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Blank-Blanca[ブランクブランカ]  作者: 奥山柚惟
第5章 砂塵の向こう、揺らめく陽炎
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少年兵“B”②

 古くから栄えていた“リ=ヤラカ”から独立しようと立ち上がった地域があった。現在の“ガヤラザ”と“プトリコ”だ。

 しかしそれはもう四百年も前のこと。直後に北大陸と南大陸の間で大きな戦争が勃発し、独立戦争はうやむやにされてしまった。その熱が百年単位で燻り続け、九十年ほど前にガラクト地方の西部で起こった奴隷たちの一斉蜂起が、紛争の始まりだった。


 本当なのかどうかはよく知らない。少なくともガヤラザ軍に所属していた俺はそう聞かされたが、プトリコとリ=ヤラカはまた違う見解かもしれない。


 元々三つの民族の間では、それぞれ微妙な違いのある宗教があって、どれが正しくて崇高かというぶつかり合いが絶えなかったという話だ。そこへ持って来ての奴隷蜂起、事態は一気に泥沼化した。


 十年ほど前、ちょうど俺が少年兵になるかならないかという頃から、プトリコ軍もリ=ヤラカ軍も、中央に位置するガヤラザが邪魔になってきた。それぞれの敵陣に攻め込めないからだ。

 それで双軍は一時的に手を結び、まずは邪魔者(ガヤラザ)を消し去ろうということになった。



 だからガヤラザ軍は常に挟み撃ち状態で、いつどの部隊が全滅してもおかしくなかった。これまでは何とか切り抜けてこられたが、とうとう主拠点ラザロの砦が破られ、陣を捨てて敗走を重ねるよりほかなくなってしまった。

 俺たちが“ミズリル”と呼ばれるようになって、もう四年も経った頃だった。



「大丈夫だみんな。俺たちにはベイザムがついてんだぜ」



 洞窟の中でジハルドがそんなことを言った。敵に囲まれ、見つからないよう息を潜めてやり過ごそうとしていた。

 俺たちミズリル兵も全盛期の半数にまで減っていた。それでも、他の小隊や分隊がことごとく殲滅させられていた中で、被害状況が半数にとどまっていたのは奇跡だったと言える。

 ジハルドは極度の緊張状態のせいか、それとも異常な興奮のせいか、十字傷を負って神経がやられたせいか、顔の半分を痙攣させて震えながらブツブツと独り言を呟いていた。



「戦神のご加護のついてるオレらを、奴ら半分も殺しやがった、ヒヒ。今に天罰が下るぞ、地獄の業火に焼かれるところを、オレらは天国から眺めてやるんだ、ヒヒ、ハハハハハ……」



 子供たちの中には「ベイザムがいるから自分たちは地獄に落ちない」と堅く信じる者も多かった。ジハルドやサラなんかはそれが顕著で、積極的に敵兵を殺していた。小柄な子が取り押さえた敵兵の喉を掻き切る役目を、嬉々としてこなす、そんな奴らだ。



「……俺たちはみんな地獄行きさ」

「ベイザム? 何、よく聞こえなかった」

「いや何でもねえ。そろそろ行動起こすぞ、霧が出てきた今が頃合いだ」



 洞窟から出ると、蒸気のように立ち込める霧が俺たちを出迎えた。渇ききった荒れ地の広がるガヤラザやプトリコとは違い、リ=ヤラカの奥地はむせかえるほどの緑に覆われている。

 巨大なその密林は“オホロ”と呼ばれ、俺たちガヤラザ軍が逃げ込もうとすると地元の住民たちに「精霊の怒りを買う」などと止められたが、四の五の言っていられる状況でもなかった。すぐ近くに敵兵が迫って来ていて、総員無我夢中で飛び込んだのだった。


 しかし隠れてやり過ごせるのも時間の問題だ。大勢で行動していればどうしたって気配が濃くなる。事実、敵はこの付近を執拗に探っているようだ。



(バラけた方がいいな。俺はともかく、こいつらは助かるかも……)



 少年兵は同情を買って生かされるケースもある。“ミズリル”とさえ名乗らなければ、まだ少年味を残す子たちは捕まっても助かる可能性がある。

 俺はもうその手段を使えない自覚があった。大人と遜色ない体格、声、顔立ちになってしまった。年齢は面倒でいつからか数えなくなったが、恐らく十六、七かそのくらい……“少年兵”と突き通すには少し無理がある。


