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Blank-Blanca[ブランクブランカ]  作者: 奥山柚惟
第6章 前後不覚を取らぬよう
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故郷への道筋

  + + +






 ナダの入院先からほど近い場所に宿を見つけ、エリックは数日間泊まる手続きを取った。案内された部屋は、木で誂えた台の上に布団を敷いて寝るという、この地方独特の住居様式だ。石造りの壁には色とりどりの掛布が飾られ、観葉植物が如何にも乾燥地帯といった雰囲気を醸している。


 部屋の鍵をかけて、何も敷いていない寝台の上にエリックは寝そべった。

 腕で目元を覆い隠す。涙は出て来ない。だが泣けるものなら泣きたいものだと、彼は涙を渇望していた。



 ナダのことは、生まれた時から見てきている。

 エリックが両親を亡くしてのち、ナダの両親はエリックの面倒をよく見てくれた。成した子が死んでしまった虚を埋めるためというのもあったろうが、エリックはそれでも感謝していた。

 だからそんな二人の子を、実の弟のようにかわいがった。ナダのいとこのバーバラも一緒に、自分が与えられた以上にかわいがって世話を焼いたものだ。


 当然、ナダの記憶力のこともエリックは知っている。

 だからこそ──研究施設での記憶が欠けていることが、エリックにとって尋常でない衝撃だった。


(いや、好都合だ)


 瞼の裏に浮かぶ凄惨な光景を思い、エリックは願った。


(忘れているのなら、いっそ二度と思い出せぬままでおればいい……)


 どうか思い出さないでほしい。

 (とお)そこそこの少年が抱えるには、あれは重すぎた。






  + + +






 一方、アドラーはイコの病室でお茶会をしていた。

 とはいえ市販のスナック菓子とジュースを一緒に食べるだけである。イコが口に運ぶのをつぶさに観察してから、アドラーも同じものに口をつけていた。“女子会”というにはいささか緊張感がある。


「アドラーは甘いのとしょっぱいの、どっちが好きなの?」

「……甘いものはキースでなかなかありつけん。こちらの菓子は刺激的な味だな」

「そっかあ。チョコとか食べて大丈夫? 昔の人ってチョコで酔っぱらったとかいう話だけど」

「酒には強い。が……念のため控えめにしておこう」


 以前、エリックとの旅の途中に食べたチョコレートケーキで鼻血を出したアドラーである。だがチョコレートの味は嫌いではない、とポテトチップをつまみながらアドラーは思った。


「して、私から一体何の情報を得るつもりだ?」


 いつまで経っても探りを入れてくる気配がない。痺れを切らしたアドラーはやや語気を強めてイコに問うた。

 ところがイコはきょとんと目を瞬かせた。


「え、何のって、何が?」

「私は腹の読み合いが苦手だ。何か探りたいのなら、直球で来い」

「いやあ、別にそういうつもりじゃなくて、フツーに女子会したかっただけなんだけど」


 今度はアドラーがきょとんとする番だった。入院着を身につけているイコは机に頬杖をついた。


「ほら、男二人と旅してるとさ、潤いがなくってね? 結構気楽にやらせて貰ってるけど、限度ってもんがあるじゃん。たまにはかわいい女の子とキャッキャウフフしたいわけですよぉ」

「なら私では役不足だ。そこらの……何だ、カンゴシでも呼びつければよかろう」

「ダメだよ。看護師さんたちは仕事でここにいるんだから。ねえアドラーのさ、その髪、自分で編んでるの? 綺麗な髪紐だね、白い髪にめっちゃ似合ってる」

「そうだろう! エリックが選んでくれたんだ」


 イコのペースに飲まれたアドラーが我に返るまで、残り数時間……。






  □ □ □






 数日もすれば、病院食も粥から普通の飯に変わり、あばらの軋みも随分軽くなった。病室の中で軽い運動ができるくらいには回復したし、その過程でやや背の伸びた体にも慣れた。

 そうなると三食の飯では足りなくなった。ベイから肉を差し入れてもらい、回復速度を上げていた。


「……食べるねえ」


 すっかり馴染みになった看護師のラチェは、俺が何か頬張っているのを見る度にそう言ってくる。ラチェは中性的な声と、それにガラクト地方独特の髪型のせいで、女か男か分からない。ガラクト人は総じて体格のいい人が多いように感じる。


