤で内側はベッタリと塗り替えたみたいな黄色のクレマチス、落としきれない口紅が残る唇みたいなかすれた赤のガイラルディア、涼しげな薄紫の桔梗、もったいなくて使うことができない真っ白なハンカチみたいに柔らかくて真っ白なゼラニウム…それから他にもまだ沢山…今は開花時期を終えて葉っぱだけになった鉢が、光を遮り合わない間隔を空けて整然と並んでいる…

 綺麗に花を咲かせた鉢植え全部に水をやり終えて、加島君は部屋に戻り、どうしたらいいのか分からない沢山の花が泡のように風に揺れられているのを見下ろしながらベランダの窓をがらがらと閉めた。彼は引っ越すことになっている。これから水をやらなければいけない室内の観葉植物に目をやり、一瞬くらくら目眩がした。窓の外に視線を戻す。今度見ているのは鉢植えではなくて、ベランダの柵を越えたもっともっと先にある、丘の上に聳え立つ白いお城のような建物だった。そこで彼女が働いている…その城のような建物は町で一番有名な娼館だった。


「まだ女の荷物が捨てられないの?」

鉢の花をいくつか貰ってくれないかと、職場で一番仲の良い先輩に聞いてみるのはこれで四度目だった。二人は広い倉庫の片隅でお昼休憩に入ったところだった。先輩はいつも第一声目が馬鹿でかくて、倉庫の壁に反響してこだまを生み、二言目からは声を潜める。そして喋ってるうちにだんだん面倒臭くなってくるのか地声に戻る。

「捨てるって言っても…生き物なんで…」

ぽそぽそパン屑が地面に落ちるみたいな加島君の声は響かない。

「嫁も花は好きだけどなぁ…ちょっと…あの子大丈夫かって心配してたぞ…」

加島君は頷きながら、米田さんの奥さんとその温かい手料理を思い出した。お花を沢山もらったお礼にとお呼ばれしたつい先週末の夜のことだ。マーボー豆腐とホワイトシチューと焼き秋刀魚、ミートスパゲティと白いご飯を振舞われた。滅茶苦茶な組み合わせだなと声に出さずに思っていたら、全部お前の好物だろ、もっと顔に出して喜べと米田先輩に叱られた。いつの間にかリサーチされていたらしかった。食卓には二歳になる男の子と一歳の女の子がベビーチェアに座らされ、機嫌よくカタコトの天使の言葉でばぶばぶ言っていた。先輩が四本の脚の下に駒を付けてどこへでも一緒に押して連れていけるように改造したベビーベッドには、ほっぺがぽよぽよの生まれたばかりの悪魔級に可愛い赤ちゃんが寝ていた。飲めそうな顔をして全然酒が飲めない先輩が「この見た目のせいでいっぱい貰って困るんだ、お前今日消費して帰れ」と言って無理矢理開けたシャンパンを奥さんは飲みたそうにしていたので、「一緒に消費してください」と注いであげようとしたら、夫婦で揃ってパタパタと手を振った。(「ダメダメ…」「この子のために…」「あっ、そっか、母乳で育ててるから…?」「違う違う」「もう次の子がこの中にいるんだよ」先輩がまだそんなに膨らんでない奥さんのお腹にそっと手をあてた。「そうじゃなかったら私は呑み助なんだけどなあ…」)幸せで溢れすぎて他人にもお裾分けできるくらい幸福そうな家庭だった…


「どこで働いてるかは分かってるんだろ、行方不明って言っても?彼女」と米田先輩が言った。

「はい」

「“お城”だったよな」

「はい」

「だから…あんだけやめとけって言ったのに。それでもお前はやめなかったし、忘れろって言ったって忘れられない…それじゃあもう会いに行け。今度こそ俺の言うことちゃんと聞いて。そんないつまでもぐじぐじぐじぐじ悩んで思い詰めて暗いやつになっていくくらいなら」

「金払ってですか?」

「そうだよ。しゃあねえ、高々二、三万くらい。俺が餞別に出してやるわ、そのくらい。もともとあそこにお前を引っ張って連れて行ったのも俺だったからな」

二人はカップ麺のお昼ご飯を食べ終えて空き容器を捨てに行き、積荷作業を再開した。担当する地区の荷物をトラックに黙々と全て積み込んでしまうと、助手席に乗った先輩が携帯を出してまた聞いてきた。

「源氏名は?」

「ユキです」

先輩はしばらく画面をスクロールし続けていた。火のついてない煙草を口から外して天然のモジャモジャ頭にぶすっと突き刺し、もうしばらく画面を下へ送り続けた。

「いるわ。まだそこに」

コツンと軍手をはめた左手の指の関節で窓ガラスを打つ。ちょうど窓の外に“城”が見えていた。

「今日出勤してるど。これ終わったら即行こう…俺はじゃあお前の彼女と全然違うタイプの子を選ぶよ」

加島君はちょっと慌てて急ブレーキをかけそうになった。この前にお城に連れて行ってもらった時には、(もう三年も前のことだけれど、初体験はまだだと打ち明けたら面白がられてしまって「そんなことではダメだぞ、お前、成人式も済ませた大の大人が」とお節介を焼いてくれて)流れ落ちる葡萄ジュースのような深紫色の絨毯を引いた幅の広い螺旋階段に一段飛ばしにズラリと並んだ美女の中から一番素敵に見えると思う女の子を選ぶのを凄く嬉しそうにニヤニヤ笑いながら手伝ってくれた後、先輩は待合室に置いてあった懐かしい遊びを全部やってみたいからと言って、そこに残って待ってくれていた。

加島君が二時間の小旅行の相手に選んだユキと手を取り合って階段を下りてきた時、米田先輩は美女に取り囲まれて袖を引っ張られ邪魔されながら真剣にビリヤードに熱中していた。まだゲームの途中みたいだったからすぐに声をかけずに後ろから見守っていると、時々無意識に犬が尻尾で蠅を追い払うようにして空いた手で引っ張られる袖を振り払っていた。『ねぇあの人ここへ何しに来たの?』とユリの仕事仲間が本気で不思議がって聞いてきた。対戦相手と審判はしょっちゅう入れ替わるお茶挽きの女の子達だったみたいで、むせ返りそうなほどにたちこめている色香にまるで惑わされない男が珍し過ぎて、無礼を通り超え、変な安心感を持たれ始めていた。「袖引っ張り」は上手すぎる先輩へのハンデだった。「また遊びに来てねー!(玉突きかダーツをしに)」と違う意味で先輩はモテモテだった。帰り道の車の中で先輩が左手の薬指に指輪を嵌めてるのを初めて目にして、「えっ、結婚されてたんですか?」と聞くと、「お前が相手選びに夢中でそれどころじゃない時に嵌めといたんだよ」とニヤニヤ笑った。「仕事中は引っかかって荷物に傷をつけるといけないし外してるけど、ああいう場でこそ付けておくべきかと思ったから…」普段から下ネタにはノリノリな先輩だったので絶対に自分が行きたいからついでに誘われたんだと思い込んでいた加島君は意外過ぎて感動してしまった。『俺には愛する奥さんがいるから…』と言っていた、その時が一番この先輩がかっこ良く見えて、この人について行こうと思った瞬間でもあった。それなのに…

