コーヒーはいかがですか②
R04.11.23_微調整・修正しました。
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山麓の町“デュカス”。
山から流れてくる川の周りに人が集まって作られた町らしい。俺たちがその町に着いたのは、ワイユを発ってから二日ほど後のことだった。
ワイユとは打って変わったように緑豊かだ。葉が肉厚で艶々した植物が多い。たしかこの辺りは地形の恩恵で雨が豊かな土地だ、実際、町中は水の気配で満ちている。
人は水のあるところに集まる。だから小さな町にも関わらずたくさんの人で溢れていた。俺はあまり人目に留まりたくないから肌を隠す格好にしているが、老若男女、肌の色、服装や話し言葉の訛り方まで様々で見ていて面白い。
町の人に尋ねて安宿を見繕い、そこに泊まる間に食糧を買い足した。山でどれくらい狩りができるか分からないから少し多めに仕入れた。
財布が寂しい。
「わたしのお金も使えばいいだろー。お父ちゃん金だけはわたしに送ってくれてるし」
「その金はどこにある? 銀行だろ。出納記録からアシ割り出されると面倒だ、やめとけ」
情報不足のせいか、ベイはまたピリピリしてきている。少しでも足跡を残すまいと、イコが財布役を担うことを当面禁止にしたり、宿でのチェックインも偽名を使ったり。
だが以前俺が拐われた森ほど雰囲気を悪くはしていない。町中で銃を引っ提げて歩くわけにもいかないので、ベイはいつもの長い銃(ベイによると“アサルトライフル”)ではなく拳銃を隠し持っている。
今のところは平和だし、拳銃なんてものの出番がないことを祈る。
いやもうほんと切に祈る、考えたいことがたくさんあるのに、これ以上厄介ごとが増えないでほしいものだ。
──“考えたいこと”。
チェンとパドフさんが俺にしてくれた話を整理する必要がある。
暴走気味だったチェンを“物理的に”抑え込みながらパドフさんが言うことには、
「能力の箍が外れやすい」ことと、
「二重人格のような状態にある」こと、
「その二人目の人格が俺の抜けた記憶を管理している」こと、
……そしてこれらは密接に絡み合って一つの事象を成しているという、極めて複雑な状態だということだ。
その説明の裏付けにベイの話を聞いた。
森で拐われた俺をベイは救出したと言ったが、事実は違った。別人格に乗っ取られた俺が半ば暴走状態にあり、ベイと言葉を交わしていたというのだ。
俺はその時の記憶を持っていない。かわりに意識を失っていたその間、俺は夢の中で記憶に関するやり取りを“おれ”としていた。
だが、正直そんなことはどうでもよかった。
ベイの話を聞いた後の俺の頭は別のことで一杯だった。
――人を炙り殺したというのだ。
俺が、この手で。
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一連の話を聞いた後、俺はベイに食ってかかった。
「──どうして黙ってた?」
ベイにそんなことを訊いたって仕方がない。きっと俺でも同じことをしたと思う。
でも当たらずにはいられなかった。そんな俺を気遣ってか、桐生もパドフさんも、チェンも、俺を止めなかった。
「ああ……そうだよな、そういえばあの時、俺を助けた後に賊どもをどうしたかまでは言わなかったものな。実際は救出なんかじゃなくて、全部ことが終わってからだったんだ」
「だったら何だ?」
畳みかける俺に、ベイはあくまで淡白に言い放った。
「起こったことをそのまま言ったとして、お前はどうした? 戻って奴らの死体を蘇らせたか? 常識外れのお前の力でもそんなことは出来ねえだろ。……事実を告げたところで、お前に出来ることはなかった」
「そういう話をしてるんじゃ──」
「してんだよ、ナダ。死んだ奴ァ戻らねえ。お前がやったことも元には戻らねえ」
ベイの言うことは事実だ。真理だ。この世の覆しようもない理だ。
そして、やはり大人の言葉であって、現実の重みを知らしめるものであった。耳が痛い、聞きたくない、だけれど受け入れねばならない言葉。逃げを許さぬ言葉なのだ。
本当は分かっている、ベイには何も非はない。あの時嘘を言ったベイが悪いのではないから……そのことに当たり散らす俺が未熟なだけ。
「……正直、」
恥と子供っぽさを唇と一緒に嚙み殺していると、ベイがひっそりと息をつくのが聞こえた。
「──熱出してどう見ても異常な状態だったお前に、これを言っていいのか分からなかった、それが本音だ。ここで聞いた言葉を借りて言うなら暴走するかもしれなかった。そんな状態だったんだ、あの時のお前は」
だから面倒くせえって言ったんだよ、と苦々しく舌を打って吐き捨てた。
パドフさんがフォローするように言い添える。
「事実だとしても事故だ。避けられないことだった」
「でも、あってはならなかった」
「ナダ……」
「起こってはならない事故だったんだよ……」
カップに添えた手の色がやけに白く映る。目の前が真っ白になりそうだった。吐く息が冷たいような気がした。知らないうちに人殺しなんてしていた自分が怖くてたまらなかった。
この能力で誰かが命を落とすなど、そんなことは絶対に起こしてはならなかった。俺がこれからも「人間」を名乗るためには。
それなのに能力に乗っ取られて暴走して、果ては人の命を奪うなんて、いよいよ本物のバケモノじゃないか──。
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その場では時間もなかったし、それ以上感傷に浸るような真似はしなかった。だがあの会話を思い出すだけで、途方もない罪悪感で腹がよじれそうになる。
そんなものじゃないぞ、お前の手に付いたものは。
何処からかそんな声が聞こえる気がする。
──バチン!