「そのモヤシみたいな体のどこに入ってるの」

「まあ若いんで」

「なんだい、当てつけかい。ま、君、もう少し食べた方がいいよ。おやお見舞いご苦労さん」


 アドラーとエリック兄さんが病室に入ってきた。この暑い中、アドラーは膝まで覆う外套を手放さない。熱中症が心配だが、ここは病院なので何か起きても安心して倒れられる。


「調子はよさそうだな」

「ああ。明後日には退院できるって、ドクターが」

「それは何よりだ」


 エリック兄さんが安堵の溜息をつき、椅子を二つベッドの方へ寄せてきた。アドラーにも勧めたが彼女は頑として座らない。

 看護師ラチェが出て行ったのを見計らい、アドラーが部屋に盗聴防止のための空気膜を張った。


「先日も話したな。お前にキースへ戻れと」

「ああ。だけど……」

「私とエリックで話を通しておく。あの()びとらも連れて来い。お前は一刻も早く治療を受けねばならないが、かといって旅路にあの二人は欠かせん。そうだろう?」


 目を丸くしてアドラーを見つめた。頑なにイコとベイを拒んでいたアドラーが、そんな申し出をするとは思わなかった。

 アドラーは呆れたように息をついた。


「私とて優先すべきものくらい分かる。それにな、イコを我らキースで囲うことは、ともすれば利を得るやもしれんのだ」

「“研究者の娘”の身柄、そして彼女の持ち合わせる何らかを手元に置いておける。敵がナダのみならずイコも求めているということは、この争いの行方を間違いなく左右する存在だという証だ」


 あまりこういう考えは好かないが、とエリック兄さんは苦く笑って続ける。


「何よりナダが最も信を置く二人だ。キース族の今後の選択肢を広げるためにも、連れてくるのがいいと、俺も思う」

「選択肢? 何の話?」

「ううむ……いずれ聞く話だし、中立の俺の口から話すのがいいか」


 兄さんの顔から柔和な雰囲気が消えた。

 深い翠色のその目に憂いが映るのを見て取って、俺の胸中にさざ波が立つ。


「俺がジゼルさんとリーシャさんと共にキースへ戻ると、皆一様に安堵はしたのだがな、ある論争が起きたんだ。『外界を攻撃し、外での生存権を獲得する』か、『外界と共存して生きていく』か……もう一族は限界なんだ。永らくの孤独に耐え忍び、隠れ暮らしてはきたが、このままでは本当に滅んでしまう。世界から忘れ去られたままに」


 俺はベッドに座っている、なのに、足元が四方一メートルの崖に立っているような感覚を覚えた。寒気がする。


「ナダに戻って来てほしいのは、そういった背景もある。このままでは焦燥に駆られて何を仕出かすか分かったものではない。子どものまま連れ去られた君が、立派に若者として帰還すれば、最悪の事態は回避できるかもしれないんだ」


 俺は言葉が出なかった。アドラーが信じられない提案をしてきたのも、追手に関わらず戻るよう諭してきたのも、わざわざ危険を冒して俺を探していたのも、すべてこのためだったのか。


「それでも、帰ったからといって問題は解決しないがな。いずれは道を決めねばならんよ。だからナダ、君も考えておいてほしい。キースにとって、世界にとって、我らはどの道を歩むべきかを」

「重すぎるよ、宿題が」

「そうだな。何もかもナダに押しつける結果になって、俺も心苦しいよ」


 兄さんは懐から地図を取り出して広げた。ガラクト地方のものかと思ったがそうではないらしい。もっと北方の……北大陸の中でも最北端とされる地域のものだ。


「キース族の現在地を教えておく。向こう数年はここに居を構える予定だ、ナダが戻るまでに移動はないだろう。これがウーリヤ山脈、通称“北の壁”」


 地図の右から左までを横断する巨大な山脈を、白い指がなぞった。統括政府が把握している地形はこの“北の壁”まで。以北地域は未踏の地、もしくは人間が生存困難といった理由で地図がない。現にこの地図でも、山脈の南側は詳細な地形情報が記されているが、北側は真っ白だ。

 その真っ白エリアを、同じく真っ白な指はさしている。


「そこにいるって?」

「そう」

「どうやって行くんだよ」

「エリックの話を最後まで聞け、阿呆」


 アドラーから鋭い声が飛んできた。兄さん以外の人への当たりが強い。


「アドラー、もう少し人に優しくね。“北の壁”ギリギリの麓、ここに“ヴォドラフカ”という農村がある。山間の盆地で、この辺りの地域は政府も目が行き届いていない。ほぼ自給自足の村だ。まずは追手を躱しつつこの村を目指すといい。その後のことは村に着いてからだ」

