故郷の手土産くそ重い②
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今日のうちにあちらの村へ渡りたいと俺が申し出ると、村医者アレンから猛反対を受けた。
曰く「昨日山越えてきてんのにロクに休まず出発しようとか、正気の沙汰じゃないぞ」とのこと。言われてみれば確かに、イコには少し休息が必要だし、気が急くままに故郷に突入しても俺の頭が整理できていない。サーシャに頼んでもう一日泊めてもらうことにした。
そういうわけで元来た道をまた四人で戻っているのだが、空気は非常に重たい。八割方は俺のせいだとは分かっているが、どうしようもなかった。
「ナダさあ、急にスイッチ入れるのやめようよ。わたしもサーシャもびっくりしちゃったじゃん」
イコがやれやれと首を振ってきた。
「まあわたしは慣れてきたけど? サーシャは畑でスローライフ送ってる人なんだから、いきなりナイフ出したり脅したりっていうのは心臓に悪いよ」
「イコ、農家は大変なんだぞ……」
「それを差し置いても。“魔女の弟子”モードと“キース”モードの合わせ技は結構怖いからやめてよね」
イコに言われてしまって、言い返せず口ごもってしまった。
サーシャがふうっと白い息を吐いた。
「ナダが暴力に及んだことももちろん驚いたけれど。……あの話を聞くに、閉ざされていた間あちらは言葉に尽くしがたい苦労があったのだね」
「サーシャ……ごめん、サーシャに聞かせる話じゃなかった」
「いいや、僕は聞けて良かったと思ってる」
サーシャは俯いて、口元をスヌードに埋めて灰色の目を揺らした。
「最初、道が開いた時……現れた君の同胞は酷く僕らを警戒していた。とてもお腹が空いていたのに、食べ物をまったく受け取ってくれなかったんだ」
拒絶するのも分かる。外の者に五人も連れ去られた後では、警戒心も不信感も並大抵のものではないはずだ。
「まあ、結局は食欲に負けて食べてくれたよ」
「やめてくれ、キースが腹ぺこ民族みたいに聞こえる」
「違うのかい?」
……違わないかもしれないと思えてきた。
俺自身、腹が減ったエピソードは数え切れないほどある。イコと出会ったのも行き倒れのようなものだ。
「ふふ、うちの村の食べ物は美味しいからね。ともかく、彼がどうしてそんなに怯えているのか分からなかったが……合点がいった」
「…………」
「いつかさ。僕が生きているうちでいいから、一度彼らとゆっくり話してみたい。彼らの見てきた世界を見てみたい。……そして問いかけてみたい。三百年前にこちらへの道を閉じたのは、もしかして、ヴォドラフカの人間を守るためだったのかと」
サーシャはやはり捻じ曲がってなどいない。とても心根の真っ直ぐな優しい人だ。
きっとあの双子も、子供ながらにそれを分かっているだろう。アリークとセリカも本当に純真な子供たちだ。あの子らが例えば俺やベイのような目に遭うと考えただけで胸が苦しくなる。
(そうか……桐生やパドフさん、寮母のメリアさんも同じ思いだったんだろうか)
追われているかもしれないという恐怖に負けて、高等部には進まず孤児院を出る道を選択した時、孤児院の大人たちは一様に顔を暗くした。
もしかしたら俺は知らず知らずのうちに、結構たくさんの人の心を痛めていたのかもしれない。今になって申し訳なくなってきた。
そんなことを考えながらサーシャ宅に着くと、何と学校が終わったアリークとセリカが既に帰って来ていたものだから、ずきりと胸が痛んだのだった。
「やった! やった、出来た! ナダくん見てた? 見とったよな!?」
びょんびょんと飛び跳ねながらアリークが歓声を上げた。屈んで片手を掲げて見せ、駆け寄ってきたアリークとハイタッチを交わした。
「見てた見てた。やったな、あのベイの肩に触るなんて凄いぞ」
「よーっしゃー!」
今日もサーシャが夕飯を作ってくれるというので、その間双子と遊んでほしいと頼まれた。アリークは体格のいいベイがちょっと、いやかなり気になっていたようで、そわそわチラチラ見やるので俺がアリークを誘って簡単な遊びをすることにした。
ルールは簡単。「ベイの肩に手が届いたら勝ち」。全力で手を避けるベイの肩に、どうにかこうにか届かせようと、アリークはさっきからチョロチョロと後ろへ右へ、跳んだり跳ねたりしていたのだった。
ずっとジャンプしっぱなしだったアリークは息を切らせているが、興奮して頬が上気している。一方でベイはちょっと疲れた顔になってしまった。
