故郷の手土産くそ重い①
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村の休眠中の畑の間を、今度は四人で歩いていく。
「イコは寒くない?」
「寒い。鼻で息吸えない……」
「口元をマフラーで覆って、その中で息をするといい。鼻ではなく口からね。そうでないと鼻が凍ってしまうよ、産毛も凍る寒さだ」
「サーシャは良くこんな場所で暮らすなあ」
「農作業は好きなんだ。外は寒いが、その分家を暖かくしているし、冬に呑む温い酒もいいものだよ」
「うわあ大人」
「ふふ。アリークたちが大人になって、一緒に飲むのが楽しみなんだ」
そう語るサーシャの横顔には一つも翳りは窺えない。やはりサーシャは優しい根の持ち主なのだと思う。
「この村に診療所は一つしかない。前は別の医者がやっていたのが、お歳を召して引退してしまわれてね。代わりに中央から若い医者がやって来た。ここはどうしたって閉鎖的だから、馴染めるか少し心配をしていたのだが……今では村のじいさまばあさまがみんな、差し入れを持って行くようになった」
「なるほど」
俺がこれまでに出会った医者はロクな奴がいなかった。この世に“医者”の肩書を持つ人間は皆、変人かガラの悪い人かのどちらかだと、そう思ってしまうくらいには。
何せ第一の医者がチェンである。あいつよく医師免許取れたな。本当は闇医者じゃなかろうな。
「見えた。あの建物が診療所だ」
先頭を行くサーシャが分厚い手袋で前方を示した。
この地域は石ではなく木で家を作る。石造りの家は冷えてしまうから、こういった極寒の地には向かないのだ。木材をぴっちり隙間なく並べ、更に外壁を二重に構えることで、断熱性と保温性、気密性を高めているのだろう。
……という考察はイコのものである。俺には難しいことは分からない。熱を逃がさないように玄関扉が二つあるんだな、くらいだ。
診療所もまったくその通りの建築物だった。二階建てで、広さは大体サーシャの家と同じくらい。煉瓦の煙突からは煙が上がっているし、火を使っている気配もする。
ベイが少し首を傾げた。
「看板はねえのか」
「わざわざ掲げるまでもないからね。皆ここの住人で、診療所の場所も昔から変わらないのだから。アレン先生、南の麓のサーシャだ。お客さんを連れて来たよ」
サーシャが手袋を嵌めたまま、ドンドンと分厚い木の扉を叩いた。
ややしばらく経ってからパタパタとこちらに駆け寄る気配がして、重く軋む音を立てて扉は開いた。
きちんと整えられた黒髪。丸い銀縁眼鏡の向こうから、グリーンの目が光っている。首まで覆う灰色のセーターの上から白衣を羽織って、ボールペンが何本もポケットに刺さって揺れている。
「……お客さん。お客さんってもしかしてさ。白い人たちが言ってたあの?」
「どうやらそうらしいよ。先を急ぎたいそうだから、早速お連れした」
「まあね? そうだろうけどさ。ええ……?」
グリーンの目は俺たちの頭の先から爪先までじろじろと眺めまわした後で、くるっと背を向けた。
「まあ入りなよ。寒いだろ。上着着込んでるんじゃ誰がそうだか分かりゃしない」
「今見てきたのは何だったの……」
イコが呆れたように声を上げた。
……どうしよう、やっぱり変な人だ。
着込んでいた上着やら帽子やらを取り去ると、村医者アレンは「ほー」と感嘆の声を上げた。
「本当だぁ。白い人だ」
「なあアレン先生よ。あんたのことを『キッチリ黒髪のおっさん』って呼んでやろうか」
「ああすまない、気を悪くしないでくれ。確認したんだよ、本当に山向こうの古い人たちの仲間なのかってね。“アルビノ”って知ってる? 生まれつき色素を生成する機能のない人たちを指す言葉でね、彼らは髪も肌も白いし、人によっては目の色素すら薄すぎて、流れる血の色が透けて赤い色をしているんだ」
「俺はそれじゃないよ」
「少し顔を触らせてくれ。ここの頬のところ、ほんの少し継ぎ目のような跡がある。これは“白い人”の若年層に見られる特徴で、最近まで色素があった部位と、それ以前から白化していた部位との差が現れていて――」
アレンの言葉が、右から左へ流れていく。言葉が滑ってまるで入って来ない。
「先生。そういう話に興味があるのは、先生のお仲間くらいだと思うよ」
「そっかあ、面白くなかったかあ。サーシャは面白かった?」
「僕もあまり興味はないかな。白くなっていくのは不思議な現象だけれどね、本人が気にしているのなら触るべきではない」
サーシャお兄ちゃん、ここでもお兄ちゃんっぷりを披露してくれるのか。
アレンは渋々ではあるが引き下がった。
