炎の炉③
「イザベラ。標的逃亡。追跡は頼んだ、こちらは任せろ」
逃げた標的に少年は動じることなく、片耳を押さえてそう呟いた。通信しているようだ。
それが済むと、今度は未だ脱力感で動けずにいる俺の方へ歩み寄ってきた。
「ラヒムに大体の話は聞いた。紛争のこと、ミズリルのこと、オホロでのこと」
血を存分に吸い上げた蔓が引き抜かれ、べちゃりと無造作に床へ放り投げられた。ケープの奥から現れた包帯が傷口に巻きつけられていく。さも当然かのように行われる一連の動作に頭が追いつかず、「そうか」と一言だけ返事を返すに留めた。
「でもお前の口からは何も聞いてない。俺が耳にしたのはラヒムの目線での話だ。だからお前から、直接話を聞きたいと思ったんだよ」
そう言って、俺と目を合わせるようにしゃがんだ。
──思えば、ナダはずっと「話をしよう」と口にしていた。ミズリルたちに対して、俺に対して。
話……何を言えばいい? 話すって何だ?
俺は、そうか、こうして言葉を乞われることがなかったから、一度も“俺”を言語化したことがなかったのだ。だから「話をしよう」と言われても言葉が出ないのだ。
俺たちは兵士だ。言葉にする前に力で語ってきた人間だ。そんな俺が、少年兵のまま時間が止まっている“ベイザム”を言葉にするなど──。
──この少年ならいいと思った。
俺を通して“ベイザム”を見極めようとしている、目の前の白い少年なら。
「……俺、は」
「うん」
「……あいつらは……あいつらだけは、真っ当にしてやりたかった」
「……うん」
「だが結局……俺のいねえところで余計に歪んじまった。誰も治せねえ。治安局が逮捕しよう、矯正しようったって、無駄に強ェばっかりにそれも叶わねえ。だったら……」
誰かの手で終わらねばならないなら、せめて。
「……俺の手で」
「うん」
「それで、ミズリルの悪夢は終わる」
元々悪名高かった“ミズリル”の名に、この保養施設で起きた事件によって更に箔が付いた。ミズリルでなくとも「元少年兵」を名乗るだけで、ガラクト民族は強い忌避感情を持つようになった。“ミズリル”がいなくなったとなれば、幾分それもマシになるだろう。
……そうでなくとも、“ミズリル”を始めた俺が終わらせるのが、俺なりの筋だ。
そんなことを、たどたどしい言葉で連ねた。俺らしくもない、年齢にも見合わない言い訳を、ナダはただ黙って聞いていた。
言葉が途切れて沈黙がややしばらく流れた後、ナダは大きくため息を吐いた。
「そこに立て」
有無を言わせない強い口調だった。
ふらりとその場に立った次の瞬間、ガツンと衝撃が走り目の前に星が飛んだ。
「バカ。バーカ。このバカ野郎」
顔面に容赦ない一撃を食らってよろけた。追い打ちをかけるように繰り出された蹴りが、今度は腹にめり込んだ。
「ぅがっ……ガハッ、ぐ……」
「なあベイ、俺はとても腹が立つ。どうしてか分かるか?」
膝をついた俺の頭上に、怒りに震えた声が降ってくる。
「頭の弱い俺でも分かる。お前、死のうとしてたな。ミズリルをみんなあの世送りにして、その後を追うつもりだったんだ。彼らを楽にしたいだけじゃない、何よりお前自身が楽になりたかったんだ。違うか?」
爪先に踵が落とされた。裸足にブーツが負けることはないのに、何故か俺の方が痛い。
「よりによってお前が、他ならぬお前がだ、そんな理由で心中か? お前自らが彼らに放った言葉、お前が違えてどうする」
「じゃあどうすりゃよかった!? それしか方法ねえだろ!」
尚も殴ろうとする白い拳を手の甲で払い、体当たりをかました。腹の底が裏返ったようだった。ずっと触れずにいた場所を突かれて感情が抑えられない、ミズリルを葬るために呼び覚ました“ベイザム”が鎮まらない。
