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Blank-Blanca[ブランクブランカ]  作者: 奥山柚惟
第3章 第二の故郷、ワイユ孤児院
23/97

入る時はノックしやがれ③

R04.08.06_微調整・修正しました。

  ■ ■ ■






 部屋が白く光り出す──明るくなると“朝”。

 光が徐々に黄色味を帯びてゆき、やがてオレンジ色に近い色になる。そして夜の(とばり)を思わせる色に部屋が染まった時、“夜”となる。


 のっぺりと起伏のない部屋で機械的に繰り返される毎日。

 色彩に欠けた服装を身につけた、色に富んだ人たち。


 ここには空がない。地面もない。大地を駆ける動物たちも、そもそも森も川も何もない。あるのはただ()()()()を囲う白い壁と床だけ。「お前たちの世界はここからここまで、この先はない」──そう言外に突きつけるような、まっさらでシミひとつない(かこい)だけだ。


 最初こそ恐ろしくて堪らず、ずっとエリック兄さんや母さんに引っ付いていたおれも、数日が──本当に数日だろうか、感覚が曖昧だ──経つ頃には部屋の中を走り回って遊ぶようになっていた。

 元気のない母さんやそれを支える父さんたちは兎も角として、エリック兄さんはおれに付き合ってよく遊んでくれた。おれだけ取り残されないようにと授業もしてくれた。この奇妙な環境を利用して、情報収集や狩りの訓練も施してくれた。


 エリック兄さんはおれと八つ違いで、血は繋がっていない。

 兄さんが小さい頃、当時一族(キース)が住んでいた辺りで土砂崩れが起こり、両親とも飲み込まれてしまったのだと、誰かがこっそりおれに──



  『()()?』



 ──おれに話してくれた。兄さんは頭がよくて、優しくて、おれをはじめ子供たちからも人気だった。大人たちも兄さんをよく頼りにしていた。


 口になど出せなかったが、だからおれは兄さんを独り占めできて嬉しかった。

 おれが最後まで壊れてしまわなかったのは、彼の存在があったからこそだとも言える。いつの間にか辿り着いていた孤児院(ワイユ)で目を覚まし、気持ちと頭の整理がついた頃、()はそれを痛いほど実感したのだ。



  『如何(いか)にして辿り着いた?』



 ──荷台に、乗って。


 顔に皺を浮かべた白髪の男の人、その人はおれが短い人生で初めて……キースから攫われることがなければ一生見ることがなかったであろう、“老人”であった。

 無我夢中で走り、息を殺して“()(びと)”をやり過ごし、その果てで出会った人だった。茫然自失のおれを宥め、抱きしめ、逃がしてくれた人。


「孤児院へ行きなさい」とその人は言った。

 その時おれは“老人”という言葉を知らず、色のある大人なのに髪が白い、と現実逃避を決め込んだ頭で考えていた。君が追われないよう最善を尽くすという言葉に、おれは素直に頷くしか選択肢がなかった。そこから逃げることだけが、その時のおれに出来る最善で、最優先の義務だったから。


 逃げねばならぬ。

 捕まっては終わりだ、水の泡だ。捕まるな、何も渡すな、ただ逃げろと最期に言われたから。



  『──()()?』






  ◇ ◇ ◇






「ナダがいないうちに、さっさと話をしちまおう。傭兵さんたちに聞きたいことがあってさ」


 部屋にやって来た専属小児科医の男は、一呼吸おいて俺とイコに問うた。


「──ナダが意識を失ったことは?」


 顔が強張るのを感じた。

 イコは息を飲み、問い返した。


「何が言いたいんだよ?」

「さっきナダから聞いた話で気になることがあった。『腹で何かがうねる』って言ったんだよ。ベルゲニウムを宿す人間ってのは分からないことだらけだけど、俺の勘が正しければ、ナダは何度か意識を失うか、意図せずして能力が溢れ出す……“暴発”、“暴走”って言葉が当てはまるかな。そういうことがなかったか?」


 すうっと背筋が冷えていくのを感じた。隣に座るイコも同じらしい。にわかに青ざめた顔が、そのまま動かなくなった。


「あったな。思いっきり」


 言葉の出ないイコに代わり、俺が声を絞り出した。

 そもそもあの場にいたのは俺だ。


「賊に襲われて、あいつだけ連れ去られたことがあった。ナダは『ずっと意識がなかった』と言うが……だが俺はその間ナダと話してる。能力を使って賊を返り討ちにして、火を放っていた。ただし、本当にナダだったのかどうか……」

「つまり?」

「いつものあいつじゃなかった。口調がおかしかった。やたら気になることも言ってたな……『力が膨れる』とか、『堰を切る』とか、『時間切れ』とか」


 向かいに座る医者は俺を見据えたまま、組み合わせた指に顎をのせて考え込んだ。凝視されているようで居心地が悪い。気持ちの悪い男だ。


「……ナダとは別人みたいだったと」

「そうだ。あいつ二重人格だったりすんのか?」

「いや──」


 チェンは言い淀んで、目を泳がせた。ひとしきり口の中で何事か呟いた後、かぶりを振った。


「ハッキリさせるにゃパドフさんが必要だ。そっちはあの人の方がプロだし。でもまあ今この場で確かなのは、ナダは非常に(あやう)い状態だということだ」

「危いって?」


 ようやくイコが口を開いた。その声の方が危うさを孕んでいる気がした。

 青黒い隈で縁どられたチェンの目が伏せられた。


「何度も言ってるけどさ、あいつについては分かってねえことの方が多い。断言はできねえ。けど、かなりの高確率で……ベルゲニウム保有体としてのナダの体は既に限界値を迎えていると言っていい。傭兵さん、あんたさっき『火を放った』と言ったな。そりゃたぶん暴走に近いものだったんだろう。爆発しかけたエネルギーを寸でのところで意図的に外に放出したとか、そんな感じなんだろう。……あくまで仮説だぜ?」

