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お城  作者: みぃ
19/40

サンスポ百万とるぞ!! オーッ!! マンションの話

 彼氏の社宅アパートに転がり込んで、毎日エッチしまくっておりました。わたくし、若菜、その当時20歳。10年前のことでございます。


 彼氏の名はヒロシ。彼の職業はホストでした。ホストというものは顔が抜群に良いかスタイルやセンスが良いか女心に取り入る何か優しい能力があるかだと、私はヒロシに会うまでは思い込んでおりましたが、このヒロシという男の子はどれも全部あるかのような、ないかのような、気まぐれな色男でした。ただとにかく精力だけはお盛んで。そりゃあもう、凄いのなんのって。

 出勤前に同伴デートに行くのですが、その時に一発かまし、18,19時頃、職場に入ってから24時まではシャンパンやら酒を飲んで金を稼ぎつつ体力を回復し、24時で一旦店が営業終了するので、その時最後まで居残っていてくれた女性とアフターで一発、それからまた日の出とともに営業再スタートする店の出勤に合わせて同伴の女の子と一発やってから出勤し、JRの始発が動き出す5時頃まで酒を酌み交わし、6時頃また最後の客を抱いてやってから帰ってくる、と言うハードスケジュールをこなした上に、まだ私とも別に仕事でも無いのに退勤後や出勤前に1,2発やるような子なのです。

 今から考えても、ヒロシという男ほどの怪物のような絶倫セックスマシーンを私は未だ聞き及んだこともございません。こちらはまだそれほどまでセックスの良さを理解し得ない年頃だったこともあり、ヒロシが有り余る精力をある程度他の女性と発散して帰ってきてくれることに安堵を感じておりました。

愛情はあっても、体はヒロシの求めに応じきれないのです。

 後々考えてみれば、その当時のヒロシという男は、若く、美しく、阿呆で、逞しくて、モテるので、とにかく欲望のまま、求められるまま、無尽蔵に湧き出す弾を乱射しているだけの、何も考えていない人だったのです。

前戯もそこそこに、「もういい?もう入れて良い?」と聞いてきて、答えも待たず、ぶっ挿します。

まるでカーブも何も無い小学校低学年の運動会50メートル走みたいに、

「位置について!よーい!ドンッ!」のかけ声が聞こえるよう。ドンドン、ドンドン、自分勝手にゴイゴイゴイゴイ真っ直ぐ突き進み、下になっている私にボトボト汗をまき散らし、「もういくよ?いって良い?」と勝手に始めた事を勝手に終わらす、と言った感じ。こちらは彼の下で歯を食いしばって、まるで彼が蹴散らすグラウンドの砂になり彼の用が済むのをジッと耐えて待っているようなものです。当時は、その行為自体には私はあまり良さを感じていませんでした。

ですが、全部終わった後に、彼がいつも清々しい笑顔になって晴れ渡る朗らかな明るい声で「ありがとう!気持ち良かったね!大好きだよ!」と言い、愛着のある目で私に温かく笑いかけ、私の首や胸や唇にチュッ!チュッ!と力の強い熱いキスをしてくれるので、それなりにわたくしもヒロシを可愛い男だなと思い、愛しておりました。それなりに。

一生涯、共に過ごそうと言うほどの誓いで無いことは互いに薄々と感じていながらも、その時は、(今、自分が後先も無く溺れている男はこの人だけ・・・!)と、ヒロシの方はどうか知りませんでしたが、わたくしの方では信じて疑っておりませんでした。

これだけは事実です。


 わたくしは、ヒロシに疑われるまで、浮気なんぞしたことがありませんでした。これは本当に本当のことです。


 が、自分こそ毎日のように枕営業していてバレバレなのを隠そうともしないくせに、ある日ヒロシが始発で帰ってくるなり、まだ寝惚け眼で(何だか今日はやたらにピンポンピンポンチャイムを鳴らすなぁ・・・また酒に酔って鍵を無くして帰って来たのかなぁ・・・)と思いながら出迎えた私の両肩を玄関口で掴んで、血相を変えて、怒鳴りつけるように言うのです。