赤ちゃんも生まれてくるのに…


「奥さんは…先輩には…え…本当に行くんですか?良いんですか?」

自分のために先輩のこれまで貫いてきた貞操や家庭が危うくなるのではと困ると思って、加島君はしどろもどろに止めておきましょうという上手い説得方法を頭の中で組み立てようとした。

「むしろ推奨されてるよ。」先輩は腕を伸ばして加島君の首の付け根に温かい手を置いた。

「夫婦円満のコツは互いの本当にして欲しくないことが何なのかをきちんと腹を割って話し合う事だ。うちの奥さんの本当に嫌なことは浮気されることじゃないらしい。…それどころじゃない。…俺の性欲に付き合わされる事の方がウンザリなんだってさ。…愛してるならたまにでいいから私のために他所で発散してきてくれって泣かれたよ。二人目を妊娠した時に…」

加島君はしばらく意識して運転に集中しようとした。首の後ろに置かれた先輩の手が熱く、湿ってきていて、凄く重たい。チラッと見た赤ら顔の米田先輩の顔はいつもの陽気さが消し飛んで本物の鬼のように強張って引き攣り、まだ喋り続けていた。車をどこにもぶつけないで運転することと先輩の言ってることをちゃんと理解することは同時にやれそうもない。

「…好きな女が頭を埋め尽くしてるときは他の女に手を出したいなんて気がさっぱり起きないさ。妊娠中もどうにかこうにか二人で工夫して…それが愛だとこっちは勝手に思い込んでたんだけど…妊娠中に浮気するなんてそんなこと、もし自分が嫁の立場なら一番やって欲しくないことだろうと…だから我慢して我慢して、産後の定期健診には毎回ついて行って医者にせっついて聞いていた。『先生先生、夫婦の営みはいつから可能ですか』と。医者がOKを出した日の夜は嬉しくて嬉しくて…二人の気持ちは結婚式の夜みたいに完全に一致してるものと思い込んでた…

…だけど相手の願いは全く正反対だったらしい。俺があまり楽しみにしてるんで言い出しにくかったそうだ。どんどん負担で気が重くなりその日が近づくのが怖かったと後になってから言うんだ。歯を食いしばって我慢してたって。『でもそんなこと言ったって結婚したんだから』って言ったさ。俺も。『浮気はダメだろ?二人で責任もってこの俺の性欲を何とかしてなだめるしかないだろ?どうにか手伝ってよ』って頼んだよ。『浮気して欲しい』ってその時から小さい声でぶつぶつ言ってたけど、そんなのこっちは信じられねぇ。でも三人目ができ、四人目が腹の中に宿って、ちょっと一時はどうなることかと真剣に危ない時期があった…ノイローゼか鬱か半狂乱か何かみたいになって…『限界…限界…』って言いながら頭を壁に打ち付けたりボロボロ涙を落としたり、『二人以上子どもも持ちたくなかった』とか、『四人目の子を虐待してしまったらどうしよう』とか言って…仕事に出てる間に死ぬんじゃないかと心配でたまらなかった…『悪かった、無理させて』ってついに俺も震え上がってる嫁が抱けなくなって、耐え切れなくなって現実に向き合ったよ。自分の頑固な頭を叩き割って中身をまっさらな脳に入れ替えたいよ。別の女を好きになった方が夫婦円満にいくだとか信じられるか?そんな!まさか!もし他の女を好きになったらその時は多分その女と結婚したくなってしまう。それが普通じゃないか?そう言ってやったさ、『それでお前のことは好きじゃなくなるぞ』って言ってやったら、『いい』って言うんだ。『その方が良い』って。『子供のために養育費だけ頂戴』って。はあ?俺はじゃあ一体何なんだ?こうして汗水垂らして一生懸命に働けるのも愛する嫁と子供のためと思えばこそだったのに…

落ち着いて話し合ってみると、嫁は今ではもう完全に子供の父親としてしか俺を求めてないらしい。子どもさえいなければ俺の顔も見たくないかもしれないなんて言いだして…当然二度とセックスは嫌だって。それも男の中であなたが一番無理だってハッキリ言いきりやがった。

あまりにも一人の人をぞっこん愛しすぎるのも罪になることがあるって、誰かもっと早く俺に教えてくれていたら…!修復不可能なまで壊してしまってからしか、理解できなかった。俺が子供の頃に教えられて信じ込まされてきた綺麗な心とか常識とか永遠の愛の誓いなんて出鱈目だ。お伽話だ。愛の形は人によってまるで違ったり、その時々の気分によってお天気みたいに移り変わったりしてしまう。一つの型にはめて無理矢理おさえつけることも無理矢理貫かせることも全然美徳じゃない。何年も前から嫁は俺に浮気して欲しかったんだ。『あなたはちょっと異常だ』なんてあいつ言うんだぞ。結婚前は息ピッタリで、一心同体で、あっちだって俺に夢中で、まさか…こんな日が来るとは夢にも…」

「先輩…先輩…」加島君はこわごわ話の腰を折った。

「着きました…」

「おお。」米田先輩は窓の外をぐるっと見渡した。目に幕を張ったようになって唾を飛ばし周りの状況にお構いなしに喋っていた先輩が、やっと現実に戻ってきたようだった。二人は別の倉庫の中にいた。シートベルトを外しながら先輩が暗い声で言った。

「この現場が終わったらすぐ予約入れるから。お前も証人になってくれ。『一度私のために他の人を抱けるかどうか試すだけでも試してきて』って言われてるんだ。あいつ離婚って言葉まで持ち出してきやがったからな。そこまで嫌とは…だから俺も今回は一人選んでやってみるよ。それが愛だという事らしいから…」

