ご
「……リア」
誰かに呼ばれている気がする。
男の人の声だ。
お父さん?
「起きろ、リア」
今度は体を揺さぶられた。
なんなんだ、せっかく人が気持ちよく寝ているというのに。昨日はなんだか凄く大変な目にあった気がするから、今朝はちょっとくらいゆっくりしても、ああでもメリナを探しにいかなきゃ……。
「メリナ……?」
ぱちんと泡がはじけるように、目が覚めた。
そして自分がふかふかした絨毯の上に寝っ転がっていることに気が付く。
そういえば昨日、代役を引き受けて、王宮に泊めてもらったんだったっけ。
まだぼんやりする頭でむくりと起き上がると、目の前に機嫌が悪そうなイケメンがいた。
「よく床なんかで寝れるな」
ヴァルターは器用に自分の膝に肘をついて、寝ぼけ眼の私に感心したように言う。
「いや、なんか、ベッドが柔らかすぎて……」
そう答えて、少しずつ昨夜の記憶が蘇ってきた。
とりあえず一晩休めと言われ、メリナのために用意されていた部屋に泊まることになったのだ。
寝るための大きな部屋の手前に客間のような小さな部屋があり、二つの部屋が扉でつながった構造をしている。
最初はあらゆるものが高級そうで恐縮して縮こまっていたが、だんだんと慣れふわふわなベッドの上で座ったまま跳ねて遊んだりした。そして我に返って誰もいないのに赤面したりもした気がする。
部屋に運び込まれた夕食も凄く豪華で、何品も見た目も綺麗な料理が出てきて、瑞々しい果物や甘いお菓子もついていた。けれどなぜか肉料理が見当たらず、少しだけ残念だった。
それから、クローゼットの中の洋服を出して眺めたり、鏡台に並べられたたくさんの小瓶の中身を調べたりしているうちに夜が更けていって、興奮からかそれともやはり不安だったのか、それともただ単に柔らかすぎるベッドが体に合わなかったのか、ソファで眠ることにしたのだ。
それでなぜ床で寝ているのかというと、ぼんやりとしか覚えていないのだが、今朝がたに寝返りを打ってソファから落ちたからなのだと思う。
物凄く眠かったし、絨毯も柔らかかったのでそのまま眠り続けてしまったのだろう。
そして私を起こしに来たヴァルターは、床で寝る私を見つけたと。
王子相手に恥ずかしいところ見せちゃったなぁとぼんやり反省する。
そして相手が王子だったことをようやく思い出した、というか理解した私は飛び上がった。
また、やってしまった……!
昨日から不敬の連続である。
いやでも、いくら王子でも、勝手に人の部屋に入るのはちょっとあれなんじゃないのか?床で寝てて、王子相手にちょっと失礼な感じの返答もしちゃった私も私だけど!
「なんでいるんですか!?あ!おはようございます!」
「おはよう」
よっこいしょと妙に爺臭い動作で立ち上がったヴァルターは、なぜか半笑いだ。
そんなに人の寝起きが面白いのだろうか。変な趣味だ。
「寝ぼけてボロを出されても困るからわざわざ起こしに来てやったんだ。服も持ってきた。自分で支度できるな?」
ヴァルターは部屋の隅にいつの間にか運び込まれていた台車を指差す。
台車の上には簡単な朝食と、服らしきものが積まれていた。
見たところ簡素なワンピースっぽいし、助けがなくとも着られるだろう。
「たぶん大丈夫です」
「済んだら声をかけろ」
厳しい顔に戻ったヴァルターはそう言って、寝室の手前にある小さな部屋へと移動した。
もしかして私の支度が終わるのを待つつもりだろうか。
そうとなればゆっくりしていられない。
私は慌てて寝ぐせのついた髪の毛を手櫛で梳かしながら、洗面所へと駆け込んだ。
ヴァルターが持ってきてくれたのは、お仕着せみたいな紺色のシンプルなワンピースだった。
朝食も残すのは悪いので、流し込むように完食し、最後に鏡で身だしなみを確認して寝室を出る。
「お待たせしました!」
元気よく飛び出した私に、三人分の視線が注がれる。
てっきりヴァルターだけがいるものと思っていたが、小部屋には彼のほかに昨日控室で会ったフェル。そして見知らぬ美しい少女がいた。
燃えるような赤い髪に、これまた赤いドレスを着ている。大きく力強い目が印象的だ。
背も高く、背筋を凛と伸ばした姿は綺麗というよりも格好いい。
彼女はしげしげと私の頭のてっぺんからつま先まで何度も眺める。
なんだか恥ずかしくなって私は肩を縮こまらせてしまう。
そんな私の姿に彼女はくわっと目を見開き、一言叫んだ。
「胸を張りなさい!」
とっさに言われた通り胸を張ると、彼女は満足げにほほ笑んだ。にっと口の端があがって、意外と親しみやすい感じになる。
彼女はずんずんと力強く私の方へと、歩み寄ってきた。そして顎を掴んだかと思うと、左に向け、右に向け、また左に向けた。
なんか、ついこの間も同じことをされたような。
なんなんだ、貴族はみんな人の顔を見る時、こうするのか?ちょっと乱暴じゃないだろうか?