「お前、藤田さんとやったのか!?」

藤田さんとは誰のことなのか私には知るよしもありません。「それが誰のことなのかも分からないし、やってないし・・・」と言うのですが、彼氏ヒロシは凄い剣幕。遠慮無しの男の力で私の両肩を前後にグイグイ揺さぶるので、顎がガクガクして、うまく喋ることもままなりません。藤田さんとは誰なのか、どうやって浮気などしてないと証明できるか、と、一生懸命に考え続ける脳も頭蓋骨の中でブンブン揺すぶられ、灰色のスムージーにでもなってしまいそうです。脳震盪ものです。

「とりあえず、やったかやってないか目で見て確かめる」

と言い出し、ヒロシは私の腕を掴んで奥の部屋へズンズン入っていき、私を畳に敷いた布団にボンと押し倒しました。服を脱ぎだしたヒロシを見上げながら、私は心の中で、(あぁ藤田さんって、確かヒロシを今の業界に引っ張り込んだという野球部の先輩の・・・よく噂に上るあの藤田さんのことか、・・・紹介されてもないし私は顔も知らないわ)と思いました。ヒロシに引っ張って破られる前に、自分で自分の服を脱ぎ、これからされることを待ち受けていました。

 ヒロシはいつものように身勝手に、いつもよりは激し目に、事を行いました。ジョギングする男と踏まれるグラウンドのようなあのいつものやり方です。ただ今日は最初に「入れるよ」という予告が無く、代わりにパンツを脱いだ私の脚を両方とも足首のところで掴んで持ち上げて、自分の両肩に私の両脚を担ぐようにして、窓から差し込む朝日に当ててじっくり観察するようにしていたのと、鼻を近付けクンクン匂いを嗅いだり、ペロペロ舐めてみて味を確かめたりしていました。

ヒロシはとにかく酔っていました。酒臭いのなんのって。ヒロシの吐き出す息でこちらも酔いそうなほど。濃い濃度のアルコールの蒸気が顔に吹き付けられ続けます。気分が悪くなりそうです。さすがの惚れてる男の男前と思ってる顔ですがそばにあってもこの日ばかりは嬉しくありません。私は顔を首の可動域限界まで捻って背けていました。

酔っ払いヒロシは普段から苦手な力加減もより出来なくなっているみたいで、こちらの握り締められた二の腕は絶対にあとで痣になっている激痛です。爪が食い込み、体重の乗った肘に押し潰され、・・・激しく打ち付けられては引き出され、打ち込まれては引き出され、を繰り返しているデリケートゾーンはまるでひりつく地獄の拷問のような痛みです。

この日だけはヒロシは最後までなかなかいけないみたいに、私の上で長いこと奮闘していましたが、ついに諦め、投げ出すように私を押しのけて、布団から立ち上がりました。ふらつく足元を誤魔化すように、仁王立ちになり、ふんぞり返って、「帰れ」と私に言い放ちました。

「お前もういらねぇ。鍵を返せ。出て行け。今度荷物まとめて全部持って帰れ。とりあえず、今すぐにここから出て行け」

そう言って私を布団から引っ張り起こして立たせ、まだ私は素っ裸のままなのに、背後からドンドン小突いて短い廊下を歩かさせられ、玄関のドアを大きく開けて、外へ突き飛ばされました。


 そうして私は外の廊下に出されました。剥き出しの両膝と両手を付いて。四つん這いで。

ガチャン、ガチャン、と言う音で、(嘘でしょ)と思いながら振り返ってみると、ドアが閉められ、鍵も掛けられてしまったのです。

 私は冷たいコンクリートの共用廊下を裸足の脚で踏んで立ち上がり、ドアノブをガチャガチャ回して、本当に鍵が掛けられてしまっているのを確かめました。ピンポンピンポンしつこくチャイムを鳴らしてみましたが、私は酒に酔ったヒロシがどんなけたたましく執拗なアラームの音もチャイムも無視して眠り続けられるのをよく知っています。