加島君は頷いた。米田先輩のこともその奥さんのことも気の毒だけれど、今日この後で先輩の相手をする事になる女の人が一番気の毒な気がする。


 通わなかった間にシステムがだいぶん変わってしまっていたらしく、以前は素通りして良かった城門を勝手に入って行こうとして、米田先輩と加島君は前後からすいすい走ってきた四人のAIロボットに呼び止められ、囲まれた。最先端のやつではなくなんとなく危なっかしい関節の動き方をする昔の映画に出てきそうなやつらだ。全員がお揃いの色合いの水色と桜色とライムグリーンとクリーム色のパステルカラーの肌、つるりとした坊主頭で、男でも女でもない8頭身の美人だ。

「ご予約いただいておりますか?」

一番近くまで寄ってきた水色が加島君の目を瞼のない大きなつぶらな瞳で見詰め、奥の黒いレンズから旧式な微かなシャッター音がして、まだ何も答えないうちに解析された。

「やすだ様ですね。本日ユキさんのルームナンバーはこちらです」

握って開いた手の中に魔術師みたいにカードを持っていて、それを押し付けるように渡してきた。

「何か胡散臭くなったな」先へ進みながら先輩が囁いた。石の階段を登り門をくぐって入り組んだ中庭を抜け、靴を脱いで荷物を預けると、廊下の明かりが灯る方へと進み、城内に入って間もなく、二手に明かりが別れた。米田先輩とはここで頷き合って別々の道を進んだ。待合室やうろ覚えな記憶の中の螺旋階段はどこにあるのか分からない。曲がり角の前に灯っている明かりを目指し、そこまで来ると次に曲がる角の前の明かりが灯り、順々にそれを追いかけながら、短い梯子を上り、その登った分くらいの急な下り坂になった廊下を下りて、最後に等間隔に部屋のドアがずらりと並ぶ長い廊下に出た。静かだけれど全くの静寂ではない。ひそひそ声で囁き合う声は常に聞こえてくる。靴下を履いた自分の足がいつの間にかひんやりした鴬張りの床ではなくふかふかした絨毯を踏んでいることに気付いた。右手の窓の下には夜の城下町が輝いている。窓から入り込んでくるその町明かりの方が明るく見えるほど今では廊下は薄暗く、闇に目を凝らしても空間全体を把握することができない。手を壁につこうとして指が空をかき、バランスを崩して躓きそうになった。歩き続けるうちに急速に視力を失っていくみたいだ。脚が同じ長さをしてなかったかのように踏み出すのが難しい。漂うように力を抜いて目玉だけになったように前へ前へと進み、(体が実際に前へ移動できているのかどうか確かめることも叶わない。今や全く何も見えなくなっていたから…)ふと、目印の明かりがこの廊下のどこにもないのに思い至って、立ち止まった。振り返っても明かりは灯らない。体が溶けてなくなってしまったみたいだ。右手で左腕をさすってみて、一応存在はしてるらしいのを確かめた。この暗闇で部屋のドアの番号もカードの数字も読めるはずがないのは分かり切っているけれど、お尻のポケットに入れたカードキーを手探りしてみた。そんなはずはないのだが、どこかに落としてきてしまったのか、左右どっちのポケットにも何も入ってない。携帯電話も預けた荷物の中だ。

どこかで誰かが暗視スコープで僕を狙っていたりしてと首筋に視線を感じた気がして思った。森の腐葉土に埋めた罠の瓶の底に落ちてしまったカナブンみたいにお手上げだ…昔父親と捕まえたカナブンが一晩どんな思いで僕のことを待っていたのかなと考えていた子供時代を思い出した。柔らかい子供の手のひらの上で転がされるしかない運命、でもその大きな人間の子供が迎えに来てくれるまではどうすることもできない…焦りは感じなかった。毛布のような安全な闇に包まれ、ただぼんやり次に起こる事を待った。もともとユキには会えないだろうなとここへ来る前から予感していた。

仄かな明かりが浮かび、襖が開いて、突然すべての物がくっきり姿を現した。加島君はもう少しで倒してしまいそうだった壁際の不安定な瀬戸物に生けられたダリアから大股に一歩離れた。光の中に見事な花魁のコスプレをした女の子が立っている。ユキではない。

「安田さん?」

そうだった今僕は安田だったと思いながら頷くと、ユキではないその女の子は自分の部屋へおいでおいでと手招きした。

「ユキさんを予約してるんだけど」

「私です」

安田はんーんと首を横に振った。

「でも…」女の子は困った顔をして少し廊下に出てきて左右を見渡した。

「でも私が雪です」

「そうか。」安田君はすぐ納得した。

「じゃあきみが今はユキなんだ」

女の子は変な顔をした。どういう人なんだろうこの人…と不安を抱かせてしまったのが分かった。部屋へ入りながら聞いてみる。

「いつからここで働いてるの?」

「もうすぐ半年です」

「なるほど」

「なんでですか?」女の子は安田が自分のすぐ後ろについて来ているものと思って和室の向こうまで行って振り返り、まだ戸口でキョロキョロしている安田の前へ引き返してきた。すくうように手を取ると、狭い部屋の中央へ導いた。

「あんまり慣れてないんですね?」

「うん」

急に嬉しそうな笑顔になって雪が声を弾ませた。

「私こういうところが不慣れな人ちょっと好きです。自分も最近やっと慣れてきたところだから」

「ふうん…」

安田君はしゃれこうべが描かれた座布団にちょっと押されて座らされ、いつの時代設定なのか分からない写真スタジオの花魁セットみたいな作り込まれた室内を見回した。朱色を基調にした煌びやかな部屋だ。巨大な菊が描かれた奥の襖、濃紺や橙色やエメラルドグリーンや金色で升目ごとに違う装飾が施された天井、二羽の鶴が水辺から飛び立つのを紅葉の枝の陰から見ている構図の豪華絢爛な打掛、もっと近寄って子細に眺めてみたいけれど、消え入りそうな揺らめく雪洞の明かりで空間全体がゆらゆらしている。

「これ趣味?」

「そう。結構本格的でしょ。ちょっと自慢。だけど、難しい歴史の話されても困るから…そういうお客さん結構多いけど…私形から入るタイプだから。これから勉強するからそこは許してね。ただ京都に卒業旅行して記念に花魁変身体験したら世界観に惚れちゃったってだけ。あんまり深堀しないでね。ありんすとか、最初のうちは言ってたんだけど使い方間違ってるよってもっとちゃんと詳しい人に凄い怒られて凹んでから封印しちゃった」

