1話
机の上に広げられていた教科書とノートをまとめて閉じて、机の中にしまう。
数学で脳をフル稼働させたせいか、はたまた昨日深夜までFPSをしていたのが原因なのか。俺には全く分からないがともかくクソ眠い。机に突っ伏してそのまま寝る体制へと移行する。
周りにいるクラスメイト達の騒がしい声が、今はむしろ心地良かった。がやがやしてはっきりと聞こえない声をBGMにして眠りにつこうと目を瞑る。
「――――」
声が聞こえる。
明らかに自分に話しかけているわけではないだろう声も、なんか気になることがある。あれうざいんだよな、絶対俺じゃないよなって思いながら、でももし俺だったら……って考えたら顔を上げざるを得なくて、結局俺の真横の人に話しかけてるだけで妙に負けた気になるっていう。あれ。
なので俺は顔を上げない。なにせ俺は常にぼっちであるわけなので、そもそもの話高校で話しかけられることなんかほとんどない。どうせ俺じゃないやろ。うん――
「軽揆くん」
「はい!」
全速力で顔を上げる。俺だったみたいだ。
目の前にいたのは、ほとんど絡んだことのない……いやクラスメイトほとんどと絡んだことは無いけども、その中でも特に絡んだことのないであろう女子の方だった。
「これ、昨日のプリント」
そう言って、彼女――確か桜乃さんといったか、黒髪ロングで大人しそうなその人がプリントを手渡してくる。
見れば、どうやら国語のプリントのようだった。思い出したのは昨日、国語の時間に仮病を使って保健室で爆睡していたこと。
その時に貰ったプリントを、先生はなぜか彼女に預けたらしかった。
「ああ……ありがとう」
「ううん。それじゃあ」
俺がそれを受け取ると、すぐに自分の席へと戻っていく。
現代文のプリントだ。まあ、気が向けばやっておこう。ファイルに挟んで、適当にバックに詰めておく。
にしても、なぜ桜乃さんが? 疑問に思いつつ彼女が去っていった方向へと目をやると、いつも桜乃さんと一緒にいた気がする金髪ショートカットの人が桜乃さんと談笑をしていた。
誰だっけか。山、山……山本さんか。うん、確かそうだった気がする。そうか、そういえば確か彼女たちは二人揃って国語の係だった。どうやらそういうことらしい。にしても、普通に机の中に突っ込んどけばいいのにって感じだけども。
疑問の塊はあっさりと溶けた。俺は再度机に突っ伏して寝る体制に入る。
――――次からは、ちゃんと顔を上げて確認するようにしよう。
陰キャの考え事は程々に、俺は残り少ない休み時間を睡眠に費やそうと目を瞑る。
……。
……。
…………。
「…………?」
違和感。
さっきまで騒がしかったはずの教室が、いや今も騒がしいことには騒がしいのだが、なにかこう気配が違うのだ。
ざわざわと、各々が好き勝手にしゃべっているのではなく、なにか特定の者に対してのリアクションのような……。
気になって、顔を上げる。みんなが見ている方向へと俺も目を滑らせると、そこには一人の男子生徒が蹲っていた。
「おい、大丈夫かよ」
友達らしき人が、その人に声をかける。体調を崩したのだろうか、彼はそこそこの声量で「うう……」と唸っていて、結構な大ごとなのではないかと感じてしまう。
「おい、竹中……?」
「……うぁ」
いや、大丈夫かあれ?
なんか目は虚ろだし、微妙に体に力が入っていない感じがするし、まともに喋れてないし。
キンコン、と校内放送の音が鳴った。全員の意識がスピーカーへと向く。
そこから聞こえた声は。
『皆さん、今すぐ逃げてください! 安全な場所に、今すぐ!』
「………………はあ?」
誰かが漏らした声に、恐らく全員が同意しただろう。
何が言いたいんだ? 相場としてはいたずらだろうか、全校放送でこんなおふざけをするとか相当度胸あるなこの人。
『ゾンビが、学校に――』
なんてことを言って、ブツリと音を立てて放送は途切れた。
ざわざわ、とクラス中が何事かと騒ぎだす。大半は、というか恐らく全員がこれをいたずらだと思って面白がっての反応みたいだが。
あーあ、これは相当怒られるぞ放送した人……。指導室の先生がアップを始めました。
「竹中、保健室連れてってやるから」
そんな中でも竹中さんというらしい彼の腕を友人が引っ張る。彼はゾンビがどうのこうのよりも友達の体調の方が心配らしい。マジでいい人じゃん。
竹中さんはそんな彼をみて、差し出されている腕を見つめる。
「――――ぁ゛あああ゛っ!?」
悲鳴。
声の主は、竹中さんの友人らしき人。
彼は腕を、”竹中さん”に嚙みつかれていた。
「きゃあああっ!!!」
「ちょ、おい!」
大柄な、クラスのムードメーカーの人がそれを止めに入る。近くにいた女子グループが悲鳴を上げて、クラス中はさらに混乱の渦に巻き込まれた。
血をだらだらと腕から流し、彼は腕を抑えて蹲る。
「お前何して――がぁっ!?」
仲裁に入ろうとした彼は、竹中さんに足をかまれて声を上げる。
いや、彼のものだけじゃない。隣のクラスからも同じように悲鳴が聞こえる。扉が勢いよくガラガラと開く音がして、廊下をたくさんの人達が悲鳴を上げながら走り抜けていく。
なんだ、なんだこれ。なんなんだ? 目の前には噛みつくとか言う原始的過ぎる攻撃で暴れ出した少年と、その被害を受けてやばいくらい血を流してるし、沢山の人が教室から逃げ出してるし、それに。
なにより、あの放送だ。ゾンビだとかなんとか言っていたが、もしあれが――目の前で起こっているのが、悪質なドッキリとかじゃないのなら。
……え、マジ?
「に、逃げ、逃げろ!」
誰かが叫んだ。
それにつられて、ほとんど全員が扉へと殺到する。乱暴に開け放たれた出口から、互いに押し合いながらみんなが走って逃げていく。
あっという間に、クラスにいるのは俺と、竹中さんと、その被害を受けた二人だけになった。
…………え、呆気にとられすぎて普通に逃げ遅れたんだけど。
明らかにこの状況はヤバイ。なんか噛まれた二人の様子が、最初見た時の竹中さんみたくだんだんおかしくなってきてるし、そんな人たちと一緒にいるのは絶対にヤバイ。
すぐに立ち上がって、教室から出る。俺が今いる四階は二年のクラスがある場所だが、ほとんど人がいなくなっているようで不気味なほど静かだった。少し遠めの位置にある階段の方からは、恐らく上の階から降りてきている人達だろう声と足音が聞こえていた。
「ええ……どうしよ……」
なんか、焦るべき場面なのだろうが、妙に落ち着いてしまっている。
けど、結局ここに留まっててもどうにもならないし。
どうすべきなのか、そもそもこの状況は一体何なのか。頭の中に渦巻く疑問を押し殺して、俺は廊下を歩き出した。