「確かに顔はそっくりね。でも雰囲気があまりに違いすぎるわ。こんな芋娘を三週間で舞踏会に出すなんて無理。というかよく昨日はバレなかったわね」
私の顎を解放して、彼女はヴァルターへ鋭い視線を投げる。
い、芋娘……。
酷い言われようである。
しかし目の前の大輪の薔薇のように華やかな彼女と比べれば、確かに私は芋なのかもしれなかった。
「手を振るだけなら、なかなか様になっていた」
「どうせ普段の聖女もよく知らないんでしょ」
「俺はこの間まで外遊していたんだ」
「言い訳は結構」
厳しい先生みたいにぴしゃりと言い放って、彼女は細い腰に両手をあてた。そして私を見つめながら、思案するように口をとがらせる。
矛先が自分から外れて、やれやれといったふうに上を見上げてからヴァルターはまだ考え事をしている彼女が何者なのか紹介してくれた。
「彼女はゴルトベルク公爵家のご令嬢。ハイデマリーだ。事情は全て説明してある。信頼のおける人物だから、お前の教育は彼女に一任することにしている」
「よろしく、リア。私はハイデマリー・ゴルトベルク。メリナの義姉と言えばわかりやすいかしら。メリナから双子の妹がいるとは聞いていたけれど、こうして会うのは初めてね」
メリナを養子として引き取った公爵は名をゴルトベルク公爵という。つまり彼女はそのゴルドベルク公爵の実の娘だ。
そしてハイデマリーという名前は、メリナの手紙にも時々のぼる名前であった。
「メリナがお世話になっています!」
慌てて頭を下げた私に、彼女は少し渋い表情をする。
なぜだろう。
「血は繋がっていなかったけれど、私なりにあの子の姉として色々気にかけていたつもりだったわ。双子の妹のあなたよりも、一緒に過ごす時間は多かったでしょう。それでもあの子が駆け落ちを考えていたなんてちっとも気が付かなかった。そしてその付けが、双子のあなたに降りかかることも。だから私は、頭を下げてもらえるような人間じゃない」
「でもメリナの手紙には、あなたによくしてもらっていると」
ますます渋い顔になってハイデマリーはため息をつく。
「まぁいいわ。とりあえずメリナの話はおいおいしましょう。時間がもったいないから、さっさと本題に入ります。私はあなたの教育をここにいるガーゴイルみたいな顔面の男に頼まれた。それはいい?」
「ガーゴイル……」
いやそれはさすがに言い過ぎではないだろうか。
あれってどちらかと言うと怖いというより、気持ち悪い要素も入ってるし。
ガーゴイルと言われたヴァルターは、何も言わずただただ眉間のしわを深くした。確かに魔よけにはなりそうではあった。
「ふさわしい立ち居振る舞い、話し方、マナー、ダンスに、メリナの交友関係、聖女として持っていて当たり前の知識も覚えてもらいます」
「それを全部、三週間で?」
さぁっと血の気が引いた。
大変だろうとは思っていたけれど、そんなにたくさんのことをしかも三週間でだなんて。
しかも私はメリナと違って、城下町でのんびり生きてきた普通に毛が生えた庶民だ。
だいたい、それぞれがどれくらいのきつさなのかすらわからないので、完全に目の前の壁に圧倒される思いだった。
「無茶苦茶なことを言っているのはわかっています。でも菫色の髪の毛でメリナと似ている子なんてそうそういないし、探している時間もない。あなたにはとても申し訳ないのだけれど」
「いえ、そんな」
「そして私にも、あの子の義姉としての責任があります。だから私は全力であなたを教育すると誓うわ。あなたも私が公爵令嬢だからと気を遣わずに、具合が悪かったり、気になることがあったりしたら、気兼ねなく言ってちょうだい。いい?」
可憐な姿には似合わない男気のようなものを発散させながら、ハイデマリーは私を勇気づけるように微笑んだ。
