表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/10

6.共に

 女神の使徒である来須が斃れたという報告は、アレクシスら待機組に大きな衝撃を与えた。

 自らも心理的にアレクシスは当初ヒヴァリーには伝えずにおこうとしていたが、報告に戻って来た兵士から伝わってしまったらしく、彼女の天幕から悲痛な叫びが響き渡り、アレクシスは隠し通すことに失敗したことを知る。


「姉上……」

「どうなっているのですか、アレク! あの者は一体何を言っているのです!」

 伝えに来た兵士を指差して半狂乱になっているヒヴァリーは、アレクシスに向かって牙を剥くような迫力で叫ぶ。

「クルスさんが死んだなどと、なぜそんなたわ言を……!」


「たわ言かどうかは、確認してみなければわかりません。いたずらに兵の言葉を疑うのは、将としてできませんよ」

「アレク! あなたは……!」

 睨みつけるヒヴァリーに、アレクシスは自分が今、将として重要な分岐点にいることを感じていた。


 想定外の状況。信じていた者への疑いと迷い。

 これを全て背負って、見据えて、正しい答えを見つけて兵士たちを率い、領地と領民を守らなければならないのだ。

「なんという重責か……だけれど……」

 ここで判断を誤っては、自分に協力をしてくれた、少なくともそう言ってくれたクルスに申し訳が立たない。


「確認の人員を送ります。クルスが怪我を負っているだけならば、急いで助けなくちゃいけない。だから……」

「わたくも行きます。兵の言葉を信用できません」

 ヒヴァリーの言葉は、兵たちの士気を落とすものだ。まずいと思いながらも、アレクシスは彼女を落ち着かせるための言葉を探しきれなかった。


「……敵は近くに来ている。人員といっても数名が限度だし、接敵してしまう可能性もある」

「構いません。わたくしは真実を知りたいだけです。結果がどうなろうと……いずれにせよ、クルスさんが居なければわたくしの人生はここで終わるはずだった。元に戻るだけです」

 アレクシスは兵士たちに天幕の外に出るように伝え、二人だけになってからガックリと肩を落とした。


「僕の力が足りないばかりに、姉上には苦労ばかりを……」

「弟のくせに何をいっているの。あなたが力を付けるためにわたくしの利用するのです。……もし、万が一にもクルスさんが戻らなければ、わたくしも戻りません。あなたは肩の荷が下りたと思って、自由に振る舞いなさい」

「肩の荷? 姉上を重荷だなどと思ったことはない!」


 弟の叫びに目を丸くしたヒヴァリーだったが、すぐに笑みへと変えた。先ほどまでの狂乱とはまるで違う、聖母のような優しい微笑みに。

「アレクシス、聞いて」

 久しぶりにきちんと名前を呼ばれ、今度はアレクシスの方が驚いた。

 そして、自分の姉が本当に覚悟を決めていることを知る。


「わたくしの存在は、あなたの感情がどう動いても事実としてエイグス家の重荷になるのです。それはお父様もわかっているはずだし、あなたも、いずれそれを実感することになる」

「でも……」

「お願いだから、わたくしを解放して」

 アレクシスの手を握り、ヒヴァリーは震える声で続ける。


「クルスさんのことを、わたくしは良く知りません。だって、お話しできた時間も短いし、彼の活躍を見たわけでも無い。……でも、わたくしは彼を信用しているの。不思議でしょう?」

