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王宮へと続く目抜き通りは、城下町の人間すべてが集まったかのような大混雑だった。
家々の出窓からは王家の紋章が染め抜かれた赤い旗が翻り、パレードの先頭に立つ従者がそれぞれ花の魔法と風の魔法を使っているのか、心地よい風の中、様々な花弁がひらひらと舞い散っている。
まさしく未来の国王夫婦を祝するにふさわしいパレードだ。
「聖女様ー!」
「おめでとうございます!」
「聖女様、この子に祝福を!」
四方八方から聖女への言葉がかけられる。
それは想像していたよりも大変なもので、パレードの馬車に乗って手を振るなんていう経験があるわけない私はどちらを見ればいいのか、どこに手を振ればいいのかまったくわからなくなって、じょばっと変な汗が噴き出す。
結果、屋根のないパレード用の馬車の上で、無理なく体を捻って対応できる範囲へあいまいに左右に運動しながら手を振り続けるからくりみたいになっていた。
薄い布を何枚も重ねた薄水色のドレスは見た目こそ軽やかだが、その軽やかさを出すために下に着こんだパニエやらなにやらで思いのほか息苦しく、つけている装飾品も一つ一つがその値段と比例するようにずっしりと重たい。
聖女にふさわしくあまり華美ではないのだと着付けをしてくれたメイドさんは教えてくれたけれど、町娘が一目見ただけで高額とわかるものしかないのだから、現在の自分の総額を考えるだけで冷や汗が出てしまう。
たぶん人差し指につけているこの指輪一つでも、家一軒くらいは建つに違いない。
本来ならメリナがこれを着て、みんなに手を振っていたはずなのに。
どうしてこんなことに……。
ハインリヒ王子に乞われて迂闊に「はい」などと返事をしてしまった私は、気が付くと数人のメイドさんたちに囲まれ、予備の衣装に着替えさせられていた。
途中コルセットを限界まで絞められたので、ちょっと記憶がない。
というか進行形で時々気が遠くなるし、できることなら鋳型かと思うほどに硬く締め付けてくるコルセットを破り捨てて、草原へ走り出したい。
ちなみに人目がなくて走り回れるところなら別に草原である必要はない。でも草原で走り回れたら嬉しいとは思う。
両親にはメリナが体調を崩してしまい、彼女自ら私に代役を頼んだということにしている。
いくら双子とはいえ、城下町で十六年間栽培された町娘が急に聖女の振りなどできるのだろうか?
という父の心配は、メイドさんたちが施してくれた化粧によって変身した私を見て、消え去ったらしい。
私自身も驚いたものだ。
良い匂いのする液体と粉に次ぐ粉責めにあい、なんか睫毛とか髪の毛とか引っ張りまくられ、さぁどうぞと差し出された鏡の中にはメリナがいた。
思わず頬に手を当て、鏡の中でも同じように動くのを確認してしまったくらいだ。
目が大きい!肌がきれい!顔も小さくなったように見えるし、なにこれ!?といった感じだ。
私からするとすさまじい手際と出来栄えなのだが、毎日お手入れしていないからか、メイドさんたちはかなりてこずったらしい。少し申し訳ない。
化粧も衣装も完全に整った私を見て、両親は度肝を抜いていたし、王子は化粧を崩さないように配慮してか顎を掴んだりはせずに、私の周りをぐるぐると回ってあの険しい目つきで検分した。
そして及第点だったのか、一言化けたなとだけ言った。失礼だ。
「いいか。絶対に口を開くな。常に微笑んでろ。動きはゆったりさせとけば、とりあえずはいい。間違っても町娘みたいな素振りを見せるんじゃないぞ」
「見せたらどうなりますか?」
「殺す」
「ひぇ……」
たぶん本当に殺されはしないだろうけど、殺されてもおかしくない程度の殺気は感じた。
王子様ってもっと優しくて上品な人じゃないのか。顔も凶悪だし、殺すってそんな率直な脅し、ゴロツキじゃあるまいし。
メリナが王子のことを厳しくて冷たい人だと言っていたのを思い出し、なんとも渋い顔になってしまう。
確かに顔は綺麗で背も高いけれども。
そんなこんなで見た目だけはなんとか取り繕った私は、ただでさえ時間を過ぎているということで慌ただしく、屋根のないパレード用の馬車にハインリヒ王子とともに乗りこむこととなった。
とはいっても馬車に乗ること自体そうそうなく、パレード用の馬車に至っては普通の辻馬車よりも座席がずっと高いところにある。
しかも慣れない高級なドレスをこれまた慣れないヒールで踏んづけてしまわないようにと気を付けていたら、自分が思っていたよりももたついてしまった。
初手からすでにつまずいている。
王子に殺されるかもと焦っていると、ふわっと体が浮きあがった。
家の周りに集まった観衆からわぁとざわめきが起こる。
王子が私を横抱きにしたのだ。
視点が急激に高くなって焦った私が王子の肩にしがみつくと、また歓声があがる。
「もたもたするな」
王子は完璧な笑顔で私を見下ろし、地の底から響くような恐ろしい声で言った。
顔と声が完全に乖離している。
怖い。怖すぎる。
若干青ざめた私を座席に座らせ、王子は素晴らしい笑顔で手を振った。
怖い。
この人、人格が二つあるのではなかろうか。
みんな呑気に王子が聖女様を抱き上げて馬車に!なんて仲がいいんだ!と喜んでいるようだが、その実は馬車に上がれない代役を王子がイライラして抱き上げたというだけなのだ。ばれたらきっとブーイングの嵐だろう。
