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僕は最愛の人に刃物突き刺す

作者: 未羅ねらと

 銀色の冷たい感触は今の僕には届かない。

 

 銀色の鋭利な刃物は、彼女まで数センチ。


 もう少し、手を伸ばせ鮮血が噴き出すだろう。


 僕は最愛の人に刃物を突き出している。


 でも、僕も好きでこんなことをしているのではないんだ。


 胸の高鳴りは奇しくも彼女に初めて会ったあの日を思い出す。柔らかな彼女の横顔に目を奪われたあの日のことを。


 振り解かなくてはならない記憶だが、頭の奥から沸いてくる。


 あの日は夏だというのに肌寒い日だった。


 実家近くの喫茶店。開店時から座り込み、コーヒーのお代わりは5杯を超えた。


 何時間もの間、ずっと本をめくり続ける。もう勉強の真っ最中だった。


 6杯目のコーヒーを飲んだあと、本を閉じる。さすがに疲れた頃、ふと横を振り向いた。


 そこで、僕は彼女と出会った。


 長い黒髪、色白の肌。クリクリとした瞳はこの世界の汚れを知らない純粋な瞳。


 これまで叩き込んだ内容は空になり、時間が止まり、心臓はバクバクと爆音を鳴らす。


 心臓の鼓動で意識が戻った。


 身体から飛び出るかのような、爆音の原因はしばらくなからなかったのを覚えいる。


これまで感じたことにない感情に身体がおかしくなった。まるで、異物が血管に混ざったみたいに。しかも、心地よくものだからとってもパニック状態だった。

 

 でも、彼女から吹くそよ風は心を落ち着かせた。


「難しい本ですね〜」


 透き通るような声で、笑みを浮かべ話し掛けられた。


「でも、面白いですよ」


 いつものように無愛想に返してしまったことに、なぜか後悔したことを覚えている。


 今になって思えば、一目惚れといつやつだったのだろう。


 しかし、恋の感情は始めてであったため、理解するのにずいぶん時間がかかった。胸のときめきは僕の世界を色鮮やかに彩る。


 これが、僕達のスタートだった。


 彼女はとにかく笑う人だった。


 僕が食事中にスプーンを落としたら、ぷっ、て笑う。君に見惚れていたから、手が疎かになったせいなのに。交差点を歩いていると前の人とぶつかりそうになったら、大爆笑だ。こっちは、君にだらしない姿を晒してへこんでいるのに。


 普通の人なら鼻で笑いそうなことも、彼女は腹を抱えていつまでも笑っていた。こっちもつられて笑いそうなぐらいに。


 彼女はよく喋る人だった。朝のおはようから、夜のおやすみなさいまで。ずっと口が開きっぱなし。よく僕の不愛想な相づちに飽きもせずに話し続けられるものだ。


 彼女は好奇心旺盛な人だった。



 僕が読んでいる本を、意味がわからないといいながら読破する理解不能なところがある。理解しての?って聞いたら、首をぶるぶる振りながら、「全然、意味わからないよ、時間の無駄だった」って、なぜか不機嫌になった。かんべんしてくれよ。


 不思議な感覚だった。


 彼女が笑うと僕も嬉しくて、彼女が泣くと僕も悲しくなる。


 彼女と喜怒哀楽を共にすること幸せというのだろう。


「ありがとう」


 いつの日か、漏れた心の声に彼女は。


「こちらこそ」


 と返してくれた。


 これからの長い年月、2人は一緒に過ごす。


 それは2人の共通認識で、決定済みの未来。


 だから、彼女の病魔を知らされた日は現実を受け入れられない。


 筋肉が衰える難病。


 まずは歩行は困難には、腕に機能を失い、最後には口も動かせず表情も消える。


 手術をし成功すれば、元の身体に戻るが十中八九失敗する。代償は命だ。


 難病だが、治療を続ければ命は助かる。寝たきりになるのは仕方がないこと。


 だが、彼女とのいつもの時間は過ごせなくなる。


 いつもの幸せな時間が。


 それは、僕には受け入れられないものだ。


 彼女と一緒にいることが幸せだ。一緒に笑って、泣いて、愛し合うのが。


 植物人間の彼女はもう人間じゃない。いや、僕が人間でいられない。


 僕は生きていけないだろう。


 もう、彼女のいない世界は考えられない。


 だから、これは僕のエゴだ。


 それは充分に理解している。


 謝って許されることはないけど、一緒に死のうとも考えている。


 これも僕のエゴだ。


 でも、きっと君ならわかってくれるよね。


 僕は息を飲んだ。


 そして、ゆっくりと銀色の刃で彼女の脳を刺す。


 血が噴き出す。


 彼女は目を瞑ったままだ。


 ゆき、この手術絶対に成功してみせるから。


 僕がゆきと僕を救ってみせる。


 ゆきの声が僕の耳元に聞こえた気がした。


「愛してるよ」って。


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