 指示を出そうと息を吸った時だった。

 硝煙とは別の臭いが鼻腔を突いた。



「……まさか奴ら……この森に火を?」



 思わず呟きが漏れた。全員の顔が青ざめた。嘘であれという願いに反して、森の奥から低い地鳴りのような音が近づいてきていた。



「くそ……時間がねえ。全員聞け。ここで散開し、各自で身を守れ。捕まったら大人しく投降しろ。いいな」

「投降、って……ハァ!? 最後まで戦うのが戦士だろ!? なんでそんな」

「異教徒の手に堕ちるくらいなら死んだ方がマシだ!」



 バカバカしい。神だの異教徒だの、そんなのクソ食らえだ。

 ラザ教の高僧だって、どんなありがたい話が聞けるかと思えば、最後には「神の敵を許すな」の一言だ。テメエがそれ言うのかよ。じゃあ今すぐナイフ持って敵陣に突っ込めばいい、そうすりゃテメエの信じる“神さま”とやらが奇跡を起こしてくれる。


 鬼も逃げ出すような形相で互いに殺し合って、築き上げた死体の山の上でボス猿争いをしておいて、今さら神さまに赦されようなんて……そんな虫のいい話があるわけない。

 俺たちは等しく罪人。地獄に行くのが早いか遅いかの違い。


 ──だけど、きっと子どもはまだやり直せる。大人よりも長く残された時間の中で、人生をやり直せる望みが一縷でも残っている。

 こいつらの“神さま”として、その僅かな糸口を、こいつらに残してやりたかった。


 そう、この時にこそ……“ベイザム”の名は役に立つ。



「お前らの戦いと俺の戦いは最初っから(ちげ)ェ。俺ァずっと生き残るために戦ってきた。ここからはお前らも同じ戦いに、“生き残るための戦い”になる」



 静かだった。全員の目線が俺に注がれていた。一瞬、フィーと目が合った。



「生きろ。どんな目に遭ったって、血塗れ泥塗れの今日より悪い日はねえ。いつか……生きててよかったって思う日があるはずだ」

「……じゃあ」



 右頬に十字傷を負った少年ジハルドが見上げてきた。



「じゃあよベイザム。もしそんなふうに思う日が来なかったら、オレを殺しに来てくれよ。どうせ死ぬならお前に殺されてえんだ……なあいいだろ? ヒヒ……ああ、きっとサイコーだ……」



 俺はとにかく言うことを聞かせたい一心でその約束を結んだ。炎が、敵が、もうすぐ近くまで迫っていた。だからジハルドのみならず、ほぼ全員がしてくれとせがんだ約束を、



 “ベイザム”は、

 結んでしまった。






  ◆ ◆ ◆






「何だよフィー。お前も行けよ」



 全員が散り散りに去って行ったのに、フィーは残っていた。それどころか俺に近づいてきた。



「ついて来ようなんて思うなよ。俺ァ一人で逃げ──」



 赤い舌が突き出された。

 そして右っ面に痛みが走った。平手打ちを食らったのだ。



「な……」


〈私も()()


「バッ……、バカ言ってんじゃねえ! お前も行くんだよ、一番弱えリダの面倒でも見に行きゃいいだろ!」


〈私もあなたと同じ。もう“大人”。あなた一人にあの子たちの身代わりになんてさせないから〉



 ぐっ、と言葉に詰まる。

 フィーが俺を見ていたのはそういうことだったのか。俺の考えなどお見通しというわけだ。

 だがフィーも残らせるわけにはいかない。



「身代わりとか意味分かんねえこと言ってんじゃねえよ」


〈“言って”ないけど〉


「ふざけてる場合じゃねえだろ! いいか、ガキどもがいると足手まといなんだよ、ちっともジッとしてらんねえチビがいたら……」


〈ねえベイ。私、あなたと──〉



 フィーの手が何か言葉を紡ごうとしている。

 ……聞いてはいけない気がした。聞いてしまえば、もう“ベイザム”ではなくなってしまう──。



「黙れ」



 手首を掴んで引き寄せた。

 目を見開いたその顔に、ナイフを突きつけた。



「行けよ。俺の気が変わんねえうちに」


〈…………〉


「出来ねえと思うか? お前だって薄々気づいてるはずだぜ。用済みの奴らを戦場で撃ってたのは俺だ。こんなところで“用済み”になりたくはねえだろ」



 自分で思ったよりもずっと低くて冷たい声が出ていた。ミズリルにいるうちに随分声が低くなったものだと、どこか他人事のようにそんなことを思っていた。

 フィーはとても悲しそうな顔をしていた。怖がりこそすれ、何を悲しむことがあるのだろうか。フィーはいつもどこかズレている、時々話が噛み合わない。戦場に身を置きながら綺麗な目をしたままのフィーは、やっぱりどこか……そう、頭のネジを嵌め間違えているんじゃないか。


 頭一つくらい背の低いフィーは、突然、口をパクパク動かし始めた。



「…………ゔ……、…………」

「……は……?」



 時間が止まった。

 フィーの喉から──出たのか?


