03
怒った様子のカムイ様を前にしてサッと血の気が引く。どうしようと手を口の前に持っていくと、その手をカムイ様に掴まれた。瞳に囚われる。
「なんの話をしていると言っている」
「た、食べ方の話を……」
「その食べ方というのはなんだ。まさか、そなたは我が人肉を食らって生きていると思い込んでいたのか?」
ギラリと光る瞳にハッと息を飲む。言葉が出てこない。だって、私はたしかにそう思い込んでいたから。目の前の龍は私を喰らうのだと。
おそるおそるカムイ様を仰ぎ見る。目が合ったカムイ様はうっ、とたじろいだ。
「う、上目遣いとは卑怯な。我は怒っているのだぞ」
「ごめんなさい……」
カムイ様を怒らせたことが恐ろしくて俯くと、彼は言葉を畳み掛けてくる。
「両想いでそなたに求婚されたのだと思ったらまさかの解釈違い! 我をそのように翻弄するなど、そなたは魔性の女だ!」
「え、あ、きゅうこん……?」
「なんと……。そこからか……」
カムイ様が項垂れたのは一瞬。すぐに長い指で私の顎をすくい取り、顔をあげさせ目を合わせる。
かち合った目はとても吸い込まれそうなほど澄んでいて、私はその瞳から目を逸らせなかった。
ドキドキする。この胸の高鳴りが怖い。だって、私は確かにエドガー様が好きだったのに。それが全てカムイ様に塗り替えられそうで恐ろしくてたまらない。私の『好き』はその程度だったの?
そんな私の葛藤に気付かず、カムイ様はさらに私の心を乱す。
「求婚だ。そなたの気が変わったとしても、もう我はそなたを逃す気はないぞ。真名の交換を交わし、番の契約も結んだ。そなたは我の番となり、その命は我が死すまで我と共にある。そなたの命は我の手の中にある」
求婚。その言葉が頭に浮かんでカッと顔が熱くなる。
まさか、そんな。勘違いとはいえ、カムイ様は私の求婚に頷いてくださったの? エドガー様に捨てられた私なんかの。私なんてなんの価値もないのに。前世から捨てられてばかりの無価値な私なのに。
「そもそも我ら龍族の番の契約は生涯一度きり。そなたが勘違いしていたのだとしても、契約が交わされた今、そなたを解放などはせぬ」
その言葉を聞いてどきりと心臓が高鳴った。
それが本当ならカムイ様は私を一生──。
ハッとする。今考えたのはとても卑怯なこと。考えちゃいけない。ふるふると首を振って口を開く。
「私は、あなた様に相応しくありません」
「相応しい相応しくないは我が決めること。そもそも契約を交わした時点でそなたはもう我のもの。我のものを相応しくないなどと言うでない」
「でも、私なんかが……」
「なんか、も禁止だ。そなたは我に相応しい美しく繊細な魂を持っている。一途で、無垢で、それでいて情熱的な。それに我を誘うかぐわしい香りはそなたを運命の番だと教えてくれている」
カムイ様のお顔が近付いてきて、ぎゅっと目を閉じる。すると、くん、と鼻を寄せる音。首筋にカムイ様の吐息がかかって、匂いを嗅がれているのだとわかった。
──恥ずかしい。身を清めていないから、きっと汗臭いのに。
「う、運命の番って……」
「んむ? ああ。人族にはそういう概念がないのだったな」
カムイ様が首筋で吐息をかけるように話すから、くすぐったさを感じて身をよじる。それがカムイ様にとって逃げるように思えたのか、「逃げるな」と言われて手首を強く握られた。
ベッドに縫い付けられた両腕に困惑しながらカムイ様を見つめると、カムイ様は無表情ながらに楽しそうな声を出して説明し始める。
「番とは、そうだな。夫婦、伴侶、子作り相手。どれなら伝わ……ああ。伝わったようだな。そういうことだ。運命の番は生涯で出逢えるかもわからぬ半身のことだ。ちなみに、食べて、とは時に男女間での艶めいた蜜語となる」
「わっ、わたしっ、そんなつもりじゃ……」
まさかそんな風に取られていたとは思わなくて顔が真っ赤になる。
私、今まですごく恥ずかしいことを言っていたのだわ。
それに夫婦だなんて。確かに真名の交換はそのような意味をもたらすけど、まさか龍族の方とそんな契約を交わすことになるなんて思わなかった。食べられるのに必要なことだと思い込んでたから、だから。
そんな言い訳にならないことが頭の中で繰り返される。
「どちらにせよそなたがこの森に足を踏み入れ、立ち去らなかった時点で我はそなたを番にすると決めていた。そなたにそのつもりがあってもなくても同じことよ」
「っ、カムイ、さま……」
「ルビリア。ベルローズ・ルビリア・スズ・アウレリア。理解せねばならない。そなたはもう我の番なのだと」
カムイ様がそう言って私のドレスを脱がし始めた。とても器用なカムイ様はするするとドレスを脱がしていく。
「あっ、や、どうして……」
「見なければわからぬだろう?」
「なにを、」
すとん、とドレスとコルセットがベッドに広がる。カムイ様に「見よ」と言われ、カムイ様の指がなぞる場所へとおそるおそる視線を落とす。
目を凝らさないとわからないけど、そこには確かに白い花が咲いていた。
「薔薇の花……?」
「少々派手な意匠だが、やはり美しい」
「んっ……」
