魔女の棲む森④
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「さて、約束のご褒美をやろうかね」
化粧落としと着替え、そして腹ごしらえも終わり、俺たちは再び席についていた。夕食後のお茶を頂いているが、毎度違う香りのお茶を出してくれるので飽きはしない。
師匠の言葉に一言二言物申したいことはある。しかしグッと堪えた。
「まず一つ。“白い少年の行方”については、実はあたしのところにも問い合わせがあってね。もちろんあたしの弟子だと知らないでのことだろうけれど。訊かれた時ァあんたの行方なんてサッパリだったから、そう答えてやった。んで、そいつを聞いてきたのは二カ所から──大手企業エイモスグループの下っ端と、もう一方は妙な二人組だ」
“エイモスグループ”……スーパーマーケットに流通、最近は製薬にも力を注いでいるという大手のグループ企業だ。北大陸の統括統治がなかなか上手くいかない中において、民間企業の経済戦略が政府より先をいくのではないかとすら囁かれている。
……らしい。
俺はあまり世界情勢のことに詳しくはない。だがさすがの俺もエイモスの名くらいは耳にしたことがある。それくらいに有名な会社だ。
「そんな企業が俺の行方を?」
「急成長の裏で黒い噂も絶えない会社だ。ひょっとすると過去にあんたを捕まえてたってのもエイモス社の奴かもしれない。だがあたしが気になるのは二人組の方だ、ご新規さんがあたしのことを嗅ぎつけるなんて、あの二人ただ者じゃないよ」
魔女は悪い顔をしている。楽しそうだが、その笑顔を見せられた方はたまったものではない。
しかし師匠の言う通りでもある。曲がりなりにも元は腕の立つ殺し屋で変装の達人だったのだ、居場所を突き止め依頼にやってくるなど到底素人にできる業ではない。
「俺のことを聞いてどうするつもりだったんだ、その二人組は」
「さてね。どこの誰かも、あんたを探す目的も、何一つ口を割りゃしなかった。ただ旧世代の遺物の本を持っていてね、こちらからも提供できるネタがなかったから、それをお代にもらったよ」
(旧世代の本……?)
南大陸との戦争に区切りがついた頃、突貫工事で立ち上げられた現在の政府がまず行ったことは情報統制──つまり都合の悪い書籍や言論だとかの排除だった。だから三百年以上前のものは残っていることが少なく、考古学者やら金持ちのあいだで時たまそういった“過去の遺産”がオークションで出回ることがある。もちろん政府の目のない裏社会での話だ。この裏事情は桐生に教えてもらったのだが、何故彼がそんな事情に通じているのかは謎である。ワイユ孤児院七不思議……あれ、何個目だ?
ある意味では、俺たちキース族も“過去の遺産”の一つとも言える。裏オークションに俺が出品される未来も、場合によってはあるわけだ。
本を取りに席を立った師匠が戻ってきた。たしかに俺の目から見ても古いもので、古い言葉で文字が書き連ねられている。
「どうだい、南北戦争の忘れ形見さんよ」
「あんたそこまで知ってるのかよ。むしろ何を知らないんだ?」
「知らないことを答えられる者はこの世にいないよ。それでどうだね、本物かい? 本物なら今すぐにでも売って金に換えるところだ」
紙が崩れてしまわないよう、注意深くページを捲って中身を調べる。
伝奇小説のようだった。一体この物語の何が法に触れたのかは分からないが、キース族の間で使われているこの文字は北大陸でも北方地域の言語のものらしいと、外で初めて知った。もうこの文字が使われている時点でアウトだったのかもしれない。
一部の考古学者はこの文字を読めるが、普通教育を受けているだけでは読める代物ではない。そんな本を持っている人間──。
「まあ、本物だろう。テキトーに変な文字を連ねたようなパチモンじゃない。ちゃんと文法も綴りもしっかりしてるよ」
「すげえ。ナダが学者みたいだ」
「……出自が出自なんでね。あんまり突くなよイコ、マズいことまで喋っちまいそうだから」
「あんたはそういうところが危ういんだよ。命取りにならないといいね」
うるせえばばあ。
とにかく師匠は本をその手の人間に売ることにしたようだ。正しく使ってくれる学者に渡ることを願う。
「それにしても……そんなものを持っているとは、いよいよその二人組は怪しいな。身元を調べたりは?」
「調べようにも手掛かりがなくってね。頭の毛の先から爪先まで隠しているような奴らだ、分かるのは男女のペアだったことくらい。他はてんでお手上げさ……ああそうか。誰かに似ていると思ったら」
師匠の目が俺を捉えた。
「髪も肌も執拗に隠して、それに古臭い訛り。あんたにそっくりじゃないか、え?」
「俺に似てるって……まさか、キースの誰かだったとでも言いたいのか?」
心臓がおかしな鳴り方をした。
あり得ない。キース族は長年、それこそ三百年にわたって、人目を避けてきた民族だ。たかが四、五人が攫われたからといって外に捜索に出るような人種ではない。
(だって今さらだろ……あれから八年も経ってるんだぞ)
絶対と言い切れるほどにはあり得ない。だけど万が一、俺や両親を探しているのだとしたら?