「お疲れ、ベイ。水飲むか?」
アリークが他所を向いている隙に能力を使って水を現し、コップに次いで差し出した。ベイから恨みがましい視線が投げかけられた。
「てめえ後で覚えてろ」
「何だよ現役傭兵、情けねえぞ」
「ガキの体力に三十路のおっさんがついて行けるわけねえだろが……お前が相手しろよ山岳民族」
「うっかり“魔女の弟子”モード発動しちゃうかもしれないだろ。そんなことしてアリーク泣かせたくねえんだけど」
「ああ言えばこう言う」
ぐいっと飲み水を呷って息を吐き出したベイは、ふと耳をひくつかせた。
「あー……まずいな」
「敵か?」
「いや違う、違うが……おいナダ、お前ちょっと女子トークに混ざって中断させて来い。何でもいいから話変えてやれ、今日のばんめしの話にでも無理やり変えて来い」
「急にどうした? 一応俺たちの常識人枠だろ、急に倫理観失くしたようなこと言うなよ」
「空気読むのはお前の取り柄だろうが。何でもいいからさっさと行け」
ベイの挙動がおかしいのは、子どもと接したせいだろうか。無理やりイコとセリカの方へ押しやられてしまい、物理的に二人の話に割って入る形になってしまった。
「あー……二人は何の話を?」
「いけないよナダくん、女の子同士のお話を男の子は聞いちゃいけないのよ」
「チッチッチ、甘いなあセリカ。恋バナには敢えて男の子を混ぜて、本命との橋渡しになってもらうんだよ」
ハイ出た女子の嫌なところ……と言わないだけ俺は偉い。
どうやら二人はおままごとをしているフリを装って、恋バナをしていたらしい。セリカは急に大人びた顔になって、ほんのり赤く染まった頬で上目遣いに見上げてきた。かわいい。
「内緒だよ。ここの三人だけの秘密ね。破ったらナダくんの髪ぜんぶ引っこ抜くからね」
「それは嫌だなあ。大丈夫、誰にも言わないよ」
「じゃあ耳かして。あのね、ナダくんは知ってるかなあ……」
屈み込んだ俺の耳に、口元が寄せられ。
「……ベイさんって、好きな人いるのかなあ?」
完 全 理 解。
同時に脳みそが溶け出しそうな心地になった。何だこれ。幸せ度数がカンストしてる。ちっちゃい女の子のウィスパーボイスに、淡い恋心というスパイスが加わって、世にも極上の音色を奏でている。
(それはさておくとして……ベイが“泣かれる”って言ってたのはこういう意味か)
イコちゃんの初恋の相手が爽やか系お兄さんだったように、セリカにはワイルド系のベイが当てはまってしまったようだ。とんだ初恋キラーだ。
「セリカはベイのどんなところが好きになったんだ? あいつ結構怖い顔してるだろ」
「うん。セリカも最初はちょっと怖かった」
でもね、とセリカのかわいい囁き声に甘さが深まった。
「あのね、セリカは背が小さいから、高いところにある物を取れなくってね、でもベイさんが取ってくれたの。それで、本当は優しい人なんだなって思ったの」
セリカは真っ赤な顔を手で覆って声にならない悲鳴を上げた。イコが堪らないといった感じにぎゅうっと抱きついた。高いところなら俺も届くんですけど。
ワイルド系かつ大人の男である“ベイさん”にはそれに加え、見た目のギャップというアドバンテージがあったわけだ。ああ本当に何という初恋キラーだ、罪作りな男め。
しかし残念ながら、俺たちは明日にも出発する身。セリカにはちょっとほろ苦い失恋を味わってもらって、アリークよりも少し大人になってもらうしかない。
「セリ――、ッ!?」
言いかけて突如、俺の口内に苦いものが広がった。
比喩ではない、本当に何か苦くて鉄臭いものが。
(ダメだ落ち着け……ここで吐血なんぞしてみろ、セリカのトラウマになるぞ)
えずきそうになるのを必死で抑え、思い切ってごっくんと飲み下した。俺の様子に気付いたイコが視線を飛ばしてきたのを、なるたけ穏やかに視線で返した。
「悪いセリカ。俺ちょっと外すよ」
「ねえ誰にも言っちゃダメよ?」
「言わないったら。ちょっと外の空気吸ってくる」
浅く小さく呼吸を繰り返す。幸いセリカは俺の異変には気付いていない。
ずっと燻っていたものが突然形を得て、まるで大蛇がのたうち回るが如く、ぐねぐねと暴れ出さんとしている。
それを御しながらどうにか歩き方を思い出して階段を降り、サーシャの呼びかけに応える余裕もなくもつれるようにして外へ飛び出た。肌を刺すような寒さが全身を襲う、その寒さですら能力を抑える材料には足らない。
「カハッ……ェホ、ゲホッ……」
「ナダ! 血を吐いとるのかい?」