「武器以外に何も持たねえ俺に何が出来るってンだ! 最悪の少年兵を率いた男だぞ、この世で一番人を殺した少年兵だ! そんな奴が庇い立てたところで誰が同情する!?」
握った手のひらに爪が食い込む。奥歯を噛み締めたまま息を吸う、焼けた喉に乾いた唾がへばりつく、血と砂の混ざった澱んだ味がする。
「あの戦争は終わった……もう十年経った、まだ戦にしがみ付いてるような残りカスは必要とされねえ。見ろ、俺たちを、ミズリルを! これが生き残っちまった少年兵の成れの果てだ! お前に──この十年の重みが! あの戦争を見てねえお前に何が分かる!」
「ッ……ああ分からんさ。これっぽっちも分からんよ」
少年は突き飛ばされても尻をつかず、体勢を立て直してまた俺に向かってそう言い捨てた。
「俺はお前じゃない、お前の人生を少しも生きたことがないからな。だからだな、お前も分からんのだ」
そしてまた懐に入り込まれ、俺の胸を白い裸足が捉えて蹴り飛ばした。
息が逆流する、体の力が抜ける、床に膝をつかされる。しかしそのまま蹲ることを白い手は許さない。耳を乱暴に掴まれて上を向かされた。
燃えていた。
薄青い目のその奥に業火を宿して、ナダは低く静かに怒り声で言った。
「俺の目を見て言ってみろ。長く生きられぬ俺の目を見ろ」
「──ッ!」
「明日生きるかも分からん俺を差し置いてだ、俺などよりずっと長くを生きるお前が……この先、俺より遥か先を生き残るお前が! そんな理由で死ぬだと!? ふざけるのも大概にしろ、お前が死んだところで大して変わる世の中じゃない!」
白い唇を白い歯が噛んだ。薄い皮が裂けて血が滲んだ。
茫然と力が抜けてしまった全身を、胸ぐらを掴んだ手でガクガク揺さぶられる。
「いいかよく聞け、俺は優しくないから、殺して楽になどしてやらんぞ。みっともなく惨めに這いつくばって生きろ。お前が誰かにしてきた仕打ちを悔いろ。そうやって死ぬまで償い続けろ、先の短い俺より早く死ぬなど以ての外だ。分かったかベイ!」
──「生きろ」と言われたのは、初めてだ。
ミズリルに言って聞かせた言葉を俺は貰ったことがなかった。道を失った俺に“道具”として再び居場所を与えてくれたガヴェルも、俺を見つけてくれたラヒムも、一番シンプルなその言葉を投げかけてくることはなかった。
「……ふ、はは……ははは」
気の抜けた笑い声が湧き出た。
両足を投げ出して天を仰ぐ。よりによって、“オホロ”と似通った力を持つ少年に。
「くく……はっはっはっは! ……ハハハ……」
体の芯に巣食っていた黒い塊が綺麗サッパリなくなってしまった。この感覚に名前を付けるとしたら“解放感”というやつかもしれない。
物心ついて以来、自分でも気付かないうちに抱えていた錘を、こいつは恐らく無自覚のうちに解き放ってしまった。
「ハア……滅茶苦茶だな。テメエの自分勝手押し付けやがって」
「それくらいで丁度いい。でも本当だぞベイ、お前はここで死んでる場合じゃない」
寝転ぶ俺の隣にナダも片膝を立てて座った。そしてどこか遠くを眺める目をして、切り出した。
「云っておくがベイ。“オホロ”はキースじゃない」
「……そりゃ知って……」
「いいや。知ってはいるが解っておらん」
厳しい顔を作ったナダは依然、老人のような訛りで言葉を紡ぐ。
「キースは兎に角“記録する”事に重きを置く。まだ幼かった故、すべて目にはしとらんが、俺の記憶にあるもののみで十分に材料にできよう」
「記録? なんでガキがそんなもん……」