ヒロシは部屋の奥へ戻って眠ってしまったに違いありません。いつも「どうやって帰ってきたのか覚えてない」とか言ってる記憶力のないヒロシの事です。私を一糸纏わぬ姿で外に放り出したことも、きっと寝て起きたら何一つ覚えてないに違いありません。ひどい男です。

 今にも、この廊下に数ある部屋のどこかのドアが開いて、服を着た住人が仕事とか学校とかに出かけようと出てきて、私の姿を見るかも知れません。あるいは逆にこのフロアに住む誰かが今にもエレベーターから降りてきて、自分の部屋へ戻ろうとして、宇宙人みたいに素っ裸の私が廊下にいるのを目撃するかも知れません。


 ヒロシと私が住んでいるのは13階、最上階の、1303号室でした。共用廊下の手摺りから外を見晴らせば神戸の町並みが、更に背景には六甲山の景色が広がっています。家々の屋根が私の裸の股下に、裸足の足元に、広がっています。季節は早秋。時刻は早朝。山から海へ吹き下ろす冷たい風が、私の肩から長い髪を吹き払います。決して濡れることのない川のせせらぎの中に身を浸しているかのような爽やかさ。ヒリつく股の間にも、涼やかに清い風が流れていきます。もし風に色が付いていたら、私の体にぶつかって二手に分かれた水色や桃色の風が渦を巻き、背中や脇腹や太ももの裏側でまた合流して深みを帯びた紫色に変わり、海風に乗って大洋へ流れていくのが見えたかも知れません。


 私はだんだん腹が立って来ていたのも、すぐに一旦、忘れてしまいました。どうしようも無い状況過ぎて、逆に開き直って肝が据わってきました。


 そもそも「家出して来い。うちに留まれ。荷物も大事な物は全部早く持って来い。もう帰るな。一緒に暮らそう」などと初めに私に言ってくれたのはヒロシなのです。私には帰る家が無くなっていました。今更、身一つで、どこへも行くことができません。上着も、ブラウスも、ワンピースも、Tシャツも、パンツも、ブラも、靴も靴下も、何かしらの布一枚、人に見られずに入手することはできない状況。

思いがけない突風にでも吹かれて、どこかのベランダの緩んだ洗濯ばさみから抜け出たシャツが飛ばされて来るのをスッポンポンのままここでただジーっと待っているわけにもいきません。

エレベーターで一階に降りて道路脇を歩き、最寄りのコンビニへ行ったとて、ハンカチ一枚買えるお金も携帯も何も持っていません。

今のわたくしは野生生物も同然。いいえ、そんなこと言ってしまっては野生生物に申し訳ない。雄選びの能力も無く、肌を隠す毛も失っている分、野生生物より劣るツルッと丸裸の震える愚かな生き物です。

クズ男を本命にして本気で信じたり愛したりするような女もまた、クズ女なのです。


 (よぉし。)と、私は考えました。

(このフロアの全てのドアを片っ端からジャンジャン叩いて、ピンポンピンポンチャイムを押して回って、ノコノコ顔を出して出てきた人には、着る物とお金を恵んでもらおう。同じフロアの住民のよしみで。もし『共用廊下に変態がいます』と通報されたら、駆け付けたお巡りさんに『自分は1303号室の飲んだくれ男の恋人で、浮気を疑われて部屋から丸腰で放り出されました、浮気してるのは彼の方なのに』と嘘偽り無く正直に語ってやろう、)と。


 情けなくも、まだ未練たらしく、最後にもう一度、自分を閉め出した男の部屋のドアをノックし、覗き穴を覗いてチャイムを押し、果てしなく待ってみたものの、返答はありませんでした。

「よし。」と本当に腹をくくりました。


 まず手始めに、と、右隣の、1304号室の部屋のドアをノックしてみました。待つほどの間も無く、いきなりドアが開きました。背ばかりヒョロヒョロと高い、髭の剃り痕が赤い血の滲む傷だらけの青年がヌボーッと出てきました。まだ鼻の穴の中に白いシェービングクリームの泡が残っています。これから出かけるためもう既に起きて髭を剃っていたところだったようです。