「“白い人”が現れてからこっち、僕はあちら側の診療も請け負ってる。だから彼らへの連絡係も自動的に僕がやることになったってわけだ。まあ普段はそう通信を送る用事はない、『次の往診は再来週になるけどいいですか』くらいだ」
本当に招かれているのだろうか。キース族が通信機器を扱って外部と連絡を取るなどにわかには信じがたいことだし、ましてや人を招くなど……。
「そのついでに俺のことも聞いていたと?」
「そう。そのうちナダっていう同胞が来るから、その時は教えてくれとね」
診療所の一室に備え付けてある通信機の準備をしながら、アレンが感慨深げな声を上げた。
「いやあ、それにしても“ナダ”って名前を聞いた時は驚いた。君、チェンって医者知ってるだろ? あいつから聞いていた通り――」
「ナダッ!」
イコ、ベイ、それともサーシャか。俺を誰かが声で制したが、その時には既に俺の手はナイフを握って、距離を詰めてアレンを押し倒していた。
白衣の襟元を握りしめて乱暴に引き寄せた。レンズの向こうで明るいグリーンの目が慄くのを、ただ睨みつけた。
「やはりな。数ある人間の内、白服を着た輩というのはどうも信用ならん」
「ッ……お、落ち着こう。話せば分かるッ」
「さてどうか。キースを診ているだと? 随分と舐められたものだ、斯様な嘘も見抜けぬとでも?」
「嘘じゃない本当だ! ならあっち側の患者情報そらんじてやろうか? 眼精疲労持ちのマルフ、弓の使い過ぎで肩痛めてフォーム矯正中のピエーレ、バーバラ君はジャンパー膝予備軍だから気をつけてもらって……」
「ペラペラと極秘情報を喋ってくれるな」
「理不尽! 嘘じゃないって証明してんのに!」
(“マルフ”、“ピエーレ”、……“バーバラ”。名前は正しい。ピエーレさんは狩猟班だったはずだから、弓で肩を痛めていてもおかしくない)
俺の中では八年、情報が止まっている。だが僅かなその取っ掛かりとすり合わせて、アレンは嘘はついていない可能性が高まった。
もっともまだ怪しい点は残っている。
「チェンとはどういった繋がりだ? 何故この北の果てで奴の名が出る?」
「言うから……言うからッ、首苦しィ……」
「ナダてめえ、いい加減にしねえか」
ジャキ、とスライドを引く金属音がして我に返った。目だけでそちらを確かめると、ベイが拳銃の安全装置を外して掲げていた。
「ったくよ、銃が目覚まし代わりになるたァな。お前俺に何て言った? 『一般人に銃向けるな』だったか? ナイフならオーケーとか言わねえよな、そんなガバガバ判定するような男じゃなかったはずだが」
「…………」
「見ろ。どんな事情知ってるにせよ、そいつに抵抗力なんざありゃしねえ。たとえ逃げたとしてもお前と俺の足の方が速い。分かったらナイフと殺気と、ついでにその余計な気配も仕舞え」
「……分かったよ」
渋々ゆっくりと手を離した。ナイフも仕舞った。それを見届けて、ベイも拳銃を腰のホルスターに収めた。
深呼吸をして気持ちを落ち着ける。感情的になってはダメだ、ただでさえ能力が溢れ出しそうだというのに、ここで激昂して暴走でもしては意味がない。
キッチンからイコがコップに水を注いで持ってきて、アレンに差し出した。
「ごめんね、ウチの野郎どもが」
「本当だよ。ちゃんと手綱握っとけよな。なあナダよ、君のこれまでは何となく想像できる。初対面のくせして訳知り顔した医者を信用ならんのも分かる。だから君から少しでも信用を勝ち取るためにも、提供できるものは何でも差し出すつもりだ。何が知りたい? まずはチェンとの関係から? いいよ、もちろん話すよ」
アレンは水を一気に飲み干して、デスクチェアに腰を下ろした。
「チェンとは同級生だよ。僕の方が五歳くらい年上のな」
□ □ □
乱れた髪を撫で付けながらアレンは、机の上をガサゴソとより分けていた。ノートや医学書の積み上がる隙間には写真立てが飾られていて、アレンは懐かしそうにそれを手に取って眺めた。
「医者を志して入った大学で、風変わりな学友がいてね。そいつは孤児院出身でありながら、中等部すっ飛ばして高等部もスピード卒業して、奨学金勝ち取って医学部に突っ込んできた風雲児だった。いや、まさに風の如しってね、何せ医学部は代々医者のエリートか金持ちしか集まらないから。まだ高等部くらいの齢で、しかも孤児で、大陸東部系の奴なもんだから、人一倍目立ってたよ。チェンの奴は」
チェンがワイユ出身だとは訊いたことがある。
そしてああ見えて、脳みその出来はいいのは知っている。その代わりに人格や倫理観がすっぽ抜けているわけだが。
「最初はみんな珍しいもの見たさに話しかけてたけど、まあ人が離れてくよね。あいつやべー奴じゃん。おかしいじゃん。名医の手術に研修医として立ち会わせて貰った時にさ、チェンの奴内臓に興奮して手術室追ン出されたんだぜ」
「気持ち悪ッ」
