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なな


ルーデルハイトはヴァルターと比べると、少し線の細い青年だった。

癖の強い栗色の髪がふわふわと風に揺れている。垂れ目なこともあいまって、とても優しそうな人に見えた。

特に基本が険しい顔のヴァルターを見慣れつつある状態では、なおのことである。

唯一彼らに兄弟らしいところがあるとすれば、瞳の色くらいだろう。

確か母親が違うので性格もあまり似ておらず、ヴァルターが厳格ならば彼は柔和とかなり対照的な兄弟だった。


「体調を崩していたと聞いていましたが、もう大丈夫なのですか?」

彼はごく自然に跪き、私の手を取った。

な、なぜ、跪く……!?親し気すぎて怖い怖い!

内心焦りまくっていることが表に出ないように努力しながら、私はあいまいに首を頷く。

下手に口を開くと、とんでもない失敗をしてしまいそうだったからだ。

あと横にいるヴァルターの存在も普通に怖かった。

ダメだ、どこにも救いがない。家に帰りたい。切実に帰りたい。だいたいまだ三日目なのに人前に出すこと自体間違いだったのではないだろうか。偽物は偽物でも私はまだよちよち歩きの赤ちゃんなのだ。

などと心の中でいくら不満を並び立てようが現実は変わらない。当たり前のことである。


そんな私の手から、ルーデルハイトの手がやんわりと引き離される。ヴァルターだ。

「いくら家族になるとはいえ、そういう軽薄な行為は慎め。特に人目のあるところではな」

「気に障ったなら謝るよ、兄さん」

本当に申し訳なさそうに眉を下げる弟に、兄は尊大に鼻をならした。

助けてもらってなんだが、偉そうだ。

「でも、兄上がそんなことを言うのもだけど、メリナと一緒にいるなんて珍しい。前は見向きもしなかったのに」

「円満な関係を築くのに必要だと判断したからだ」

「へぇ。案外独占欲が強かったんだね、知らなかった」

「ど……!」

右目の下をピクピクと震わせ、ヴァルターは否定しようとした言葉を飲み込んだ。

そして眉間のしわを底の見えない谷底みたいに深くして、そうだと絞り出すように言った。

誰が聞いても嘘つくなと言いたくなるような、苦々しい肯定にルーデルハイトは苦笑いする。そして私は虚無を感じながら、あいまいにほほ笑み続けていた。


ふと、柱の陰で何かがもぞもぞと動くのが見えた。

小さな女の子が柱に隠れるようにして、こちらをうかがっている。

あれは……。

私の視線を辿って、ルーデルハイトはああと声を漏らして、少女を手招きする。

「おいで、カーヤ」

カーヤ。

確か一年ほど前に結界にゆらぎが生じて、魔物が国内に入り込んだことがあった。

その時討伐隊の指揮を取っていたのはヴァルターで、ルーデルハイトはその兄の補佐で辺境へ赴いた。

魔物は無事退治されたが、その騒動で身寄りを亡くした少女に出会ったルーデルハイトはいたく心を痛め、彼女を引き取り自分付きの侍女見習いにした。

だったっけ。

カーヤと呼ばれた少女がとことこと柱の影から出てくる。

まだ十歳にもなっていないであろう女の子だ。きっと女神の祝福も受けていないから、魔法もまだ知らないのだろう。

彼女がぺこりと頭を下げると、黒いきっちりと結われた三つ編みがロープのようにしなった。

真っ黒でつやつやとした瞳が、私を見つめる。彼女の瞳は大きくて、まるで深い深い穴を覗いているような落ち着かない気持ちにさせる。

なんだか、怖いというか、不安というか。

「あの、この間、新しいお茶の葉っぱをルディ様に買ってもらったんです。だから今度、カーヤが聖女様に淹れて差し上げたくって」

「それは、光栄だわ」

絞りだすようにそう返事をして、私は吐き気に似た感覚を飲み込む。


なにか変な感じがする。

なんだろう、これ。急に不安感が膨れ上がって、心臓がドキドキというか、バクバクする。

こんな小さくて純粋な子を騙しているという罪悪感で?それともメリナと仲良くしていた人たちと何の心構えもなく出会ってしまったから?