「へえ」

「そう…えっと…安田さんて結構無口だね…でも大丈夫…私が喋るの頑張るから…えっと…隣の部屋も見る?」

雪はそれまで自分の膝の上に両手で包んで温めるように持っていた安田君の手をぽんと本人の膝の上に返却して、一人で立ち上がった。天井から藤の花房を垂らして隠していた朱色の紐を引くと、それまで壁に見えていた分厚い暖簾が幕のようにするすると左右斜め上に巻き上がり、煌びやかな畳の寝室が表れた。求愛する孔雀の広げた羽が三面にわたって描かれた壁の中央に、真っ白な小花が吹雪のように散る模様の金と抹茶色の豪華な布団が敷いてある。

「可愛いでしょ?隣の部屋の女の子が辞めたのと、私の蒐集品が一部屋に収まりきらないほど増えてきたので、壁をぶち抜いてもらってここも使えることになったの。じわじわ営業成績も上がってきて、まだそこまでではないんだけど…ちょっとこの趣味にお城の方でも目をかけてあげようかってなって特別に贔屓してくれてるみたい。…この煙管はね、」

雪はさっと赤い暖簾をくぐって一瞬姿を消し、煙管を片手にまた現れた。

「私煙草吸わないんだけど漫画の影響で色っぽいなと思って欲しいな欲しいなとずっと探し回ってて、深夜オークションで桁を間違えて買っちゃったの。この部屋の中で一番の高級品。でも間違えて買っちゃって本当に払いきれない額だから、どうにかして返品するかもう一度売るかしかないなぁって担当の社員さんに言ってたの。そしたらその人が城の偉い人に掛け合ってくれて、もっとこのお城で頑張れば貰える目標達成のプレゼントがあるんだけど、まだ私達成してないのにこれを前祝にしてくれるって、他の子には内緒だよって、もう貰っちゃったの。100年くらい前にこのお城で暮らしてた有名太夫に実際に使われてた煙管みたいで。凄くない?」

雪はうっとりと手に持った煙管に目を落とした。安田君は座布団から立ち上がり、奥の部屋も見学させてもらえると思って入って行こうとして、優しく胸に手を当てて止められた。

「床入りはまだダメ。ごめんね。三回通ってくれたらこっちの部屋にも入れてあげる」

「三回?」

「そう。ごめんね。私そこだけは譲れないんだよな。」

「ふうん」

「怒らない?」

「別にいいよ」ユキにはそんなルールはなかったけどと安田君は思った。

「良かったぁ。そんなの話が違う、って怒り出す人も多いんだけど、安田さんは分かってくれて」

雪はもう一度安田君の手をとり、自分の柔らかい頬に当てて睫の陰からちょっと見上げてきた。そんな風なことしなくても充分ドキドキしてるよと安田君は思った。

「でもここのルールってどうなってるの?分かりにくいし怒り出す人が多いのも頷ける」

「ルールなんてないみたい。とにかくお城で待ってる子のところへお客さんが来るか、反対に待ってるお客のとこへ女の子が出向くかして、そこで二人が合意の下で一時を過ごし、お城にお金が入れば何でもありみたい。ルールはその場その場で決まるというか。」

「そうなんだ…」

雪は手に持ったままだった、安田君が興味を示さなかった煙管を置きに、もう一度赤い暖簾に隠された秘密の場所へ消え、すぐに出てきた。今度はそれを敷居のすぐそばで見ていた安田君には揺れる暖簾に隠された私的空間がほんの少し垣間見えた。ステンドグラスみたいな障子の窓があり、その下に小さな黒塗りの文机と、鈴が付いた引手の和箪笥と、金魚鉢と、それから安田君の家にあるのと同じ小型の冷蔵庫が見えた。それとポットと目覚まし時計。

「ここに住んでるの?」

「週の半分はここで、もう半分は実家かな。自分の部屋もこんな感じ。でも親には雪洞に本物の火を入れるなとか置物もこれ以上増やすなとか言われて…だんだんこっちの方が暮らしやすいなぁって思って引っ越し考えてるところ…なんで?」

(自分と出会った時ユキもここに住んでた…)と安田君は思った。

「この城のどこかに…」

しばらく雪のこだわりの世界観に圧倒されて目的を見失っていたけれど、自分は自分の彼女のユキを探してここまで来たのだったと思い出した。けれどユキという源氏名の女の子は他にいないみたいだし、もし名前を変えてまだここで働いているとしたら、自分に探し当てられたくなくて名前を変えたのかも知れない…

「本当は自分が指名したのは別のユキなんだ…もう三年とかくらい前なんだけど…」

「あー…安田さんもその口かぁ」

「えっ?」

雪はつまらなそうな顔をして唇を尖らしポイと安田君の手を放した。

「前のユキさん人気者だったみたい。もう何人かに同じこと聞かれたもん。『あれっ、きみじゃない、前のユキちゃんが良かったのに、』『あの子はどこ行ったの?知らない?』『あの子に会いたい』…って」

「…そうなんだ…」

二人ともむっつりと暗い気持ちになった。

「安田さんは初めてお城に来たわけじゃなかったんだ?さっきはそんな風に聞こえたから…」

「三回くらいしか来たことないよ。」

そのあとはユキが家まで遊びに来て、住み着いた。付き合ってるとこっちは思っていたけど、そう思っている男は他にも何人もいたのかも知れない。

雪の方が先に気を取り直して、気持ちを切り替えようと誘うように安田君の腕を掴んで揺すった。

「名前を変えちゃったか、店を移ったんでしょ。しつこいお客さんに目を付けられたとか彼氏にバレたとか何かで、多分。気にすることないよ。三年も前にちょっと何回か会っただけの人でしょ?」

「いや、一緒に住んでたんだけど。ちょっと前から帰って来なくて。もともと猫みたいな子だったけど…」

「…なるほどー…」雪さんは座布団のところまで歩いて行ってぺたんと座った。

「別れて後悔して探してるのか…」

「うん、まあ、そうなのかな」

「出て行くとき最後に何か言ってなかったの?あなたの彼女のユキさんは?」

「さあ。いつが最後かもよく思い出せなくて…」

「何それ?」

「もともと僕も彼女も帰宅時間とか不規則だったから…」

「ふうん…?付き合いだしてここでの仕事は辞めたんじゃないの?彼女」

「いや、働き続けてたと思う。多分」

「そもそもここでの名前がユキなの?本名は?」

「知らない」

「知らない?」雪さんは繰り返した。「本名を知らない?」

「名前で呼んでなかった。なぁちょっと、とか、おーいって」

「ふーん…まぁ長く一緒にいればそうなるかな…名前か店を変えるとか、変な客に気に入られて困ってるとか何も聞いてない?その子家で仕事の話題は出さなかった?」

「話してたかもしれないけど、でも覚えてないなぁ…だからここにいるかもしれないと思って…」

「電話は?」

「出ない」

「友達とか家族は?」

「さあ」

「お城以外の行きそうな場所は?思い当たらなかったの?」

「うん」

「諦めるしかないな」雪が爽やかに言い切った。

「そんなに興味がなかったんなら簡単に忘れられそうじゃない。あまり好きでもなかったって事よ。目の前からいなくなられると喪失感だけは大きく感じたりするもんだよ。私の友達にずーっと同じ男の子とくっついたり離れたりを繰り返してるのがいるけど、くっついてるときは文句ばっかり垂れてて離れたら相手の良かったとこばっかり語ってるよ。その子にもいつも言ってるんだけど、他の人を探しなよ。新しい人を。いくらでも見付かるから。安田さんなら。」