 エレベーターで擦れ違ったり、このドアを出入りしているところを見かけることがあったので、一応前から顔くらいは知っている子です。多分学生かな、だとしたら年下だな、とは推測していました。真正面からこんなにジッと顔を見たのは初めてでしたが。

 なかなか男らしいキリッとした太い眉、その下の綺麗なアーモンド形の目は驚きに丸く見開かれ、瞳孔の茶色い大きな瞳が忙しなく私の体のあちこちを点検し、それからまた目と目が合わさりました。

青年は改めて、すぐちょっとドアを閉めたそうに隙間を細め、それから黒目の幅くらいだけ開けたまま、なんとかそこで踏みとどまってくれました。

「あのー、」腹は括ったはずの私も実は人見知りなので、あのー、の続きがなかなか出てきません。

「どうされましたか」機械みたいな声で青年がぎこちなく聞いてきます。

「えっとー・・・」

「DV男から逃げてきたんですか?」青年がドアをまた少し開いて、その中で一歩、足を後ろにを引き、なんとなく私が入り込みやすい空間を広げるような動きを見せたので、(この人は好意的にこの状況を解釈しようとしてくれてる!私の味方になろうとしてくれてる!)と直感で私は感じ取りました。藁にもすがる思いだったのです。

「そうです!」と私は一歩前に躙り寄りながら訴えるように言いました。「そうです!」ともう一度念を押すように繰り返しました。

誰かに聞いて欲しかった今までの彼氏にも親にも友達にも誰にも言えなかった恨み辛み、言葉にならずただ飲み込んできた悔しさや切なさ、もどかしさが、ここへ来て、この初対面にも近い人に一気に理解して欲しいみたいになって、バッと涙となって溢れ出てきてしまい、青年もどうして良いものか分からなくなってしまったみたいに、キョロキョロしながら、ドアを給水する蝶の羽みたいに開いたり閉じたりして、たじろいでいましたが、私と一緒になって最後にはしゃがみ込んでくれ、優しく温かい手のひらを私の頭のてっぺんにおいて、言いました。

「とにかく何があったか知らないけど、うちの家の前で裸で泣かないでください。とりあえず入りますか?ちょっと何か羽織れる物をお貸ししますから・・・」

青年はいよいよドアを大きく開けて私を中へ招き入れてくれました。


 一人暮らしの男性の家に入るというのは一つの大きな経験です。

間取りが同じ隣の1304号室の部屋の中は、1303号室と同じで窓が一つしか無く、この人の体臭で満ちていました。石鹸と、運動部の部室みたいな男の子の汗やら何やらの香り、それからゴミ箱の中に捨てられてるらしい、彼氏もよく食べるカレー味のカップラーメンみたいな、嗅いだことのある香りと、まだ他にも男子特有な色々なものが入り交じった・・・一番新鮮で濃く香るのはシェービングクリームと血の香りです。背中には当たらないよう手を添えられて部屋の奥へと進みながら、チラリと横目に見えた洗面台に、蓋を開けたままの瓶と刃を上に向けて置かれたT字カミソリ、血が混ざってピンク色の白い泡が見えました。

「これを着てください。一番新しいマシなやつだから」青年はそう言ってハンガーに掛かった自分のシャツを腕を伸ばして渡してくれました。

 もし大勢の人間が裸で外を彷徨いても誰もなんとも思わない世界なら、私もこんなにも惨めな気持ちにはならなかったのですが、人間とはなんとも弱っちい生き物です。服を着ていないと、それだけのことで、もう消え去ってしまうか死んで意識を失ってしまいたいほどに二進も三進もいかなくなるのです。

