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主様

「――とそんな感じです。詳細な報告書はこちらに」

「まさか町田さんが魔族に取って代わられていようとは……さすがに予想していませんでしたね。良治さんはこれも予想の範囲内ですか?」

「まさか」

「そうですよね」


 こんなことまで予想出来ていたら二人だけに任せていなかっただろう。テーブルの向こう側に座る綾華に苦い顔を送ると彼女は疲れたように呟いた。


 昼十二時十分前にプリントアウトした報告書を持った優綺と郁未が名古屋支部に現れ、全支部員のいる前で昨夜の事件の報告がなされた。

 町田の来る場所に先んじて居たこととその理由。彼の瞳が赤かったこと。そして見つかってから戦闘に至るまでの会話。黒頭巾の少女が現れたこと、追い詰められた町田が逃げ出そうとしたこと。


 落ち込んだ表情、沈痛な表情。何かを悔やむ表情、力強く耐えるような表情。様々な感情が渦巻く部屋の中でそれらを優綺が報告書を参考に話し、時折郁未が補足する形ですべてを語り終えた。


 語り終えた優綺と郁未の表情にも仕事を果たしたという充実感はない。ただ居づらそうに佇むだけだ。


 誰も口を開く様子のない場に声を発したのは良治だった。

 良治は昨夜の時点で綾華に報告をしており、報告と大差ない弟子たちの報告書を確認してから伝えられていた処分を発表した。


 良治の処分に不服を唱えるものはなく、後日正式に京都本部から連絡が来ることを皆に伝え、良治は先に名古屋支部を出ることにした。伝えるべきことは伝えたし、これ以上部外者である自分が居てもマイナスにしかならないと思えたからだ。


 扉を閉める間際に二人の視線を感じたがそれには応えずに去った。


「優綺さんと郁未さんの成果はいかがでしたか? 良治さんの期待に沿っていましたか」

「十分に。現時点でこれ以上を望むのは酷というものでしょう。二人ともよくやってくれましたよ」


 良治は町田が何らかの術や魔道具を使用して悪霊を発見していると考えていた。そしてそれは半年前にあった魔獣出現の件に関連している。その予想を元にそこまで危険度は高くないと踏んでいたのだが、それはあっさりと覆されることになった。


 魔族が人間に化ける。

 この現象は以前一度だけ報告されていたことがある。数年前にある学校の教師に化けていたと。その魔族は大きな被害を出す前に退治されたが、やはり実在する人間と入れ替わっていたという。


「もしかしたらまだ組織内に人間に化けた魔族が居る可能性はありますね」

「そうですね。限りなく低いとは思いますが。一応対策というか全支部員に調査をしようかと思っています」

「わかるんですか?」


 半年もの間専門家とも言える退魔士の中に混じってぼろを出さなかった実績がある。個体差が激しいとはいえ、そう簡単に発見する事は難しそうだと思える。


「黒影流の、というか師匠の助けを得ようと思っています。あの方なら間違いなく看破出来るはずです」

「浦崎さんなら、確かに」


 綾華の師である浦崎雄也。彼の協力を得られるなら確かめる方法もあるだろう。それもかなりの高精度で。


「確定したらそちらにも連絡します」

「はい。……ああ、話は変わりますが一つだけ」

「なんでしょう」

「あの子は綾華さんの指示ですか? それとも彩菜が?」


 良治が口にしたのは二人の弟子を助けてくれた、江南朱音という黒頭巾の少女のことだ。彩菜から遣わされたのはわかっていたが、それは上司である綾華の意図も含まれているのか気になっていた。


「彩菜の判断ですよ。私は特に指示していません。ねぇ、彩菜?」

「――はい」


 スッと音もなく天井から降りてきた彩菜は流れるような動作で正座をすると主の言葉を肯定した。


「こっちにはまだ戻っていないよな。あの子に助かった、ありがとうと改めて伝えておいてくれ。何度礼を言っても足りそうにない」

「確かに戻って来ていませんが、それは良治さんからお伝えしてください」

「戻って来てないのに? 帰りにってことですか。まぁいいですけど」


 綾華の言葉に多少疑問を持ったが、どうせ名古屋に戻って二人を回収するつもりだったので特に問題はない。

 江南朱音がいなければ戦局はひっくり返すことは出来ず郁未が、そしてその後優綺が殺されていただろう。彼女の貢献は無視できない。改めて自分で言うことになっても手間だとは感じなかった。