「はは、僕も思った。けどそんな奴だったから誰も相手にしなくなって、そうしたら本当に思考が人間離れしそうだったから、僕は何かと面倒見てたわけ」
あのチェンの面倒を積極的に見てやろうだなんて、それこそ人間離れしている気もする。……そうか、この人はお人好しなのか。
アレンは簡単にかいつまんで、学生時代のことを話してくれた。学年が少し上の先輩グループが、卒業研究で新物質を見つけたかもしれないと騒ぎになったのだが、その研究の端っこを手伝っていた一人がチェンだった。
「じゃあ、ザッケスって男も知り合いか?」
「先輩の一人だ。あの人押しに弱いから、チェンがよくくっついて歩いてた」
悲鳴を上げるザッケスと、変人全開のチェン……。
ちょっと見てみたい。遠巻きに。巻き込まれると厄介だろうが、遠目で眺める分には非常に面白そうだ。
アレンの話で、一つ納得がいった。
寂れた町の小児科医にしては、チェンはベルゲニウムについての造詣が深かった。ただ俺の能力や体の状態を見ただけで“ベルゲニウムとは何か”を考察できるものではない。以前から少なからず知見があったから、俺にいろいろと助言が出来たのだ。
ベルゲニウム研究に目を付けたエイモス社が、ザッケスたちを丸ごと極秘研究に無理やり参入させた中に、チェンも加わっていたそうだ。連絡も絶えたので心配していたら、医者を初めて数年後、突然通信機が懐かしい声を響かせた。
だがその内容は、現実離れしたものだった。
「――『人を攫って人体実験してやがった』ってさ」
アレンの声が低く落ちた。
「紛争であぶれたガラクト人の子供。東部地域のホームレス。貧乏人。宿無し家無し戸籍無し、そういう人たちがわんさか集められて、人体にベルゲニウムを定着させようと躍起になってたと」
「ちょ……ちょっと待ってくれ。それ、俺が捕まる前だよな?」
「多分。君の一族の名前は出て来なかったし、君が孤児院に辿り着いた頃には既に小児科医やってたんだろ? ぞっとする話だ。世間様の知らないところで、この世の一番どす黒いものを全部集めたようなことを、随分昔からやってたってことだ」
ゆっくりとベイの方を振り返った。きっと……この“ガラクト人の子供”の中には、ミズリル兵たちもいるはず。場合によってはベイも実験に飲み込まれる未来もあったのかもしれない。
ベイが前に「東部地域では人攫いが横行してる」と言っていた。たしかに、人買い稼業に上手いこと入り込めば、いくらでも“実験体”が手に入る――
……待て。待てよ。
おかしくないか?
ザッケスたちはただ、能力の素を発見しただけ。もちろんそれも凄いことなのだろうが、イコの話ではあくまで発見と観察の範囲に留まっていたように思う。ベルゲニウムの素体がない以上、物質を取り出して人体に定着など、仮説は立てられても実行には移せないはずなのだ。
ところがそれは実現している。ミズリルがその証拠だ。
しかも彼らが引き起こした保養施設皆殺し事件は「オホロと同じ力を与える」と唆されたことによるもの――その時点でベルゲニウムの素体が既にあって、尚且つ、人体定着・能力発現もある程度可能という域まで到っていたと言えまいか。
ミズリルの事件は十年前。俺たちキース族が攫われたのは八年前。
このことから、ミズリルたちの得ていた能力がキース由来ではないと仮定される訳だが、しかしそれは、キース族の「三百年前の実験を最後にベルゲニウム抽出に関する技術は喪失した」との認識とズレを生む。
ならばかつて三百年の昔、まだここ北大陸が南大陸と大規模な戦争をしていた時代、確かにベルゲニウムをエネルギー源とするべく実験が行われていた……キース族で伝わっていたこの“記録”は、
――それはどこまで本当なのだろうか。
もしかしてキース族はずっと、三百年以上もの間、何か重要な思い違いをしていたのではないか。
(俺はキースに残ってる記録を全部見たわけじゃない……キース族が「ロストした」って自信持って言えるだけの何かがあるに違いない。そうじゃなきゃ俺らは何のために隠れてきたってんだ?)
いつの間にか詰めていた息を吐き出した。目の前に星が飛んで、内臓の焼けるような感覚が戻ってきた。
「アレン。話してくれてありがとう。信用するよ、お陰で色々と繋がった。……新しい謎も出てきたけど、それは俺が生き延びてからだ」
「顔が真っ白だけど、大丈夫かい?」
「元々こんな色さ。平気だ。“向こうの村”に通信を飛ばしてくれ」
待合所代わりだというソファーに座って顔を覆った。
故郷も目前だというのに、目の前が真っ暗になったような気分だった。
お読みいただきありがとうございました!
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