私は涙が出そうなほど感謝しながらこの青年のシャツを借りて着て、またやっと人間に戻ることができたような、人心地を取り戻しました。

「これからどうしますか?警察とかに連絡しますか?」青年はポットで湯を沸かしながら聞いてきます。

きっと私も雨の日に拾ってきたクシャミしている猫とかには、毛皮を乾かしてやる綺麗なタオルと温かいミルクとかを出してやろうと思うのだと思います。この男らしい太い眉毛の親切な青年も、私を可哀想な生き物を見る目で見ているのかも知れない、と思いました。それが悪い気が全くしないのです。わたくしとは、そういう生き物なのです。

人の親切を糧に生きている、自分を弱く見せなければならない、つまり弱い、それを強かという人もいる、寄生虫のような生物なのです。

 わたくしは瞬時にして、(この男の子に取り入ろう、)と腹を決めました。

(たとえこの子に彼女がいても、構うもんか。奪い取ってしまえ!私に部屋のドアを開いてしまった時がこの子の運の尽きだ!

その代わり、どんな出来の良い女の子と今付き合っていたとしても、この子が後になって後悔しないように、私は全身全霊を掛けてこの男の子に尽くそう!絶対にこの子は心の優しい、浮気をしない、真面目に働きそうな、女性にも優しい良い子に違いないんだから!)と。


 そうと決まれば後は全力投球あるのみです。

私は意識的に、青年から見て自分がよりか弱く、より繊細に見える肩の角度を意識して、すすめられて正座していた座布団の上で膝を崩して座り直し、ポロポロ真珠の涙を落としてポツリポツリと語り出しました。濡れた睫の影から青年の反応を伺いながら。

「彼氏を警察に突き出すことはできません。だって大した暴力は受けてないし、荷物もまだあの部屋の中にあって、穏便に取りに行きたいし・・・」ここでポロリと真珠を一粒。

「でも何であんな奴のこと好きになったりしたんだろう・・・一年位前、バイトの帰りに、モノレールの下のあの混み合った自転車置き場で、ペダルが左右のチャリと絡まってどうしても動かせなくなってた自分のチャリをウンウン言って引っ張り出そうとしてたところをあの人が通りかかって、ヒョイって、軽く片手で上に持ち上げるようにして、絡み合ったチェーンからペダルを外して、出してくれたの。その単純な力の強さにキュンと来ちゃって。高架下の吹き溜まりの浮浪者以外誰も見てない薄暗いところで『僕の冷え切ったホッペにチューしてよ、可愛いお嬢さん』って言われて。そんなわけの分からないところからの付き合い。

もう今じゃ大嫌いなんです。毎日浮気して帰って来るし、飲んだくれてるか寝てるかじゃない時は煙草ばっか吸ってるし。それか浮気してるし。

もしかママのお家に帰れたら、もっともっと早くサヨナラって、あんな家、出てたのに・・・」

「家に帰れないわけがあるんですか?」

「あるの!ワケありなの・・・私・・・でも、そのワケは聞かないでッ・・・!!」

ここで真珠とダイヤモンドの輝く雫をもう一つ、二つ、ポロリ・・・ポロリ・・・、そして鼻水が出すぎないように、目を拭う振りをして鼻をおさえ。

 本当は、家出してる間にお婆ちゃんが寂しがって実家で飼い始めた犬にアレルギーがあるのと、彼氏に乗せられて『もうこんな家には帰らないからッ!!』と息巻いて家を出たので、帰り辛いのと、空いた自分の部屋を新婚のお兄ちゃんとその彼女が子供部屋にしたいと言ってるのをチョロリと小耳に挟んでしまったので、少し遠慮があるのと・・・それくらいしか無い。

「いつか教えてもらえるのかなぁ?お家の事情・・・」

青年は湯気の立つマグカップを二つ持って私の前に来て、座りました。まだ布団を被せてない炬燵の上に香りの上品な紅茶を置きました。

(おやっ!)と私は思いました。(おやおや、これは脈ありではないのかな??)いつかそのうちまた今度、もっと仲良くなるにつれ少しずつ、全部事情を教えてね、というのは、この関係に先を求めていると言う心の現れではありませんか?

