ブレイク・アウト④
緊張した空気のまま、翌朝を迎えた。
イコはあまり眠れなかったようだ。当然だ、自分が運転する車に銃を連射されれば誰だって眠れない。
ラザロを通らないことになったため、ある不安要素が現れた。食糧だ。
次に食糧調達ができそうな町へはここよりもう二日ほど走ったところにある。念のため多めに買い込んでおいたが、計画的に節約せねばすぐに糧が尽きるだろう。
暑くて乾いた土地での旅は初めてだから何事も手探りで、どうにももどかしい。その上この厳重警戒モードである。
「大将ー、死ぬなァ、生きろー」
白目を剥きかけた俺をラヒムがうちわで煽いでくれた。イザベラの「大将」呼びが気に入ったらしく、少し前から真似している。
イコが苦笑を向けてきた。
「ナダは暢気だなあ、昨日の奴らが襲ってくるかもしれないって時に」
「分かってるよ……それとこれとは別だろ? 外にいる方が幾分マシだ、車は熱が籠って逃げ場がない」
「でも日焼けするよ」
「そうなんだよなあ、俺やけどになっちゃうんだよなあ」
皮膚の色素がない俺は日焼けができない。車にいても日光はガンガン照り付けてくるので日焼け止めクリームを塗りたくっている。おかげで汗をかくと、一緒に肌の上をドロドロと流れていって気持ちが悪い。
更に悪いことに、この土地でカツラを被るのは自殺行為だということが分かった。頭から出た熱が籠ってしまうからだ。変装という手が使えなくなってしまった。
最悪だ。
状況云々の前に、俺のコンディションが悪すぎる。
「死ぬ……死ぬる……なあみんな、俺が死んだら死体は灰にして撒いてくれ……」
「大将に死なれちゃ困るんだよなあ。キリもいいし、この辺で一旦休憩するかい。ほら、日陰になってくれるものがたくさんあるよ」
ラヒムの呼び掛けに車のスピードがやや落とされて、俺は首をだらりと横へ傾けて窓の外を見た。
廃屋がいくつも連なっている。昨晩野宿した場所とよく似ている。比較的原型に近い形を保っている廃屋を見繕い、イコはそこへ車を停めた。
日陰で壁を背もたれにして地面に座り込み、レモン水を飲んだ。熱中症対策に塩も少し入れてある。冷たい水ほどではないものの、外で風に当たりながら飲む水は茹で上がりそうな全身に染み渡るようだ。
イコはぶかぶかのキャップを被って、イザベラと一緒に辺りを散策していた。瓦礫だらけで足場が悪く時折ふらついている。
「うわ……銃弾落ちてる」
「たぶん銃撃戦のあった村よ。昨日泊まったところもそうだね」
イコが息を飲んでイザベラに飛びついた。
俺と一緒に日陰で涼むラヒムが低く笑った。
「この辺りは特に激戦区だったからなあ。ラザロを残して近隣の村はほぼ全滅してんだ。当分復興は無理だろ、まずは人が元気にならねえと」
「……住人はみんな死んだのか」
「全員じゃねえ、先に村を捨てて逃げ延びた奴もいる。逃げた先で死んだ奴も、兵士になった奴も」
ベイの声がいつになく低い。強い陽射しのせいで、目元の影が濃くなっている。
……違う、瞳孔が広がっているのだ。
ガシャリと空の薬室に弾を送る音が、一瞬にして全身を粟立たせた。
「イザベラ、イコ連れてこっち来い。なあラヒム、このフィールドならどうだ?」
「いいんじゃねえか。遮蔽物も多いし足場が悪い。市街地戦なら長年人身警護やってた俺らの方に分がある。だろ? 指示はお前が出せ」
突如入った戦闘態勢にイコは戸惑いを隠せず、イザベラの後ろでおろおろしていた。ラヒムがニコリと爽やかスマイルを作った。
「大丈夫。お嬢も大将も死なせねえよ。そのインカムを耳につけておけ、みんなのやり取りが聞こえるはずだ。指示の通りに動けば何も問題はねえ、な?」
「……うん」
「なあ、もしかして……」
イヤホンを渡してきたイザベラが、緊張した面持ちで頷いた。
「そう。ミズリルだよ」
その時だった。
誰かが「伏せろ」と叫んだ……かもしれない。名前を呼ばれたかもしれない。それが分からなくなるくらいに激しい銃撃が、俺たちを襲った。
地面に這いつくばることしかできない。誰がどこに居るのか、無事でいるのかも分からない。
「アッハッハッハァ! 見ィつけたあ」
銃声が止む。場違いに明るく裏返った男の声が降ってくる。そのちぐはぐさが身を竦ませて、俺を動けなくさせる。
……でもそれじゃダメだ。
身は伏せたままで、顔と目を動かしてみんなを探す。
「……イコ」
イコはすぐ隣にいた。
石壁が盾になってくれたおかげで、俺もイコも無事だった。