「ありがとう…」いい子だなと安田君は思った。

「ただ…忘れようにも荷物が置きっぱなしなんだ…」

「そんなの捨てちゃえば」

「そうなんだけど…」この子は貰ってくれないよなぁと趣味が全く違う部屋を見渡した。

「あっ!そう言えば…」突然思い出して大きな声が出た。

「ユキの友達がいたんだった、おとわさんて言う。」

「乙和ちゃん」ユキはハッと思い当たるところがある顔をしたが、それから少し疑わしそうな目付きになって安田君をジロジロ見た。

「乙和ちゃんとは仲良いけど、今は別のお店で働いてる…お客さんに家まで尾行されて学校も突き止められて凄く大変な目に遭って…今どこで働いてるかは私が教えてあげることはできないな。もしユキさんじゃなくてあなたの目的が最初から乙ちゃんだったら…まさかとは思うけど万が一って事もあるし…今すぐ信じてあげられなくて。ごめんね」

「そうか…」

「ごめん。」

「いや、いいことだよ。友達想いで。女の子はそのくらい慎重で良いと思う。…こっちの連絡先を渡してもらう事はできる?」

「うん。あなたもすごく優しくていい人みたい。安田さんに捜される彼女さんが羨ましい…」


「どうだった?」

駐車場で落ち合った米田先輩は先に自分の車に乗って待ってくれていた。数字のパズルの本をポイと後ろのシートに投げて聞いてきた。加島君は首を横に振った。

「会えませんでした。別の子がユキを名乗ってて」

「その子はいい子だった?」

「はい。」

「じゃ良かったやん。」

「はい」

先輩が加島君の背中をぽんぽん叩いた。

「…俺も自分の相手に聞いてみたけど、後から来た子が前からいる子とあんまりおんなじ名前を使うことはないみたいだから…もうここにはいないかもな。お前の彼女」

「そうですね」

「諦めろ。新しいゆきちゃんに乗り換えろ。音沙汰もないんだろ」

「そうですね」

先輩の携帯が鳴り、自分で文面を読んでから加島君にも見せてくれた。

「さっきの子からだ。また来てねって。俺の相手もいい子だったよ。」


 家に帰ってきてドアを開けた瞬間、これまでは信じたことがない霊感が急に働くようになったみたいに、どこがどう変わったとはっきりとは分からない違和感を感じた。誰かがさっきまでここにいたような…部屋の中を不審げに見回し、窓が施錠されているか確認し、押し入れと浴室を覗いて見た。散らかっていて元通りかどうか分からない。でも金品が漁られたりはしてないようだ。それからなんとなく聞き耳を立てながら蛇口を捻り、手を洗った。何か物音が聞こえた気がして素早く水を止めた。上の階の住人が外の階段を足を引き摺りながら上っていく音だった。

 自分がいない間にユキが帰って来たのかも知れない…玄関を開けた瞬間に微かにあの子の香水の香りがしたような…

加島君は押し入れの中の三段の衣装ケースから引き出しが閉まり切らないほど溢れ返ったユキの衣類を調べてみた。大体どれも見覚えはあるが、ここからなくなっている物を思い浮かべるとなると急に難しくなる。

(そうか、そんな風にしていなくなるつもりなのか…)悲しくなった。

『あなたが失ったものは大したものじゃないよ』と花魁の雪さんが励ましのつもりで言ってくれた言葉を思い出した。それから何て言ってたかな、あの子…確か…

『それほど好きでもなかったって事よ。そんなに関心がなかったなら…』だったかな。

でも違う。無関心だったわけではない。ずっと一緒にいると思っていたから、ゆっくり教えてもらえばいいと思って焦らないように待っていたんだ。向こうから話してくれるのを…最初のうち加島君は色々なことを一度に知りたがった。当たり前に本名も住所も歳も聞いてみた。どうして城で働くことになったのか、家族は何人いて今どこに住んでいるか。将来の展望は?いつまで城で働いてその先はどうするつもりなのか?

『そんなことまだ分からない。馬鹿だから私』へらへら笑ってユキは誤魔化そうとした。『ただできることやってるだけ』

『先のことをまだ考えてないのは分かった。これから二人で考えよう。でも今までのことは?』

『そのうち全部教えてあげるから』とユキは言っていた。問い詰めると目を逸らして苦しそうな顔をした。

「これ以上聞かれたら逃げ出すか嘘をつくしかなくなるなぁ」とふわふわした声で言うので、無理に追及するのはやめたのだ…

もしユキが自分の仕事中にこっそり少しずつ自分の荷物を持ち出していったとしたら、自分はいつ確信を持って気付くだろう…と加島君は思った。でももしかしたらこれまでにももう何度か荷物を持ち出しているのかもしれない。自分が不在の間に…

加島君は不意に気付いた。スノードームがなくなっている。衣装ケースの一番上に飾ってくれていた…初めてのクリスマスに彼がプレゼントしたものだ。

(どこへ持って行ったんだろう…今どこにいるんだろう…ちゃんとしたもの食べてるのかな…)林檎ばかり齧っていたのを思い出す。

仕事中は長い髪を束ねて一つにまとめ模造真珠の髪飾りで綺麗に留めていた。あんな長いたっぷりの髪がなんでそんな小さな道具一つでまとめられるのか不思議でしょうがなかった。ブラシを持って試しにやらせてもらったけど難しくて同じようにならず、あちこちから毛先が飛び出した変なお団子頭にしてしまった。あの時の髪の匂いはロクシタンの限定のナントカというやつだ。冬に咲く白い花の…売り切れるから早く買いに行こうと朝早くに叩き起こされてオープン前のデパートに並んで待った。そんなことしてる人は他に誰もいなくて、馬鹿みたいだとか、日付を間違えてたかなとか言って笑いながら喧嘩した。髪は街を歩く時だけ肩に下ろして、家の中でもずっとアップにして高い位置で留めていた。柔らかくて真っすぐで指で梳かすとひんやりとした、睫と同じ真っ黒な髪…今でも眠りながら触れようとして手を伸ばしてしまう…もし本当に大して好きでもなかったなら…毎晩こんな苦しさに苛まれずに済んでいるはずだ…