「お兄さんは彼女さんいらっしゃるんですか?無理矢理上がり込んでごめんなさい・・・」

私は核心を突く事をズバリと聞いてみました。

「彼女はいないので大丈夫です」

「ふうん・・・」私はニッコリしました。彼もニッコリ。

「お名前は?何てお呼びしたら良いですか?」

「ケンイチです」

「私は・・・」

「若菜さんですよね?」

私はビックリしてケンイチくんの茶色い瞳を覗き込みました。私の名前を何故知っているのか?不思議です。ネットで買い物しても、きちんと届くように宛先は彼氏ヒロシの名前を入れていて、置き配の小包にも自分の名前はあまり表に出ていないのに・・・

「彼氏さんが事の最中いつもあなたの名前を叫びながらやってますよね。窓を開け放って・・・毎朝夕。それが凄くよく聞こえるから・・・こちらも窓を開けてたら・・・」

私は思わぬ不意打ちを食らってドキリとしました。ケンイチの目がキラリと輝き、その目の中に媚びるような、女性にある種の頼み事をしたい時の男性特有の、切実な、言葉ではなく雰囲気で訴えかけてくる情熱的な、無言の声を、私の心の耳がしっかりと聞き取りました。

「いけない事とは知ってましたが、あなたの事をもっとよく知りたいとずうっと思っていました。エレベーターに一緒に乗り合わせたり、ロビーで擦れ違ったりする度に、必死で声を掛けたい自分を抑えて・・・あなたの髪の匂いがふわっと僕の鼻に届いたり、ふとしたときに姿が目に入ると、クラクラして・・・若菜さんに中毒になったみたいに、学校で集中して聞かなくちゃいけない講義中もあなたが今何してるのかなぁとか、そんなことばかり考えて気もそぞろになってしまったり・・・

でも若菜さんが入っていく部屋にはもともと男の人が住んでるのも知ってたから・・・」

「そうだったの・・・?」こちらでは、擦れ違いざまに挨拶をしてもボソボソッと聞こえるか聞こえないかの暗い声で、そっぽを向いて返事を寄越すこの背ばかり高い髭剃りが苦手な若者を、人嫌いなのか女嫌いなのかもしかしたら私を嫌いなのかも知れないなぁと考えたりしたこともあったのです。

 私は熱すぎるケンイチの視線に耐えきれなくなり、目を逸らして、紅茶のカップに手を伸ばしました。両手で持ち上げようとした湯飲みが猛烈に熱くて、「アチッ・・・!」と手を反射的に放しました。

「大丈夫ですかッ!?」と、咄嗟にケンイチが両手で私の両手を包み、自分の方へ引き寄せ、表向けて調べて、上目でまた視線を上げました。

女心をくすぐる、心底から(あなたに憧れてます!)と訴えかける目付きです。

「ここに居てくださいッ!僕と!!若菜さんをあんなカッコで放り出すような男の部屋になんか帰らないで。一生ここに居てくださいッ!!」

ケンイチに掴んだままの両手を引っ張られ、あれよあれよという間に、私は彼の真剣な力強い長い腕の中に抱き締められていました。私はお祈りする形に両手を自分の胸にギュッと当て、背が高く腕も長いケンイチは私の体を腕ごと全部抱き締められるみたいです。ヒョロヒョロしてると侮っていましたが、流石そこは男の子、漲るパワーが女の力とは全然違います。

「あぁ、若菜さん、若菜さん・・・」ケンイチが私の髪や耳の縁や首筋に唇を寄せ、匂いを肺いっぱいに吸い込んでいるのが分かります。

 満員電車で知らない殿方にこれをやられたら、(ゾゾゾッ、怖気に殺気モノ!)ですが、不思議なことに、これまでずっと密やかに思いを寄せていましたと真摯に伝えてきてくれた後のケンイチにこれをやられると・・・(ヒロキに愛想を尽かせた後だったからかも知れませんが)、私はウットリとして、全身からトロリと力が抜けてきて、自分の体の重みも全てケンイチの胸に預け、瞼を閉じました。