「白い肌に我の白はあまり目立たぬが、よく見なければわからないというのもいいものだ。我にしか見ることができぬものな」
ちょうど薔薇の花が咲いているのは心臓の上。つまり、胸の膨らみがあるところ。その上、カムイ様の指は乳輪に触れている。
恥ずかしくて目をそらしてしまったけれど、白い薔薇のような印はザラザラとした鱗でできていたような気がした。
恥ずかしくて、ドキドキして、頭の中が爆発しそう。だって、こんなことされたことがない。前世を辿ってみても、こんなことはされたことがない。
「んっ、ゃあ……」
「この白薔薇は我と番の契約をしたその証。我の心臓の上にも同じものがある」
「か、むいさまぁ……」
「なんだその色っぽい声は……むっ」
恥ずかしさから潤んだ瞳でカムイ様を見つめる。そうするとカムイ様は自分の手がどこにあるのか理解したのか、慌てて手を引っ込めた。そしてみるみるうちにカムイ様の顔が赤く染まっていく。
二人で顔を赤く染めて俯いた。
「ごめん、なさい……。初めてで、変な声が……」
「いや、んむ、まあ、なんだ。我もその、あまりにも触り心地がよくて自然と手が動いていた。すまぬ」
触り心地がいい……。その言葉に少し喜んでいる私がいる。
私、どうしてしまったんだろう。エドガー様が好きなはずなのに、どうしてこんなにカムイ様に心を乱されているんだろう。
「ところで」
カムイ様が空気を変えるように声をあげる。
顔を上げると、まだ少し顔の赤いカムイ様が私を見ていた。
「ルビ……ベルはどうしてこの森に来た。この森は人族からは恐れられているはずだが」
「あ……」
『ローズ、君との婚約を破棄することが決定した』
『清々したよ。君は独占欲ばかり強くて、そのくせ普段は勉強か本かしかない暗い女だ。そんな女が僕の婚約者で、いずれはこの国の王妃だなんて本当に嫌だった』
『もうお前と生涯会うことはないだろうな』
投げかけられた言葉が私の頭を駆け巡る。それらを思い出すと、気持ちが溢れて涙がこぼれ落ちた。
悲しむ心に安堵する。私にエドガー様への気持ちがあることに。好き、という感情があることに。けれどそれと同時にそんなことを考えてしまう自分に吐き気がした。
好きの感情に安堵するなんて、まるで自分が純粋じゃないみたいで。
でも、私にはその感情しかない。私の唯一持てるもの。
「す、すまぬっ! 泣かせるつもりではなかった! 言いづらいのであれば言わなくてよい。な? 泣き止んでくれ」
その優しさに心が和らいでいく。カムイ様はとてもお優しくて、エドガー様とは全然違う。エドガー様が優しかったのは最初だけだった。成長していくにつれて、エドガー様は冷たくなっていった。私に辛く当たるようになった。
でも、それでも好きだった。私をわかってくれる、好きだと言ってくれたエドガー様のことを信じていたから。
家族以外に優しくされるのは久方ぶりだった。だからかもしれない。
カムイ様のその優しさに報いたくなった。
「わ、たし、婚約破棄されて、」
「こんやく……?」
「ずっと、すきだったの……。でも、疎まれていて、」
「ずっと、すき……?」
「他の女性に嫌がらせしていたといわれて、信じてもらえなくて、それで、この森に、追放されて……」
ぶわりと涙が次から次へと溢れる。そして、感情が爆発した。
「た、たんじょうびだったのに……っ! わたしの、誕生日パーティーだったのに……っ! わたしだけを見てくれるはずだったのに、わたしっ、わたしっ、だから、がんばって、王子妃になるためにっ、ふっ、ただ、あいして、あいされたかっただけなのぉっ!」
幼い頃の約束に囚われて、それが違えることはないのだと思い込んだ。そう、思い込みたかった。
前世の私もそう。好きだと言われて浮かれて、この世で一番好きだと言われればそれが変わることはないのだと思い込んで、私は相手の領分を犯してしまった。
きっと私は気付かぬうちにエドガー様の領分も犯してしまったのだわ。エドガー様が踏み入られたくない領分へと。
だから、私は捨てられてしまった。
子どものように泣きじゃくる私をカムイ様が抱き締める。
「可哀想に、ベル。そう泣かずともよい。これからは我が側にいる。我が誓おう。そなたを愛し、そなたに愛されることを。そなたが望むならばそなたをこのように悲しませた男も、そなたを苦しませたその国も、我が滅ぼしてやろう。そなたは我に何を望む?」
「なん、でも、いいの……?」
「ああ。そなたが望むのなら」
それはとても甘い誘惑。なんでも私の願いを聞いてくれる。それなら、それなら。前世の私と今世の私。私たちが望むこと。
「ずっと、ずっと一緒にいてほしいの」
「んむ?」
「ずっと、側にいて、愛して、たくさん愛して、私を不安にさせないで、誰かと話すときは私もいっしょにいさせて、毎日一緒に寝て、私にだけ優しく笑って、嘘をつかないで、私を一人ぼっちにしないでほしいの……。そしたら、そしたら私はあなたに私のすべてを捧げるから……」
「──我の唯一の番であるそなたが望むのならば」
私を抱き締める力が強くなる。それに私は強く安堵する。
たとえこれが嘘でも構わない。だって、心の奥底で私はこの言葉を信じていないから──。