 不思議でも、心はそう動いた。

「わたくしは彼のところに行きます。この世ではない場所であったとしても」

「姉上……わかりました。では、ギルバートを連れて行ってください。彼の言葉なら、どういう結末でも僕は納得できる」


 実力でも信用が置ける人物であり、万が一“一人で戻る”ことになっても、彼なら問題無く本隊に合流できるはずだ。

「すぐに行きます。ギルバートをすぐに呼んでください」

「姉上。もし……もし、合流が難しい状況になったら、これを使って帰ってください。その時にクルスが共にあることを願っています」


 懐から、いくばくかの金が入った袋を取り出したアレクシスはヒヴァリーにそれを手渡した。

「こういう時に、どういう言い方が正しいかわからないけれど……。姉上、どうかお気をつけて」

「あなたも。アレクシス、どうか良い領主になって。あなたには才能がある。周りがきっと協力してくれる。大きな夢を叶えられるはずよ」


 わたくしの分まで生きて、と言葉にしようとして、ヒヴァリーは言葉を飲み込んだ。

 叶うなら、それを望むことを女神が許すなら、クルスと共に自分も生きたいと思ってしまったから。


 その願いを知ってか知らずか、女神は、瀕死のクルスに話しかける。


『ヒヴァリーちゃんに、愛されているのね』

「ありがたいことだけれど……俺は死にかけている」

 粘ついて酷い臭いがする血の海で倒れ伏したまま、頭の中に響く声。聞けば反射的に腹が立つ声だが、血が抜けて身体と共に気持ちも重い。目を開ける余力も来須には無かった。

「で、俺を笑いに来たのか? わざわざ世界を越えて、女の子に熱を上げて調子に乗った挙句、あっさりと死にそうな俺を」


 暗い闇の中で女神の声だけを聞かされるなんて、どんな地獄だと来須は内心苛立っていた。自分のために人を殺した結果がこの仕打ちかと。

 苛立ちは自分にも向いている。

 期待だけさせておいてあっさりと逝ってしまう男に、ヒヴァリーはどれだけ落胆するだろうか。考えれば考える程、申し訳なさで死にたくなる。


「……死ぬんだけどな」

『死なないわよ』

「馬鹿言え。女神の力で復活できるのか? 俺は不死の身体を貰った覚えはない。怪我は治ったけどな」

 槍がかすった傷どころではない。ナイフが二度、身体の奥深くまで突き通されたのだ。血が止まる様子も無い。


『不死じゃないし、死んだ人間を生き返らせることはできないけれど……男なら、あっさり諦めないで足掻きなさい。私のために』

「最後の言葉は余計だな」

 そう言いながらも、クルスは両手に力を入れた。

 先ほどまでに比べたら倦怠感は薄い。腕もどうにか動く。


「いてぇ……」

 身体が動くことを確認したら、痛みもはっきり自覚できるようになった。

 傷は完全には塞がってはいない。ただ、ピークを過ぎたような感じだった。

『身体はまだ動くでしょう? さっき殺した相手から奪った魂の力が、少ぉしだけ残っているのよ』


「焼け石に水じゃないか……」

 死ぬまでの時間が長くなっただけだろうと思った来須の耳に、聞き覚えがある声が聞こえる。

『理解した? あなたはまだ死んじゃダメなのよ。私のためにも、彼女のためにも』

「……理解した。嫌という程、理解した」

 再び両腕に力を入れ、来須はゆっくりと身体を起こした。


「姫! お逃げください! 早く!」

「いけません! わたくしたちは置いて、あなたは逃げるのです!」

 細い通り道であるとはいえ、敵の軍勢をギルバートと少数の兵士だけでは押さえきれるものではない。

 それでも主君の娘を逃がそうとする彼を、来須を庇うように立っているヒヴァリーは逃がそうとする。


「あなたはアレクに必要な人です! 早くお逃げなさい!」

 来須が、彼女の背後でゆっくりと立ち上がる。

 自分が垂れ流したものとはいえ、糸を引くような粘り気を持った血液は気持ちが悪い、と自分でも暢気な感想を抱きながら、目の前に広がる光景を見て、すぐに状況を知った。

「ぬおっ!?」


 人数差はどうにもならず、集団に弾き飛ばされたギルバートを無視して、敵の一団がヒヴァリーへ迫った。

「クルスさん……!」

「聞こえているよ」

「えっ?」


 呼びかけに応えた来須の声。

 驚いて振り返ったヒヴァリーが見たのは、赤く染まった右腕に小ぶりなツルハシを握った来須の姿。

 疲れたような微笑みを見せた彼は、足を引きずるようにゆっくりと進み出る。

「無茶です! クルスさん!」


「いやいや、そうでもないんだ。……君を助けるには、こうするのが一番で、嫌なことだけれど、ちょっとだけ待っていてくれないかな。そして、見ていて欲しい」

 ゆらりと振りかぶったツルハシが、一番近くにいた敵の腕を軽く叩く。

「うあっ?」

 重傷の相手だからと油断したと兵士は思った。軽傷とはいえ情けない、と。


 だが、その意識は瞬時に消え、彼の魂は腕に開いた小さな穴から抜け、来須へと吸収される。

 同時に、来須の傷は少しだけ癒えた。

「足りない、足りないなぁ」

 カン、カン、と軽い音を立ててツルハシの先が敵の鎧を叩く。その度に兵士たちは身体に穴を開けられ、バタバタと倒れていく。


「もっと魂を寄越せ。もっと、もっとだ! 俺と彼女の未来のために!」

 身体の傷が完全にふさがっても、来須は武器を振るい続けた。ヒヴァリーの敵を、一人として残さないために。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