ケンイチが私の背中と膝の後ろに腕を回してお姫様抱っこして、私を持ち上げ、彼のベッドの上へ、ソッと大事そうに下ろしてくれるのを感じ取り、私は目を開きました。ケンイチは自分のシャツのボタンを上から全部外し終えると、次は私に貸してくれたシャツのボタンも上から全部外してくれました。私の気が変わらないうちにと焦っているのか、ボタンにかける指が震え、余計時間がかかります。でもそこは年長の私です。気長に待ちます。既にケンイチのさっぱりとした短い硬い髪が愛おしく、私も彼の頭のてっぺんに唇を寄せました。彼の体臭は嗅ぎ慣れたヒロキのそれとは違います。でも、好きになれそうな良い香りです。使っている石鹸が違うのか、同じ石鹸でも使う人の体臭と合わさると香りは千差万別に変わるとも言われています。

 さて。

 私はすっかり元通りの裸になり、ケンイチも裸になりました。私の方が肌の色が浅黒く、ケンイチは白桃のような色白です。私を見下ろし、ゴクンと唾を飲み込んだのが、喉仏が上下する動きで分かりました。

「あぁ、こんな日が来るなんて、夢のようです・・・!若菜さん!!」

そう言われると私も弱いものです。こんな状況を作り出したヒロキに感謝の念すら覚えます。

 ケンイチ君の私を愛する愛し方はヒロキと全く違い、比べてはいけないのかもしれないとは思いながらも、比べてしまいました。ケンイチ君は私の体のあちこちに熱い手を押し当て、さすり、(特に乳房をゆらゆら揺らして赤ちゃんみたいにいつまでも飽きずに喜び、)髭の濃い顎をここと言わずどこと言わずザリザリ擦り付け、高い鼻の骨を食い込ませて下腹に頬擦りし、「あぁ、若菜さん・・・」と私の名前を囁くように呼ぶのです。いきなりギュッと両腕を巻き付けて抱き付いてきて、しがみついたまま体を左右に揺らし、迷子だった子供が母親を見付けて飛びついてきて離れないように、甘えた声を出すのです。いかにも、本当にこれまでずっと慕っていてくれたかのように。嘘でも構いません。今だけでも騙してくれるのなら。

 秋風に吹かれ冷えきって凍えていた私の体も、ケンイチ君の熱を分け与えられ、二人で布団をかぶっていると熱が籠もりすぎて熱いくらいになってきました。もし私の体がチョコレートでできていたなら、ドロドロに溶けている筈です。ケンイチ君の触りたがるところ、視線や鼻や唇を近寄せていきたがるところが、私の体の中でも一番熱い、一番湿り気を帯び、一番溶けそうになっている、腿と腿の間の奥深いところへと、だんだんだんだん集中してきました。

「もう入れて」と、たまらなくなって私の方から彼にせがんでしまいました。

 生きていくため、この家に住まわせてもらうため、オンナの力でも何でも使えるものは全て使ってこの純情そうな男の子を落としてやれ、と目論んでいた私ですが、こちらからせがむようでは、企みとアベコベです。ケンイチ君の重く硬く充血した熱いダンベルみたいなモノを実はずうっと握り締めていたわたくしですが、自分の熱い水面へと、引っ張って近付け、こちらも腰の位置をずらして、真っ直ぐに受け入れる体制を整えます。

「もう準備は整ってますか・・・?」

ケンイチ君は触って確かめようと手を私の脚の間に滑り込ませようとしましたが、私はその手を掴んで止め、首を横に振りました。裸を見られても、ケンイチ君に対してはまだあの部分を触ったり見られたりするのははばかられるのです。

「大丈夫だから、見ないで、入れて」と私は目を閉じて言いました。初めての男性と致す行為は女性にとって、初めて乗るジェットコースターのようなものなのです。もう乗ってしまったが最後、途中で降りることはできない。どんなコースを辿るのかも未知の状態。だから始める前にある程度相手の男性を心から好きになり信用できているか、心底騙されるかしていたいのです。

ケンイチ君は慣れてない様子でしたが、その分、一生懸命にこちらが痛くないか気遣って、全部すぐには入れてしまわずに、少しずつ少しずつ小刻みにジワジワと彼のソレを私の秘部へと沈めて来ました。途中、