「じゃ、じゃあさ。その仮説が正しいとしてだよ? これからも似たようなことが起こるかもしれないってこと?」


 沈黙は肯定だった。俺は天井を仰いだ。


「毎度あんな思いすんのは勘弁だぜ」

「止められもしないでしょ、どうしろってのさ! っていうか……ナダは大丈夫なの、暴走して体ぶっ壊れるとかするんじゃない?」

「……分かんねえ」


 苦々しくチェンが言い捨てた。


「分かんねんだよ。そもそもベルゲニウム自体が謎過ぎるシロモノなの。どういうカラクリで炎が水が風が、自分の意思で操ったり出したり消したりできるのか? 質量保存、エネルギー保存、他エトセトラ・アンドモア……証明済みの法則ガン無視のチート物質、それがベルゲニウム。解明するにもどこから手ェ付けりゃいいのかすら不明」


 小難しい単語を並べられたことで、肌で感じていた感覚に理論が付け加えられた。“ナダ”という存在の強力さ、規格外さが、この医者の言葉で確かな説得力を得た。


「な? 南北戦争時代(300年前)の政府が匙投げんのもわかるだろ。これに比べりゃ電波性物質(エステトン)なんて赤ん坊みてえなもんさ。だからこそ、今更になってベルゲニウムを掘り起こそうってのも変な話だけど……そうだ、変だ。ていうか何だってキース族を見つけられたのか」

「ストーップ! 静かに!」


 イコが突然、止まらないチェンを大声で制した。俺も辟易していたところで助かった、が。


「なんか聞こえね?」


 再び部屋の外が騒がしい。三人ともがそれに気が付くのと同時に、ノックなしにドアが開け放たれた。……イコ、ナダに引き続き三度目だ。


「チェン、まだ話していたか」


 来訪者は黒人のパドフだった。焦ったように銀縁の眼鏡が光る。


「パドフさん? どうしたんだよ」

「いいから来てくれ。ナダの様子がおかしい」


 血相を変えて医者は立ち上がって、そのまま出て行った。そしてなんとイコも、椅子を蹴るようにして後を追って出て行ってしまった。

 俺一人が部屋に取り残された。俺には院長からの「部屋を出るな」との言いつけがある。


(この感覚……)


 全身がザワザワと総毛立つ。

 動けない。先日よりは弱いが、十分脅威を感じさせるあの感覚。




 ──ナダだ。






  □ □ □






 目を開けたら手に血が付いていた。

 口の中も鉄臭い味が広がっていて吐き気がした。堪らず嘔吐すると、床にこぼれたそれは血だった。

 眩暈がした。血を見たショックなのか、それとも別の原因なのか分からない。とにかく起き上がっていられず床に倒れ込んだ。


 今のうちに整理しよう。妙に冷静なのはパニック故か、それすら判別もつかぬまま、ゆっくりと思考を巡らせる。




 ここにいた頃の友人や知り合いと再開の挨拶をした。かなり盛り上がった。今何をしているとか、あいつはどこへ行ったとか、バイト経験だけは豊富な俺の珍エピソードとかで随分話に花が咲いた。

 その後、パドフさんに呼ばれてカウンセリング室に入った。ふっかふかのソファでコーヒーを飲み、雑談をした後パドフさんがこう切り出した。


「記憶が始まったこの場所で思い出そうとするとどうなるか、君さえ良ければ試してみたい」




(それだ)


 ほんの少しだが、ガヴェルが俺を逃す場面──新しい記憶を思い出すことができた。

 今血を吐いているのはその代償なのだろうか? 思い出すには、必ず意識を失ったりしなければならないのだろうか?


「しんどいぜ、ちくしょう……」

「ナダ」


 耳元でイコの声。次いで視界に白衣が入り込んだ。チェンが来た。


「ナダ、俺がわかるか? 声聞こえるか? 目は見えてるか? 吐き気とかは?」

「わかる、聞こえる、見える。吐き気はだいぶマシになったけど……なに、俺どうなってんの」


 俺の様子を見に二、三人駆けつけたようだが、やけに静かだった。こういう非常時に落ち着き払えるのが変人(チェン)ならではの頼もしいところだ。伊達に医者をやってねえな、と感情を切り離した頭でそう思った。


「落ち着いて聞けな。……この部屋のポトスが急成長して、鉢からもっさり溢れ出してる」


 なんだってー。

 と言いたかったが声にならなかった。かわりにもう一息と言わんばかりに血反吐が喉から溢れた。もう出なくていいよ……。






  □ □ □

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