公爵家のお嬢様がここまで言ってくれるなんて、と勢いに流され感動した私は両の拳ぐっと握りしめ、ハイデマリーに頷き返した。
「よろしくお願いします」
ヴァルターとフェルは公務のために早々に退出し、私はハイデマリーと早速教育のスケジュールを立てることにした。
とりあえず急務として、メリナらしい振る舞いを身に着ける必要がある。
ハイデマリーは紙に舞踏会までの日付を書いて、いついつまでに何を終わらせるかということをきっちりきっちりと決めていった。
そうすると少しだけ目の前の壁が現実的なものに見えてきて、やる気も出てくる。
「これからレッスンの間は、メリナらしくするようにしましょう。私が違和感を覚えたらその都度、修正していくわ」
「わかりました」
メリナらしく、か。
私は子供の頃の彼女しか知らないからかなり不安だが、やってみないことにはどうにもならない。
とはいえやる気だけでどうにかなるほど世の中は甘くないわけで。
「猫背になってるわよ!」
「はい!」
「いい返事だけど、メリナはそんなにはきはきしゃべらないわね。それと今度はお腹が出てる!背筋は伸ばすけど、お腹も引っ込めるの。内太ももに力を入れて!」
「はい、お姉さま」
「一本の線の上を歩くように。ヒールは慣れないでしょうけど、膝が曲がりっぱなしになってはダメよ。ちゃんと踵のヒールから着地させるの」
「は、はい……」
「姿勢!」
「すみません!」
「硬すぎるわね。もし言うなら、ごめんなさいでいいわ」
「わかりました」
「メリナは公爵家と神殿以外にはあまり顔を出していなかったから、交友関係はそう広くないわ」
「え、じゃあ……」
「だから舞踏会に参加する貴族とその周辺人物に絞って、顔と名前、簡単な家の歴史を覚えていくわよ」
「ちなみにどれくらいの人数を覚えればよいのでしょうか?」
「最低でも三百ね」
「さんびゃく」
「あなた背中と腕に余計なお肉がついてるから、お風呂前に運動と、後にマッサージをするわよ」
こ、この期に及んで運動、だと。
慣れないヒールで足の裏、指の付け根がじんじんと痛い。
一日中気を張ってるからか、なんだかくらくらするし、目をつむったら瞼の上に詰め込んだ舞踏会参加者の名前が飛び交っていることだろう。
人間って頑張りすぎると冷や汗がでるんだなぁなどと妙な気付きを得て、私はよたよたと椅子から立ち上がった。
幸い体を動かすのはまだ得意だったし、姿勢矯正で変に凝った体がほぐせたのでよかった。
問題はお風呂に入った後のマッサージだった。
「さ、やって頂戴!」
「ちょっと待ってくださ……いった!?うわ、痛、いだだだだ!」
ハイデマリーが屋敷から呼んできたというメイド数人で、脚やら腕やらを揉まれる。
これがとにかく痛くて、もはやマッサージという名の拷問だった。
たぶん下手な拷問をするより、このマッサージをした方がいいと思う。情報も手に入れられて、誰も死なないし、なんなら綺麗になれるし。
そして最後には良い匂いのする美容液やらオイルを塗りこまれ、早めに就寝する。
一日中私に付き合っていたハイデマリーは、細いヒールに豪華でいかにも窮屈そうなドレスだったのにけろっとしていた。
これでも体力は結構ある方と思っていたのだが、完全に自信を無くし泣きそうになった。というかちょっと泣いた。
今頃、メリナはどこにいるのだろう。
彼女は彼女で辛い思いをしてはいないだろうか。
私はいままで何もしてあげられなかったけれど、この頑張りは彼女のためになるだろうか。
いろいろなことが脳裏に浮かんでは、答えを得ないまま消えていく。
それらに落ち込んで本格的に泣く暇もなく、昨日よりもなんだか程よく硬い気のするベッドで私は眠りの淵に落ちていった。