(何が問題だったんだろう?…それともこれは長めの旅行のつもりか?)放し飼いにして飼っていた猫が小学生の時にいなくなり、高校に通いだしたある日ぶらっとなんでもない顔をして少し瘦せて帰って来たのを思い出した。野球部の朝練で家族の中で一番早く起きて出て行こうと玄関を開けたら、ミケは外で待ち構えていて、頭を加島君の脚に擦り付けながら家の中に入って来た。あの子もそんな風に簡単に考えているのかも知れないが、もうすぐこの家は引っ越さなくてはいけない。就職が内定して社員寮に入ることが決まったから…なぜ電話に出ないんだろう?送ったメッセージにも既読が付かない…これまでもそんな子だったし、こちらもそれに慣れてしまって相手と同じような対応をとるようになっていた。電話をとらなくても返事しなくても、それでもこれまでなら放っておいても彼女は1週間もすれば帰ってきていた。もともとお城に住み込みで働いてた子だったから、これまでは喧嘩にもならなかったけど…


 米田先輩は先に来てもう一人で持ち上げられる荷物を積み込み始めていた。

「早いですね」

急いで軍手を嵌めながら駆け寄り箱の底を半分持って重みを分担すると、

「今日も行くぞ」と先輩が言った。

「えっ?」一瞬何のことか分からなかった。

「お城。今日はいらん?」

「二日続けてですか?」

「俺は行くけど」

「それで急いでるんですか」加島君は先輩の目を見ようとした。「奥さんは…」

「昨日帰って話したらホッとした顔して『良かった』って言ってたよ。私のためにも良かったし俺のためにも子供のためにも良いことだって。満足げだった」

アイスクリームのお代わりを勝手に何杯もお茶碗にご飯みたいによそってくれた米田さんの奥さんの屈託なさそうな笑顔を思い出し、結婚って複雑だなと加島君は思った。理解が及ばない他所の家の事情はあまり深く考えないことにした。

 木蓮の街路樹の木陰にトラックを止め、から揚げ弁当を食べ終わってちょうど塵を捨てて帰って来たときに、加島君の携帯電話にも昨日の女の子から連絡が届いていた。

「乙和ちゃんが会って話したいって言ってます。今夜会えますか?私と三人で私の部屋で。料金はとりません。二人ともお休みの日だから」

加島君は先輩に声をかけた。

「米田先輩。今日自分も行きます」


 AIロボは走って来なかった。その代わり今日の門番はお堀で鯉に餌を撒いているおじさんだった。二人が通り過ぎようとすると籠に緑色のコーンフレークみたいな鯉の餌を新聞紙に包んで満載にした自転車の向こうから小走りで回り込んできた。

「定期券お持ちです?」

米田先輩がポケットからコースターのようなものを出し、おじさんはそれを見てどうぞと門の方へ手を振った。また餌やりをするために橋へ戻っていく小さすぎるジャージのおじさんの後ろ姿を見て、あの人には絶対に見覚えがある…と加島君は思った。ユキが城から帰る自分の後を追いかけてついて来たときにもおじさんはここで鯉に餌をやっていて、何してるんだろうと橋の下を覗き込んだ二人は凄まじい鯉の食べっぷりに二人一緒にビックリし、圧倒されて飽きずに眺め続けていた。あの時はおじさんが気さくに話しかけてきて、

「一緒に餌やりする?」とユキの手に慌てて両手で作った杯から溢れるほどの謎の餌を乗っけてきたのだ。

『ひえぇ何これぇみみずぅぅ?!』とユキが悲鳴みたいな声を上げながらそれをいっぺんに投げ捨てるようにして橋の下の鯉にあげてしまい、お堀が沸騰した鍋みたいな大騒ぎになって、加島君もお腹を押さえてゲラゲラ笑った。その時記念にと写真も撮ったかもしれない。

「おじさん、すみません」加島君は咄嗟に声をかけていた。

「ユキって源氏名の古い方の女の子を知りませんか?」携帯に残っているユキの李のパフェを食べに行った時の顔写真(これが一番写りが良い)も出して見せてみた。

「この子なんですけど…」

「お城の子?いっぱいいすぎて覚えきれてないよ」おじさんが一応自転車のハンドルにぶら下げた小さい鞄から眼鏡を出して掛けて見てくれながら首を振った。

「女の子はいっぱいおるよ。わしには一人一人見分けがつかんけんど。あんまりこの門を出入りする人も少ないしね。他に出口も入口もなんぼでんあるさかい」

「そうですか…」

加島君は首を横に振りながら待ってくれている米田先輩の隣に戻った。二人は団体の下城する酔客達と砂埃の舞う広場ですれ違った他は誰にも会わなかった。無人の廊下で別れた。昨日と同じ光が今日は最後まで道案内してくれて、雪さんの部屋の前まで辿り着いた。

(襖ってノックしていいのかな…)と考えて、検索しようとしているとするすると自動的に内側から開き、知らない女の子が出てきた。すらりと背が高い。加島君よりも高身長だ。

「安田さん?」

「あっ」そうだ今自分は安田だったんだ、と思って加島君は頷いた。

「僕は…はい。おとわさんですか?」

「そうだけど…」二人はどうも面識がなかった。相手の顔を見ながらどちらも(ピンとこないなぁ…)と思っていた。

「どうしたの?」雪さんも戸口まで見に来て、首を傾げ合う二人に手招きした。

「とりあえず中へ。廊下には長い時間ウロウロしない決まりだから」

結局おとわさんも加島君が知っているユキの友達のおとわさんではないことが分かった。ユキの友達はユキと同じくらいで160㎝なかったはずだ。一回か二回しか会ったことがなくてもそのくらいは分かる。厚底の高いハイヒールを履いていても自分より背が低かったのだ。

「店が変わるたびにみんな名前を変えるんですね」ガッカリして安田君は言った。

「そういうわけでもないよ。」乙和さんが答えた。

「そのままの名前を使った方が集客できると思ったらそのままでいくし、同じ店でも気分変えようとしてとか後から占いでもっといい名前見つけてしまったとかで時々変名する子もいるし」