「痛くないですか?」とわざわざ動きを止めて聞いてきてくれます。

その優しさには感動、思いやりにはキュンキュンします。ですがこちらも緊張して呼吸も浅く不規則になって気も抜けないので、ある程度の思い切りも良く、一気に到達しうる一番奥深くまで、行き着くところまではある程度スムーズに到達して欲しいのです。ですが一回目からそんな自分好みの我が儘ばかりも言っていられません。最初から相性は概ね良かったのです。


 ケンイチ君はその日学校をずる休みしました。私たちは昇ってきた日が陰り、小雨がぱらつき、また太陽が顔を出し、日が沈むまで、何度体を重ね合わせたのか、もう数も数えられないほど身も世もなく求め合いました。私の湖もケンイチ君の泉も枯れ果て、干上がってヒリヒリして、ぐったりして、もう嫌というほど汗をかいて飽き飽きしてきた後にも、まだ服を着るのがもったいなくて、互いの裸の体を眺めていたくて、どちらかがシャツを羽織ろうとし出すと、邪魔をし合って、ずっと生まれてきたままの姿で夜までいました。

夜は腕と脚を絡め合って眠り、日が明けると次の日は日曜日でした。ケンイチ君は大学がお休みです。今度はアルバイトを仮病でお休みしました。

「すみません、昨日からずっと腹痛で。はい、申し訳ないですが・・・」とアルバイト先に真剣に嘘を吐くケンイチ君の横顔と裸の引き締まった脇腹と腰と脚の筋肉を私は横たわったまま見ていました。熱い紅茶を啜りながら。ケンイチ君の大学もバイト先も同じ女の子が、二日も続けて休んでいる彼を心配して電話を何度もかけてきましたが、私はちょっとイラッとしたので、彼がコソコソその子と喋っている間に何度もケンイチ君に話しかけ、「誰と話してるの?」「まだなの?」「けんくんけんくん、」「早くベッドへ来てー」などと電話の相手へも聞こえるように言ってやりました。

摘み取れる浮気の芽は未然に徹底して摘み取り、除草剤も撒き散らしておかねばなりません。ヒロキを愛する愛し方とケンイチを愛す愛し方とでは、同じ私という人間も、人が違うように真剣になったのです。


 翌日は遠慮がなくなり始め、愛の行為も激しく、互いの限界を見極め、限界を超えさせあうような、危険なものとなりました。

 私は枕に顔を埋め、声を押し殺そうとするのですが、ケンイチ君は私から枕を取り上げて、部屋の向こう側へ放り投げ、「声を聞かせてください!」と言うのです。

「窓の外から響いてくる若菜さんのその甘い声をずっと盗み聞いてたんです!声が!セクシーです!窓を閉めた日はありませんでした!声を!声を聞かせてください!!」(彼はだんだんに荒々しく突き上げるようになってきました。きっと、もう後戻りできないようにさせてやろう、怪我させても良い、責任は自分が取りたい、という嫉妬の念も湧き出してきたのでしょう)「声を聞かせてください!今は僕があげさせてる声だ!!あなたの声も今は全部僕のものだ!!」

彼は私のお尻や、背中や、肩や、足の裏を、手の届く範囲の私の全てを、まるで家畜のように、ジョッキーがゴール間際で乗っている馬を鞭で無茶苦茶に打ちまくるように、平手で叩きまくりました。こちらが下になっている時も、上になっている時も。私も私で、アンアン泣き、自分の喉からこんなはしたない大声が出るのかと自分でもビックリなほど大きな悲鳴を上げ、歓声を上げ、もっともっとやって!あたしをぶち殺して!とでも言うように高らかに叫びまくりました。

(愛されてる!あたし愛されてる!今、幸せだわッ!!みんなにもこの悦びを知って欲しいわッ!)と言うように、マンション中の住人に只今の愛の行いを知らしめてやろうと、天にも昇る声を張り上げました。


(前編、一応終わり。)




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