それにもしこの仮説が正しいとすれば、キース族は――俺の故郷の人たちは、無事なのだ。みんな生きている。
イコが俺の肩を強く叩いてきた。その痛みすら嬉しい。自分でも口元がほころんでいるのがよく分かる。
「もちろん確定じゃない。だがあんたと似た気配がしたのも事実。……あんたの方からも探してみりゃ、あるいはどこかで再会できるかもしれないよ」
「そうか……そうか。うん、ありがとう師匠」
その後師匠は地図を広げ、治安や情勢の不安定なエリアを避けるルートを示してくれた。総じて安全なのは西方の地域だが、そちらはなるべく近寄りたくはない。なぜなら北大陸を統括する政府組織や、あらゆる大手企業の本社などが集中するエリアだからだ。
もし俺を追っているのが大きな組織や政府だったら──十中八九そうなのだろうと俺は踏んでいるが、そんな場所に逃げ込んでは飛んで火にいる夏の虫というヤツになってしまう。それこそたった今名前の出てきた“エイモスグループ”の本部も西方にあるはずだ。
ところが、師匠が地図に印を増やしていくにつれ、ベイの表情がだんだん険を帯びてきた。
「エバンズ、それはダメだ。ガラクトはダメだ。どんな土地かはあんたもよく分かるだろ」
「分かっているからこそだよ。いい隠れ蓑になる。ビッグな組織になればなるほど、こういうややこしい事情の散らばる場所へはむざむざ立ち入れないのさ」
「あの土地にコイツを送り込むなんて、下手すりゃ火に油注ぐようなもんだろ。それもいつ暴発するか分からねえってのに……」
「ベイ、お前さっきから何言ってんだよ。ガラクト地方が何だか危ない場所なのは分かったけど、それと俺とがどう結びつくんだ?」
イコは何か知っているのかと隣を見たが、俺と同じように怪訝な顔をしていた。
ベイ一人が焦っている。何を焦ることがあるのだろうか。話の見えない俺とイコは差し置かれたまま、ベイと師匠の話は進む。
「大丈夫だよ坊や。ガラクトの北部地域を真っ直ぐ抜けて向こう側へ行けばいい。そのルートなら“オホロ”にも被らない。どうだね」
「だが……」
「もしどうしても危ない、道を逸れたいというのなら、途中でこのザンデラ山を越えればいい。それでどうだい?」
俺も改めて地図を覗き込んだ。西に“プトリコ”州、中央に“ガヤラザ”州、東に“リ=ヤラカ”州と三つ名前が並んでいるが、州境が曖昧だ。この三州がある地域の北側にはいくつか山が連なっているようで、師匠はこれを越えてガラクト地方を避ければいいと言っているのだ。
しばらく頭を掻きむしっていたベイだったが、やがて深い溜息をついて両手をパタリと上げた。
「……仕方ねえ。他のルートを取るよりゃ安全だってンなら、それで手を打とう」
「ベイ、いいのか? 本部の様子が落ち着くまでどこかに潜伏するって手もあるぞ」
「いや、なるべく動き回る方がいい。少し気掛かりなことがある……ある意味ガラクトが灯台下暗しになってくれるかもな」
顔を曇らせたまま地図を丸めるベイに、俺もイコも何と声をかけていいか分からなかった。
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客間のフローリングの上に薄いラグを敷き、その上にマットレスを置けば、俺の今日の寝床が完成する。
ベッドはイコに譲った。ベイは昨日に引き続き別室で休むことにしたようだ。しかしどう考えても部屋割りがおかしい、イコを一人部屋にして男二人を同室にすべきところが、何故こうなった。
もう一度言わせてもらう。
何故、こうなった?