「俺は記憶力が良い。ゆくゆく成人した後、“司書院”……こちらで言う記録保管所や裁判所のようなものだ、そこへの配属がほぼ確定していたのでな。読み書きを教わった頃からあらゆる記録を見せられて育った」
とはいえ膨大な量だから、恐らく半分も見とらんぞ、とキースの少年はさらりと言った。言ったが、俺は背筋に寒いものが走っていた。
とんでもない話だ。奴はつまり、長らく隠れ住んできた民族の詳細な情報を、その脳みそに詰め込んでいるということだ。
歩く機密情報はお構いなしに続ける。
「オホロの事件は十三年前の二月。ラヒムの話では当時、オホロの森は緑豊かで蒸し暑く、朝晩は霧がかかっていたというな。だがキースに斯様な記録は一切ない。熱帯雨林など、二月はおろか年中通して、有史以来一度も居たことはない」
「一度も?」
「一度も」
俺の鸚鵡返しに頷いたナダは、溜め込んでいる情報をすらすらと言葉にしていった。
「キースはずっと寒い地域で暮らしてきた。山の奥深く、それも空気の薄い場所を転々としながら身を隠してきとる。“司書院”という機関は拠点地の動植物や気候も記録してるんだが……その中に、ラヒムの話に出た『葉の厚いツルツルした植物』はまったくない。我らが知るのはごく寒い地方に生える植物か、高山植物だけだ」
“知っている”ということは、こういう照会もできるのか。
事実を突きつけられたことよりもそちらの方が衝撃的で、能力を操っていたとは別の意味でナダが恐ろしいような気さえしていた。
徐々に口調を解いてきているナダに問う。
「……何だって俺にそんな話を?」
「勘違いしたままでいるのはお前たちにとって良くない。同じものと捉えるのは楽だ、だが事実と異なることに翻弄されたままでいて欲しくはなかった」
体を起こして座った。ナダも立てていた片膝を収めて背筋を伸ばした。
何故だか不意に、異民族の男だ、と思った。
「ベイ。“オホロ”を解き明かせ。お前たちの価値観を変えたのが何ものか、その目で確かめて、死んだミズリルたちに持ち帰ってやれ。途方もない時間がかかるだろうけど──」
薄青の目が伏せられて、ふ、と笑みがこぼれ出た。
「──まあ、それまで永らえればいいだけの話だ」
ああ、まずいぞこれは。
俺の道が決まっちまう。この男について行くしかなくなる。過去の苦悩を抱えながら、存在するかも分からない手土産を探しながら。
だがそれでいいと、俺は思ってしまった。
「……水をくれ。それで俺の誓いにする」
「コップなんか持ってないけど」
「いい。そのまんま飲む」
ナダが立ち上がって、怪我をしていない左手を翳した。何処からともなく湧き出でた水は細く立ち昇り、緩く螺旋を描いて、差し出した俺の両手に流れ込んだ。
溜まったそれに口をつける。少し飲み込むだけで、その水は全身隅々まで行き渡り、潤わせた。
“ベイザム”は死んだ。先に地獄へ旅立った。
あとは“ベイ”が、生涯探究の旅に出る。
瞼の奥の少年兵に別れを告げて目を開けると、白い顔が満足げに破顔した。
「うん。いい顔になったよ。おかえりベイ」
「……ああ」
「通信が入った。ジハルドの逃走先、目処がついたそうだ。これから奴を車で追う」
「了解、ボス」
俺を連れて地上に出る旨をインカムに呼び掛け、ナダはケープを翻して出口へ向かった。俺も立ち上がり、その背中を追う。
部屋を出る時、ふと気になったことを口にしてみた。
「一度も“ベイザム”の名前で呼んでこなかったな」
「そりゃそうだろ」
ナダは包帯を巻いた右手をさすりながら答えた。
「『名乗った名前が俺の名だ』ってこの前言ったろ。お前は“ベイ”と俺たちに名乗った、それだけさ」




