1.戦場に落とされて
五万を超える歩兵同士がぶつかり合う大規模な戦場。
邪神に飛ばされた彼が落ちたのは、そんな場所だった。
「いてっ!」
四メートルほどの高さで突然世界に現れた彼は、そのまま重力に囚われて落下した。大したダメージは無いが、ごつごつとした硬い地盤の上で強かに尻を撃ってしまった。
「畜生、なんて目に……あれ?」
見渡す限りの荒野……が本来の光景なのだが、今は人々がひしめいている。それも手に手に武器を持ち、殺気を湛えてギラギラした目をして、大小さまざまな傷を負っている兵士達が。
「ど、どういう状況?」
そこで彼は思い出した。
邪神が言っていた「五千万人殺せ」などとふざけている、お願いという名の命令を。
「まさか、手っ取り早く人を殺せと言うんじゃ……」
「見慣れない服装だな!」
「敵だ! そうに決まっている、殺せ!」
彼の判断を待たず、兵士達は手に持った槍や剣を掲げ、迫ってくる。
「待って、とにかく待って!」
「うるさい!」
狂乱もかくやという雰囲気で、兵士達は明らかに正気を失っていた。
部隊が整理された現代戦やゲームでの戦いしか知らない彼にとって、武器を持って自分の命を狙ってくる相手に、どうしていいかわからない。
わからないが、死にたくは無かった。
「ああ、畜生! 話を聞けよ!」
近づいてきた兵士を押し返すように蹴り飛ばし、後ろ向きに転んだのを飛び越えて行く。どこへ向かうのが正解かなどわからないが、とにかくここから離脱したい一心だった。
殺すのも、殺されるのもまっぴらごめんだから。
しかし、相手はうじゃうじゃとそこらじゅうに居る兵士達。
殺さねば殺される。生きて戦争が終われば故郷に帰れる。その思いでとにかく敵を殺す覚悟が出来ている兵士達なのだ。
「逃がすかぁ!」
木や革でできた粗末な鎧を着た男たちは、迷彩柄の野戦服という逆に目立つ格好をした彼を見逃しはしなかった。
敵は殺す。
シンプルで明快なロジックに突き動かされた兵士達の攻撃は、容赦なく彼を襲った。
「あつっ……」
僅かに避けそこね、剣の切っ先が脇腹をかすめた。
赤いものが流れるのが見えた彼は、傷よりも何よりも、野戦服が裂かれてしまったことに目が行っている。
「な、な……」
わなわなと震える彼は、指先でなぞるようにして腰のあたりを探り、いつも通りそこに小型のツルハシがぶら下がっているのを確認すると、慣れた手つきで素早く引き出した。
「なんてことしやがる! 俺が少ない小遣いから機能性重視で選びに選びぬいて、もどかしい気持ちでタイムセールを待って通販で買った野戦服に傷をつけやがって!」
不思議と痛みは無い。それ以上に、怒りと共に殺意が湧いてきた。
普段ならこの程度でそこまで激高するような正確では無いが、今は何故か、自分でも不思議なくらいに目の前の兵士を難く感じている。
「お前ぇええええ!」
「へ、へへ、そんな小さな得物で……へっ?」
兵士はツルハシを叩きつけられた自分の剣が、中程からぼっきりと折れたのを見て絶句してしまった。
小ぶりだが、彼が振るうツルハシはそれなりの高級品である。それでも鉄製の剣を叩き折るには強度が足りない筈だが、彼はそれに思考を振り向けるほどの余裕は無い。
「ば、バケモンか……がっ!?」
鋭く尖ったツルハシの先端が、兵士の薄い兜を突き破って脳天に突き刺さる。
「ふぅ、ふぅ」
「あ、あぁ……」
荒い息を吐く彼の目の前で、頭に穴をあけられた兵士は絶望の表情を浮かべたままで膝から崩れ落ち、その場に倒れた。
不思議なことだが、傷口から血が零れることはなかった。
