01
ただ同じ愛を返して欲しかった。
「ローズ、君との婚約を破棄することが決定した」
愛しい愛しい婚約者であるはずの王子様から言われた言葉。
ガツンと頭を殴られるような強烈な衝撃のあと、前世の記憶が私の中を駆け巡った。
そして人の本質は変わらないものだと身をもって知る。私は前世からなにも変わっていないのだと。
今夜は公爵令嬢たる私、ベルローズ・アウレリアの誕生日パーティーのはずだった。
婚約者である彼の瞳の色である藍色にちなんで、胸を強調するような深い青色のドレス。ドレスには散りばめられたダイヤが光に反射してキラキラと輝いている。今夜の装いに相応しい夜空のような美しいドレスのはずだった。
対して彼が身につけているタイは私ではなく、彼の隣にいる女性の瞳の色だった。女性はまるで当てつけのように私と同じ色のドレス。
招待客は私の婚約者である王子様が、本日の主役である私と同じ色のドレスを身につけた女性を伴って来たことにギョッとしていた。
それには気付かず殿下はさらに口を開く。
「清々したよ。君は独占欲ばかり強くて、そのくせ普段は勉強か本かしかない暗い女だ。そんな女が僕の婚約者で、いずれはこの国の王妃だなんて本当に嫌だった」
「まあ、エドガー。そんなに言っちゃ悪いわ!」
「ああ、アリーゼ。君は本当に優しい女神のような女性だ。君に嫌がらせをしていた女にまでそんな優しいことを言えるなんて!」
「そんなことないわ。ね、ベルローズさん。今なら謝れば許してあげるわ。だから、ちゃんと謝って」
そう言ってにっこりと微笑む無邪気な女性。
じくじくと胸が痛む。苦しくて苦しくて、涙が溢れそうだけどグッとそれを飲み込んだ。
彼女は元は平民だった。それが実は男爵家の庶子だったと分かり、つい最近社交界にデビューした女性だ。
彼女は次々と高位の貴族令息を誑かした。そしてそれは私の婚約者である愛しいお方にまで及んだ。
だから、私は自衛したのに。
『私にはエドガー様しかいないの。だから、エドガー様には近づかないで』
そう懇願したのに。
ねぇ、どうして?
「だんまりか。本当に君は都合が悪くなるといつもそうだな」
「エドガー様……」
「僕の名前を気軽に言わないでくれないか?」
「ど、して……」
「お前の声は小さくて聞こえない!」
「っ、ごめん、なさい……」
小さい頃は私の声は小鳥の囀りのようでかわいいとおっしゃっていたその口から、ぼそぼそとして気味が悪いという。
私が一番だと言っていたその口で、違う女性に女神のようで最高だと言う。
音が聞こえる。ぱきんぱきん、と割れていくような、凍っていくような、そんな音。
前世の私も、そうだった。
前世の私は最愛の人に捨てられた時点で、死を選んだ。彼女は別に一人だったわけじゃない。最愛の人しかいなかったわけじゃない。
家族もいたし、彼女を愛してくれている人間もいた。けれど彼女にとってはそのどれもが彼女の生を打ち立てる楔にならなかった。
「まあいい。未来の王妃を誘拐しようとし、暴漢に襲わせたそうだな」
「え……?」
知らない。そんな話は知らない。
目を開いてアリーゼを見ると、アリーゼは悲しむように顔を伏せて口を押さえた。けれど、一瞬だけ見えた彼女の目元が笑っていたのが見えてしまった。
ああ、嵌められたんだ。
気付いて、気付いて、エドガー様。私はなにもやってないの。
けれど相変わらずそれは声にはならない。
前世からそうだった。私は極端に自信がなくて、人の言葉を遮るのが苦手で、仕事でもいつも要領が悪かった。自分を主張できない人間。いつだって死にたかった。それでも生きていたのは最愛の人がいたから。私は必死で生にしがみついていた。
心の中でエドガー様に気付いて欲しいと願うけど。
「お前のしたことを考えれば極刑でもおかしくない。けれど、アリーゼの願いだ。国外追放で許してやろう」
そんな願いは当然叶わない。
連れて行け、その言葉と同時にどこからか現れた騎士たちが私を拘束する。私を守ってくれるはずのお父様は婚約破棄を告げたエドガー様に驚いて、すぐに陛下を呼びに行ってしまった。唯一残ったお母様は生粋の深窓の令嬢。この状況にどうしていいのか分からず、気を失ってしまって侍女に支えられている。
まさか誰もエドガー様がこの暴挙に出るとは思わなかっただろう。
「もうお前と生涯会うことはないだろうな」
「残念です、ベルローズさん」
──私はまた間違えたのだわ。
それだけははっきりとわかった。
自分を語ることはとても難しい。それはたぶん私が夢も主体性もないつまらない人間だからだ。
好きなものはある。けれど、それが夢中になれるものかと聞かれたら違うと答える。
欲しいとは思うし、お金があれば後先考えずまるで湯水のように使う。それなのに私はそれを好きだと言うことができない。
欲しいのはみんなが求めてるから。みんなと同じだと安心できる、そんなくだらない理由で私はものにお金をかける。
だから手に入れたあとはそのまま。ただガラクタになって部屋に埋もれるだけ。
物語を見ることは好き。小説でも漫画でも絵本でも観劇でも。
だって物語の中でだけは、私は愛も夢も希望も絶望も正義も悪も、なんだって持っている。悪を倒すことに夢中になって、愛しい人に全てを捧げて捧げられて、夢に向かって走って、過ぎた正義に鉄槌を下す悪にもなれる。私はなんだって好きになれる。たくさんのものに心を砕ける。