「村にキースの人がいるのか?」

「いや。だが協力者がいる。とにかくこの村を目指すんだ」


 地図を目に焼きつける。俺の予想通りキース族は寒冷地にいたようだが、“北の壁”の更に北とまでは判断がつかなかった。地図がない以上、断定ができなかったのだ。

 だがその地図に載っていない場所で身を潜めてきたからこそ、三百年以上もの間発見されなかったということだろう。


「分かった。とにかくこの“ヴォドラフカ”だな」

「一般の地図には載っておらんようだ。お前も記憶するのがいいが、念のため後でイコにも写しを渡しておく」

「ありがとうアドラー、助かるよ」

「……なあ、ナダ」


 アドラーの、俺よりも数段澄んだ青色の瞳が、何とも言い難い感情を宿した。

 しかしすぐにそれを打ち消して、首を振った。


「いや。すべて記憶が戻ったら、話したいことがあるんだ」

「……そうか」

「ナダ、本当に思い出すつもりか? 忘れてしまったのならそれでいい、違うか?」


 静かに、しかしどこか痛切に、エリック兄さんが俺の両手を取った。

 その手は冷たかった。そして昔よりも骨張っているように感じられた。弱々しいともとれる力を、俺は握り返した。


「思い出さなきゃいけない。そうでないと自分を許せないんだ」

「……君が許さずとも、皆は許してくれる。俺が許す、だから──」

「それじゃあダメらしい。きっと、切り分けた()()の心がもたないのだと思う」


 兄さんにそう諭して、自分自身にも決心をつける。決めたことだ。今更迷うことなど、()()が許さない。

 兄さんを少しでも安心させようと、微笑んで見せた。


「大丈夫だ。それなりにキツいけど、今だから時間をかけて向き合えるんだ。兄さんがそんなふうに、辛そうにすることはない」

「…………」

「エリック兄さん?」


 兄さんがかすれた声で何事かを呟いたが、顔を歪めて俺の胸に頭を埋めてきた。訳が分からず受け止めていると、しばらくして長い息と共に体を起こした。

 その笑顔は悲哀に満ちていた。「人が死ぬのは悲しいことだ」と溢した時と、同じ。


「帰ったら俺も話があるよ」

「……うん」

「無事で戻れよ。あの二人も揃ってな」

「ありがとう。キースのことは頼んだ」


 アドラーが空気膜を解除して病室の戸を開けると、ベイとイコが並んで立っていた。

 二人とも、買い物の詰まった紙袋を抱えている。買い出しから戻ったようだ。


「何話してたの?」

「キース族の位置情報を伝えていた。お前たちもナダと共に来い。仔細はナダに聞け」


 ベイが閉口した。アドラーの言葉はシンプルなだけに、逆に聞かされる側が混乱する。さすがのベイも反応が遅れた。


「……つーことは何だ、お前らこれから出発か?」

「その通りだ。頭のいい奴は嫌いじゃない」

「アドラー、それ俺と比較して言ってる?」

「ほう! よく分かったな」


 本当、こういう奴だったっけ?

 ベイは見事にスルーして、荷物の中から何かを取り出してアドラーに放った。


「ホラよ、ご注文の品だ」

「武器を投げるでない。おおこれはこれは、上質な金属だな、技術班が喜ぶぞ」


 包みの中にはナイフが収められていた。日の光に当ててじっくりと検め、満足げにアドラーは腰元に挿した。道中は自衛に役立てて、戻った後でキース族に役立てるつもりだろう。

 一方兄さんはあまり嬉しそうな顔をしていなかった。「荷物を増やすな」とでも言いたげだ。


「外つ人が来ることは伝えておく。向こうは寒いぞ。そこな筋肉は自家発電できるからともかく、イコ、お前は女子(おなご)だ。温かくしておいでね」

「ナダで暖を取るから大丈夫」

「言葉選びに気をつけてくれ……二人も道中気をつけて。今は俺に目が向いてるけど、キースとバレれば危うい」

「誰に向かって物申しておるのだ?」


 あどけなさの残るアドラーの顔に、不遜とも言える力強い笑みが浮かんだ。


「我らはキース族の探索班。身を隠すことには長けておる」

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