「ええ、それではよろしくお願いいたしますね」

「はい。彩菜もありがとうな。助かったよ」

「ううん。私からも、よろしくね」

「ん? ああ」


 なんとなく違和感を覚えたがすぐに二人とも部屋を出ていってしまったので確かめる術は消える。

 特に大した意味は含まれていないだろう。良治はそう結論付けて自身も部屋を出た。


「あっつ……」


 廊下には燦燦と熱線が降り注ぎ、京都特有の湿度もあってサウナに近い。部屋の中は冷房が効いていたが、この暑さはやはり堪えてしまう。


 さっさと名古屋に戻り二人を連れて東京に帰ろう。恐らく二人の傍に居るであろう江南朱音にお礼を言うのも忘れないように。












「お疲れ様、二人とも。みんなに挨拶は?」

「はい、大丈夫です。……色々ありましたけど、『ありがとう』と言ってくださいました。辛いことがあったのに、それでもありがとうと。……少し、複雑です」


 名古屋駅に到着するとホームには弟子たちと黒装束でない江南朱音が待っていた。

 固い表情の優綺は言葉通り複雑な表情で視線を下に向けていた。ほんの短い期間だが同じ支部で過ごした者として、やはり割り切れないことがあるようだ。


「大丈夫、胸を張ってよ優綺。私たちは褒められるようなことをして、実際に褒められた。だからそれでそれでいいって、私は思う。だから、元気出して。ね」

「郁未さん……」


 キャミソールに短パンという『夏! 暑いのやだ!』と全力で主張している格好の郁未が笑顔で語りかける。

 良治としても悩むことが悪いとは考えていないが、それが過ぎれば戦闘で迷いを生み、死に繋がってしまう。単純そうな考え方だが、郁未の言葉に良治も同意する。


「郁未の言う通りだよ。優綺は頑張った。そして結果を出した。それは間違いない。俺の想像以上の結果をね。だから、落ち込まない。前を向いて、笑おう」

「……はい」


 優綺はまだ迷いはあるようだったが、それでもこちらの目を見てぎこちないながらも確かに笑みを浮かべた。きっとこれなら大丈夫だろう。


「ああ、そうだ。名古屋支部員みんなの様子はどうだった? 処分に関して」

「それは特に不満はなさそうでした。支部長に代理だった瑠璃子さん、副支部長に丹羽さんになりましたけど、問題はなさそうに見えました」

「なら良かったな」


 今回の件は結局すべての責任は町田に扮した魔族のせいとなり、入院した村瀬八一郎はそのまま引退。娘で代理を務めていた瑠璃子がそのまま支部長になった。

 副支部長には支部員の中では若いながらも実力のある丹羽三郎が就くことになったが、懸念していた反発はないようだ。後日時間を置いてから彼に連絡をしておこうと良治は心の中でメモをしておく。


 そして良治は一番背の低い少女に目をやった。改めてお礼を言わなければならない。


「それで、江南朱音さん、だよね」

「はい、柊良治様。江南朱音でございます。どうか、今後とも宜しくお願い致します。……あの、これから一緒に東京に戻るということでよろしいでしょうか」

「ん? ……え?」


 今後とも。よろしく。一緒に。東京に。戻る。

 何やらおかしな単語が羅列された気がする。


「もしかして聞いていませんでしたか? あの、彩菜様から今後は一緒に行動するようにと。綾華様の許可は得ているからと」

「……なるほど。……なるほど、ね」


 あの違和感はこのことだと。便利なことには間違いない。しかし彼女は言ってしまえば監視役だ。

 もう一度江南朱音を見る。

 背の低い小柄な身体に触り心地の良さそうなショートカットの黒髪。ぱっと見小学生くらいに見えるが凛とした強い瞳がそれを否定しており、敵意などは一切なくむしろ忠誠心すらありそうに思える。


「彩菜様からは自分の指示よりも良治様の指示を優先するように言われています。……その、駄目でしょうか。朱音は仕えるに値しませんか?」

「んー……」


 突然言われても急には決められない。しかし様子を見るに彼女には落ち度はない。綾華と彩菜のコンビにやられただけだ。背の関係で上目遣いな彼女の表情は哀しみに染まっていく。


「あの、先生。一緒に行っては駄目なんですか。きっと力になってくれると思うんです。なので、迷っているなら、試用期間みたいなものを設けても」

「うん、試用しよー期間!」

「お二方……」


 どうやら良治のいないうちに仲良くなっていたようだ。同じ苦境を乗り越えたことで戦友と呼べる仲になったのかもしれない。


 優綺と郁未の成長にも有益かもしれない。黒影流ということで良治も知らない技術などもあるだろう。それを二人の弟子も習得出来れば完璧だ。


「――わかった。試用期間ということで。ただちゃんと俺の指示には従ってもらうよ」

「ありがとうございます良治様!」


 固い表情だった朱音の顔が輝く。

 その彼女に良治は一つ条件を出した。


「ならまず一つ。その良治様ってのをやめよう。そう呼ばれるような者でもないし、呼ばれたくないし、そう呼ぶと周囲の人たちがびっくりするから」

「――わかりました、あるじ様!」

「えぇ、そうなるの……まぁ、うん。あとで呼び方は指定するから」

「はい。――これから私、朱音の忠義は貴方様に。宜しくお願い致します、主様!」



【主様】―あるじさま―

自分の仕える主人に対する呼称の一つ。

なお良治はそう呼ばれることに居心地が悪いらしい。

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