「わざわざ床で寝なくても、一緒にベッドで寝りゃいいじゃん。キングサイズなんだしさあ」
「何考えてんのお前。ダメだろ。いろいろとアウトだろ。いいの俺は、弟子入りした時も床で寝てたから」
「車で隣で寝てんじゃん、いっつも。距離感同じでしょ」
「……そういう問題じゃねえんだよなあ……」
危機管理というものを知らんのか、この十五歳は。
枕を整え終わって、ふと思い立ってずっと引っ掛かっていたことを口にした。
「……ガラクトって、そんなにヤバい土地なのか?」
途端、イコの顔が曇る。
この話に触れることは外ではタブーとされているのかもしれない。だが、ガラクト地方にこれから足を踏み入れるにあたって、何故タブーなのかを知らないままではいけないのだ。
ベイには何となく聞きづらい空気がある。師匠に聞けば絶対に対価を要求される。そこそこ事情を知っていそうなイコに聞くしかないと、俺は思ったのだった。
「俺、中等部までは一応学校行ったけど、ガラクトの話はほとんど出なかったぞ。義務教育はともかく一般常識は時々疎いもんでさ、何かあるなら教えてほしいんだ」
「うーん……何て言うかね、一般常識っていうか……ナダが知らないのは孤児院の方針だと思う。桐生センセイがガラクト関連の話をシャットダウンしてるんじゃないかな。ガラクトの三州ってのはさ、割と最近まで紛争でゴタついてた地域なんだよ」
──“紛争”。
その音が言葉として胸に落ちるまでに少し時間がかかった。紛争……つまり戦、民族同士の争いだ。
「かなり泥沼化してひどい戦いだったって。わたしンとこの学校で平和学習ってのをやった時、紛争経験者が招かれて話を聞いたんだ。片足が吹っ飛んでて義足でさ。顔半分を布で覆ってんの」
その人の容貌を思い出したのか、イコは顔を苦くしかめた。
「戦ってる間は誰もかれも悪魔みたいだったって、そのおっさんは話してたよ。あの土地はずーっと昔から民族対立が激しくて、何回も大小様々に争ったりはしてたって歴史の授業でもやった。最後で最近のものが一番激戦で、なのにある日突然ぱったり終わったんだって」
「突然? どうして」
「よく分かんない……そこはハッキリ教えてくれなかった。終結後もいろいろ大変らしいよ、一時期は“戦後虐待児”って言葉が出来たぐらい大変だったって。きっとワイユにはそういう子供がいたからガラクトが禁句になってたのかも」
ベイのような、浅黒い肌の子供もたしかに、ワイユ孤児院には何人かいた。帰省した時に再会したダニエルもその一人だ。彼も“戦後虐待児”と言われる子供だったのだろうか。
「ワイユでベイの行動が制限されてた理由が分かったよ。でも紛争が終わったのっていつなんだ? 俺が生まれた後?」
「二十年ぐらい前かな……ちゃんと覚えてないや。こんな風に関わるとか思わなかった、面倒くさがらないで勉強しとけばよかったなあ」
ぼふん、と枕にイコの頭が沈み込んだ。眠そうだ。明日には出発するから、俺もそろそろ休もう。
「じゃあ灯り消すぞ。おやすみイコ」
「おやすみー」
部屋が暗くなった。静かになった。隣の部屋からは寝息のようなものは聞こえてこないが、ベイは休んでいるのだろうか。彼こそ俺よりも休息が足りていないと思うのだが、仕事柄慣れているとベイは言うし、実際疲労の様子など少しも見せたことがない。
(休んだことあるのか、あいつ)
俺たちの護衛任務に着いてからもう二か月近くになろうとしている。この先もしばらくはベイが護衛のままだろう。危険地帯のガラクトに入る前に、無理にでも小休止くらい与えたいものだと思いながら、俺も睡魔に誘われるまま眠りに落ちたのだった。
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