「さわ、るな……どうなるか分からんぞ。血の付いた雪は燃やす、双子を中に居させて……ッぐ、ゴポッ」
止まらない。内臓という内臓が蠢いて、喉から出てこようとしているようだ。
チェンは「ベルゲニウム保有体としての機能が限界を迎えている」と言った。半年前で既にそんな状態だったのだから、よく持ったものだと思う。
「あと少し……ほんの目の前だ。ここで不意には出来ん。抑えて見せるさ」
「ナダ……」
「アレンの決断は正しかった。ここの夜は訪れが早い、昼間に準備して発っておれば日のあるうちに彼方へ渡れやしなかった。早朝に発たねば間に合わん」
「何故分かる?」
細心の注意を払って能力を調整し、血を吸った土を燃やした。その様を驚いて見守るサーシャの顔が浮かび上がって、また闇に紛れた。
記憶をすべて取り戻してから、感覚で把握できる距離はどんどん広くなっていた。今ではだだっ広いこの村と、南の山向こうの村、更には“北の壁”の向こうまで感覚が及んでいる。
同族の気配がそこに集まっている。俺が血を吐き出したのに合わせて慌ただしく動き出した。あちらも俺の存在を把握している、というか、これだけ分かりやすく力を放出していては素人でも気が付く。
彼らの位置はサーシャ達が思っているよりも遠いのだ。半日あれば辿り着く距離ではあるにせよ、暦はもう十一月を数えてしまって日照時間が短い。
「サーシャ。俺から離れた方がいい。当てられるぞ」
「……上着を持ってくる。凍えてしまうよ。ああベイ、来てくれたのか。ナダについていてくれ。君の方が付き合いは長いのだろうから」
ベイはベイで、能力を感じ取る第六感のようなものを持っているから、俺の傍に来るのは本当は嫌なのではないか。そう思ったが、ベイはこちらに来て俺の背をパシンと叩いた。
「正気だな?」
「お陰様で」
「明日朝一で出るぞ。イコはもう休ませた」
「セリカたちは……? 子どもは勘がよく働くから、当てられてやしないか……」
「バカか、まずはてめえの心配しやがれ。だいぶ落ち着いたようだな、お前も少し寝ろ。抑えとくにも体力使うだろ」
「家の中に入るのが怖い」
「甘えんじゃねえ。俺らの命を秤に乗せとけ、そうすりゃ簡単に覚悟は決まる」
ベイに力強く腕を引かれて立たされて、心臓辺りに浅黒いこぶしが押し当てられた。
「俺ァずっとそうしてきた。俺と俺の率いる奴らの命と、その他大勢の命でだ。最初から無理やり傾けておいた天秤だ、そうやっていろんなものを欺いてやり遂げんだよ。お前もそれくらいやっていい。出来ねえとは言わせねえぜ、いいかナダ、お前は“ベイザム”を引っ張り上げた男なんだよ」
痛む体にベイの言葉が刻まれるようだった。結局ガラクトで俺がベイにかけた言葉のすべては、無意識に自分に言い聞かせていたことだったのだ。
唇を噛んで笑みの形を作って、サーシャに断って寝室へと向かった。イコが大の字になってベッドを占拠していた。
「イコ、そこ俺の寝床……」
「すかぁー」
「もう。どけろよ、ど真ん中で寝るなよな」
狸寝入りを決め込むイコを押しやって、かつてサーシャの両親が寝ていたという広いベッドの端に潜り込んだ。
イコが手を握ってきた。渾身の握力で俺の手を握り潰そうとしてきて、結局は俺の方が力で勝って、イコは諦めてそのまま目を閉じた。
「いや待てよ。そのまんま寝るなよ、もうちょっとそっち行ってくれ。狭い」
「細いから大丈夫でしょ」
「くっついて寝る意味が分からないって言ってんの」
「バカなの? ナダを寝かしつけるためじゃん」
繋いだ手が一瞬解けて、指同士を絡めてきた。咄嗟に解こうとするも、もう片方の手が握った手を包んできて離れない。
「おい……!」
「この手。今ちょっとでも力使ったら、わたしは死んじゃうね」
「……やめてくれ。離せって、今は……」
「離さないよ。今わたしはあんたに命預けてるんだからね、ナダも同じ覚悟で一晩過ごしてね」
ベイといいイコといい、俺に覚悟を決めさせるのが上手すぎる。
俺のことをよく分かっている。だからここまで来てくれた。俺は何も返せないかもしれないのに。
「眠れそう?」
「うん。……いろいろ疲れた」
「そっか。じゃあお休み。えっちなことしないでね」
「しません」
目を閉じた。体は依然痛むが、イコの手が鎮めてくれるように感じて心地いい。
今夜一晩やり過ごせばいい。まどろみから眠りに落ちる中、俺はたしかに安心感を抱いていた。
お読みいただきありがとうございます!
明日で第7章最終話となります。よろしくお願いします!