「お客さんが混乱しますね」

「混乱させたいんでしょ」雪さんが言った。「すぐ二人で源氏名交換し合う双子もいるし。朝凪と夕凪って子達だけど」

「有名人だよ。うちのお店にも噂は聞こえてきてる。左頬のほくろまでマスカラでチョンと付けて、コピーしてどっちがどっちか見分け付かなくしてるって」

「何が楽しいのか分からないな…」

「からかったりからかわれたりがいいみたい。今日はどっちが出てくるんだろうって思いながらルームナンバー渡されて…」

安田君は一応ユキの写真を二人に見せたけれど、二人ともやっぱりごめんね、知らない子だわと首を横に振った。

「古株の先輩達に聞いたら、前にいたユキさんも名前をころころ変えてたかもしれないって。それにあまり自分の事を人に話さない人だったみたい。いい噂はあまり…結構約束事が嫌いで、ちょっと怠け者で、誰かがユキさんのためを思って注意をするとふわっとどこかへいなくなったりしちゃって。でも柔らかい印象の綺麗な人だから待ってるお客さんが大勢いて、クビにはならない…それどころじゃなく別の女の子の常連さんからもよく指名を受けて揉めることも多かったとか…」

「仕事仲間を敵に回すと長期間同じ職場ではやり辛いな…」

「ここでなら自分の部屋に閉じこもってれば良いんだけど…でもユキさんはふわふわ出てきて女の子の集まりにもよく顔は出してたみたい…だけど人に話しかけておいて自分は上の空で…」

それは確かに間違いなくユキだなと安田君は頷いた。

「ユキの部屋は?」

雪さんは首を横に振った。

「名前をすぐに変える人がいつまでも同じ部屋を使うとも思えない。それに城はしょっちゅう内装工事をやってて内側は二年でほとんど全部作り変えられる。この前まで階段があったところに売店ができてたり女の子の個室がずらっと犇めいてたところが広い舞台になってたり…」

「なんでそんなことするだろう?それじゃあお客さんが混乱する…」

「さあ…」雪さんと乙和さんは目を見合わせた。

「多分混乱させるためじゃないかな。惑わすため。飽きさせない努力してるのかな。…この部屋も昨日と明日とで違うルームナンバーを与えられて私達ドアの数字を付け替えてから営業するし、お客さん達が辿ってくる道案内も毎回違うルートだし…」

安田君はゆったりとした広い螺旋階段にずらりと並んだ美女達の色とりどりなドレスをまとった壮観な、あのユキと初めて出会った階段が今はもうどこにもないのを知ってしまって悲しかった。

「迷宮だなぁ。この城は…」

乙和さんと雪が何か二人だけにしか分からない目配せをし合ってクスクス思い出し笑いし始めた。説明を求めて見つめていると、雪さんがやっと笑いやんだ。

「私は自分の家から通ってるしオトちゃんは外へもちょくちょく呼び出される営業スタイルだったからそんなことなかったけど、ちょっと引きこもりみたいな先輩達は結構いて、自分は外へ一切出ないで自分の部屋に食べ物も衣装もエステシャンも医者も何でもかんでも呼び寄せて、数年部屋から出ずに過ごす人が割といるの。特に凄い出不精の先輩は入店してから辞めるまで一度も外に出なかったとか。私の友達の姉さんで、自分の部屋の前の廊下ぐらいにしか出てこない人がいて、だけどずーっと前から神と崇めてたダンサーがハワイから初来日するコンサートにだけは絶対に行きたいからってチケット取って、10年ぶりに外へ出ようとしたら、道が分からなくて迷って遅刻しそうだからって泣きながら「助けて。ここが何階かも分からない。私を見付けてー」って言ったらしいの。だって二週間寝込んだだけでも通行止めだった廊下は階段に変わり前はなかった渡り廊下が出現し踊り場だったところはお手洗いになってたり、売店がすっぽり消えてエレベーターになってたりするの。その先輩は、下城しようとしてたのになぜだか自分の部屋よりも高層階で捜索隊に見付けてもらった。」

「あの時は面白かった」

「大昔はお姫様の逃亡を阻んだり侵入者を攪乱する目的もあったのかも」

雪さんが立ち上がり、ちょっとお腹空いたねと言って、お盆におやつとジュースを載せて持って来てくれた。

「ここでの短い期間の源氏名しか知らないとなると探すのは難しそうだな」安田君は二人が言いにくくて言えないことを自分から認めた。

「…そうですね」

「古株の先輩達もユキさんがいたって事だけは知ってたけど、行き先までは…」

「もともと自分でも自分がどこへ行こうとしてるのか分かってないような子だったから」

「他にもこういうお店はいくらでもあるし転々としてるのかな」

「フリーでも働けるし」乙和さんが携帯電話をチラッと気にしながら言った。

「フリーって?」

「どこにも属さないで個人でやってるのかなと思って」

「街角に立ったり」

「助けてくださいって呼びかけたり」

ユキが知らない人と待ち合わせて歩いて行く後姿を想像した。なぜか雨が降っていて、歩きながらユキが傘を閉じ二人が同じ一つの傘に入るのを後ろからまるで見たことがある情景みたいに鮮明に思い浮かべられて、安田君は気分が悪くなってきた。

「帰ります。ごめんなさい。ありがとう」

雪さんが慌てて立ち上がって小さな可愛い巾着型の保冷バックに安田君が手を付けなかったフルーツ大福を詰めて持って帰らせようとしてくれた。

「いや、甘い物食べられなくて…」

「黙って受け取るのが優しさだよ。」乙和さんが言った。「私等に見えないところまで来たら捨てていいんだから」


 玄関の前で、右手に持った鍵を鍵穴に差し込む直前に、息を殺して立ち竦んだ。中に誰かいる予感がした。誰かいるとすればそれは合鍵を持っているユキでしかありえないのに怖くて、そろそろとできるだけ音を立てないように鍵穴に鍵を差し込み回した。それでも小さな金属音は耳の中にこだまする。

「ただいま」と呟く。控えめなゴールドの飾りが付いたハイヒールがきちんと揃えられてたたきの隅に寄せて置かれている。廊下と一つしかない部屋を仕切るドアは必要ないと思っていつも全開にしてるのに、今夜は閉じかかっている。部屋には既に明かりが灯っていて、中央で立ち竦んでいる薄茶色の服を着た人影が磨りガラスに映っている。

「ユキ?」

部屋の中にいたのは見知らない女性だった。ほっそりとした腰で緩くベルトを結んだガウンコートを着こなして、ヌードベージュの手袋を履いた片手にカチッとしたボストンバックをぶら下げ、何も持ってない方のもう片方の手は今まさに何か隠したところみたいに加島君が表れてから後ろめたそうに握ったり開いたりした。澄ましたマネキンのような表情を浮かべたとても上品な洗練された綺麗な人だけれど、勝手に人の家の中に立っている。