 昔、もうずっと昔に、クソ教官に潰されて以来機能しないはずの声帯が……音を?



「ゔ……そ、」

「フィー……」

「う、そ、つき」



 細い指が俺の目元に触れて、掬い取るような仕草をした。

 赤い舌が突き出された。掴んでいた手首が離れて、ナイフを握る俺の手に添えられた。


 背筋と腹の奥に走った痺れが、呼吸を締め付けた。



 ああそうか。“赤い舌”の意味は、



「……うそつき」




 頬に柔らかい感触がした。




「ま゛……ま、がせ、て」



 息ばかり漏れた濁った声を残して、俺より一回りも小さいうしろ姿が、霧の立ち込める密林の間に消えていった。

 茫然と立ち尽くしていた。音が何も聞こえなかった。ただ頬の感触だけがやけに強く残っていた。手をそちらへ持って行くと、指を何かが濡らした。霧で湿っているのではなかった。



「俺……泣いて……た、のか」



 いつからだ。

 子どもたちを見送った時は泣いていなかったと思いたい。フィーに見られたというだけでも物凄く、ひどく、こんなにも、



「……クソ……クソ、なんで……ッ」



 そうと自覚した途端、内臓が千々(ちぢ)にちぎられるように苦しくなった。体を二つに折って、慟哭を漏らすまいと喘ぐ。

 ああ、せっかく見ないようにしていたのに。フィーのバカやろう、最後の最後でとんだ置き土産を残して行きやがった。



「おい、こっちから声がしたぞ」

「燃料持ってこい」


「…………!」



 ハッと身を伏せた。

 一体どんな皮肉か、こんな時でも身体は反射的に動いた。肉厚な葉の生い茂る地面に伏せったまま気配を探る。


 カチリ。

 『俺はベイザム』。


 二人か。()れる。



「面倒だ、もうこの辺一帯……あ゛がぁ!?」



 背後から掴みかかり脇腹、首と続けざまにナイフを差し込んだ。脇腹で力を入れにくくさせ、首に深く刺してグリグリとえぐる。



『返り血で手が滑るんなら、横にスライドさせて引き抜け。しばらくは息があるから反撃に注意しろ』



 いつかの自分が放った言葉が、自動的に脳内で反復される。


 二人目がようやく敵襲に気がついたが、ガスマスクのせいで視界が悪いのか、姿を捉えられずあたふたと周囲を見回していた。

 再び伏せてガスマスクのレンズを射抜いた。身を屈めた姿勢のまま距離を詰め、両足の膝裏を撃って転ばせる。起き上がろうともがく背中を踏んづけて数発も撃ち込めば、小刻みに痙攣して動かなくなった。


 “敵兵”が取り落とした武器を調べると火炎放射器だった。これでガラクト兵を追い詰めようという算段だったのか。



「ぅ……かはっ」



 突如催してえづいた。胃の中は空っぽで酸っぱい液が喉を焼くばかりだ。

 気持ち悪い。慣れたはずの手応えに耐えられない。どうして今になって、ああそうかフィーのせいだ、あいつが俺を“ベイ”に戻しちまったんだ、ちくしょう。


 いいやまだだ。

 まだ“ベイザム”としてやるべきことがある。



(……一人でも多く減らさねえと……)



 手に付いた返り血を草で拭い取って駆け出した。“敵”はすぐに見つかった。脚を撃ち、首を斬り裂き、銃底で頭を砕いた。澱んだ臭いが全身を包む心地に、甘い酔いと苦い吐き気を覚えて、そういえばあいつらも最初は泣きながら殺してたっけ、とふと思い出した。

 俺はどうだったか。最後に泣いたのはいつだったか。



(せめて、あいつらの敵を一人でも……!)



 通り道に死体を築きながらがむしゃらにジャングルを走った。感情のせめぎ合いの向こうに、ミズリルとして過ごした日々、少年兵としての戦いの記憶が、走馬灯のように過ぎていった。

 死ぬ間際にもなれば母と妹の顔でも思い出せるだろうか。妹の名前、何だっけな。もう死んでるかもな、せめて酷い最期じゃなけりゃいいんだが。



 そんな、今更すぎる願いを抱きながら、霧と煙の渦巻く密林に血を増やしていった。

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