現実の私とは大違い。
私の中の『好き』という感情のベクトルは一方方向にだけ強く向いている。
たくさんの人に好意の感情を寄せるのは苦手で、けれどだからといって好きな人がいないわけじゃない。けれどもその『好き』は重くて、他人には耐えられないものだった。
子どもの頃から育ち切れていない私は、自分の世界に誰かが入ってくることを許容することができなかった。
私の世界は家族と、それから特別好きな人だけでよかった。私にとってそれ以外の人はいてもいなくても同じだったから。
そして私は愚かにも相手にもそれと同じことを求めてしまった。
私は自分が特殊な人間だと認識していなかったから。好きな人が私を一番に優先するのは当たり前だし、私のいないところで私以外の人とこそこそ喋らないのは当たり前。だって私は好きな人がすべてを捨てろというなら、すべてを捨てることができたから。
例えば『好き』がたくさんの小部屋から成り立ってるとして、たぶん私の『好き』は一部屋しかなかった。
だから他の『好き』が曖昧で、ただ盲目的に一人だけを愛し、見返りを求めていた。
愛してさえいればその愛は報われると愚かにも信じていた。
そしてそれは何度裏切られても変わらなかったらしい。
前世では何人目かの最愛の人に裏切られて、私はビルの屋上から飛び降りた。
生まれ変わったら人を愛さないと心に決めて。
それなのに私はエドガー様を愛してしまって、そしてこっぴどく捨てられた。その拍子に前世を思い出したのは運が良かったと思う。
だって、もう私は裏切られない。人を愛さないから。
「降りろ」
そう私に命令する騎士。彼もまたアリーゼに誑かされた男性の一人。
降りろ、というくせに乱暴に私の腕を掴んで馬車から引き摺り下ろした男を冷めた目で見つめ、それから視線はすぐに彼の後ろに広がる森に移った。
「ここは……」
「リュウセンの森だ」
その言葉に彼らは私を国外追放にするのではなく、殺そうとしているのだと気付いた。
リュウセンの森というのは国境沿いにある魔の森のことだ。国境沿いとはいえリュウセンの森を抜けたらなにがあるのか、それを知るものは誰もいない。
昔からの言い伝えでは、まだ我が国──ボルグンガ王国──ができる前からある森で、その森にはドラゴンたちの憩いの泉があるらしい。遥か昔はその泉に行き、ドラゴンたちと積極的に交流を図ってきたらしいが、最近では森を抜けることのできる強き者もいなくなり、一度入ったら生きて戻ってはこられない魔の森として有名だ。
「エドガー様は……」
そう言ってから、そういえば気軽に名前を呼ぶなと言われたのだと気づいて口を噤む。
「殿下は、わたしに死ねと仰るのね」
言葉にすると胸がギュッと締め付けられた。
騎士は私の言葉には答えずに腕を引っ張り、森の中へと押し込む。私の太ももまである草がチクチクと私の足に刺さった。
私を見下ろす騎士の目の冷たさ。けれどなんの感情も浮かんでこない。
「二度とこの国の土を踏むな。踏んだら、俺が直々にお前を殺す」
騎士は私を睨みつけ、そして興味を失ったようにその場を後にする。
その背中に背を向けてなにも持たず、なにも考えず、私は森の奥深くへと歩み始めた。
あれから何日が過ぎたのか時間の感覚がない。
歩き疲れた私は森の中の大きな木の下で腰を落として座っていた。寝ていたような気もするし、ただぼーっとしてただけのような気もする。
「いつまでここにいるんだ」
凛とした音のような声が聴こえた。ゆるゆると目を開けると、そこにいたのは細長い身体を持ったなにかだった。細長いといっても、私の胴体よりも太いけれど。
「……へび」
巨大な蛇。だと思われるもの。私、丸呑みにされてしまうのかしら。それもいいかもしれない。私の悪いところすべてを溶かしてくれる。私の身体まで溶けてしまうけど、そうなって彼が喜んでくれるならそれでもいい。
彼に捨てられた私にはもうなんの価値もない。
そもそもなんの価値もないから、みんな私を捨てたんだ。元からなんの価値もなかった。私自身に価値はなかった。私という人間はつまらないものだから。
「我を蛇だと? そのようなものと一緒にするな」
ぐわ、と威嚇するように口を大きく開ける蛇のようなものの口の中には鋭い牙が生え揃っている。それを視界に入れながら、溶かされるのはでなく、噛み砕かれるのだと思った。
溶かされるのと噛み砕かれるの、どっちがいいんだろう。
……どっちでもいいわ。どうせ、死ぬのだから。
獣のように縦に瞳孔が開いた黄金色の瞳と目を合わせる。
「──わたしを、たべて」
私を食べて。私には餌になるぐらいしか価値がないのだから。
「な、なんだと!? よ、嫁入り前の娘がそのような大胆なことを……! いや、まあお前もそのような気持ちなら我もやぶさかではないが、その前に二人の仲を深めることから始めたいというかな。いや、我はもうすでに……。だがしかしまずは番の儀からであろう? いや、しかしおぬしがそういうなら我も、おお? お、おい! どうした! しっかりしろ!」
一言そう呟いたと同時に私の意識は暗転した。最後に誰かが私を抱き止めてくれたような気がしたけど、おそらくそれは気のせい。だってここには蛇のようなものしかいないのだから。