「泥棒ですか?」落ち着いて聞いてみた。

相手はニッコリ笑顔を浮かべ、ゆらゆらっと首を横に振った。

「ユキの母です」

「そんなわけない」

謎の女性はどう見てもユリより10歳も上ではない。お姉さんと言われていればそうかもしれないと納得するしかなかったがもう手遅れだ。相手はきちんとした身なりの雰囲気の良い大人の女性だけれど、いかにもな大きく口の開いたボストンバックを下げ、人の家の中に無断で上がり込んでしれっとしている。加島君は大股に近づいて女から鞄を取り上げ、中を漁った。今朝加島君が出掛ける時までカーテンレールにぶら下がっていたユキのシフォンのブラウスが出てきた。それからそれによく合わせていたスカートも。鞄をひっくり返して揺さぶるとプラチナのアンクレットが入った青い小箱も転がり出てきた。急激に押し寄せてきた冷たい怒りと悲しみと疑問でパニックになりそうだった。

「なんで自分で取りに来ないんですか?」

加島君は女の唇の端から絶えない微笑を睨みつけた。

「ユキはどこにいるんですか?怪我してるとかですか?」

「教えられない。ごめんなさいね」

「出て行ってください。二度とこんなやり方はするなと伝えてください。」

女の腕を掴んで玄関へ引っ立てながら怒鳴った。

「合鍵返してください。ユキはメッセージ読むこともできないんですか?死んだんですか?」

女がコートのポケットに手を入れ、飾り一つない銀色の裸の鍵を加島君の手のひらに置いた。そしてまたポケットに手を戻した。自分の靴を見下ろし、加島君の顔を見上げて、落ち着いた声で言った。

「出て行くから放して」

もともとこういう生き方をして何とも思わない子だったんだ、と思った。自分と一緒にいれば何か変わるかもしれないと望んでいたけれど…こちらが全身全霊をかけて誠意を表し続ければいつか伝わって、まともな正しい道へ戻してあげられるかもしれないと信じていた…けれど、気持ちが踏み躙られただけだった。

女の腕を離す。

「死んでるほうがマシだ」靴を履いて出て行く女の背中に向けて捨て台詞を吐いた。


 部屋に戻りさっき女が立っていた場所に落ちたユキの衣類と宝石の箱を拾い上げた。だんだん不安になってきた。もしかしたらあの人は本当にユキのお母さんで本当にユキは返信も打てない状況にあるのかも知れない。間近から見るとあの人は思ったよりも年齢が高かった。丁寧なお化粧で上手に隠していたけれど…

 尻のポケットで携帯電話が鳴り、メッセージ受信を知らせている。開いてみるとさっき別れたばかりの雪さんだった。

「引き抜きにあったのかも知れないです。安田さんの彼女のユキさん。ここにいるにはもったいないよ、とか、もっと好条件で働かせてあげるよ、とか言って、たまに同業他社が成績の良い女の子を引き抜きに来るんです」

目を上げると、ベッドの上に紙片が落ちている。さっきあの人の鞄をひっくり返したときにそう言えば小さな白いものがひらりと動くのを目の端で見た気がした。手で覆い隠せるサイズのカード。拾い上げて見ると店名と電話番号だけが印刷されている。

それから思い出した。なぜ忘れていたのか分からないが、前にもユキの母親もどきに会っている。今さっきの人ではない。もっともっとお婆さんだった。

 加島君はすとんと床に腰を下ろして天を仰いだ。

二人でユキの母親に会いに行ったとき、加島君はデパートの地下の食料品売り場で二人で時間をかけて選んだ何が好きか分からないというユキの母親に渡すバームクーヘンの紙袋を片手にぶら下げていた。呼び鈴に応えて玄関のドアを開け出てきたお婆さんに、隣でユキがハッと息をのんだのを見て、その時も(嘘だ)と直感したのだ。二人は初めて会った面識のない人達みたいにぎこちない態度で接していた。二人は明らかに初対面だった。お婆さんはしまいには痴呆でユキのことが誰なんだか分からないんだというふりをし始めた。脚が悪いからと言って車椅子に座ったきり一度も立ち上がらなかったけれど、完全には気を許せずにずっとお茶の用意をするユキと僕の動きを見張り続けていた。

『お母さん、冷蔵庫になんにもないですよ』と言って買い出しメモを用意するユキを隠し切れない不審げな目で見てから、なぜか話を合わせ、『卵と納豆と…』とか買ってきて欲しいものを唱え始めた。毎週お母さんの面倒を見に実家に帰ってるとユキは言っていたのだ。毎週帰っていて、一から必要な物が一つも分からないのでは不自然すぎる。あれは付き合いたての頃のことだったし、こんな苦しい下手くそな無茶な嘘には何か大きな事情があるんだと思ってとにかく目を瞑って騙されていようとした。自分の実家だと言い張る家の中でユキはスプーンがどこにしまってあるかも分からなかった。

『お母さんの看病しに行く』と言うから緊張して髭も剃ってきちんとした服を着てついて行ったのだけれど、このお婆さんはじゃあ誰の母親で自分たちはこの人の家で誰の代わりを演じてるんだろう、これは誰のための虚言なんだ?と意図も分からず、どこへ行きつくのか正しい着地点も見えず、恐ろしくて、自分から均衡を破りたくなくて、何も聞けずに全員で奇妙な芝居を演じ切った。くらくらしながら

『娘さんとお付き合いさせていただいております。加島拓斗です』と挨拶した。

お婆さんが頻繁にユキと間違えて呼びかける名前がもしかして彼女の本名だろうかと、あの時もちょっと考えてみたけど、いや違うなとすぐに考え直した。(きっとこの人の本当の娘さんの名前なんだろう…)と思った。

少なくともそれ以来加島君の知っている限りユキは嘘を吐くのをやめたようだったし(自分には手に負えないと自分で気付いたらしい)加島君も下手過ぎる虚言に少し安堵した。この子、巧妙ではないらしいなと分かって。


 拳の中に穴を穿ちそうなほど硬く握りしめていた鍵を自分のキーケースにしまい、(たった8g。ユキから自分へ返ってきた重み。)どっちからあたってみようかなと考える。

何線の電車に乗ってどの駅で降りどう歩いたか、あのお婆さんの家までの道程は多分思い出せると思う。それからベッドに落ちていたカード…これがユキをスカウトした店の名刺だとしたら彼女に辿り着くのは簡単かもしれない…



続く



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