目を反らして自信のない様子を見せるわけにはいかなかったので、震えそうになる体を根性で抑えつけた。それでもいよいよひどくなる動悸に私は服の上から心臓を押さえる。

そういえば風がやんでいる。

屋外なのに空気が重たい。

汗がまとわりついて、気持ちが悪い。

心臓の裏側がゾワゾワする。


「どうした、メリナ」

ヴァルターがゴツゴツとした大きな手で背中を撫でてくれる。

「風が……」

息が詰まる。

ここからすぐに逃げ出したい。

叫びだしそうな不安に飲み込まれる。

せめて風が吹けば。

もうダメ!無理!

私はふっと強く息を吹いて、風を呼んだ。

きっと必死だったからだろう。思ったよりも強い風が凪を打ち破って、茂みの一部を激しく揺らす。

それはまるで、小動物が飛び跳ねたかのようだった。

「きゃっ」

カーヤが驚いて小さな悲鳴を上げる。

すうっと気持ちのいい空気が入ってきて、かいた汗が冷えた。

すると途端気持ちも軽くなって、あんなにも重くのしかかってきていた不安が嘘のように消える。いや全くなくなったわけではないのだが、叫びだしたくなるほどではなくなったという感じだ。

持ち直した私は、今度は自らカーヤの顔を覗き込んだ。

私はメリナ。私は聖女。頑張れ、私。三日間しか特訓していないけど、双子だもの!やってできないことはない!

見ててください、先生!と空にハイデマリーの幻影を見ながら、私はゆっくりと柔らかなメリナの口調を真似して口を開く。

「来週の舞踏会まで少し忙しいみたいなの。だからその後、また誘ってくれる?」

「はい……」

どこか浮かない表情の彼女の頭をルーデルハイトが撫でる。

「まだ散歩は早かったようだな。風も出てきたし、もう中に入ろう」

「はい、ヴァルター様」

その風を吹かせたのは私なのだが、助け舟にありがたく乗っかって、私はいそいそとその場から撤退したのであった。

後からヴァルターにどうしたのだと尋ねられたが、やはり上手く答えられなかった。

こんな調子で大丈夫なのだろうか……。

きっと私だけでなく、彼もそう思っていたのだろう。

私を見る厳しい緑の目はどこか不審そうで、少しだけ心が痛くなった。





自分の良いところはどこかと聞かれれば、心が痛くなっても案外すぐに元気になるところなんじゃないかなぁと、偽物聖女特訓をこなしていくうちに強く思うようになった。

たぶん、根が呑気なのだ。

あと褒められるとすぐ調子に乗るので、叱られてしょんぼりしている私にハイデマリーが頑張っているとか、案外覚えが早いとか優しい言葉をかけてくれれば、みるみるうちに復活するのだ。きっと扱いやすい奴だと思われている事だろう。

中庭でヴァルターに失態を見せてしまったことは、私にしては珍しく引きずったけれど、彼は凶悪な顔面のわりに優しいのであの一回の失敗で私を強く責めたり、見限ったりするようなことはなかった。