壁を背にして膝を抱えるイコの隣に俺も座って、肩に手を置いた。
震えていた。歯がカチカチと噛み合う音が聞こえるくらいに。
『……イコ、ナダ、二人とも無事か』
耳元で音がした。インカムの通信、ベイの声だ。
ボタンを押しながら「無事だ」と応える。
「みんなはどこにいる?」
『ラヒムはお前らの前方、イザベラは左前。俺は右だ、壁の向こうにいる。イコは移動できそうか? なるべくイザベラについててほしいんだが』
「……少し時間くれ」
イコは目を見開いて硬直したままだ。背後で再び銃声が鳴り出すと、ビクリと身を縮こまらせた。
「イコ……」
「なんで、なんで平気なんだよ。おかしいよ……こんなの死なないわけないじゃん」
そう言って耳を塞ぐ手を、俺はそっと取った。小さい手は冷たく、力が抜けない。
銃声が止んだ。手を握るもう片方の手で細い肩に腕を回した。
「目ェ閉じて。大丈夫、ここにいるから。俺に合わせて、ゆっくり息を吐くんだ……全部吐ききって。一緒に怖い気持ちも吐き出して、腹の奥まで空っぽにして」
静かな声で呼びかけながら、俺たちの周りに薄い空気の膜を張った。外界の音がある程度遮断されるから、また銃撃が始まってもパニックにはならないだろう。
「じゃあ今度は吸って。腹の中を新しい空気で一杯にするんだ。そうそう、上手い。最後に普通に息を吐いてみ……どうだ、落ち着いたか?」
薄茶の目がふっと開かれた。
不安の色は残しつつも、震えは治まっている。
「……でも、怖いよ」
そう言って俯くイコは、久しぶりに十五歳なことを思い出させた。まだ子ども……そう、十五歳は子ども。おとななんかじゃない。俺だってまだまだ大人になりきれない。
だけど、しっかりしなくてはならないのだ、俺たちは。
イコは心細い声のまま、視線を彷徨わせている。
「だってさ、ナダ。さっきみたいに体が竦んだら……言う通りに動けなかったら、いくらベイたちが強くても死んじゃうよ」
「……そうだな」
それはその通りだ。イコを落ち着かせるのに必死だから正気を保てたが、俺もついさっきまで恐怖で動けなかったところなのだ。
だけど俺にはとっておきの“まじない”がある。
「なあイコ。銃を持った普通の人間と、ナイフを持った異能力持ちの人間……どっちが強いと思う?」
「でもナダだって銃に撃たれたら……」
「そうだよ。つまり銃がなけりゃ、あんな奴ら能力で簡単にねじ伏せられる。いつもは力を使わないけど、その気になればこの世界はみんな、俺の味方だ。風も水も炎も、この地面でさえ」
握りこぶしを作ってイコの前に差し出す。
「そんな俺がついてんだ、お前には。な? 最強だろ、銃弾なんて屁でもねえ」
「……はは。あはは。バカじゃねえの、何その理論。頭ガバガバかよ。ホント、あんたって奴は」
イコの肩からようやく力が抜けた。こぶし同士がぶつかった。
「嫌いじゃない。乗ったぜ相棒」
「そうこなくちゃな。おいベイ、待たせたな、いつでもどうぞ」
『了解。イコ、イザベラんとこまで走れ。距離は短えから大丈夫だ』
「オッケー!」
イコが壁の陰から飛び出して、一目散にイザベラの方へ駆け寄った。銃声は響かなかった。つまり、狙いはあくまで俺だということだ。先ほど聞こえた「見つけた」という言葉は俺を指すのか。
と、再び声が聞こえた。ジハルドだ。
「ツレないぜェベイザム! 十年ぶりだろ? ちったぁ昔話に花ァ咲かせてもいいだろ!」
ベイは応じない。殺気すら殺して静かに隙を窺っているのが、壁越しにも伝わってくる。ラヒムも静かだ。出方を窺っているのだろうか。
(“ベイザム”……やっぱりベイは元ミズリルで間違いないんだな)
“ベイザム”とジハルドたちの間に何があったのか探るいい機会だ。それに俺にはもう一つ気になることがある。
(あっちから尻尾を出してくれればいいんだけどな)
沈黙が続くのに耐え切れなくなったのか、それともこの沈黙すら愉しいのか、ジハルドがくつくつと笑い始めた。
「ハハ……やっぱクールだよお前は。それでこそ俺の憧れた“ベイザム=ミズリル”だ。なあベイザム、聞いてくれよ、いい話があるんだ。お前もきっと食いつく話さ」
腹の奥がぐねりとうねった。
こめかみを汗が伝う。この感覚は覚えがある。気のせいであってほしかったと心底……同時に、ああやはりか、と絶望にも似た感覚に突き落とされる。
ジハルドが甲高い笑い声を上げた。
「あの“オホロ”の力……お前も欲しくはねえか?」
──次の瞬間、辺りが炎に包まれた。




