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心臓の落とし物

作者: 村崎羯諦

「すいませーん。道に心臓が落っこちてたんで、届けに来たんですけど」


 若い女性が交番の入り口でそう告げると、事務机で書物をしていた警察官が顔を上げた。警官は女性が右手に持つ、ハンカチに包まれた丸い心臓に目を向けると、「遺失物のお届けですね。どうぞ席にお座りください」とこなれた口調で着席を促す。


「いやぁ、ここ最近は心臓の落とし物が多くですね。臓器を入れておく用のケースがまだ残ってるかな……」


 女性がパイプ椅子に腰掛け、白いステンレス製のテーブルに心臓を置く。健康的なピンク色をした血管が薄いハンカチの生地から透けて見え、硬いテーブルの上でドクドクと脈を打っている。警官は分厚いファイルから数枚の書類を取り出すと、心臓をテーブルの脇にどけて、それらを女性の前に並べる。お手数ですが、この書類に住所や落とし物を見つけた場所について記載をお願いできますかと、少しだけあくびを噛み殺しながら女性に依頼する。


「やっぱり、最近こういった落とし物って多いんですか?」

「ええ、そうなんです。昔はそれほどでもなかったんですけどね。ほら、ここ最近あっと驚くようなニュースが多いでしょ? なので、驚いた拍子にうっかり心臓をその場所に落としちゃう人が増えてるんです」

「へー、知らなかったです。そうなんですね」


 女性が書類に必要となる項目を埋めながら相槌を打つ。冷たいお茶でも入れましょうと警官が気を利かせて立ち上がる。心臓はテーブルの端っこで退屈そうに鼓動している。


「あ、すいません。落とし物の種類ってどの項目にチェックしたらいいですか?」

「ああ、そこですね。『その他』欄でお願いします」


 奥でお茶を入れている警官が間の抜けた返事を返す。女性が書類のその他欄にチェックマークを付け、右の括弧に心臓と記入する。そのタイミングで警察官が冷たいお茶を持って戻ってくる。テーブルにお茶を置き、そっとハンカチを開いて中の心臓を確認する。小ぶりではあるが、血色はよく、鼓動もよどみなく刻まれている。


「見た感じ、二十代後半の成人男性ってところですかね」

「あれ、そうなんですか。小さめだから女性だと思ってました」

「いえね、ここまで落し物が多いと、心臓を見ただけで持ち主の年齢とか、スポーツ経験とかわかるんですよ。例えば、ほら、左心室を見てください。他の心臓と比べたら一発でわかるんですが、ちょっと層が薄いんです。なので、この人はスポーツ経験なしですね」


 女性が顔を近づけ、心臓を観察する。


「あーなんか、でもお巡りさんの言うこともわかる気がします。楕円形よりは球形に近い形ですもんね」

「ひょっとしたら家に引きこもりがちの人かもしれませんね。あとは……あ、ここ触って見てください! ここです! ちょっとここだけ血流が悪くなってます。心筋梗塞一歩手前になってますよ! ウケますね!」

「え、どこですか!? 私も触りたい!」

「ここです。ほら……あ! 危ない!」


 女性が立ち上がったその瞬間、彼女の右肘がテーブルに置いてあったコップにぶつかり、コップの中身が飛散した。そして、ちょうど容器が倒れた方向に置いてあった心臓へと冷たいお茶が浸水していく。


「あーあーあーあー」


 警察官がお茶で濡れた心臓を慌てて持ち上げる。女性と警官がやっちまったと互いに顔をしかめあう。警官は心臓をテーブルの濡れていない場所に一時的に退避させ、奥へ雑巾を取りにいく。女性はその心臓を手に持ち、包んでいたハンカチで水気を拭いていく。


「大丈夫ですかね……」

「うーん、多分、大丈夫だと思いますよ。電化製品じゃないんですから。この雑巾使います?」

「それで拭いちゃうとニオイがついちゃいません?」


 それもそうだと警官は思い直し、事務机の上に置いてあったティッシュを箱ごと手渡す。警官が机の上を雑巾で拭き、女性が心臓をティッシュで拭いていく。女性が改めて心臓を観察し、顔をしかめる。


「さっきよりちょっとだけ鼓動の間隔が遅くなっている気がしません?」

「うーん、あんまりそうは見えませんけどね……。軽く叩いたら早くなるんじゃないですか?」


 女性がパンパンと右手で心臓を二、三度叩く。軽快な音とともに心臓がきゅっと萎縮し、それから再び鼓動を始める。女性が自分の目の高さまで心臓を持ち上げ、もう一度だけ確認をする。


「あ、ティッシュで拭いたせいで、ちょっと紙のカスがついちゃってますね」

「それくらいなら大丈夫……だと思いますよ。別に普段は体の外に出しておくものじゃないですから。もうケースに入れちゃいましょう。また、何かをこぼしたらまずいですし」


 女性が少しだけひんやりとした心臓を警官に手渡す。それを警官が奥から取ってきた臓器用プラスチックケースに入れる。その時、顔色の悪い若い男が交番の入り口に現れ、か細い声で二人に話しかけてきた。


「あの……すいません。ひょっとして心臓の落とし物が届いてたりしてませんか?」


 警官が顔を上げ、入っていた男へと顔を向ける。今ちょうどこの方から届け出があったところなんですよ警官が説明すると、明らかに顔色の悪い男はほっと胸をなでおろした。


「いやぁ、助かりました。ちょっと息苦しいなって思ってはいたんですけど、まさか心臓を落としていたとは……」

「まあ、でも見つかって何よりですよ。一応、本人確認の質問をいくつかさせていただけますか」

「はい、大丈夫です」


 男が答える。警官が先程女性が記入した用紙を見ながら質問を行う。


「心臓を落とされた場所は?」

「〇〇駅を出たところのロータリー付近だと思います」

「どれくらいの大きさの心臓ですか?」

「え、大きさですか? 自分の心臓なんてあんまり見たことがないから……」

「ああ、別に形式的な質問なんで、そんなに深く考えなくてもいいですよ」

「えっと、じゃあ……これくらい?」


 若い男性が自分の胸元で小さく輪っかを作る。


「うーん、まあいいでしょう。心臓の落とし物はそうそうあるもんでもありませんし。では、お返しします」 


 警官が男に心臓を手渡すと、男は深々と警官と女性に頭を下げ、服の下でもぞもぞと心臓を自分の胸に戻していく。そして、その姿を女性と警官がじっと観察する。心臓を戻し終えた男が二人の視線に気が付き、どうしたんですかと尋ねてくる。


「えっと、何か変なところとかありませんか」

「変なところですか? いや、別になんとも……」

「例えば、身体がちょっと冷えるとか」

「いや、別に……」

「胸あたりがちょっとだけ締め付けられる感じがするとか」

「特にないですけど」


 男の回答に警官と女性がほっと安心した表情を浮かべる。男は不思議そうな表情をしながらも、女性に何かお礼でもと提案するが、女性は結構ですと愛想よく返事をし、そのままいそいそと交番を後にしていった。



*****



 後日。とある病院。


「次の方、どうぞ」


 医者の呼びかけに応じて、一人の若い男が診察室に入ってくる。


「今日はどんな症状で?」

「それが……自分でもよくわからない症状なんです。信じてもらえないかもしれませんが、聞いてもらえますか?」


 訝しげな表情を浮かべる医者に若い男が言葉を続けた。


「なんか、最近。冷たい飲み物を見るだけでギューッと胸が締め付けられるんです」

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