そう思ったら急激に罪悪感がこみあげてきて、胃が痛くなってくる。
流れと勢いでここまできてしまったけれど、本当にこんなことをしてもいいのだろうか。
メリナはちゃんと見つかるのだろうか。
もし見つかったとして、連れ戻された彼女はどうなるのだろう……。
からくり仕掛けの人形のように手を振り続けながら、いろいろなことを考える。
見慣れた目抜き通りも高い馬車の上から見ると、違う風景に見える。並んで見上げてくる人たちの中に、昨日の布屋の親子などの顔なじみがちらほら見える。
彼らは私がリアだなんてちっとも思っていないという顔で、無邪気に手を振っている。
これがメリナの見ていた世界。
まるで夢の中みたい。
「大丈夫か」
街頭の人々に手を振りながら、王子はちらっと横目で私の様子をうかがう。
いちおう心配はしているのか、そう尋ねる緑色の目は優し気だ。よく見ると彼の瞳は、光の加減で少し青みがかっても見える。
舞い散る赤い花弁が彩を加えて、一層にその緑を引き立てていた。
「……ダメです。緊張しすぎて吐きそうです」
「吐くな。気合で飲み込め」
目が、本気でいらっしゃる。
間違っても吐いてしまわないように、ぐっと奥歯をかみしめた。
「ハインリヒ様、こんなことして本当に大丈夫なんでしょうか……。こんな、みんなを騙すようなこと」
「聖女が逃げ出したと知れば、大きな混乱になる。お前は自分の姉の不始末が世間に広まってもいいのか」
「それは……」
メリナのことを考えるならば、好きな人と幸せになってほしい。
けれどそれは聖女としての務めを放棄するということで、決して褒められたことではないし、家族としても手放しですすめることはできない。
できれば聖女として幸せになってほしい。
そう願ってしまうのは、私が無知だからだろうか。
「ヴァルターと呼べ」
「え、なんですか」
すっかり考え込んでしまっていたので何の話かわからずに聞き返すと、ハインリヒ王子は意外なことに怒らず、やれやれといったふうに言い直してくれた。
「呼び名だ。ハインリヒではなく、ヴァルターと」
「どうしてですか?」
「ハインリヒは代々長男につけられる名だ。メリナもそう呼んでいた。そんなことも知らないのか?」
あいまいに笑ってごまかす。
ヴァルターは明らかにこいつ知らなかったな、という顔をしていたが追及されなかったのでよしとする。
ダメだ。口を開くと至るところに仕掛けられた罠にことごとく引っかかっていく気がする。
しばらく黙って聖女の振りに専念することにする。
時々姿勢が悪いとか、腕が下がっているとか、隣から厳しい指導が入るが、ちゃんと言われたところを直せばそれ以上何か言われることもなかった。
馬車はあきれるほどゆっくり目抜き通りを抜け、王宮に向かっていく。
建物もどんどん立派なものになっていって、私は自分がどこか違う世界へ連れていかれるような心細い気持ちになる。
とうとう馬車は王宮の門をくぐり、私は目の前に現れた白亜の建造物に思わずわぁと声を上げた。
いつも遠くから眺めていた王宮は、陽光の下、眩いばかりに白く、長い年月をかけて増改築を繰り返したために一目では把握できないような複雑な形をしている。しかし一つ一つの建物は優美な形をしており、装飾も見事だった。
一番高い塔の頂上は、どんな魔法によるものかじわじわとひとりでに回っている。
メリナも王宮に初めて上がった時はこんなふうに感動したのかもしれない。
けれどすぐにこの後自分がどうなるのか不安になり、私はちらっと隣のヴァルターをうかがった。
彼も多少緊張から解放されたのか、目元を指で押さえてふうと息をついている。
「ヴァルター様、これから私はどうすれば……」
「ああ、そうだな。悪いがすぐに帰すわけにはいかない。メリナが見つかっていればいいが、そうでなければどうなるかはまだわからんからな」
「わかりました」
「でも、助かったよ」
まさかそんな言葉をかけてもらえるとは思っていなかったので驚いて目を見開いた私に、ヴァルターは少し不服そうな顔をする。
「なにかおかしいか?」
「いえ!……でもちょっとびっくりしてしまって」
「なかなか様になっていたから、俺も少し驚いたよ」
彼は軽く手を振り、メリナの真似をしていた私のことを示して言う。
「ああ、私、メリナと双子だから、よく真似をしてくれって頼まれるんです。それで手を振る真似だけはけっこうやっていて」
なんだか照れてしまって、私はもじもじと長い髪を集めて口元を隠そうとした。けれど綺麗に梳かされ、癖もなくなった髪の毛はするすると流れていってしまう。
ヴァルターはそんな私にただ、そうかとだけ返した。
馬車用の出入り口らしきところに到着し、またもや降りれずにもたもたしていると抱き上げられる。
さっき抱き上げられた時はいっぱいいっぱいだったからよくわからなかったけれど、王子の体は礼服の上からもわかるくらいにがっちりとしていて硬い。
艶やかな黒髪が風になびくと、爽やかないい香りがした。
彼は私を丁重に下ろすと、気真面目そうな顔をしてこう言った。
「ひとまず感謝する。ありがとう、リア」
そしてほんの少し、笑ったのかどうかすら怪しいレベルで微笑んだ。
案外いい人かもしれない。
などと彼の見せたわずかな微笑みに、少しだけドキドキしてする胸を押さえ、私は侍女に導かれるままついに王宮へと足を踏み入れたのであった。
きっとすぐに帰れるだろう、せっかくだから王宮の中をいろいろと見てみようなどと呑気なことを思いながら。