「う、やっちまった……。うん? なんだこれ」
その代わり、彼にだけ見えているものがある。ツルハシが引き抜かれた頭の穴から、ぼんやりとした黒い霧のようなものがこぼれ出ていたのだ。
それが何か、彼は本能的に判ってしまった。
「魂を奪っているのか? 俺が……」
黒い霧は彼の身体にまとわりつき、皮膚から浸み込むように消えていく。気付けば、脇の傷は塞がり、発掘で疲れていたはずの身体に力がみなぎっていた。
「くそっ! 生かして帰すな!」
「槍で突き殺せ!」
周囲にいる兵士は密度を増し、彼が逃げる隙間どころか兵士達ですらお互いに邪魔になって動きにくくなっているほどだ。
そんな集団から次々と槍が繰り出され、彼は必至で身体を捻る。
「この、野郎! 問答無用で殺しにきやがって!」
両手に構えたツルハシを振るい、槍の穂先を叩き落としていく。尋常ではない動体視力と機敏性は、防御だけでなく攻撃にもいかんなく発揮された。
槍を握る腕に穴を穿ち、盾を構えている相手の足にもツルハシを突き立てる。
「いぎっ!?」
「ぐぎゃあつ!」
立て続けに兵士達が悲鳴を上げ、開けられた穴から魂を奪われていく。
致命傷とは程遠いはずなのに、たった一つ穴をあけられただけで死んでいく仲間たちの姿は、他の兵士から見ても異様に見えた。
十人以上が魂を抜かれたところで、彼に攻撃を加えようとする者はいなくなり、兵士達は彼を遠巻きに見ているだけの状況になった。
血の臭いがしない戦場は異様だ。
何人もが倒れているというのに、誰も血を流していない。
「この力は! あいつが……」
魂を奪う穴。そして魂の力を吸収する身体。
「人を殺すために、この力を使えと言うのかよ!」
五千万人を殺すため、邪神が授けた力は、彼にとっては呪いにしか思えなかった。
じりじりちと後退していく兵士達。その兵士達に、誰かが遠くから呼びかけた。
「撤退だ、撤退! 後退せよ!」
前線が押し返されたらしく、敵の猛攻が迫っているらしいことが、指揮官の声で口々に叫ばれている。
兵士達はこれ幸いと、ツルハシを握ったまま呆然としている彼を避けるように走っていく。中には、視線すら向けるのをためらう者もいた。
恐怖していたはずの自分が、恐怖の対象になっていることに戸惑いつつ、ツルハシを持った腕をだらりと下げ、兵士達を見送った。
そして数千人は居たかと思えるくらい大勢が通り過ぎて、ようやく近くに崖があることに気付いた。
戦いは、崖を側面にした荒野でおこなわれていたのだ。
「音が聞こえる。馬?」
映像でしか聞いたことが無い、軽やかな馬の足音が複数近づいてくるのが聞こえ、彼は少し迷った。
逃げるべきか、待ち構えて事情を説明し、助けを乞うべきか。
「話しが通じる相手なら、この世界について聞きたいな」
逃げると言っても、他に行き場所など無い。
ほどなく、馬にまたがって、西洋の騎士のような鎧をまとった人々がやってきた。
それぞれ馬上槍を抱えており、周囲を油断なく見まわしていたが、彼の姿を見て驚いたようだ。
「すげえ、甲冑なんて初めて見た」
妙に冷静になっている自分がおかしくて、つい笑みが浮かんでしまう。
そうこうしているうちに、騎馬の集団は彼の目の前までやってきて、止まった。
「お前は……うっ、これは……」
先頭に居た青年が声をかけたが、すぐに倒れ伏している異様な死体の数々と、薄ら笑いを浮かべている相手に気付いて言葉を止め、固唾を飲んだ。
「答えろ! 何者だ!」
代わりに進み出てきた偉丈夫の問いに、持っていたツルハシを腰に戻した彼は両手を上げて口を開いた。
「来須です。来須信一郎と言います」