特訓三日目だから仕方ないというような励ましもしてはくれなかったけれど。

でもやっぱりいい人なのだとは思う。

私が初日にベッドが柔らかすぎて眠れないと言ったことを覚えていて、マットレスをわざわざ硬いのに変えるよう指示していたのだと、フェルがこっそり教えてくれた。

ハイデマリーは変なところで謙虚な男だと呆れていた。


落ち込んだり、ちょっと調子に乗ったり、忙しすぎて感情が完全に無になったり、拷問マッサージに泣き叫んだりしながら特訓は続き、一週間が経った。

散歩にも再チャレンジして、メリナとして振舞う自信も少しついた。

そしていよいよダンスの授業が始まった。

基本的なマナーや舞踏会に必要な知識はあらかた頭に入ったということで、いよいよ実践編というわけである。

時々フェルが相手をしてくれる。慣れないヒールが痛くてふらつき、しょっちゅう足を踏んでしまうのでとても申し訳ない。

楽しく踊ればいいというものではないのが辛いところだ。

「なかなか上達しないねぇ」

飴と鞭なら飴担当のフェルでさえこの評価である。

そのうえつま先をさすりながらなので、いやもう、ひたすらに申し訳ない。

ハイデマリーは両手を口の前で組んで、まだいける、まだいけると虚空に向かってブツブツ呟いていた。


そんな私の状態を聞いたのか、ヴァルターが顔を見せることも増えた。

彼はふらっと現れては、私の練習風景を何も言わずに見て、またふらっといなくなる。

公務が忙しいから合間合間を縫ってきてくれているらしいのだが、それにしても神出鬼没だった。

気が付くと部屋の隅で腕を組み怖い顔をしている人がいるので、ちょっとどころではなくびっくりする。ついでに背筋も伸びる。

せめて一言、頑張ってるかみたいな気軽な感じで声をかけてくれればいいのに。

休憩をもらった私は午前中運動やらダンスやらで動かしっぱなしでパンパンになった脚をやわやわと揉みながら、脳裏で気難しそうな顔で腕を組んでいるヴァルターに言ってみる。

脳内の彼は、はぁ?なんでわざわざそんなことをとでも言いたげに片眉を吊り上げた。怖い。想像するだけでもう怖い。


ふと頭の上に影が落ちた。

この時間帯ならフェルだろうか。

今日の差し入れはなんだろう。この間の紅茶風味の焼き菓子だといいなぁ。

などと思いながら顔を上げる。

そこには見知らぬ青年が立っていた。

えらく身長が高くて、座っている私を見下ろす姿はまるで巨人だ。

黒い前髪は長めで、青みがかった緑の瞳の上でさらさらと揺れている。

そして何より凄く格好良い。

「ど、どなたですか?」

いや本当に誰だ!?

練習室に入れるってことは、ヴァルターの知り合い?それともダンスがあまりに上達しないから新しく派遣されてきた先生とか?でも服装を見た感じ、そんなふうでもなさそうな。

うわー!どうしたらいい?

「はぁ?」

地の底から響くようなドス声だった。

思わずひぇと小さな悲鳴が漏れた。

……あれ、この声、どこかで。

「前髪を下ろしてるからわからないだろうけど、殿下だよぉ。ほら」

青年の大きな体の後ろからにょきりとフェルが現れる。

儚げな見た目とそれを裏切らない体躯の彼は、青年の影にすっぽりと隠れていたらしい。

フェルは後ろから手を伸ばして青年の前髪をかき上げた。

すると眉間に刻み込まれたしわがあらわになり、怜悧な男前が途端見慣れた恐ろしい形相になる。

「詐欺だ!」

「前髪ごときで、大げさな奴だな」

ヴァルターはなぜか得意げな様子で鼻をならす。

そのため、ちょっとときめいてしまったことが余計に悔しくなった。

「あれ、今日はなんだか楽な格好なんですね」

シャツにベストというまるで平民みたいな格好だ。たぶんそれで余計知らない人に見えたのだろう。

でもよく見ると、いつも通り手袋だけはきっちりつけていて、服装とあっていない。

「まぁちょっとな」

機嫌良さそうにそう言って、ヴァルターは少し離れたところでスケジュールとにらみ合いっこをしていたハイデマリーの名前を呼ぶ。

「リアを少し借りていくがいいか?」

「どうして……。ああ、いいわよ」

一瞬くわっと目を見開き怒るかと思われたハイデマリーは、ヴァルターの格好を見てすぐに何か思い当たったのか仕方ないというふうに苦笑した。

「よし、着替えてこい、リア」

「着替えるって、ドレスですか?」

「そんな高いばかりで窮屈なものには用はない」

これだからおしゃれのわからない男はとハイデマリーが呟くのが聞こえたが、そんなものどこ吹く風とヴァルターはいたずらっ子のように笑って、窓の外を差した。

「町へ下りるぞ!」




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