両手で頬を叩いた。治りかけの銃創が痛んだ。イコが飛び上がった。
「び……っくりしたァ、いきなりどうした?」
「え。あ、悪い……考え事」
「頼むからしっかりしてくれよー。明日から未知なる冒険に出るんだからさ」
宿の床のラグの上に敷いた布団で、パジャマ姿のイコがゴロゴロと転がって遊んでいる。遠足に行く前日の子供みたいだ。
「なんでそんな楽し気な名前つけてるんだよ。未知なる冒険は最初からだろ」
「そうだけど、ガヴェルのじっちゃんのフォローがないってのは初めてじゃん?」
「お前さあ。危険だって分かってる? また賊やら追手やらに襲われるかもなんだぜ」
「わーかってるっての、誰かさんみたいにバカじゃねんだし。どうしようもないことなんだからさ、楽しまないと損だよ。何でもかんでもくよくよウジウジすんなっての」
俺が今何を考えていたか分かって言ったのだろうか。それとも単に偶然だろうか。でもイコは鋭いところがあるから、もしかしたら前者なのかもしれない。
いつの間にか眉間に入っていた力を抜いて、俺はソファーの背もたれに身を預けた。心地よく背中を押してくれる。全身が沈み込むようだ。
「まあたしかに。せっかくの久々の山だ、監視の目も薄いし、少しは羽も伸ばせそうだ」
「おい。監視の目ってそれ俺のことだろ、別にねえわけじゃないんだが」
「信用してるぜ、穀潰し」
「てめえ今何て……」
「ガヴェルの援護もねえし、これで危険がまったくなけりゃ、お前はただのお荷物って話だよ。せいぜいその銃を狩りにでも役立てやがれ」
「本性出しやがったなこの野郎」
イコがケタケタ笑った。俺も笑うとベイは呆れたようにため息をついた。
もうしばらくはこの穏やかな時間が続いてほしい。孤児院での会話を思い返しながら、本当に心から、切にそう思った。
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――時は孤児院で話をしたところまで遡る。
ベイの話を聞いた俺が落ち着くのを待って、チェンは結論の続きを話し始めた。もう一人の“おれ”、別人格の話だ。
「なんで別人格が出来上がったか、ってのは、十中八九“研究施設”とやらが関係してると思う」
さっきまで俺が声を荒げていたというのに、チェンは何事もなかったかのように話す。他の大人ならば「気遣ってくれているのだろうな」と思うところだが、チェンの場合他人への気遣いを見せるほど出来た大人ではない。
「仮説はこうだ。施設で起こった何らかの出来事がショックで、ガキの精神じゃ耐えられなかった。常人なら“忘却”で精神を防御するところだが、お前の体質的に“忘れる”ことができない。じゃあどうするか? 答えは一時的に別人格を造り出して記憶を分ける。そして新しい人格の方に、ショッキングな記憶の管理を任せる。ってェのが俺とパドフさんの考え」
チェンは立て板に水と滑らかに話す。おかげで俺の理解が少し出遅れるのだが、奴はお構いナシだ。俺は後で会話を思い返して整理できるからいいが、この記憶力がなかったら一体どうなっていたことか。
「んで、この防御反応に加えて、お前の能力調整も絡まってんだろうと見てる。普段から能力を抑えているうちに、無意識レベルに能力抑制に特化しすぎて、お前ン中でベルゲニウム量が膨れ上がって、それで妙な感覚だとか意識の低下だとか、そういうのを引き起こしてる──可能性がある」
チェンはこういう時、断言はしない。医者の特性ゆえか、それともあまりに不確定な事象ゆえか、事実以外の仮説を絶対的なものとはしない。決めつけずにあらゆる可能性を考えた上での“仮説”なのだろうが、それでも俺の能力は覆せる可能性の方が圧倒的に多いのだ。
「これまでナダが暴走しなかったのは別人格のナダが制御していたお陰かもしれない。ずっと別々の状態だったのが、最近になってどういうわけか表に出てくるようになった。ナダ本人に干渉するようになった。その理由はさすがに俺やパドフさんじゃ分かんねえ。だから……」
「俺が自分で突き詰めろ、ってことだな」
「そういうこと」
喋り疲れたチェンは紅茶を一気飲みしてむせた。コーヒーじゃないと駄々をこね始めて、仕方なくパドフさんが自分のコーヒーを差し出したのだった。あれはヤクの類じゃないはずなんだけど、チェンの症状はどういうことなんだろう。
でもこの人たちのおかげで、俺は自分の身に起きていることを把握できた。頭の悪い俺にはできないことだ。あとは俺が“おれ”と向き合っていけば、何かが開けるかもしれないし……何も起こらないかもしれないが。
「お前が思うよりずっと苦しいことだぞ」
桐生が唸るように言った。
「それができねえ大人だってごまんといるんだ。たかだか十八の若造がそう簡単に出来ることじゃねえ。それは頭に入れとけ」
「……ああ」
「ま、何とかなるさ。それによ、そんなに暴走を繰り返すようならそれは不良品だ、敵さんも諦めがつくかもしれんぞ。悪いことばかりじゃねえ」
「その考えはなかった」
「だろ。大人ナメんな」
その一言があるからナメられるのでは。思ったが言わないでおいた。きっと桐生はこれくらいがちょうどいいのだ。
……向き合えるのだろうか。
果たして俺は、自分の本当の記憶を受け止められる、その器がちゃんとあるのだろうか。
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